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第1章 探偵事務所の日常

第2話 Fire Devil

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    皆さんは覚えているだろうか。2000年代後半に起きた、あの連続放火事件を。

    この事件の発端は、2006年4月から6月にかけて長野県諏訪地方の諏訪市・下諏訪町・茅野市で起きた放火事件である。犯人は諏訪市在住の「くまえり」とネット上で名乗っていた平田恵里香という女性で、逮捕されて懲役10年の刑に処された。こういった事件が起こると、それを真似る模倣犯という者が出てくる。そして、そういったことが事件から10年以上経過した今日、長野から遠く離れた神戸で起きた…。

    6月になり、梅雨に入った頃。ジメジメ感を掻き消すかのように、神戸の夜空を赤く染めた。
「熱ぃ!!熱ぃ!!」
炎の中から一人の若い男性が、消防士に救出された。火傷で悶え苦しむ。消防車と救急車が駆けつけ、辺りは騒然とする。現場は神戸市須磨区、須磨海浜公園付近の居酒屋。午後7時頃、店の裏側が突然燃え上がり、アルコールが引火して大爆発を起こした。
「これで何件目や?」
「長田区、垂水区、北区、西区、東灘区、今回で6件目です。」
6月に入ってから、神戸市内で不審火が相次ぎ、垂水区と東灘区の火災では死者が出た。警察は、これを連続放火事件と断定し、調査に当たっている。

   神戸警察に、この一件が伝わり、調査に当たっていた刑事はデスクを叩いて憤った。
「クソッ!!またかいな!!」
頭を抱えて憤る彼とは対照的に、上司の警部は冷静にここまでの事件発生経路をホワイトボードに書いてまとめていた。

神戸市連続放火事件
6月4日 1件目 長田区 新長田
6月8日 2件目 垂水区 舞子
6月13日 3件目 北区 有馬
6月18日 4件目 西区 岩岡
6月20日 5件目 東灘区 岡本
6月22日 6件目 須磨区 須磨

「犯人の狙いは一体何や?」
「先輩、俺は犯人が許されへん!愉快犯やか何や知らんけど、人の命を弄びやがって…。」
警察も捜査を進めているが、一向に犯人の手がかりが掴めず、もどかしい思いをしていた。

    その情報は探偵事務所に行き渡っていた。6月の終わり頃、梅雨時でジメジメしており、皆はクールビズで半袖のカッターシャツを着ている。この日は雅文が休日であり、美夜子はココアを飲みながら、連続放火事件はニュースを新聞で見ていた。
「また、この事件なのね。犯人はどういうつもりなのかしら?」
そこに、上司の黒髪ショートの色気ある女性が現れた。カッターシャツの胸元を開け、黒いブラジャーが見える。
「美夜子ちゃん、この事件気になっとるの?」
「はい。これだけ連続で放火が起こってる訳やから、何か犯人の狙いがある筈やと思うんですよ。猟奇的犯行だけに留まらへんやろうな…。」
「ウチも、ちょっと気になるんよ。犯人の手がかりが分かったら一気に解決に繋がるんやと、思うとるんよ。」
「雫さんも、やっぱりそう思ってたんですね。」
「まぁ、ウチもちょっとな…。」
彼女の名前は、烏丸雫。京都府出身。元アイドルという異色の経歴を持つ。30代にして熟女の雰囲気がある。この日は、所長が外仕事に出ているので、日中二人は連続放火事件について推理していた。11時頃に、独りの若い男性がやってきた。彼は茶髪にグレーのTシャツと半パンというカジュアルな服装をしている。
「すいません。ちょっとよろしいでしょうか?」
外見とは裏腹に、低姿勢で礼儀正しい様子だった。美夜子は彼を中に入れ、席につかせる。雫は近くで見守る。
「こんにちは。私は探偵の桐島美夜子です。今回はどういったご用件でしょうか?」
「あっ、まだ名乗ってなくてすいません。自分は笹川弘毅と言います。依頼と言うよりかは、ちょっと引っかかっていることがあるんですけどね…。」
美夜子は、彼を静観しながら茶を飲んでいる。
「ほら、最近ニュースになっとるやないですか…。神戸市内で連続放火事件が起きていると…。自分ね、その火事の様子が投稿されたブログを見つけたんすよ…。」
思わぬ一言に、美夜子は湯飲みを置いて、食い入るように彼を見つめた。
「これがそのモンなんやけどね…。」
彼はカバンから、小型のノートパソコンを取り出し、慣れた手つきで起動させ、例のブログのURLを引っ張り出した。そこには、火事の写真と凄惨さに似つかわしくない茶らけた文章が記載されていた。
 
