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3 つがいと過ごす日々
10 誘惑 ※? 裸
しおりを挟むゴーシュは駆けた。
周囲が驚く勢いで仕事を片付け、一直線に愛しい番の元へ。
生まれて初めて、高速道路で速度超過して逮捕される人々の気持ちを理解しながら、裕壬のアパートへと。
「ユージン、ユージンっ」
ドアベルを鳴らしても、裕壬は扉を開けてくれない。
匂いがする。
音がする。
中にいるのに。
巣穴に入れてくれない。
どうして。
なんで。
おれが裕壬を庇わなかったから?
周囲への迷惑なんて考えられずに扉を叩く。
「グルルルゥ~っっ」
「え、ゴーシュさん?」
ゴーシュが低く唸って、扉をぶち破って入ろうかと考えたその時。
ぺたぺた、と中から足音がして、腰にバスタオル一枚を巻いた裕壬が玄関扉を開けた。
一瞬で不安も焦燥も掻き消えて、まじまじと見つめる。
半裸の番の姿を。
「いらっしゃい、なにかあったの?……とにかく入って、近所迷惑になるから」
「……」
呆然と、水の雫が垂れていく裸の胸を見ている間に、家の中に引きずり込まれた。
「お風呂に入ってたから気づかなかった、ごめん」
そう言いながら、がしがしと頭を拭く裕壬。
水の飛沫がゴーシュの頬に飛んだ。
「……こんな時間に?」
「……うん」
定時に会社を飛び出して、裕壬の家まで直行したので、まだ七時前だ。
これまでの裕壬の行動パターンだと、食事が風呂の先だ。
今の時間に食事をしているならともかく、風呂に入るのは少し早すぎる。
ゴーシュの疑問を聞いて、なぜか裕壬が目をそらした。
「おれがユージンを傷つけたのか、どうしたら許してくれる?」
裕壬の面接を決めたのは社長だ。
けれど社長に頼んだのはゴーシュで、それは泉に言われたから。
「番を他人の群れに入れて平気なのですか?」と。
人狼はゴーシュの他にいなくても、人に裕壬が惚れる可能性がある、と。
そう言われて初めて、裕壬は人で、人は人狼のように一途ではないことを、ゴーシュは思い出した。
裕壬がゴーシュだけを愛してくれると信じたくても、人の歴史と男根の進化がそれを否定している。
人の心は移ろうものだ。
ゴーシュはこれまで、裕壬を他人に奪われる可能性を、考えもしなかった。
一生懸命に就職活動をしていることは知っていたのに。
どうしよう、おれのユージンが……と真っ青になるゴーシュを、泉は丁寧に諭した。
裕壬を、好条件と塩対応の飴と鞭で誘い込もうと。
好意的に「うちにはあなたが必要です」と言っても、周囲の新卒予定者のレベルが違うことは知られてしまう。
ゴーシュの勤め先が、大企業の本社であることも変えようがない。
それなら優しく申し出てから、周囲に僻まれないように扱う。
下手に隠さずに、コネで入りました、と周知しておいて、入ってからは裕壬本人に努力してもらいたいと伝える。
自分で奮起して、居場所を作る努力をしてもらう。
それが泉の出した最適解だった。
凡人が不相応に入った大きな組織で、初めから敵を作らないための。
そこには、裕壬が会社に入らない選択肢はない。
泉から、面接に来た裕壬に冷たい態度をとること、その理由を聞いたゴーシュは、最後まで反対していた。
自分が説明するから、と訴えていた。
けれど「番と離れて暮らすことに耐えられるのですか?」と言われて思い出した。
心臓が凍りつくような恐怖を。
番を失うと思っただけで色を失った世界を。
裕壬が、どこで働きたいのか、どんな業種への就職を希望しているのか、ゴーシュは詳しく聞いていない。
面接を受けた、と言う話は聞いた。
祈られた、とも。
祈られたの意味はゴーシュには分からなかったが、裕壬が努力している姿を、いつでも応援していた。
番に食事を運び、食べさせて、眠る姿を見守って、早朝に帰って眠らずに仕事へ。
裕壬のバイトが休みの日のルーティンが、ゴーシュは嫌いではなかった。
