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夏休み
105 殺意?!
しおりを挟む「シェリル、大丈夫?」
「もう駄目です」
心配そうに私の顔を覗き込むのはウィルフレッド様。
王都に戻って来てから三日。
朝起きてから夜寝るまでみっちり、リドベル夫人による淑女教育を施されている。
今日もお勉強をさせられていたんだけど、レオナルド殿下から呼び出しがあり、魔術師の塔のカルロス魔術師団長の研究室に来ている。
私が部屋から出て行く時の、アマーリエ様の縋るような視線がいたたまれなかった。
「リドベル夫人は厳しいけど、素晴らしい教育者だ。夫人の教え子達は社交界で活躍していて、少しでも夫人に教えを乞いたい女性が列をなして待っていると聞いた」
「私は社交界で活躍したいとは考えていません」
むくれて言い返すと、ウィルフレッド様が曖昧に微笑んだ。
頭の上に本を乗せたままカーテシーとか、そのままの姿勢で耐久レースとか、意味がわからない。
体力的にも辛いけど、表情や仕草、言葉遣いも事細かに注意されるから、精神的にもかなりしんどい。
ライリー様のトレーニングのほうがよっぽどマシだった。
そういえば、王宮に戻ってからもライリー様を見ていない。
まだアストロス領にいるのかな?
「シェリルは…その…結婚は考えていないって…言っていた…けど…」
ウィルフレッド様が俯きながら小さな声でモソモソと言った。
「へ?えっと…」
そう。
そうだった。
結婚は考えていなかった。
魔術師団に入って、バリバリ魔法の研究をする予定だったから、夫や家のための社交なんてしなくていいと思っていた。
でも…
私はチラリとウィルフレッド様を見た。
サラサラの藍色の髪。
俯いているせいで顔は見えないけど、そこには優しい黒い瞳がある。
私は…
あの髪に触りたいと思う。
あの黒い瞳に見つめられたいと思う。
ウィルフレッド様の姿を見るだけで嬉しくて、温かい気持ちに包まれる。
好き
私は、ウィルフレッド様のことが好き。
自分がまた、誰かをこんな風に特別に想うようになるなんて考えていなかった。
正直、この気持ちをどうしたらいいのか自分でも分からない。
でも……
出来れば…そう、出来れば。
ウィルフレッド様の側にいたい…と、そう思ってしまう自分がいる。
そして同時に、怖い、と思ってしまう。
まるで呪いをかけられているみたいだ。
今の私には関係ない前世の出来事に囚われて、前に進むことも後ろに戻ることも出来ないでいる。
前世で修平に裏切られた痛みはまだ消えないけど、このままこの傷を引きずって生きて行きたいわけではない。
だから、アマーリエ様に言われるままにレオナルド殿下に前世の話しをしに行ったんだ。
癒しの魔術をかけてもらい、痛みを軽くして、前に進めるように。
そう、前に……
「ウィル様、私…!」
「シェリル…私は…!」
同時だった。
「あっシェリルが先に!」
「いえ、ウィル様こそ先にどうぞ!」
「いや」
「いえ」
「あ…」
「………」
「………」
うん。
何だか気まずい空気になってしまった。
っていうか、今、私は何を言おうとしてたんだろう。
自分で自分が分からない。
どうしようかと思っていたら、しばらく口をハクハクと動かしていたウィルフレッド様が顔を上げた。
「シェリルは…父に何か用があるのか?」
「え?」
あ、そういえばここはカルロス様の研究室だった。
カルロス様の研究室は、魔術師の部屋らしく分厚い本が並んだ本棚に囲まれていて、そこかしこに謎の器具や怪しい色の液体が入った瓶が置かれている。
私達はその片隅にあったソファーに座っている。
「いいえ。レオナルド殿下に呼ばれたんです。カルロス様の研究室に来いって。でも何処だかわからなくなってしまって困っていたので、ウィル様に会えて良かったです」
カルロス様の研究室には何度か来たことがあったのに、すっかり迷ってしまったのだ。
ウィルフレッド様にバッタリ会わなければ、今でもまだ辿り着けていなかったかもしれない。
「魔術師団長の研究室は魔術がかけてあって、許可された人と一緒じゃないと入れない。受付で案内をつけられなかったのか?」
「あ…」
「ん?」
「受付では挨拶だけして、普通にひとりで通ってきちゃいました」
「ああ…」
二年生の後期はほとんど王宮に保護されていて、しょっちゅう魔術師の塔に来てたから、その感覚で入ってきてしまった。
「カルロス様の研究室に魔術がかかっているなんて知りませんでした」
言われてみれば、カルロス様の研究室に来る時は必ず誰か一緒だった。
ウィルフレッド様がふわりと微笑む。
「父だけでなく、魔術師の部屋というのは秘密や危険が多いから、疎外認識の魔術をかけていることが多い。我が家は家族がみんな魔術師だから、屋敷にある自分の研究室にそれぞれ魔術をかけていて、新人のメイドがよく迷ってる」
何その家。
メイドが可哀想だな。
「それで、シェリルはさっき何を言おうとしてたんだ?」
「え?」
さっき?
