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本編

37 最終話 これからも。

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 8月。待ちに待った入籍の日。

 私の誕生日でもある23才を迎えた今日、朝から気もそぞろになんとか仕事を終えて宗司さんと二人で市役所に婚姻届けと必要書類を提出し晴れて夫婦となった。
 書類の保証人欄には宗司さんと付き合うきっかけになった彩ちゃん夫妻にお願いして署名してもらった。

 窓口の受付で簡単な祝いの言葉を貰ってあっという間に入籍完了。環菜はあっけなさを感じた。
 えっ、もう終わり?早っ。
 自分が思っている入籍とは、人生においてとてつもない重大事件だ。だから、役所で受付するということはもっと事務手続きに時間がかかるものだと思っていたのだ。その長―い時間を待つ間、徐々に今から結婚をするんだぞという気持ちが昂ったりするもんだと思っていたのだ。それがこんなに早いなんて。
 コンビニで振り込み手続きをしたぐらいの感覚だった。

「木槌になっちゃったんだよね?夢じゃないよね?」
 これで正真正銘紙一枚の提出により、三田から木槌になった。
 名前が変わったからと言って体に劇的な変化がある訳ないのは分かってるんだけど、なんだろ、こう、くすぐったい気持ちと言うか、温かくてふわふわとした不思議な気持ちが湧いてきて歩いていても実際に歩いている気がしない。
 夢見心地っていうのかな?
 ずっと昔から叶えたいと願っていた夢がこうして叶ったことが、夢の中の出来事のように感じられる。
 自分では現実だと思っているけど、本当は夢の中なんにいるんだろうか。
 市役所の建物から出て車に戻る途中、恋人繋ぎをされている手には確かに自分のものではない感触と体温を感じるのだけれど、これも夢なのかも知れない。

「夢じゃない。夢だと俺が本気で困る。俺がどれだけこの日を待ち望んでいて我慢していたことか環菜だって分かってるだろう?出来ればもっと早くから夫婦になりたかったのに、環菜が判を押してくれないから」
 言葉だけ聞けば拗ねているように聞こえるが、実際はというとこれ以上ない程に顔が緩んでいる。
 でも、そんな顔をさせているのは自分だと思うと、なになら誇らしく思えちゃったりする。
 会社では宗司さんはこんな顔はしないから。私にだけ。それだけ特別って自惚れてもいいんだよね?
「でもそれって私が悪いんじゃないよ。最初に誕生日にしようって決めたのは宗司さんだよ」
 いい記念になるからと言って決めたのは宗司さんだ。
「それはそうだけど、環菜が承諾するならご両親からは俺たちの好きな時に入籍してもいいって言ってくれてたのに」
「だって、誕生日だと絶対に覚えやすいし。忘れないでしょ?それに、・・・」
「それに?」
「同じ部署で少しでも宗司さんと一緒に長く居たかったし」
 ちょっとした意地悪のつもりで判を押さなかったわけじゃない。言わなかったけど私も早く夫婦になりたいなと思っていたし。
 でもこういうことを面と向かって言うのは恥ずかしくて履いているヒールを見ながらしか言えなかった。

 西島では社内恋愛も職場結婚も禁止されていない。だが、結婚後は夫婦別々の職場が慣例だ。
 環菜達は籍を入れることが確実とされていたので、立場上宗司を人事異動することは難しいので環菜の異動が決定している。辞令ももう既に手渡されている。異動先は企画部だ。
 ただ、環菜はまたも食堂で隣になった人事課砂糖課長に何気なく希望を聞かれたことが有った。
 その時に言ったのは、たまたま会社のPRを兼ねたブログに載せる写真を撮る為に企画部に協力を経験があったので企画部か、広報部もいいかなって答えたのだ。
 恐らく砂糖課長の采配なのだろうと思っている。

「こら、こんなところで不意打ちにそんな可愛い事言うな。只でさえ色々我慢してるのに抑えが聞かなくなるだろうが」
 繋いでいる手にぎゅっと力が加わった。見れば宗司さんの目に熱が籠り始めていた。
「我慢してるって言っても宗司さん夕べも中々私を寝かせてくれなかったじゃない。全然我慢なんてしてないじゃない」
「それはそれ。だって今日やっと入籍したんだぞ?初夜だぞ、初夜。新婚夫婦として迎える最初の夜という貴重な特別な日は今日だけなんだ。それなのに今から両家の食事会に行かなくちゃならないんだぞ?今どれだけ我慢を強いられていると思ってるんだ」
「ちょっ、そういうこと外で言うの禁止っ」
 もー、初夜、初夜って連呼しないで欲しい。声が聞こえる程近くに人がいないとはいえ、人の姿は見えているのに。
「環菜が先に可愛い事を言うからだろう」
「言ってないしっ。そんなこと言うと見せてあげないからねっ」
「何を?」
 しまった。まだ言わないつもりだったのに、ぽろっと言ってしまった。実は通販を利用して初めて買った物があるのだ。結婚という特別な日だから、ちょっとは宗司さんを喜ぶ顔が見たくて。でも、自分で喜んでくれると予想してるだけで、反対に萎えるかもしれないけれど、たぶん大丈夫だと思う。

「環菜―?何を黙って隠してるのかなー?夫の俺にも言えないこと?」
 夫の俺と言うその続柄は違っていないのだけれど、改めて認識させられ心がふわふわした。
「えーっっっとお、言えなくはないんだけど、食事の後で言っちゃ駄目、かなぁ?」
 今言えば更に熱を加速させるかも知れない。危険度が増しそうで怖いんだけど。
「言えなくはないのなら、今聞きたい。聞かない方がストレスが溜まる」
 まあ、そうだよね。でも、恥ずかしいから後で言いたいのに。

