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日常
しおりを挟む『表層意識とは、つまりはその人間の本質ではない。自身が自覚出来ていない潜在意識こそがその人間の本質であり、またそれを本能的に隠そうとするのが人間という生物なのである』
「よく分かる深層意識と表層意識」より抜粋。
□■□■□■□■□■□■□■□■
『普段、私たちが意識している顕在意識は、氷山にたとえれば、海の上に顔を出している部分にしかすぎない。つまり、顕在意識が意識という大きなパイの中に占める割合はほんの一部分にしかすぎない。
そして海中に沈んでいる部分、つまり意識の大部分が無意識によって構成されていると言いました。』
「ふう……」
時刻は午後9時に差し掛かったあたり。
掃除の行き届いた自分の部屋で俺、佐々木龍二は息をつきながら読みかけの本を閉じた。
机に置かれた本のタイトルは「よく分かる深層意識と表層意識」。自分でも笑ってしまうくらい初心者向けのようなタイトルの本だ。
それでもこの本を購入して読んでいるのには理由がある。そしてそれは俺がこのアパートに1人でひっそりと暮らしている理由にも直結している。
俺の実家である佐々木家は代々「佐々木流剣術道場」という道場を営んでいる。このご時世に剣道ですらないような道場が何の役に立つのかずっと疑問に思っているが、入門を志す者は少なくない。
俺は道場の現師範である父親、佐々木龍之介の長男として生まれ、その瞬間将来を決められた。齢4歳で最初に刀を持ち修行を始め、中学3年の時には道場で随一の実力を示すほどにまで上達できた。
そしてそこで、生まれて初めて父親に自分の気持ちを告げた。自分の進む道は自分で決めたい、と。俺は剣の道は歩みたくない、と。はっきりと言った。
親父は少し驚いたような顔をしたがそれでも何も言わず、俺が最初に持った真剣を手渡してきた。言葉など要らない、と言いたかったのだろう。想いを乗せて、なんて華々しいことを言う気は無いが、俺と親父は全力で戦った。
そして俺は人生最後となるだろう剣戟で初めて親父に勝った。
その後、少しばかり放心していた親父は短く「仕送りはしてやる。今までご苦労だった」とだけ言い、自分の部屋に戻っていった。
こうして、俺は4歳で初めて手にして以来ずっと振るい続けた剣を置いた。
修行漬けの日々から開放された高校生活は派手なものじゃなかったが、生まれて初めての平凡な生活はなかなかに楽しかった。中学時代から道場の名は知れていたらしく、高校でも剣道部の部員に誘われたりしたが「うちはそういう道場じゃないから」と言って断った。
佐々木流は、現代ではあまりにも実戦的すぎる剣術なのだ。それなりに上達した剣士が技を使えば、手にしたものが園芸用の棒であろうとそれが人を殺めかねないほどの危険な武器になる。
親父はずっと「大切なものを守るには力が無ければいけない。理想だけでは何も守れない」と言っていた。
俺も他の連中もその言葉の意味は理解している。だが、俺はどうしても自身の未来を自分の意志と関係なく決められることが許せなかった。
「……」
さっきの本によれば、人間の顕在意識はその人間を構成する要素のほんの一部にしかすぎないそうだ。実際の意識、自身の本質のほとんどが無意識によって構成されている、と。
今でもボーッとしていると不意に刀を手に取っている時がある。最初に持った真剣を。
家を出る時、親父に渡されたのだ。道場の決まりとしては師範である親父の許しがないと刀は持ち出せないのだが、親父は黙って俺にそれを手渡した。
その刀を処分出来ないだけじゃなくふと手に取ってしまうのは、俺がまだ剣の道に未練があるからなんじゃないか、と親友は言った。それがキッカケで俺は潜在意識や無意識について調べ始めたのだ。
俺は自分の本当の思いが知りたい。自分がどう生きていきたいのか、どうすべきだと思っているのか。俺という、佐々木龍二という人間の本質を知りたいと思った。
