上 下
31 / 44
3 つがいと過ごす日々

01 本能vs人の常識+理性

しおりを挟む
 

 電話するんだ、電話しろ、電話しなくてはいけない。

 ゴーシュは自分にそう言い聞かせ続けて。
 腕の中で脱力する細い体を、なんとか手放すことに成功した。

 名残惜しい気持ちしかないけれど、温かく艶かしい体から力を失った竿を引き抜いた。

「……ん……っ」

 疲れているのだろう。
 裕壬は呻いたものの、ごろりと寝返りを打ってから、再び穏やかな寝息をゴーシュに聞かせてくれた。

 守らなくては。
 無防備に眠る番を守らなくてはいけない。

 ゴーシュの頭の中で吠える本能に、人の社会で学んだ常識が異を唱える。

 電話をしなくては。
 番を守るために必要だ。

 本能が反論をする前にゴーシュは人の姿になった。

 あふれそうなコンドームを外して、捨て方に悩んだ後で、大量のティッシュで包んでゴミ箱へと入れた。

 番が眠ってしまったので交尾はおしまいだ。
 そう考えた途端に、理性が仕事を思い出したように姿を現して常識に賛同を示した。

 番の姿が見えるところにいれば良い。
 電話が終われば、すぐにまた触れられる。

 二対一になった本能は、渋々と尾を下げて引いて行った。

「ふーっ」

 深くため息をついて、ゴーシュは首をゴキゴキと鳴らした。
 人狼の本能は、本当に厄介だ。
 無くては生きていけないとしても。

 番の側にいたい。
 本当はずっと触れあっていたい。
 けれど、どうしても少しだけ番の側を離れなくてはいけない。

 入浴の際に外したウェアラブル端末を見れば、時間は土曜日の二十二時をすぎている。
 昼過ぎに、裕壬の家である単身者向け賃貸に着いてから、あっという間だった。

 今いる室内には、生き物の匂いは裕壬とゴーシュのものしかない。
 ここが裕壬の巣穴なのだ。

 番の巣穴に招かれた。
 本物の番になった。

 周囲を見る余裕のできたゴーシュは、その事実にうっとりと目を細める。

 現在いる建物の正確な大きさは不明だ。
 二階建て以上だと思うが、外に出てみなければ分からない。

 中に連れ込まれた時は、周囲を見ている余裕がなかった。

 裕壬の巣穴は集合住宅の一階で、こじんまりとしている。
 部屋の中央に座っていても壁の迫ってくるような狭さが、幼いゴーシュが両親と一緒に暮らしていた部屋を思い出させた。

 匂いと音で確認できる限りは、周囲には住人の気配がない。
 仕事か遊びで外出しているのだろう。
 どちらにしても、不在でよかった。

 壁一枚を挟んだ距離に他人がいる。
 群れの仲間ならともかく、赤の他人でその距離は近すぎる。

 周囲に住人の存在があれば、ゴーシュは裕壬の誘惑に乗れなかっただろう。
 番を危険に晒すわけにはいかない。

 誰もいなくてよかった。

 番になってくれるという裕壬の言葉に浮かれている。
 夢のような時間に、喜びしかない行為に、夢中になった。


 ゴーシュは両親が愛しあう所を、何度も見たことがある。
 狼の姿の母親は、父親と尻をくっつけあって繋がったまま、幸せそうに低く唸っていた。

 人狼の感性では、愛しあう姿を見られることは、別に恥ずかしくない。

 長い射精が始まって少し落ち着いた頃、気がつけば裕壬がうとうとと微睡んでいた。
 その様子が父親の腕の中にいる母に見えて、胸が苦しくなった。

 母とゴーシュを守るために、群れからの追放を受け入れた父親。
 母が望んだから、全てを投げ打って親子三人の生活を守ろうとした父親。

 餌である人に頭を下げることは、父親にとって、どれだけ屈辱だったことか。

 それでも父親は耐えた。
 母親とゴーシュのために。

 誇り高い人狼の父親は、ゴーシュにとっての目標だ。
 子供の頃には分からなかったけれど、番を得た今のゴーシュには理解できた。

 おれも、裕壬を守ろう。
 誰にも傷つけさせるものか。

 人狼は守るものがあれば誰よりも強くなれる。
 幼い頃に、母親が寝物語に話してくれた。

 本当の話だったんだな、とゴーシュは自分の裸の胸を押さえた。



 ゴーシュは携帯端末を探しだすと、視線の隅に裕壬の姿を入れながら、画面をタップした。

三箭ミヤさん、こんばんは、今って良いかな」
「もしもし、どうしたんだいゴーシュ、こんな時間に」

 休日の夜遅くでも普段と変わらない様子の社長が出たことで、ゴーシュは出そうになった安堵の息を飲み込む。
 この様子なら、話しても大丈夫だろうと判断して、言葉を探す。

「あのさ、もっと休暇がほしいんだけど」
「休暇……あと五日あるのに?」
「三箭さんだから言うよ、おれ、番ができたんだ。
 これから先をどうするか、一緒に決める時間が欲しい」

