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1 ゴーシュ・ガイルは一匹狼

06 人狼であること

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 着替えを持ってきたデイバッグの上に、たたまれていたハーフパンツを見つけて、人化して履く。
 誰がたたんでくれたのか、と考えることもなく。

「……」

 人の姿になったゴーシュが、上半身が裸のままパーティションから頭を覗かせると、目があった。
 愛子(仮)が目を見張って、なぜか、顔をそらされた。

 見苦しいと思われたのか、となぜか気持ちが沈んで、同時にそう思うことを不可解に思う。

 愛子(仮)に良い男だと思われたい。
 何故そう思うのか?と考えつつも、深く追及しないことにした。

 見た目だけは厳ついが、ゴーシュはまだ恋も知らない少年狼だ。

「勝手に外に出て申し訳ない。
 どうにも、じっとしているのが性に合わないのです。
 すいませんでした」

 行動があまりにも唐突すぎた、と人の姿に戻れば分かる。
 ゴーシュの殊勝な態度を見た若者たちは、ちらちらとこちらを見続けている。

 どうして愛子(仮)に避けられると気持ちが沈むのか、ゴーシュには分からない。

 目が離せない。
 こっちを見てくれ、とちょっかいを出したくなる。

「……」

 愛子(仮)はちらりとゴーシュを見て、何か言おうとして口を閉じた。
 耳が赤い。

 強い発情と好意の匂いが、ゴーシュの鼻に届いた。
 鋭い嗅覚を持つからこそ、距離が離れていても感じ取れてしまった。

 愛子の鼓動が、緊張している時のように強く、早くなっていると、耳も教えてくる。

 なんで今?
 おれ、なんかした?

 不安になったゴーシュはパーティションの外に出た。
 ハーフパンツ一枚の姿で、乱れて垂れてくる前髪をかきあげて、軽く首を傾げながら。

「何か?」
「いっいえ、なんでもないです!」

 発情と好意に加えて、ゴーシュが嗅いだことのない甘く焦げるような匂いをさせて、愛子(仮)は自分のイーゼルの元に戻ってしまった。
 それが、好みの相手の艶姿に、照れて恥ずかしがっている時の匂いだと気がつかず、ゴーシュは目を瞬く。

 なんだったのかな?、とわずかに眉を寄せたゴーシュに、他の学生が声を掛けてきた。

「あの、すいません、次はぜひ狼の姿でお願いしたいんですけどっ」
「え?あ、ああ、良いですよ。
 動けないと辛いので、途中で休憩をもらえますか?」
「はい!」

 話しながら裸の肩にシャツを羽織って、学生と教授の描いたデッサンを見せてもらう。

 ボタンの止められていない、サックスブルーのシャツの隙間から、むらなく日焼けした肌やしっかりと張りのある胸筋がちらちらと見えていた。
 ここ数ヶ月の健康管理の賜物だ。