「まあ、そう簡単にはいかないよな……」
高校入学とほぼ同時期に研究を始めてから1年近くが経つが、未だに心理学の知識は習得できていない。初心者向けのようなタイトルの本でも内容を理解するにはかなりの時間を要するし、それを本来の目的に繋げることが出来ていない。ネットどころか出版されている書籍ですら間違った情報が掲載されていることもあるのだから、一体いつになったら答えにたどり着くことやらという感じだ。
それでも1年近く諦めずに研究を続けていられるのは幾つか理由があるのだが、それはまた別の機会に話すとしよう。
「夕飯どうすっかな……」
今にも腹の虫が鳴りそうな具合の腹をさすり、ボンヤリと呟く。
さっきも言ったが、家からの仕送りのお陰で金銭的に苦労はしていない。だが如何せん修行だらけの毎日だったせいか生活力がない。料理も洗濯もからっきし、片付けと掃除だけは人並みに出来るがまず食べるものが無ければ始まらない。
そんな俺が高校入学から今までどうしてきたかというと。
ピンポーン。
「ん……」
インターホンが鳴った。普通なら誰なのか気になる所なのだろうが、俺は「来てくれたか」程度にしか思わなかった。
そもそも俺の家を訪ねて来る人間なんて片手で数えられるくらいしかいない。そしてこの時間なら恐らくあの人なのだ。
玄関まで歩いて行き、鍵のかかっていないドアを開ける。するとそこに立っていたのは、食べ物の入ったタッパーをいくつか持った黒髪の綺麗な女性だった。
「こんばんは、龍二くん」
「こんばんは陽菜さん」
桜木陽菜。1つ歳上の先輩で所謂幼馴染というやつだ。だが高校に入るまでは修行ばかりしていたせいで学校以外で会うこともなかった。
「夕飯まだでしょ? おかず持ってきたから一緒に食べない?」
「相変わらず鋭いですね陽菜さん。どうぞ上がってください」
軽く笑いながら部屋の中へ招き入れる。
陽菜さんとは中学時代には疎遠になりがちだったのだが、高校に入ってからはよく話すようになり、部活も同じ、そして食事の世話にまでなるようになった。申し訳ないとも思うのだが、まさに背に腹は変えられない状態。陽菜さんも乗り気だし結局お世話になりっぱなしなのだ。
「それじゃお邪魔しまーす」
考えてみればこの歳で自分の部屋に女子と2人っきりというのも宜しくない気もしないでもないが、そういう雰囲気には全くならないのでなんかもう問題無い。
言っておくが、俺にそういう気がない訳ではない。陽菜さんは修行ばかりでろくに友達のいなかった俺から離れずに傍にいてくれた優しい、かつ学校でもかなり人気のある美人の先輩。そういう気にならない方がおかしい。
だが、まあ当然陽菜さんにそういうつもりはない。幼馴染だから色々と手を焼いてくれているのだ、と俺は思っている。
「相変わらず質素な部屋だねぇ。こんなんじゃ普段することもないでしょ?」
「まあ、普段は読書と勉強とトレーニングくらいしかしてませんから。これで全然不便はしてませんよ」
「あ、あんまり前の生活と変わってない気もするけど、まあ龍二くんがそれでいいならいいのかな」
俺が住んでいる少し古めのアパートは学校から徒歩15分ほどの場所にある。ワンルームの部屋には勉強机と本棚、冬には炬燵にもなるテーブル、ノートパソコン、トレーニング器具くらいしかない。
普段の生活で不便していないため、質素だと言われてもイマイチピンと来ない。幼少時代から友達と交流したり流行りのアニメやマンガ、映画を観ることもほとんど許されなかった。だから趣味と言えるものは読書くらいしかない。
「俺はゆっくり生きていければいいですから。それでいつか自分の本質を知れれば」
「そっか……」
余談だが、俺の通っている高校には「心理学研究部」という一風変わった部がある。創設者は陽菜さんだ。俺が高校に通い始めてから陽菜さんに深層意識などの話をしたら「じゃあ一緒に研究しよう!」と教師に話を通して部を創ってくれた。
