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02 とある社員の話1/2 本編より過去

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 上司へ渡す書類をデスクに置いたままだ、と気がついたのは、終業時間を知らせる音楽と同時だった。

 片付けと残業中の先輩たちの残る部屋に戻ったけれど、肝心の上司がいない。
 というか、たいていいつも本人はいないけれど、今はデスクに鞄がない。

「……どうしよう」

 上司を探して社内をうろつくことも考えたけれど、鞄がないってことは帰った?
 終業時間になった直後に?

「どうしたの?」
「あ、先輩」

 入社三ヶ月目。
 とんでもない競走倍率をくぐり抜けて異動した先は戦場だった。

 きっとそう思ってるのはわたしだけだとしても。

 きれいで格好よくて有能な先輩たち。
 わたしがミスをしても、フォローが上手すぎて、手のひらで転がされながら育てられている。

 教え方も丁寧で、要領の悪い自分が情けなくなる。

 でも、人のできている先輩たちと違い、ここの最高責任者であるはずの上司は違っていた。
 いまだに、会話すらほとんどしたことがない。

 常にどっか行ってるし、仕事の指示をする姿を見たこともない。
 出社していることは、鞄の有無で分かるけれど、本当に働いているのか疑問だ。

 書類を渡し忘れた、と話すと先輩が苦笑いした。

「ああ、今月のノー残業デーだからもう帰ったよ、間が悪かったね」
「連絡して届けます」

 先輩たちが仕事してるのに、帰った?、と思ったら、なんだか頭にきた。

 急ぎの書類ではなかったけれど、なんとなくそう口にした。
 けれど先輩が、困ったような表情で教えてくれる。

「ノー残業の日は連絡をしてもでないよ」
「……なんでですか?」

 そんなことが許されるのか?
 仕事中でなければ、電話にすら出ないって。


 上司は、本社は地方にあっても国際的に知られる大企業の、社長を補佐する立場だ。
 それなのに、わたしたちとほとんど交流を持たない。

 先輩たちが手分けして、上司がするべき仕事を片付けている。
 それを知って、上司への不信感、違和感を二ヶ月目に感じだして、さらに一ヶ月が経った。

 三ヶ月目になれば、色々と周囲が見えてくる。

 上司が、名前だけ上司なのではないか、とか。
 お飾りなら、もっと相応しい人がいるのではないか、とか。

「何が気に入らないのか知らないけど、首を突っ込まない方が良いと思うわよ」

 わたしと先輩の会話に口を挟んできたのは、最年長なのに二十代前半のわたしと同年代に見える先輩。

 美魔女という種族らしい。
 前に交流会という名の飲み会で言ってた。

 ……本当に魔女かも、と思う時がある。
 わたしの声に苛立ちが混ざったのを、地獄耳で聞きつけたみたいだし。

「でも、ここの責任者じゃないんですか?」
「名目上はね、本音は名誉職としての肩書きなの」
「……やっぱりコネ入社なんですか」

 ほとんど職場にいない上司の無能さをみんな知っているのに、どうして上に言わないのか。
 そう思った直後。

「あなた考え方が幼いわね、肩書きを与えておかないと、ここに留めておけないって方向には考えられないのかしら?」
「実際ここのトップ補佐くらいじゃ、あの人には役不足だろうな」

 先輩たちの呆れたような言い方に困惑が募った。
 ここは海外にも工場や支社を持つ国際的な企業で、国内有数の資本を持っている。

 その会社の経営陣に近い肩書きが役不足能力に対し役目が軽い!?