 人の姿のゴーシュは、若さゆえの発展途上の細マッチョで、走った後なので少し汗ばんで、肌がつやめいている。

 人狼時のウエストサイズにあわせて購入した、オーバーサイズのハーフパンツが少しずり落ちていたが、ゴーシュは作品を見るのに夢中で気がついていない。

 きれいに盛り上がっている腹筋どころか、形の良いへその下まで見えているのを、目を潤ませた愛子(仮)が、食い入るように見ていることに気がつかなかった。

 しなやかな筋肉を感じさせる無毛の臍下セイカ
 ハーフパンツでは隠せない膝下。

 どれもが、大人の男性というには瑞々しく、けれど少年というにはたくましすぎる。
 人の男性の持ち得ない頑強さが、ゴーシュの実年齢をわかりにくくさせていた。

「おれって、こんな感じですか?」
「自分の姿なのに知らないんですか?」
「ええ、まあ」

 ゴーシュは緊張がとけたらしい教授に対して、曖昧に笑った。

 人狼の視界は人と違う。
 狼の視界も人と違う。

 人狼には記念日の姿を撮影する慣習はない。
 自分の姿を撮ったことのないゴーシュにとって、それは初めての第三者から見た人狼だった。

 数本の鉛筆と、木炭やコンテを使って描かれたそれは、まさしく、人外の生物だった。

 白と黒の濃淡だけなのに、力強さを感じる。
 全身を毛で覆われた、暴力の権化とでもいうか。

 両親の姿を見た時には、一度も感じたことのない違和感。
 力強いだけではない。
 恐ろしさをそこに感じた。

 物心つく頃には人の世で暮らし、人としての側面が強いゴーシュは、少し寂しさを覚えた。

 おれは人にはなれない、と。

 ゴーシュは、物心つく前に群れから離れている。
 自分のいた群れがわからない上に、幼い頃に両親ともども追放されている以上、人狼の群れには戻れない。

 群れの掟も内情も知らない。
 もし見つかったら、追放者の息子として追われるのではないか?という恐怖もある。

「どうしました?」
「なんでもないです。
 自分の姿が父親に似ていて驚いただけです」
「そうですか」

 ゴーシュの声に含まれるなにかに気づいたのか、それ以上の追求はなかった。

 その後、狼姿でもモデルをして「長時間同じポーズをとってくれる動物はいないので、すごく勉強になりました!」と感謝された。

 疲れた。
 でもいい儲けだった。
 途中で、うまい肉を買って帰ろう、とニヤニヤしながら。

 ゴーシュは、自分が騒動を招いたことに、まだ、気がついていなかった。





   ◆





 翌週、三日間の出張の帰りに、ゴーシュは美大に向かっていた。

 愛子(仮)から電話があったのだ。
 ひどく焦った様子で「とにかく大学まで、教授の研究室まで来て欲しい!」と必死で頼まれては、断ることができなかった。

「失礼します」

 外歩き用の伊達メガネに、重たい色のスーツ姿。
 髪は、ざっくりと後ろに撫でつけている。
 小型のスーツケースを引いたゴーシュが、大学の受付で声をかけると、数人いる事務員の目が一斉に集まった。

 内心で「なんだ?!」と思いながら、必死で愛想笑いを浮かべる。

三枝サエグサ教授の研究室に呼ばれている、ガイルです」
「は、はいっ」

 ふわっと恐怖の匂いが強く立ち上った。
 それも、その場の全員から。

 ものすごく嫌な予感がしたゴーシュが目を細めると、恐怖の匂いはさらに強くなる。
 この場で帰ってしまいたい。

「こ、こ、こちらをどうぞっ」

 震える手で校内地図を渡される。

 無言で歩き出すと、背後から盛大なため息がいくつも聞こえてきた。
 人狼の聴覚を舐めすぎだ。

(人狼だってさ)
(本物?)
(三枝教授のとこだよ)
(召喚?)
(それは悪魔だって)

 やはりな、と。
 ゴーシュは諦めに似た感情しか抱けなかった。

 定住が認められて市民権もあるのに、人々からの好意は望めない。
 犯罪者の家族のように、いいや、それこそ犯罪者本人のように扱われる。

 社長に、どう伝えたら良いんだ。
 迷惑をかけてしまう。

 それだけが、ひどく重く肩にのしかかった。



 ゴーシュの父親は人狼の群れで生まれ育ち、人の世の教育を受けていない。
 読み書きもできなかった。

 もちろん人の世の戸籍も持っていない。
 身分証明書なんて、どこに頼んでも発行しようがない。

 群れを追放されて、家族三人で世界中をさまよった。

 山奥で暮らすことはできない。
 夫妻のみでは縄張りを維持できないから。

 貧しい放浪の末に、平和だと聞いてたどり着いたこの国で、家族三人で生きていこうと決めたのは、ゴーシュの父親が怪我をしたからだ。

 働いていた日雇いの現場で、ゴーシュの父親は機械に片腕を潰された。
 怪力を誇る人狼でも、金属を数十トンの力でプレスする機械には勝てなかった。

 素性が不確かな日雇いでしかなかった父親に、会社は雀の涙ほどの金を渡して追い出した。

 不法入国、滞在の上に家のない三人は、その日の食料にも事欠くようになった。

 片方の前足を失った父親は、明らかに動きに精彩を欠いて、狩りも満足にできなくなった。
 母は幼いゴーシュを守るために、身動きが取れない。

 どこにもいけない家族は、追い詰められていた。

 
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