飛び抜けた行動力にも驚いたが、陽菜さんは成績優秀容姿端麗で教師達のお気に入りの生徒でもあるらしく、創部の申請は簡単に通ったそうだ。
何から何まで本当に申し訳ない。だからこそ度々気になるのが何でここまでしてくれるのかということなのだが、いつ聞いても「お、幼馴染だからだよ!」と。世話になってる側からでも人が良すぎる、と思う。
「じゃ、とりあえず晩御飯にしよっか。お米はある……ね。よし」
陽菜さんはすぐにテキパキと夕食の準備をし始めた。この部屋に来るうちに食器やら食材やらの場所まで把握してしまったようだ。
陽菜さんにばかりやらせてしまっては悪いと、俺も緑茶を出したり座布団を出したりして手伝った。
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テーブルの上にはいくつかの食べ物が並んでいる。陽菜さんの話によればいつもおかずは陽菜さんとお母さんで作っているそうだ。陽菜さんのお母さんも俺の事情を知って呆れているらしく、いつも陽菜さんをうちに送り出してくれている。家も近いし、帰りも俺がついてくれれば安心、だそうだ。
「それじゃあ食べよっか」
「頂きます」
「いただきまーす!」
常々思う事なのだが、陽菜さんたちの料理の腕は相当なものだと思う。ハンバーグもサラダも肉じゃがもすごく美味い。そして詳しいことは分からないが栄養バランスもしっかり考えてあるようだ。俺が不健康にならずに1人暮らしが出来ているのは陽菜さんたちのお陰だろう。
「でもさ、こんな部屋じゃ友達とか来てもつまらないって言われない?」
突然陽菜さんが話を振ってきた。友達に関してはあまり触れてほしくないのだが。
「いや、この部屋に来る人なんて陽菜さんくらいしかいませんし」
「あああごめんね! そういうつもりで言ったわけじゃなくて!」
「はいもちろん分かってますよどうせ俺はぼっちですから……」
正確にはボッチではないかもしれないが、クラスでも話す相手は極々僅かである。
念の為言っておくが別に俺は不良とかそういう部類に入るような人間ではない。だが如何せん実家の知名度が高いせいか、変な輩に絡まれることもあればあることないこと言いふらされることもある。
中学時代ほどではないにしても高校に入ってからも「そういうこと」がなくなることはなかった。
「あーもう! いいじゃない私がいれば!」
「……え?」
またまた突然凄いことを口走ったと思い陽菜さんの顔を見ると、
「見ないでーッ! やだ凄い恥ずかしいこと言っちゃった! こんな私を見ないでお願い!」
顔を真っ赤にして取り乱す陽菜さん。正直かなり可愛い。
「ははは、顔真っ赤ですよ」
「……! 恥ずかしかったけど龍二くんの笑った顔見れたからセーフ!」
「え、俺って普段そんなに笑ってませんか?」
「全然。うちのクラスだとターミ〇ーターって言われてるし」
「何ですかそのあだ名……」
別に笑わないようにしてるつもりは全くないのだが、そんなに笑ってなかったのだろうか……。にしてもターミ〇ーターって、結構センスあるなそのあだ名付けた人。
「まあまあ、とりあえずこの部屋に他の子を入れることはないんだね! 良かった!」
「え? そりゃまた何でですか?」
「え!? え、えーと、それはあれだよ! ほら、龍二くんが他の女の子を襲ったりしたら大変だから!」
「しませんよそんなこと……」
俺のイメージはどこまで落ちてるんだ……。俺は陽菜さんがいてくれれば他の女子なんてどうでもいいってのに。
今はまだこの気持ちを伝える予定は無い。
だが、いつか近いうちに伝えなければいけないとは思う。このままずっと一緒に居られる訳ではないのだから。
陽菜さんはもう高校3年、受験生だ。教師達は有名大学への進学を推しているし、陽菜さんもそうするつもりなのだろう。そうすればこの田舎からも出ることになるだろうし、俺もいよいよ1人で暮らしていけるようにしなければならない。
俺の1人暮らしは些細な問題だが、陽菜さんが居なくなる前にこの気持ちは伝えるべきだと思った。まあ間違いなく振られるだろうが、それでも感謝はきっちりと伝えたい。そう思っている。
