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二年生 後期
58 シェリルの決意
しおりを挟むハイベルグ主従の底冷えのする笑顔にやられた私は、すっかり冷たくなった串焼き肉を飲み込み、これまた程よく冷えた果実水で揚げ芋を流し込み、クレープを丸呑みしてランチを終えた。
「シェリルお姉様、次はいつお会いできますか?」
オリビア様が寂しそうに私を見上げる。
そのあまりの麗しさに目が離せない。
ユラン様と同じ金髪にブルーグレーの瞳なのに、底冷えのする恐ろしい笑顔を見せられた後のオリビア様は、まさに春の女神のようだ。
「今はバイトもしていませんし、休日なら会えますよ」
「では、近いうちにまたお茶会にお誘いしてもよろしいですか?」
「もちろんです。楽しみにしてますね」
私がそう言うと、少し陰りのあった表情に明るさが戻る。
良かった。
「じゃあ、私はクラスの出し物の当番なので行きますね。ユラン様、ご馳走様でした」
「いえ、オリビアを案内して頂いてありがとうございました」
ユラン様も今は穏やかな顔をして、普通に微笑んで返してきた。
屋台村の教室を出て、自分のクラスに向かう。
「すみません、ちょと化粧室に行きます」
護衛に声をかけて、トイレに入る。
男性である護衛の人は、トイレの中までは付いて来ない。
出入口の外で待機だ。
学園のトイレはいつもピカピカに掃除されていて、何故かとても豪華な内装になっている。
ここは百合の花がモチーフになっているようで、壁紙や鏡や化粧台を彩る装飾も百合、匂いも百合。
百合尽くしだ。
「さ、寒かった…」
そう言ってワシワシと腕をさする。
鳥肌が半端ない。
心も体も冷え冷えだ。
私は百合の装飾がされた化粧台の前に立ち、鏡の中の自分を見た。
顔色が悪い。
昼食を飲み込むように急いで食べたせいか、少しお腹がもやもやする。
いや、冷えて固くなったお肉を食べたせいかもしれない。
そう。
「寒かった。そして、冷たかった」
串焼き肉も揚げ芋もクレープも、買ってきたばかりなのに冷んやり冷たかった。
果実水はいい感じに冷えていて、いつもより美味しかったくらいだ。
「氷?でも、周辺の空気が冷えただけで、氷が張ったわけではなかったし…」
凍えるような冷たい空気。
アレは風魔法にユラン様の感情が乗ったせいじゃないんだろうか?
風魔法に怒りの感情を乗せると雷の魔術になったように、ほかの魔法に違う感情を乗せたら、また新しい魔術になる?
「ウィルフレッド様に話してみようかな」
親衛隊のことも相談したかったし、魔法のことならウィルフレッド様に話すのが一番いい。
「そうしよう」
私はふう、と小さく溜息を吐いた。
「それにしてもユラン様、あんなの食事時に話す内容じゃないでしょう」
確かにキャンベル伯爵家やマチルダ様の元妹、その婚約者の家は、マチルダ様とオリビア様に酷いことをしたし、許せないと思う。
評判が悪くなったのは自業自得と言えるだろう。
でも魅了を使って魔法学園の学園長を篭絡しようとしたんなら、最悪元妹は投獄、キャンベル伯爵家とハリソン伯爵家は爵位剥奪、下手すれば親類縁者まで罪に問われる。
闇魔法の違法な使用は、実はとても罪が重いのだ。
そういえば、フローラ様がレオナルド殿下が何か企んでると言っていた。
これがその企みなんだろうか?
