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本編
33 ふたりの世界を知るおれ
しおりを挟むのしのしと空っぽの棚が並ぶ壁際へ進み、壁を背にして腰を下ろす。
何かあれば、すぐに動けるように四つ足を床につけておく。
お前ら信用できない、と視線に込めてじっと男たちをにらみつける。
早く兄が来てくれないと、ちょっと困る。
すると立ち上がった男たちが、顔を見合わせて色々と口にしはじめた。
まるっきり獣じゃないか、とか。
あんなの王妃じゃない、とか。
頭がおかしくて話せないんじゃないのか、とか。
なんで私たちがこんなことをしないといけないんだ、とか。
やっぱりこいつら、おれに危害を加えに来たんだ。
人の耳ならこれだけ離れた場所で、小声の会話なんて聞こえないだろう。
こいつらの目的がなんであれ、おれが人よりも耳も鼻も良いってことを知らないのだ。
馬鹿にするなよ。
おれは人じゃない時点で、王妃らしい王妃にはなれないかもしれない。
それでも、馬鹿にされっぱなしはいやだ。
近寄ってくるなら、近くの棚を倒してつぶしてやる、と思い出した頃。
ばたばたと、部屋の外から慌ただしい複数の足音が聞こえた。
すん、と鼻を鳴らす。
全身の毛が逆立った。
喜びで。
「スー!、う、うわっ!?」
全速力で男たちの脇を駆けぬける。
勢いよく扉を開けて、室内に飛び込んできた兄に思い切り抱きつくと、その場に押し倒してべろべろと鼻先をなめまくった。
兄の匂いがする。
兄の肌が、いつも以上につやつやだー。
うひはー。
兄は、おれのために香水を使わない。
二人で一緒に体を洗う時のせっけんも、臭いがほとんどしないものを選んでくれている。
今日は戴冠式の本番だというのに、おれのためにいつもと同じようにしてくれたのだ。
香水をたくさん使えるのが金持ちの証だと、おれはもう知っている。
国王が金持ちかは知らないけれど、偉い人なのは間違いない。
偉い人は金持ちだろう。
だから臭いを我慢できると兄に伝えてあるのに。
いつでもおれを大事にしてくれることが嬉しくて、安心して、兄に向かって泣きついた。
「ぼくすごく怖かった、あいつらくっさいよーっ!!」
どうよ、短期間とはいえマナーを習ったおれは、〝ぼく〟と自然に言えるようになったわけよ。
へっへーん。
兄は気にしていないみたいで、二人きりの時は相変わらず〝おれ〟のままだけどさ。
本音と建前ってやつだ。
あれ、猫かぶりだっけ。
そういえば、王妃は〝ぼく〟で良いのか聞いてない。
何が言いたいかと言えば、おれだってやればできるってことだ。
それなのに本番で失敗が多いのは、おれが……どじだから?
ちなみに、本当は男たちなんてぜんっぜん怖くなかったけれど、兄には全力で甘える方針なので嘘ではない。
臭すぎて気絶しそうで怖い、だな。
どうしてこの国の、城で働いてない奴らはみんな臭いんだ。
たまたまやってくる奴らが、みんな臭いなんてことが、あるのか。
「なんだって?」
体重はかけていないけれど、仰向けでおれに下敷きにされたままの兄が発した声で、室内の空気が凍りついたのを感じた。
あれ、なんかすっごい寒い、あと怖い。
本当に気温が下がってないか?
