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章間
02 とある社員の話2/2 本編より過去
しおりを挟む受付をして、血まみれの膝と顔を洗わせてもらうことになり、車椅子に乗せられた。
「橋元に声をかけておくから、治療が終わるまでには誰か来るだろう」
「すまないね、この後、予定があるから」
先輩に連絡をしてくれるという上司の言葉に、思わず言い返していた。
「連絡しなくても大丈夫です」
「その足では帰れないだろう」
「帰れますから!」
ぞく、と背中が寒くなった。
「ゴーシュ、この子、いつもこうなのかい?」
穏やかそうな表情のままなのに、こちらを見る社長の目の奥が怖い。
頭の中が真っ白になっていても気がつけた。
社長は怒ってる。
でも、なにに?
「いいえ、傷の痛みで気が動転しているのではないでしょうか、心配いただかなくても有能な部下です」
上司の言葉に苛立つ。
どうして苛立つのかも分からないのに。
「斉藤くんと言ったかな」
「はいっ」
「転属願いを、出したらどうかな」
「……え?」
自分から他部署か支所への左遷を願え、と言われたのが分かった。
同時に、上司に反感を持つな、と忠告してくれた先輩たちの言葉の意味が、ようやく理解できた。
どうして上司がこの会社にいるのか。
社長が手放さないから?
それなら社長と上司の関係ってなに?
「三箭さん……かっこわりぃ」
「えっ、ちょっと待ったゴーシュ、今、僕が格好悪いって言った?」
「くだらないこと言って、斉藤を困らせないで下さい」
これまで、ほとんど会話をしたことがなかった上司が、なぜかわたしを庇ってくれる。
「おれが不在でも困らないように、有能な人材を回してくれているという話でしたよね」
「……仕方ないな」
渋々という表情を作り、社長は冷たい目でわたしを見た。
「斉藤くん、ね、覚えておくよ」
「……はい」
これって、もしかして、近いうちにクビかな。
どうやらわたしは、社長のお気に入りの部下である上司に反抗的な木端社員、と見られたらしい。
その通りだけど。
上司が仕事をしている場所を見たことがないんだから、働けよ、って思うのは当然だと思うのに。
治療を受けてから、会計待ちをしている間。
広い範囲ですりむいた顔と、ずるむけの膝と、捻挫した足首が痛い上に、三ヶ月目で自己都合退職か、と落ち込んでいたら、声をかけられた。
「斉藤、あんたなにやってんの」
「先輩」
「社長がおカンムリよ、どっかの倉庫整理に飛ばした方が良いですか、って田中が擦り寄ってたわ」
田中とは、わたしにあまり好意的ではない先輩だ。
上司大好きらしくて、上司の実務能力を疑っているわたしを嫌っている、ようだ。
「……仕事してない人に、仕事しろって言ったら、いけないんですか」
呆れたようにため息をつかれた。
「あんた、本当に考え方が幼いわね」
「若いのは悪いことですか」
「誰も若いなんて言ってない、ガキだって言ってるの」
若いと幼いの違いなんてどうでも良いのに。
わたしの反抗的な態度に、先輩は再びため息をつく。
「室長が、あんたは必要な部下だから、他の部署にやったら仕事休むって言ってるから、大丈夫だろうけど」
「……」
あの上司に庇われるとか。
「一度、社長の出張に付き合わされれば意見も変わるわよ」
この時の先輩の言葉は、怪我の完治と同時に実現した。
間違いなく先輩の根回しで、先輩の代わりに、社長の出張に同伴することになったのだ。
社長の付き添いは……地獄だった。
ちっさいおっさんって、こんなに元気なものなのか。
それにくっついて一日中休みなく動き回っている上司も、すごかった。
三日目からはほとんど死んだ目になってた自信があるわたしは、一週間の出張期間の中で、後半二日の記憶がない。
社外に出た社長は、完璧な社長だった。
式典の時や部署の見回りにきた時と同じように、ものすごく社長だった。
その社長に付かず離れず、まるで訓練された盲導犬のようにぴったりとくっついていく上司。
突然の予定変更にも、まったく臆することがない。
ただ、上司の肩書きが飾りだと、先輩が言っていた理由も分かった。
わたしが社長と上司にくっつけられた理由は、本来なら上司がやるべき時間調整や現地手配や、その他諸々の雑務だった。
その諸々をわたしがやっている分、上司が楽をしているのか、と思ったのは初日だけ。
予定がずれこんで、慣れないことでくたくたの初日。
夜中の二時過ぎにホテルに着いて、上司と同じ部屋であることに絶望する余裕もないほど疲れていたわたしは、ベッドに倒れ込んだ。
上司に先にどうぞと風呂をすすめて、ようやく休めると思っていたら、上司があっというまに風呂から出てきて、オートロックの扉の内側に毛布一枚を巻いて転がった。
「……ベッドで寝ないんですか?」
「いざという時に動きにくい」
「……」
うちの社長は、どこかのテロリスト集団のボスなのか?