だとしたら…。
「そこまでするのか…王族も高位貴族も…怖いな」
小さく声に出したら、急に心の奥底から言い知れない不安が湧き上がってきた。
浮気男ざまあみろ計画を胸に、魔法学園に入学してから初めて心細さを感じる。
帰りたいな。
家に、
我が家に。
私は懐かしい家族の顔を思い浮かべる。
お爺様とお婆様、お父様にお母様。
お兄様、お姉様…。
お姉様は嫁いでしまったからいないけど、代わりにお兄様に嫁いできた元気なお義姉様がいる。
「会いたい、みんなに」
こんなドロドロした貴族社会の争いなんて知りたくなかった。
沸き上がってきた不安に押し潰されそうだ。
何も知らないまま、魔法の研究だけに邁進できていたらどんなに良かっただろう。
アマーリエ様の暇つぶしに巻き込まれてから、エルダー様やライリー様、ユラン様のような、これまで関わりのなかった高位貴族と言葉を交わすようになった。
そのせいでよく分からない貴族間の揉めごとにまで巻き込まれてしまった感が否めない。
でもそのおかげでマチルダ様やオリビア様に会うことが出来たともいえる。
マチルダ様は今や私の中になくてはならない唯一無二の存在だし、オリビア様もまだ二回しか会ったことがないのに大切に感じている。
マチルダ様もオリビア様も、魔道具の展示室で話した先輩も、女性であるというだけで、当たり前に自分の夢や希望を押し殺し、家や家族のために生きていた。
この世界では、女性は弱く守るべき存在とされているから、保護者となる男性が女性の将来を決めたり、意思や行動に制限をかけ管理するのは普通のことだ。
私は違和感を感じて怒っていたけど、私を保護するレオナルド殿下が、私への来客や外出を許可したり門限を決めるのは、周りの人達から見たら普通のことで、逆に何で怒っているのか分からないようだった。
まだ小さい子供だというならわかるけど、これは十六歳の成人を迎えても、女性であるなら一生、弱く守るべき存在であることを理由に、誰か男の人の意思決定に従うことになる。
「負けられない」
こんなことで挫けていられない。
マチルダ様もオリビア様も魔道具の先輩も、自分の夢を掴むために動き始めている。
彼女達を触発した私が、ちょっと貴族社会の闇を覗いてしまったからといって、怖気付いて逃げるわけにはいかない。
私は鏡の中の自分の顔を見た。
肩までのふわふわの金髪に緑の瞳。
「シェリル・マクウェン」
名前を呼んでみる。
子供の頃、よくこうして鏡の中の自分の顔を見ながら自分の名前を呼んでいた。
さすがに十五年も見続ければ違和感もなくなるけど、子供の頃は鏡にこの顔が映ると不思議でならなかった。
名前も、自分のものではないような気がして堪らなかった。
帰りたいと思っていた。
どこへ?と聞かれても分からなかったけど。
たぶん前世の家族のもとか、アイツと暮らした二人の部屋のことだったのだろう。
でも、今は…。
この顔が私の顔だ。
この名前が私の名前だ。
帰りたい、と思う場所は、今の私の家族がいるマクウェン男爵領の小さな屋敷。
「シェリル・マクウェン」
もう一度名前を呼んでみる。
鏡に映る顔も、呼ぶ名前にも違和感はない。
私は、この世界で生きて行こう。
前世の知識を活かし新たな魔法の術を見出し、女性初の魔術師団員になって女性の社会進出と地位向上を目指そう。
アイツにざまあみろと言ってやるためではなく、私自身のために、今私が生きるこの世界の大切な人達のために。
鏡の中の私が、私に向かって大きく微笑む。
顔色も少し戻ってきたようだ。
「よし!」
まずはクラスに戻って、ゴーレムの心臓に魔力を入れよう。
新たな決意を胸に、すっかり長居してしまった百合まみれのトイレを出ると、外で待機しているはずの護衛の姿がなく、一年生らしい女生徒の姿があった。
「あれ?」
「あ、マ…マクウェン男爵令嬢。あの、護衛の方はレオナルド殿下に呼ばれて、そちらに行かれました。わたくし…マクウェン男爵令嬢をご案内するように言われて、お待ちしていましたの」
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