「2024年6月4日
今日の夕方、長田区で大きな一軒家が燃える火事があったの。すっごく火が出て、住人らしきオッサンが外で泣いてたの。絶望した顔 笑。」
「2024年6月8日
垂水区の、アジュール舞子の近くで火事があったの。ボロボロの一軒家が燃えて、住んでたオッサンが死んだの 笑。あのオッサンの息子?が「オヤジィィィ!!!!」って、涙と鼻水垂らして 笑笑笑。」
「2024年6月13日
北区、有馬温泉のところ。すっごいムカつくオッサンがおったから、ソイツを店ごと燃やしてやった(笑)。オッサンの絶望した顔、ウケる~。」
「2024年6月18日
西区、岩岡。ホンマに田んぼと山しかあらへん(笑)。ボロッちぃ、客が来おへんやろう食堂を燃やしたった(笑)。早よ死ね、店主の糞オヤジ(笑)。」
「2024年6月20日
東灘区、岡本。阪急岡本駅近くの男子大学生、クソ生意気で、アタシのことヤラシい目で見てきた。ホンマにキモイ(怒)。せやから、ソイツの後つけて、アパートの部屋の前に灯油撒いて焼き殺したった(笑)。キモイんですけど~(笑)。」
「2024年6月22日
須磨区。須磨海浜公園の居酒屋。須磨海水浴場行ったことあるんやけど、ナンパされるわ、盗撮されるわ、マジ最悪。たまたま居酒屋で、アタシを盗撮した男がいたから、店ごと燃やした(笑)。アイツ、火傷して「熱い、熱い!!」って、あの時の顔、マジでウケる~!そのまま死ねばぁ~?アハハハハハハハハハ!!」

ブログの文体から見て、この連続放火事件の犯人像は20代頃の女性、と絞り込むことが出来た。凄惨な放火事件を起こし、死者を出しておきながら、それを嘲笑うかのように暴言を書き、快楽に浸る犯人に美夜子は静かに怒っていた。
「不謹慎にも、程がある。恐らく私と同じ20代の女性かもしれないようやけど、呆れて物が言えないわ。」
「一応、このブログなんですけど、投稿者がハンドルネームやから、今一つヒントになりがたいんですけど…。」
ブログには、ハンドルネームで「むっちぃ🖤」とあった。写真は存在していない。
「ありがとうございます。」
「はい。」
それから二人は、連絡先を交換し、情報が入ったら美夜子に送信するという形を採った。