裕壬に会えない日が、あまりにも虚しくて乾燥しているから。
裕壬が側にいないことを、受け入れるだけで一日が終わるから。
体をつなげることはなくても、週に二日、ほんの半日でも裕壬と一緒にいられるだけで、ゴーシュは幸せだった。
けれど本音は違う。
もっとずっと一緒にいたい。
裕壬が大学を卒業したら、一緒に暮らすつもりだった。
だから不安になった。
裕壬が遠くで働くと言い出したらどうしよう。
ゴーシュの一番は裕壬だ。
番の裕壬が望むなら、どこにだって行くし、どんな仕事だってする。
けれど、人狼のゴーシュには、裸一貫から裕壬を養えるだけ稼げる仕事を見つけられる自信がない。
今の会社だってサポートされて入って、流されて、偶然が重なって幸運に恵まれたから働き続けることができている。
肉体労働は駄目だ。
父親のように欠損したら、裕壬を守れなくなる。
そうなると、どうしても学歴か実績かコネか免許や技能がいる。
ゴーシュに学歴はない、中卒だ。
実績は……社長に頼めれば良いけれど、うまくいく保証はない。
コネはない。
免許や技能を、仕事を探しながら取得できるか分からない。
ゴーシュ本人はそう思っているが、実際、社長に忠犬のように付き従うゴーシュを、自分の手元にと望む者は一定数いる。
社長と泉が蹴散らしているだけだ。
決行前に、ゴーシュは裕壬に聞いた。
「おれの働いてる会社も新卒募集してるけど」と。
裕壬は困った顔をして、答えた。
「無理だよ」と。
書類選考すら受ける気がない裕壬を、ゴーシュは説得することができなかった。
説得材料が分からなかった。
生活するだけならゴーシュが養ってやれる。
食事だって、寝床だって用意できる。
でも、裕壬が求めているのは、人としての生きがいだ。
ゴーシュには与えてやれないもの。
人狼のゴーシュには、理解できない不可解なもの。
ゴーシュと裕壬では、生きるために必要なものが、あまりにも違いすぎていた。
それでも、番を失うかもしれない恐怖に、耐えられなかった。
ゴーシュの問いかけに、裕壬は首を振った。
「違うよ、私がゴーシュさんに相応しくないことが、許せない」
とりあえず頭を冷やそうと思ってお風呂に入った、と言う裕壬だが、なぜかいつまで経ってもバスタオルを外さない。
「ユージンはおれの番だ、相応しくないなんて、誰にも言わせない」
「それなら」
水を含んだバスタオルが、ばさり、と床に舞った。
「……ユージン?」
「セックスしたい」
背中を見せるように体を回した裕壬が、自分の手で尻を左右に割れば、窪みの中央には小さな銀のリングが頭をのぞかせていた。
それを見たゴーシュは硬直した。
「……?!?!」
「そろそろ、来てくれる時間だと思って準備したから、良いだろ?」
尻から手を離し、ゴーシュのスーツに手を伸ばす裕壬。
「ユージン、おれは」
「お願い、慰めてよ」
傷つけられたわけではない、でも、傷ついてるから。
両手を胸元に添えられて、震える声で番に縋られたゴーシュには、否、と答える理由などなかった。
「シャワーを」
「いいから」
裕壬の手がジャケットのボタンにかけられる。
ボタンホール一つ潜らせるのすらもどかしく、ゴーシュはジャケットを脱ぎ捨てた。
ベルトを緩めて、スラックスを足から抜くのも蹴飛ばすように乱暴になりながら、裕壬に噛みつくように口を寄せる。
「ん……んっ」
キスの意味を裕壬に教わって、ゴーシュはそれで終わりにしなかった。
自分でも調べて学んだ。
裕壬にもっと愛されたい、もっと愛していると伝えるために。
自慰のたびに、思い出せるネタは多い方が良い。
裕壬の発情臭だけで興奮できていた頃とは違う。
今のゴーシュは、裕壬の胎の中が心地よいことを知っている。
番に求められて、その気にならないオスはいない。
現在地が、敵地の真っ只中でも。
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