「で、殿下」
「黙れ」
吐く息が白くなった幻覚が見える。
気のせいかな、本当に白いかも。
兄はまだおれの下敷きだよ、どうしよう。
当事者なのにそんなことを考えて、兄が怖い、そんな目の前の現実から目を背ける。
おれに向かって怒っているわけじゃない、怖くないよー。
うんうん、大丈夫。
「スー」
「ひゃいっ」
人前だけのスー呼びに、がばりと起き上がって兄の上からどいた。
でも離れたくなくて、その場で体を小さくしてすらりと長い足に擦り寄る。
「何があった?」
兄の口調は優しいけれど、いつもなら甘い光を放ってくれている目が笑っていない。
怖いから、きちんと説明しよう。
「どうぞって言ってないのに勝手に入ってきて、おめもじつかまつまいましして、おれの好みを聞いてきて、触られそうになった」
うん、完璧だ。
これなら兄に伝わっているよな。
「スーの好みをこいつらに教えたのか?」
兄が怒ってる。
いつもと話し方が違うから間違いなく怒ってる。
「教えてないけど、硬い木の実が好きって言った方がよかった?」
「ぐふっ」
それまで厳しい表情をしていた兄が、突然吹きだした。
途端に部屋の中の温度が上がると、顔を引きつらせていた男たちが、あからさまに安心した顔になった。
納得いかないぞ。
なんで兄は笑ったんだ。
なんで男たちまで変な顔でおれを見ているんだ。
「衛兵、早急にこの場にいる全員を捕縛せよ、式典の後で詳しく話を聞くことになるが、先に尋問を始めておけ」
「はっ」
うはー、兄が素敵だ。
王様みたい、いや、今日から本物の王様になるんだった。
今までも格好良かったのに、これからもっと格好良くなるなんて、ずるいよう。
兄の勇姿をきゅんきゅんしながら見守っている内に、なぜか男たちだけでなく使用人たちまで連れていかれてしまった。
もう着替えは終わっているけれど、どうして?
「スノシティ」
「うん」
開いたままの扉の向こうに護衛が残っているけれど、室内には二人きり。
兄の優しい声。
囁くように柔らかい声に、胸が温かくなる。
「これからもずっと一緒だよ」
「うん」
おれも同じことを望んでる。
「今夜からは遠慮も手加減もしないからね」
「うん……うむん?」
遠慮?
手加減?
おれが兄にそんなことさせてた?
兄を守るつもりで、おれが守られてばかりいたから、兄に何かを我慢させてたのかな。
「愛してるよ」
「うん!」
「たっぷりと僕の愛を注いであげる」
「う、うん」
するりと腰を撫でられて、おれはなにか勘違いしているのかな、と不安になる。
今でも十分過ぎるほど大切にされていて、兄に愛されていると感じている。
今でも、ほとんど毎晩〝愛しあう〟をしてる。
日に日に暖かくなってきているから、もう少しで、体がおかしくなる時期が来る事が怖いけれど、今回も兄が助けてくれることは疑ってない。
四方に護衛を従えた兄が、おれの手を引く。
まるで二人きりのように静まり返った廊下に、かつり、こつり、と兄の靴が鳴り、かちゃり、かちゃりとおれの鉤爪が鳴る。
初めて兄に手を引かれて、城内を歩いた日のことを思い出す。
こそこそと隠れなくてもよくなった初めての日を。
前の国王に、兄と一緒にいたいと頼みに行った。
おれが初めて、兄のために戦おうと怖がりな自分の心に立ち向かった。
あの日から、おれは変われただろうか。
「兄上」
「なんだい」
「ぼく、幸せだよ」
「……そうか」
一瞬、兄の歩調が狂う。
何かをためらうように、迷うように。
でも。
「スー、僕も幸せだ」
顔を上げて、おれに向けてくれた笑顔は本物だ。
本物だと思う。
そうじゃないと、困る。
おれは、兄を助けられたんだろうか。
誰にも聞けないから、怖くなる。
もうおぼろげにしか思い出せない、凍りついたような無表情の顔をした兄ではないのだと、信じることしかできない。
「一緒がいい」
あの日、胸に誓いをたてて口にした言葉。
今度はきちんと発音できた。
二歳に戻った日から、十四年とすこし。
長いような短いような。
あっという間の幸福な日々。
これから先に何があるのか、おれには知ることができない。
処刑されたおれの時間は終わった。
この先も兄と一緒なら大丈夫。
そんな根拠のない思いを胸に進んでいくしかない。
「ずっと一緒だよ」
見上げてくる瞳の奥に、くすぶるような熱が見える。
兄の成長とともに温度を上げていく、色気を含んだ焦げそうなほどの熱が。
きっとおれも同じ目をしている。
おれが兄から離れる日は、こない。
確信が胸の奥に灯った。
◆
扉の前に残った可哀想な人々の心の会話
護衛(?)1 (え、ちょっと待って、まさかこのままここでおっぱじめるとか?)
護衛(?)2 (いやいや、流石にそりゃねえだろ、これから戴冠式だっての)
護衛(?)3 (待て、そっちの心配はいらなくても、この爛れたピンク色の空気のまま行く気か?)
護衛(?)4 (諦めろ、おれたちに殿下と弟君を止めることはできん)
護衛(?)1、2、3 (((同意!!)))
会場への移動時も、以下同文
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