     6件目の火災が起きてから、早1週間が経過し、ニュースでも取り上げられなくなった。神戸市兵庫区福原町、かつて遊郭が存在していた名残からか、福原桜通・柳通にはソープランドといった風俗店が建ち並んでいる。その中でも一際目立つ赤と黒の外装の店に、長い茶髪の女性が一人、出勤してきた。彼女は出勤後、店内でタイムカードを切り、シャワーを浴びてから衣装に着替える。黒いビキニに、ガーターベルトとSMの女王様を彷彿とさせる出で立ち。この店では、客は事前にSかMかを選択することが出来、Sを選ぶと客が風俗嬢を責め、Mを選ぶと客が風俗嬢に責められるという展開になる。彼女はMコースで、客を責める役を務める。
「ねぇ、何、興奮してんの?変態…。」
男性に手枷をはめ、天井に吊るしている形で目隠しをし、耳元で囁く。彼女は店でも、人気の風俗嬢である。この日の仕事が終わり、彼女は新開地駅近くのタワーマンションに帰宅。帰宅するとシャワーを浴び、ランジェリーに着替え、冷蔵庫から作り置きしたおかずを取り出し、缶チューハイを開けてグビグビと飲んだ。
「あー、ヤバいんですけど~!!!」
謎の高笑いを浮かべて、箸で作り置きのおかずをパクパクと食べる。テレビをつけて、バラエティ番組を観る。そこには、スキンヘッドの大男がドッキリにかけられていた。
「あ~ん、もう、何なの~!!!」
彼女は、一瞬箸が止まった。
「マジで、キモいねんけど…。グラス舐めるとか…。」 
それから夕食を済ませ、彼女は部屋に戻り、パソコンを立ち上げる。ブログを運営しており、ハンドルネームは「むっちぃ🖤」。慣れた手つきで写真を貼って、文章を打つ。
「2024年6月30日
今日は、風俗嬢としてお仕事🖤。Mのお兄さんが、むっちぃ🖤のオシッコ飲みたい、って言ったから飲ませてあげた(笑)。男の人にオシッコしてるの見られるの、恥ずかしいねんけど気持ち良かった~(笑)。みんなもお店に来てね。」
最後に店舗のURLを掲載。彼女の名前は、斎川睦美 24歳。ブログの過去のアーカイブを閲覧しながら、不気味に微笑む。
「そうや…。弘毅。あんた、アタシに何したか覚えとるよね?もうすぐあんたの家も、丸焦げにしたるからね…。」

    依頼人が来てから1週間が経ち、7月に入った。美夜子は雅文と一緒にこの連続放火事件を調べていた。
「何か共通点があるんちゃうかな?」
「共通点ね。」
この日は所長が休みで、雫は外回りのため、二人は事務所でじっくりと考え込む。雅文はアイスミルクティー、美夜子はアイスココアを飲みながら、一連の事件を整理した。
「神戸市は、全部で9つの区があるよね?そしたら、犯人は何かしらのメッセージを訴えかけようとしているのかしら?」
「メッセージ?それがホンマやとしても、一体誰に当てたモンや?」
「依頼人の話を、もっと掘り下げていきたいわ。実は2日前、電話で今日の昼にここに来ると連絡があったの。」
そうこうしていると、依頼人の弘毅がやってきた。
「こんにちは。お久しぶりです。」
「こんにちは。お待ちしていました。」
彼は席につき、美夜子と向かい合う。雅文は後ろで、自分の仕事にかかる。
「あのブログなんですけど、むっちぃ🖤が風俗店に勤務していて、店のURLを載せていたので、そこからアクセスして確認したんですよ。」
「ほうほう。」
「そしたら、茶髪の女性が出て来て、睦美という娘なんですよ。その睦美とは面識があったんすよ。」
思わぬ告白に、美夜子は飲んでいたココアを噴き出しそうになった。
「えっ?!恋人やったの?」
「はい。大学時代に付き合ってまして、ですけど、自分にはもう一人恋人がいまして…。いわゆる本命と遊び相手という感じやったんですよ…。」
「その恋人って?」
「今、関西でグラビアアイドルやってる香塚明日香という娘です。グラビアアイドルオーディションを神戸でやった時と、彼女と今年の3月にプライベートで香港旅行の時に、睦美と明日香で一触即発したんですよ。」
その時の話を聞き、美夜子は全てメモした。この日はそれで終了。

    その頃、むっちぃ🖤の恐るべき復讐劇は、最終局面を迎えようとしていた。
「フフフ、最後はド派手に焼いてアゲル。弘毅、あんたがおる所は分かってるんやからね。フフフ、アタシの恋物語🖤」
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