「ええと、とにかく! 困ったら私を頼ってくれていいからね?」
「もう十分頼りっぱなしですけどね」
思わず苦笑いしてしまう。陽菜さんにはもう大きすぎるくらい助けてもらっている。
「まだまだ! こんなもんじゃないよ私は!」
「あはははは」
□■□■□■□■□■□■□■□■
時刻は午後11時。
「ちょっと陽菜さん。もう11時ですよ起きてください」
油断した。この人はとにかく眠りが深いのだ。1度寝たらほぼほぼ起きないし、なんとか起こしても寝惚けた状態が治らない、という感じだ。
夕食を食べ終えた後、皿洗いをしていたらいつの間にか俺のベッドに潜り込んで眠っていた。普段なら決してしないミスなのだが、クソ、不覚。
「りゅうく~ん、今日泊まってく~」
「は? いや明日学校ありますけど」
受験生らしからぬ提案に淡々とツッコミを入れる。だが陽菜さんは気にする様子もなく。
「ううん……」
「ちょ、待て待て待て! まだ話終わってませんって!」
「すぅ、すぅ……」
寝てしまった……。ほんとにマイペースだなこの人は……。
気付いたかもしれないが、陽菜さんは寝惚けると俺のことを「りゅうくん」と呼ぶ。これは昔、小学生時代に呼んでいた呼び方だ。中学生時代、ほとんど会えなかった時期を挟んで今は「龍二くん」と呼ぶが、時々昔の呼び方に戻る。
「おばさんに電話するか……」
何はともあれこのままじゃまずい。俺の理性がヤバいし明日も学校は普通にある。
打ち慣れて覚えてしまった番号をスマホに入力。ツーコールほどで聞き馴染みのある声が返事をした。
「あ、もしもしおばさんですか? 龍二です」
『あら龍二くんこんばんは。陽菜はちゃんとご飯持っていった?』
「はい、今日も美味しかったです、いつもすみません。それでですね、陽菜さんなんですけども……」
『うちのバカ娘が何かやっちゃったかしら?』
「いえ、大したことじゃないんですけど、俺のベッドで爆睡してまして……明日も学校ありますしどうすれば……?」
『あら、じゃあそのまま陽菜のこと泊めてくれないかしら?』
「はい!? アンタまで何言ってるんですか!?」
『あはは、やっぱり陽菜泊まりたいって言ったのね? いいじゃない一晩くらい!』
「いやいやおばさん止める側の人間でしょ!?」
『いいのよ~龍二くんなら、陽菜も喜ぶし。あ、でも避妊はちゃんとするのよ?』
「いや何言ってんの!?」
『学校なら明日の朝少し早めに出てうちに寄ってくれれば大丈夫よ~。支度はしてあるみたいだし』
「この人まさか最初から……」
『という訳でごゆっくり~!!』
「え!? ちょ、おばさん!?」
スマホから返事はない。
「切られた……」
相変わらずサバサバとした人である。いや今回のこれは宜しくない気もしないでもないが。親父とも仲がいいみたいだし、俺なんかのことも我が子のように面倒を見てくれる。
陽菜さんのお父さんは俺たちが中学生の時に亡くなった。葬式には俺も親父も出席したし、親友だったらしく親父は涙を流していた。
それ以来陽菜さんは以前よりもさらに明るく振舞っているように見える。まるで悲しさを打ち消そうとしているかのように。
何だか無性に胸が痛くなり、寝ている陽菜さんの傍、ベッドに腰掛け、ストレートの黒髪を優しく撫でてみる。
「いつもありがとう、姉ちゃん。無理だけはしないでくれよ。何か出来ることがあったらいつでも俺に……」
小学生時代、俺は陽菜さんのことを「姉ちゃん」と呼んでいた。だが陽菜さんと同じく中学生時代を挟んでからどこか距離を感じるようになり、今の呼び方に落ち着いたのだ。
何やってるんだ、俺は……。
「寝よう……」
押入れから毛布を引っ張り出し、座布団を枕代わりにして俺は眠りについた。
ベッドの中で陽菜が顔を真っ赤にしていることに、その時の俺は気付いていなかった。
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