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第50話 帰郷
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2010年になり、薫を含めたメンバー達は社宅から引っ越す手続きを始めた。
「大阪ともお別れか…。」
1997年に入社して、約13年過ごした社宅との別れを沁み沁み感じる薫。大阪の町も思い出が詰まっている。一月下旬、仕事が終わり、喜美子と久美で、屋形舟で難波へ行った。夜の闇に煌めく道頓堀のネオン、ミナミのコテコテな世界観を味わう。
「あと、もうちょっとで大阪離れるんやな。」
「薫君は京都やけん。電車で大阪に行けると。ウチは福岡やから、大阪に中々行けんくなると。」
道頓堀を歩き、難波の町を観光。翌日は休みということもあり、今夜は難波で食い倒れ。
道頓堀くくる、というたこ焼き屋へ行った。京都出身の薫にとっては、初めて大阪に来た時に食べた、大阪の味である。1994年夏、薫はグラビア撮影会で難波に来た。そこで、当時18歳のジュニアアイドル 大原茉莉奈の水着姿を撮影した。
「いいね、いいね。」
思春期の少女で、ムッチリした身体つき、豊満な乳房と尻が彼を魅了した。その時に、道頓堀くくるで初めてタコ焼きを食べた。とろける食感で、口の中を火傷しそうになったが、グラビアアイドルを撮影出来た喜びに浸っていた彼は、ごちそうのような感覚でタコ焼きを味わった。
「来ました、タコ焼き!!」
あの頃と変わらぬ味を堪能し、満足気な笑みを浮かべる。
「薫君、タコ焼きで沁み沁みと感じとると。」
難波で、所長に連れられてよく行っていた所でおでんをいただく。冬の寒さが凍みる頃、煮えるおでんはまた格別な味わい。串に刺さった牛スジやコンニャクなどをつまみながら、思い出話に花を咲かせる。
「喜美子と出会ったのも、大阪やったな。」
「ウチも、大阪来て同期で初めて出会ったのは薫君やったけん。」
棟方喜美子は、1974年9月18日に福岡県福岡市で生まれた。薫と同様に、「スーパー写真塾」「ねつれつ女子高生」などのグラビア雑誌にハマったことがきっかけで、グラビアアイドルの撮影に携わりたいと思ったようだ。彼女が衝撃を受けたのは、ピンクサターンというTフロントのセクシーな衣装のアイドルグループであった。
「パイレンジャー?ケツ丸出しやけんね。」
芸能事務所 Starに入社して、1997年に大阪へ移住。ここで薫と出会った。当時の印象は、幼さがあるグラビア好きな少年、というものであった。
「薫君、如何にも女の子大好き、って感じやったけん。」
「グラビア撮影やから、女の子の可愛い所を撮りたいねん。」
そこからは、パートナーとして撮影の仕事に励み、苦楽を共にした。2002年の日韓W杯では、喜美子は初めての海外となり、少し不安な様子だったが、薫が元気づけてくれた。
「大丈夫や。俺がおるから。」
韓国での撮影で、快進撃に湧く韓国サポーターの熱狂ぶりを収めた。2007年には、久美と共に、東南アジアで撮影。
「東南アジアも大冒険やったね。」
「カンボジアとミャンマーの時は、ビビったわ。半端な気持ちで、ジャーナリズムの世界に首突っ込んだらアカンと痛感したわ。」
苦楽を共にした仲間との別れの日が近づいていることを感じ、薫の目に涙がこぼれる。
「薫、泣いてるの?」
「別に、ちょっと辛子つけ過ぎたから…。」
内心寂しさを感じている。久美とは結婚しており、夫婦になっているが、喜美子とは付き合いが長く、戦友であるため、別れが惜しい。
「まぁ、そう泣かんでも良かよ。生きてたらまた会えるけん。飲むとよ。」
喜美子がフォローし、再び乾杯する。
行政手続きは完了し、グラビアアイドル達も無事に次の進路へ進めることになった。カメラマン達へも長年の感謝を込めて、一律に退職金が支払われ、円満な形で芸能事務所 Starは、その歴史に幕を下ろす。
「お別れやな。」
全てのものを片づけ、掃除されたオフィス。今までの日々が蘇り、涙がこぼれる編集長。薫達の才能を見抜き、開花させてきた。病気により、身体は窶れてしまい、活力も薄れてきた。
「編集長、今までありがとうございました。」
「あぁ、俺も薫君達に出会えて良かったよ。深く感謝している。」
夕陽が射すオフィス。あのバタバタしながらも楽しかった日々。もう誰もいなくなる。そんな寂しさが込み上げる。
3月、芸能事務所Starは計画倒産という形で終わった。円満な形で幕を閉じ、皆はそれぞれの道を歩む。
「編集長、どうかお身体大事にして下さい。」
「あぁ、皆に出会えて良かったよ。楽しい日々をありがとう!!!」
薫と久美は、大阪空港で喜美子を見送る。
「ありがとう、薫君。薫君と過ごした日々は楽しかったよ。久美ちゃん、薫君のことよろしくね。」
「ありがとう、喜美子。福岡に帰っても元気でな。」
13年連れ添った喜美子と別れ、薫は久美と夫婦として、京都へ行った。
13年ぶりに帰って来た京都。実家で両親に出迎えてもらい、夫婦としての生活が始まる。
「写真集を出したのか。海外でも撮影した。ほうほう、1人前のカメラマンになったな!!」