社長がどっかの誰かに狙われてるのですか?、という言葉をなんとか飲み込んで、疲れきっていたわたしは風呂に入ってベッドで眠らせてもらった。
そしてこれが、出張の間の日常だった。
床にカーペットが敷かれているとはいえ、毛布一枚で寝転がっている上司が、まともに睡眠が取れているのか疑問だ。
わたし自身はベッドで眠っても、枕が変わって熟睡できていないのに。
一人だけ部屋が違うからなのか、それともすっごいタフなだけなのか。
社長は最終日まで社長だった。
ちいさいおっさん怖い。
ようやく帰れる、と泣きそうな車内で、助手席に座るわたしにも聞こえる声量で、社長が言った。
「ゴーシュ、斉藤くんが有能なのは本当だね」
「ご理解いただけましたか」
「序列はどうなんだい」
じょれつ?
会社内の人間関係を表すのに、あまり使わない単語。
「斉藤は橋元と鈴木のお気に入りですよ」
「……そうか、うん、分からなくもないけどね、獅子身中の虫なんていらないよ」
やっぱりクビか。
わたしがそう思った時。
「それならおれが一番の虫でしょう」
「や、いや、それは違うだろう」
なぜか言葉を濁す社長に、上司は言った。
「おれを受け入れられるのなんて三箭さんくらいだ」
「分かった、分かったよ、もう、仕方ない、斉藤くん!」
「はい」
「ゴーシュをいじめたら許さないからね」
……どうやらわたしは、勘違いしていたようだ。
なんだか変な副音声が聞こえた気がして、社長が突然、親バカに見えた。
辣腕を振るう親バカか。
敵に回したくないな。
「はい」
「ならよし」
有能なのにおかしな社長。
に引っ張り回されている、かわいそうな人。
上司への評価がそう変わったら、なぜこれまであんなに気に入らなかったのか、逆に思い出せなくなった。
本社に到着して、専務の泉さんに呼ばれた社長が立ち去った後。
「斉藤、無理はするなよ」
ぼそりと低い声で言われた。
何をだよ、と思ったのは一瞬。
首がつりそうなほど上を見上げて宣言した。
「一週間、大変お世話になりました、これからもよろしくお願いいたします!」
普段、身軽に移動してしまう社長。
先輩たちがぼやいていた理由が分かった。
あの社長のフットワークに、秘書としてついて行けそうな人なんて、上司しかいない。
いなくなられたら、この会社、崩壊しそうだ。
「……ああ、よろしくな」
ほとんど表情の動かない上司の顔が、一瞬だけ、仕方ないな、と言いそうな感情を見せてくれた。
そんな気がして、わたしは心の中でガッツポーズを取った。
結局のところ、わたしは、怖かったのだ。
上司が、わたしの味方になってくれるのか、敵なのか、わからなくて。
居場所を作るだけで精一杯だった三ヶ月を経て、わたしは、少しだけ学べた気がする。
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