 今でこそ仕事用の話し方を習ったゴーシュだが、社長と二人きりでの会話になると、どうしても中学校卒業当時に戻りがちだ。

 人の精神年齢で当てはめるなら、小学校入学頃から今現在の思春期に入るまでの付き合いになる。
 ずっと助けてくれた社長を、ゴーシュは二人目の父親のように思っていた。

「つがい?」
「うん、そう、名前は愛子アイコ ユージン、支社のある所の美大生で、この前の時に怪我させ……」
「ゴーシュ、ストップ」
「……」

 厳格な躾がされている軍用犬のように、人狼はボス(仮)の命令に忠実だ。
 しかし最優先は番になる。

「つがいって、僕も知ってる、あのつがいかな?」
「そうだよ、三箭さんが海外から取り寄せてくれたのに載ってたやつ」

 嬉しそうにあっけらかんと答えるゴーシュ。

「つがい?……え、本当に?」
「本当だよ」

 ボス(仮)である社長も喜んでくれるはず、と考えるゴーシュに対して、社長は珍しくうろたえている。
 首を傾げつつ裕壬の寝顔をチラ見して、可愛いなあと顔を緩ませていると、やけに神妙な声が届いた。

「ゴーシュ、一つだけ、怒らずに聞いてほしい」
「怒らないけど」
「人には、人狼のつがいがどういうものか分からない」
「知ってるよ」

 番は互いの匂いをまとっているから分かるのだ。
 人の嗅覚が優れていないことくらい、ゴーシュは知っている。

 何が言いたいのかな。
 そう思ったゴーシュに、社長はものすごく言いにくそうに、言葉を濁した。

「そうか、知ってるのか」
「知ってるったら」

 珍しいな、と思いつつ、専務のミナモトの前限定で、ぼやいている姿を見たことがあるので、今も側にいたりするのかも、と流した。

「勘違い、ってことはないのかな」
「……かんちがい?」

 なにが?
 どう?

 本気でゴーシュが理解できていないことを、どう説明すれば良いのか、と社長は口をつぐむ。

 人狼が何を基準に番を決めるのか、まで知らない。
 ゴーシュが知らないことは、社長も知らない。
 海外の人狼コミュニティの情報はいつでも求めているけれど、信憑性のあるものは少ない。

 ゴーシュの体や金が目的だ、と言い切ることは難しい。
 社長が裕壬の為人ヒトトナリを知らないから。

 ただ、愛子 裕壬の名前を社長は記憶していた。
 珍しい苗字だと思ったのと、ゴーシュが、おれが治療費を払う!、と引かなかったから。

 支払い交渉をした総務部部長からは、「穏やかでありながら少々エキセントリックさを感じる若者です」と報告があった。

 少々エキセントリックひどく風変わりな美術大学生。

 そんなものを、重用する部下愛犬の側に置いておきたい社長飼い主はいない。

 人狼である以外を除いて、全てを聞いていた部長としては、「愛子 裕壬をうちの会社に入れるのなら、能力が発揮できる部署にお願いします」という意味だった。

 社長の懐刀が、怪我をさせてしまったとはいえ、まるっと治療費を出す大学三年生の男子。

 治療費は賠償金の一部、と考えるのが当然だ。
 慰謝料の代わりに、就職先の斡旋を求められる可能性も考えた。

 ありとあらゆる可能性を考えた部長は、何も間違っていない。
 いつもの仕事と同じように、しっかり気を回しただけだ。

 普段の社長なら、部長の心配りと根回しと遠回しな言い方を理解できた。
 しかし、この時の社長は、愛犬が入院して開腹手術をした直後の飼い主のようになっていた。

 そんなわけで、裕壬に対する社長の評価は〝可もなく不可もなし、ただ、あまり近づけさせたくない〟になっていた。

 手塩にかけて育てた愛娘を、何処の馬の骨ともわからない若造に持っていかれる父親の気分を、離婚歴あり、子供なし、独身、恋人ありの社長は痛感していた。

 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

とろとろ【R18短編集】

ちまこ。
BL
ねっとり、じっくりと。 とろとろにされてます。 喘ぎ声は可愛いめ。 乳首責め多めの作品集です。

食事届いたけど配達員のほうを食べました

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
なぜ自転車に乗る人はピチピチのエロい服を着ているのか? そう思っていたところに、食事を届けにきたデリバリー配達員の男子大学生がピチピチのサイクルウェアを着ていた。イケメンな上に筋肉質でエロかったので、追加料金を払って、メシではなく彼を食べることにした。

叔父さんと一緒♡

らーゆ
BL
叔父とショタ甥がヤッてるだけ。ガチのヤツなので苦手なひとは回避推奨。

男色医師

虎 正規
BL
ゲイの医者、黒河の毒牙から逃れられるか?

受け付けの全裸お兄さんが店主に客の前で公開プレイされる大人の玩具専門店

ミクリ21 (新)
BL
大人の玩具専門店【ラブシモン】を営む執事服の店主レイザーと、受け付けの全裸お兄さんシモンが毎日公開プレイしている話。

推しに監禁され、襲われました

天災
BL
 押しをストーカーしただけなのに…

僕が玩具になった理由

Me-ya
BL
🈲R指定🈯 「俺のペットにしてやるよ」 眞司は僕を見下ろしながらそう言った。 🈲R指定🔞 ※この作品はフィクションです。 実在の人物、団体等とは一切関係ありません。 ※この小説は他の場所で書いていましたが、携帯が壊れてスマホに替えた時、小説を書いていた場所が分からなくなってしまいました😨 ので、ここで新しく書き直します…。 (他の場所でも、1カ所書いていますが…)

怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人

こじらせた処女
BL
 幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。 しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。 「風邪をひくことは悪いこと」 社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。 とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。 それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?

処理中です...