 ほとんど職場に居付かない上司。
 姿を見せた時でも会話に混ざらない。
 しかもだいたい月に一回〝ノー残業デー〟とかで、さっさと帰る。

 あの上司が有能なんて、ありえない。

 わたしは、ずっとそう思っていた。
 これが、どこから来る反感なのか、わたしはずっと考えなかった。

 上司に対して感じる反感が、理性的なものではなく、理不尽で本能的なものだと気がついていれば、周囲に迷惑をかけることもなかったのに。



 仕事をしない人が上司であることが嫌だ。

 そう思っていたわたしは、上司に助けられた。
 経緯を聞いて欲しい。



 わたしは仕事が終わった後で、少しでも先輩たちに追いつくために資格試験の勉強をしている。

 勉強は嫌いじゃない。
 せっかく幸運に恵まれて大企業に転がり込んだのに、先輩たちに可愛がられるだけで終わりたくない。
 向上心だ。

 ある日の終業後、新刊の参考書を予約しておいた本屋に向かう途中。

 わたしは、ころんだ。

 誰かに突き飛ばされたとか、変な道を通ったわけでもないのに、つまずいてころんだ。
 それも二段のコンクリートの階段の上で。

 二段程度、と思うかもしれない。
 でもわたしは生粋の運動音痴だ。
 運動神経がない。

 走れば笑われて。
 踊れば一人だけ、どじょうすくい。
 走り幅跳びに至っては、普通に歩くのと変わらない。

 そんなわたしが、二段の階段から落ちて、無事でいられるわけがない。

 たぶん、ひざは血まみれ。
 ころぶ時に手が出たことなんてないから、ぶつけた顔が熱くて痛い。
 打ちつけた脇腹と背中のせいで、息ができない。

 目の前で、ちかちかと星が飛んでる。

「……~~~~っ」

 助けて、と声にも出ない。
 いつも通っている道なのに、誰もいないのか。
 普段なら人がいるのに。

 痛みに出てきた涙が顔にしみる。
 じんじんと痛い。

 その場で我慢し続けて、少し痛みが遠のいてきて、立ち上がろうとしてから気がついた。

「いったぁ……」

 ひざだけでなく、足首も痛めている。

 どうしよう、歩けない。
 救急車を呼ぼうにも、ここがどこなのか説明できない。

 とにかく、誰かに助けを呼ばないと。

 遠くに転がってしまった鞄に這い寄ろうと、痛む腕に力を入れたその時。

「斉藤?」
「……あ」

 背の低いわたしより頭ひとつどころか、上半身ひとつ背が高いと言っても過言ではない、上司がそこにいた。
 足音が、聞こえなかったのに。

 無駄にでかい男なんて嫌いだ。
 体がでかい男は、態度もでかいし、性格も最悪って決まってるんだから!

 わたしの兄みたいに。

「どうした」
「……」

 上司に反感を持っているわたしは、ころびました、と素直に言えなかった。
 でも、周囲の状況を見れば、わたしが階段から落ちたなんて、すぐにわかることで。

 どんくさい、と笑われるんだろうか、と思ったその時。

「無理するなよ」

 言葉の直後に、ひょい、と抱き上げられた。
 横抱き、通称、お姫様抱っこで。

 ちょっと待て、これは物語以外では許されない!

「おろしてくださいっ」
「……歩けないだろ?」

 馬鹿にするな、と思ったその時。

「ゴーシュ、どうした」

 柔和そうな小柄なおじさん、こと、我が社の敏腕社長が現れた。

 もしかして、ずっと近くにいたのかも。
 こんな姿を見られるなんて。
 それにしても、社長が上司を名前で呼んでるなんて知らなかった。

「こちらは?」

 直接会話をしたことがないわたしの顔を見ても、誰か分からないようで、社長に首を傾げられた。

「うちの斉藤ですよ、転んだようです」
「……なるほど、……痛そうだな、すぐに病院に連れていってあげなさい」
「あっ、あるけますからっ」

 嫌いな上司に抱っこされて病院まで運ばれるなんて、と反論したけれど。

「ひざが血まみれで足首が腫れているのにか」
「近くに夜間診療があるよ、前に食あたりで診てもらったことがある」

 社長がわたしの鞄を拾って歩き出してしまう。
 とっとこ、とっとこと音がしそうな、機嫌の良さそうな足取りで。

 さっきの言葉の意味って、社長が会社で食あたりになったってこと?

 なんだか呑気だ。
 以前に見た社員の前に立っていた社長は、見た目は穏やかそうでも、大会社の社長に相応しい風格だったのに。

 わたしを抱えた上司が、社長の後に続く。

「いやぁ、軽い散歩のつもりがいい気分転換になった、傷ついた部下を助けるなんて運命的だ、隅におけないなゴーシュ」
「斉藤は部下ですよ」
「おやおや、ゴーシュは可愛い子は好きじゃないのかい」
「どうでしょうかね」

 社長ととんでもなく気安い会話をしながら、上司は歩く。
 わたしという荷物の重さなんて、ほとんど感じていないように。

 社長の案内で、本当にすぐ近くにあった夜間診療所に運ばれた。

 
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