再会を喜ぶ父親。薫の活躍を絶賛し、その実績を称えた。写真集がヒットし、印税による収益はかなりのものになった。仕事は、写真館で行う。慌ただしさは無い。
「まぁ、のんびり行くか。」
「大阪ともお別れか…。」
1997年に入社して、約13年過ごした社宅との別れを沁み沁み感じる薫。大阪の町も思い出が詰まっている。一月下旬、仕事が終わり、喜美子と久美で、屋形舟で難波へ行った。夜の闇に煌めく道頓堀のネオン、ミナミのコテコテな世界観を味わう。
「あと、もうちょっとで大阪離れるんやな。」
「薫君は京都やけん。電車で大阪に行けると。ウチは福岡やから、大阪に中々行けんくなると。」
道頓堀を歩き、難波の町を観光。翌日は休みということもあり、今夜は難波で食い倒れ。
道頓堀くくる、というたこ焼き屋へ行った。京都出身の薫にとっては、初めて大阪に来た時に食べた、大阪の味である。1994年夏、薫はグラビア撮影会で難波に来た。そこで、当時18歳のジュニアアイドル 大原茉莉奈の水着姿を撮影した。
「いいね、いいね。」
思春期の少女で、ムッチリした身体つき、豊満な乳房と尻が彼を魅了した。その時に、道頓堀くくるで初めてタコ焼きを食べた。とろける食感で、口の中を火傷しそうになったが、グラビアアイドルを撮影出来た喜びに浸っていた彼は、ごちそうのような感覚でタコ焼きを味わった。
「来ました、タコ焼き!!」
あの頃と変わらぬ味を堪能し、満足気な笑みを浮かべる。
「薫君、タコ焼きで沁み沁みと感じとると。」
難波で、所長に連れられてよく行っていた所でおでんをいただく。冬の寒さが凍みる頃、煮えるおでんはまた格別な味わい。串に刺さった牛スジやコンニャクなどをつまみながら、思い出話に花を咲かせる。
「喜美子と出会ったのも、大阪やったな。」
「ウチも、大阪来て同期で初めて出会ったのは薫君やったけん。」
棟方喜美子は、1974年9月18日に福岡県福岡市で生まれた。薫と同様に、「スーパー写真塾」「ねつれつ女子高生」などのグラビア雑誌にハマったことがきっかけで、グラビアアイドルの撮影に携わりたいと思ったようだ。彼女が衝撃を受けたのは、ピンクサターンというTフロントのセクシーな衣装のアイドルグループであった。
「パイレンジャー?ケツ丸出しやけんね。」
芸能事務所 Starに入社して、1997年に大阪へ移住。ここで薫と出会った。当時の印象は、幼さがあるグラビア好きな少年、というものであった。
「薫君、如何にも女の子大好き、って感じやったけん。」
「グラビア撮影やから、女の子の可愛い所を撮りたいねん。」
そこからは、パートナーとして撮影の仕事に励み、苦楽を共にした。2002年の日韓W杯では、喜美子は初めての海外となり、少し不安な様子だったが、薫が元気づけてくれた。
「大丈夫や。俺がおるから。」
韓国での撮影で、快進撃に湧く韓国サポーターの熱狂ぶりを収めた。2007年には、久美と共に、東南アジアで撮影。
「東南アジアも大冒険やったね。」
「カンボジアとミャンマーの時は、ビビったわ。半端な気持ちで、ジャーナリズムの世界に首突っ込んだらアカンと痛感したわ。」
苦楽を共にした仲間との別れの日が近づいていることを感じ、薫の目に涙がこぼれる。
「薫、泣いてるの?」
「別に、ちょっと辛子つけ過ぎたから…。」
内心寂しさを感じている。久美とは結婚しており、夫婦になっているが、喜美子とは付き合いが長く、戦友であるため、別れが惜しい。
「まぁ、そう泣かんでも良かよ。生きてたらまた会えるけん。飲むとよ。」
喜美子がフォローし、再び乾杯する。
行政手続きは完了し、グラビアアイドル達も無事に次の進路へ進めることになった。カメラマン達へも長年の感謝を込めて、一律に退職金が支払われ、円満な形で芸能事務所 Starは、その歴史に幕を下ろす。
「お別れやな。」
全てのものを片づけ、掃除されたオフィス。今までの日々が蘇り、涙がこぼれる編集長。薫達の才能を見抜き、開花させてきた。病気により、身体は窶れてしまい、活力も薄れてきた。
「編集長、今までありがとうございました。」
「あぁ、俺も薫君達に出会えて良かったよ。深く感謝している。」
夕陽が射すオフィス。あのバタバタしながらも楽しかった日々。もう誰もいなくなる。そんな寂しさが込み上げる。
3月、芸能事務所Starは計画倒産という形で終わった。円満な形で幕を閉じ、皆はそれぞれの道を歩む。
「編集長、どうかお身体大事にして下さい。」
「あぁ、皆に出会えて良かったよ。楽しい日々をありがとう!!!」
薫と久美は、大阪空港で喜美子を見送る。
「ありがとう、薫君。薫君と過ごした日々は楽しかったよ。久美ちゃん、薫君のことよろしくね。」
「ありがとう、喜美子。福岡に帰っても元気でな。」
13年連れ添った喜美子と別れ、薫は久美と夫婦として、京都へ行った。
13年ぶりに帰って来た京都。実家で両親に出迎えてもらい、夫婦としての生活が始まる。
「写真集を出したのか。海外でも撮影した。ほうほう、1人前のカメラマンになったな!!」
再会を喜ぶ父親。薫の活躍を絶賛し、その実績を称えた。写真集がヒットし、印税による収益はかなりのものになった。仕事は、写真館で行う。慌ただしさは無い。
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