さっきは……
私は……何を言おうとしてた?
「えっと…え~っと、あ!氷の魔術のことです!あれは、水魔法に何の感情を乗せたのかなって」
なんとかそれらしいのを絞り出してみた。
「ああ、あれは…う~ん」
ウィルフレッド様が何故か言い淀む。
「え?何か、緘口令とか出てるんですか?」
内緒ですか?
「いや、そんなことはないけど…」
それにしては言いたくなさそうだ。
ウィルフレッド様は私をチラリと見ると、俯いてしまった。
「ウィル様?」
どうしたんだろう。
「軽蔑…されたくない」
「軽蔑?!」
ウィルフレッド様がさらに俯いて、可愛いつむじが見えてしまっている。
「しませんよ軽蔑なんて!そもそもユラン様の冷たい空気の話しをして、他の魔法で試してもらえると助かると協力をお願いしたのは私です。ウィル様がどんな感情を抱こうと軽蔑なんてしません」
っていうか、氷の魔術の感情はそんなにヤバいんですか?
だとしたら、春祭りの時やお出迎えの時のユラン様はどうなっちゃうんですか?
ウィルフレッド様は少しだけ顔を上げると、逡巡するように視線を彷徨わせ、横を向いたまま小さな声で言った。
「…殺意」
え?
今何て?
「人を、本気で殺したいと心から思うと、風魔法は冷たい空気や風に、水魔法は氷になる」
殺意?!
「軽蔑した?」
唖然としていたら、ウィルフレッド様がまた項垂れてしまった。
「いや、軽蔑はしませんけど…。意外でした。ウィル様が殺意を感じることなんてあるんですね」
いつも穏やかで優しいのに。
「私も驚いた。自分の中に、あんな冷たい残酷な感情があるなんて…」
ウィルフレッド様が大きな溜息を吐いた。
「でも、あの時の感情を表現するなら、殺意が一番近いと思う。あんなに冷ややかにコイツを殺してやりたいと思ったのは初めてだった」
そう言うウィルフレッド様の瞳が剣呑な光を宿す。
あの時ってどの時なんだろう。
スタンピードの時かな?
大量の魔物の討伐で気が立っていただろうし。
「ウィル様、ユラン様なんてその感情を思いっきりレオナルド殿下に当てていましたよ。多分しょっちゅう誰かを殺してやりたいと思ってるんですよ。
だからといってはなんですが、そんなに気に病まなくてもいいと思います」
お出迎えの時、真冬の空気を纏うユラン様の目線の先にはレオナルド殿下がいた。
春祭りの時は、マチルダ様の妹とか王宮人事長の話しをしていたら寒くなってきたんだった。
殺してやりたいと思ってたんだな、ユラン様。
「確かに…ユランや宰相の周りはよく冷たくなっている…たまにオリビアも…」
「ええ?!」
宰相閣下はまだ分かるけど、オリビア様も?
ハイベルグ公爵家の人間は、みんな殺意を胸に秘めているのか?
「それよりウィル様。氷の魔術を使うたびに殺意を思い浮かべるのは辛いんじゃないですか?」
氷が出来るのは嬉しいけど、そのせいでウィルフレッド様が辛いのは嫌だ。
「最初は少し辛かったけど、何度か試すうちに、その時の出来事ではなく、その時の感情だけを思い返せるようになってきたんだ。だから大丈夫だ」
そう言って微笑むウィルフレッド様。
私が新しい魔術の話しをしてしまったばっかりに、魔力暴走を起こしかけたり、殺意を何度も思い返したりさせてしまっていたようだ。
なんだか申し訳ない。
「シェリル、その…こうして魔術の実験をして、シェリルの研究を手伝えるのは、すごく楽しかった。これからも、シェリルの研究の手伝いをさせてもらえないか?」
「え?」
いいの?
「わ、私は嬉しいですけど、迷惑じゃなかったですか?魔力暴走まで…」
「それは私が未熟だからだ。レオの言う通り魔術師の塔で治療士監視のもとなら危険はないし、ぜひ手伝わせてほしい」
「ウィル様…」
ウィルフレッド様の黒い瞳が真っ直ぐに私を見つめる。
その目の中に、私の顔が映っているのが見えた。
やっぱり優しいな、ウィルフレッド様。
あと顔が近い。
ドキドキする。
「シェリル、私は……」
バターンッ!
「お待たせ~シェリル嬢!…あれ?」
ウィルフレッド様が何か言おうとしていたのを遮るようにドアが開き、カルロス様が飛び込んで来た。
「っ!父上!」
ウィルフレッド様がカルロス様を睨みつける。
心なしか周囲の空気がひんやり冷たくなった。
「お邪魔だったかな。ごめんよ、ウィル」
何やらニヤつきながらそう言うカルロス様の足元が、ピシリと音を立てて凍りついた。
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