「・・・私の誕生日だけど、私からも宗司さんにプレゼントしたくて、その、下着をね、買ったの。たぶん宗司さん好みだと思うんだけど」
 実際にショップに行って直接買う勇気は持てなかったので通販を利用したのだ。最初はレースがふんだんに使われているゴージャス系を買おうと思っていたんだけど、同じページに紹介されていたフェロモン系が目について。思わずそっちの買い物かごのボタンを押してしまったのだ。
 魔が差したとはああいうことを言うのだろう。あの時なんであんなセクシーなものにしてしまったんだろうと後で届いたお知らせメールを見て後悔した。

「・・・もしかして、普通のじゃなくて夜専用ってやつ?」
「うっ、そっ、そうだったかな?普通のだったと思うんだけどー」
 あらぬ方向を見てとぼけるも、真っ赤になった私にぴんと来るものがあったんだろう。ちらっと宗司さんを見ればやっぱり向けらていれる視線の熱の籠り具合が明らかに増加してした。

「ま、明日は土曜日で休みだし?そういうご褒美があるのなら早く用事を片づけて帰らないと。ね?奥さん」
 こういうのを身から出た錆とでも言うんだろうか。奥さんと呼ばれて一瞬ぞわっと鳥肌が全身を駆け抜けた。
 繋いだ手を引っ張られ、車の中へと座らせられた。
「や、折角初顔合わせに使ったホテルでのディナーなんだから、ゆっくりしたいなー。プロジェクトマッピングもじっくり見たいしー。お義母さんともいっぱいお話したいしー」
 本格的なディナーなんてそうそう食べれるものではない。両親もいることだし、そんな慌ただしく帰ろうとしなくても。

「嫌だね。初夜を邪魔する両親が悪い。俺達だけ早めに帰っても親は親で勝手に交流深めてもらえばいいさ」
「そんな訳に行かないでしょーっ!駄目に決まってるでしょっ」
 私達のお祝いの為に食事をしようってことになってるのに。
 それに別に今日から一緒に住み始める訳じゃなく、もう既に一緒のアパートに住んでいるのに、そんな下着の為に早く帰りたいなんてどうかと思うんだけど。
「孫が早く見れる為なら親も笑って許してくれるんじゃないの?」
「えっ!?ま、孫!?」
「式は10月だから、今すぐ出来たら悪阻は出るかどうか微妙な線か。うーん、もう暫くは二人の生活もいいとは思うんだけど、子供も早く欲しいんだよなー」
 こ、こ、こどもっ!?
「ええっ!?」
「仕方ない。今日の所は諦めるか?」
「諦めるかって何故疑問?」
 諦めるかって、全くしないってことでいいんだよね?でも、それはそれで寂しいんだけど。折角セクシーな下着も買ったのに。
「そりゃあ環菜とゴム無しでしたことないから一応お伺いを立ててるんだが」
 そっちかっ!そんなこと直接聞くなーっっっ。

「もー、馬鹿、馬鹿馬鹿っ、宗司さんの馬鹿―っっっ。エッチ、スケベ、むっつりーっっっ」
 はい、そうですかって返事できるかぁーっ!
「環菜、愛してる」
 うぎゃっ!?
「俺と結婚してくれて有難う」
 そう言って運転席から助手席へと体を捻らせ軽くキスを落とされた。
 直ぐに離された温かみに物足りなさを感じてしまった。
「もー・・・」
 こんなことで丸められて簡単に許しちゃう私も私なんだけど。
 こういう所が宗司さんに敵わないな~と思う瞬間だった。

***

 とんでもない濃密な週末が終わった月曜日。微妙に力が入らない体に鞭をうちながら環菜は出勤した。
 戸籍上では木槌環菜となったのだが。

 結婚したのだから社内では男女問わず「環菜さん」と名前を呼ばれることが殆どになった。社内結婚したのでそれが当たり前で仕方ない事だと思うのだけれど、宗司さん的には許せないらしい。
 どんだけ心が狭いのかっていう話だ。
 廊下や食堂などで私が男の人に呼ばれると眉がぴくって動いているのも何度か見かけた。
 私と同じように社内結婚した人は他にもいて、中には旧姓で呼ばれている女の人もいる。
 でも、私は昔から自分の名前にコンプレックスを持っていて三田と呼ばれることが好きではなかったのを彼はよく知っているから、顔には表れているものの一応我慢してくれてるらしい。
 多少苛ついてもいるようだが、表面上は何も言わずにいてくれている。
 こういう所も大好きだ。

 じーっと私に見つめられていることに気が付いた宗司さんはどうした?と聞いてくれた。

「ん、宗司さんと結婚出来て嬉しいな、と思って」
「だから、お前はどうして、そうっ・・・!ああ、もう、帰ったら覚えとけよっ」

 なにやらまた踏んではいけない地雷を踏んだらしい。
「環菜ー、食堂でどうどうとのろけるのはどうかと思うんだけどー」
 呆れたような椿の声に、環菜は今いる場所が食堂という人目のある場所だと思い至った。
「あ」
 やっちゃった。
 
 隣には気にするなと笑ってくれる宗司さん。そして友人と冗談を言い合って笑いあう。
 こういう毎日を繰り返して行きたい。

 きっと、出来るはず。
 
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