5 / 16
5 転機
しおりを挟むクルクルクルと鳥が鳴くような、甘える動物が喉を転がすような鳴き声がした。
それすらも地が震えそうに低い音だけれど。
黒々とした鱗の表面に、ぽ、と火が浮かぶ。
青い燐光だ。
見ている目の前で、ぽ、ぽ、ぽ、と火が増えていく。
小さな青い火の玉を、飾りのように全身にまとって、黒々とした竜にしか見えない存在が俺を見つめて、こてん、と首を傾げた。
瞳孔がふわりと広がって、俺を見つめる。
どうなってんだよ、すっごく可愛い。
とんでもなくでかい犬かよ。
それから、もったいぶったようにゆっくりと体を起こしたが、竜らしきこいつは、立ち上がっても巨大だった。
地竜は大きい。
鎧を着込んだ騎士を乗せて、走れるのだから。
けれど目の前の竜っぽいものは、地竜が赤ん坊に見える大きさだった。
真上を見上げても、視界には竜の体しか見えない。
目の前に見えるのは、竜の足の膝関節と、黒い腹。
背中だけでなく、腹まで黒いのか。
鱗の大きさは、腹の方が小さく見えるな。
後脚だけでなく前脚も太いぞ。
つまり、四肢で地を蹴って走るのか?
羽根と長い尾が、ゆらゆらと動く。
いやいや、もしも、万が一にでも背中でたたまれている羽根が飾りではなくて、本当に空を飛べるとしたら、この立派な前脚は飾りか?
地竜は四脚を持つが、移動方法は強靭な後脚のみで地を駆ける形になる。
短い前脚は餌を摂る時の補助に使ったり、走る時に体の均衡を保つために使っている。
鱗が全身を包む姿は似ているけれど、地竜とは違いすぎる。
違うんだ。
こいつの方が、すごい。
言葉にできないけれど、すごいんだ。
それなら、こいつはなんだ。
竜ではない、竜によく似た、なにか。
伝説に残る、本物の竜、だろうか。
幻とは思えない。
思えないけど。
こんな素晴らしくて、恐ろしくて、美しくて、俺の夢想を軽々と超えてしまう生き物が見られるなら、幻でもなんでも良い。
「オグラスっ、…い、…の…ケモ………んと…しろっ」
遠くからひょろひょろと震える声が俺に向かって届いた。
聞き取れないほど遠くから声をかけられたのか?
うっとりと見上げていた、竜としか思えない完璧な生き物から、竜舎へ意識を向けると、元仲間が中にいて、鼻をつまんでこちらへ向かって叫んでいた。
どうして鼻をつまんでいるんだ?
道理でおかしな声だと思った。
もっと大声を出せば良いのに。
「そんな所でなにしてるんだ?」
鼻をつまみながら掃除や餌やりをしている、と考えるのは無理がある。
それにしても、地竜はどこだ?
半分隠れているようにも見える騎士見習いたちがいるのに、地竜が見えない。
鳴き声がしない。
足踏みする音も。
全ての地竜を一度に外に出すことはないから、竜舎はいつでも騒がしい。
それが今は、しん、と静まりかえっている。
そもそも、騎士の多くは、乗る竜の世話を自分でするものだ。
一部の、金で竜丁を雇える奴らは、乗るだけだが。
もしくは見習いに頼んでやってもらう。
もちろん竜舎の管理をする者はいるが、騎士団にいる全ての竜に万全の環境と世話ができているか、と言えば、無理な話だ。
世話してないなら、どうしてあいつらは竜舎の中にいるんだ?
竜舎に向かって踏み出そうとした俺の胸元に、するりとすべりこむように巨大な頭が降りてきた。
「うわっ」
あまりにも滑らかな動きは、地竜より蛇や蜥蜴を思わせる。
地竜は大きくなるほど動きがぎこちなくなるからな。
クルルゥ
長い首を震わせているのか、甘えるような声も低すぎて、正直びっくりしたが顔に出さないようにした。
だって嬉しいじゃないか。
この、竜みたいな生き物、俺に甘えてくれてるんだぞ!
地竜に選ばれずにもやもやと燻っていた気持ちが、歓喜に変わる。
こいつ、可愛いかもしれない。
すっごいでかいけど。
なんなんだろうな、こいつ。
小さい子犬みたいなもんならともかく、こんなにでっかいのに可愛いとか。
「なんだ、どうした?」
地竜たちが世話をさせてくれていた頃を思い出す。
思わず声をかけて手を伸ばしたけれど、するり、と避けられた。
俺の手を避けておきながら、不透明な黄色の瞳は俺をじっと見つめている。
期待のこもった様子で。
これは知ってるぞ。
遊んで欲しい、ってやつだろ。
お、なんだ、捕まえて欲しいのか?
「リサンデ様ぁっ!」
俺が素早く手を伸ばそうとした瞬間。
背後から悲鳴じみた男の濁声が聞こえた。
俺の手が黒い頭に触れるより前に、ばさり、と音がした。
巨体がなんの抵抗もないように、宙に浮かぶ。
グルラァアアアアアアアアッッッッ
街中に響き渡りそうな咆哮を上げると、もう竜で良いよなこいつ、は飛び去ってしまった。
「だあああっ、また逃げられたっっっ!!
追え、すぐに追い手を用意せよぉっっ!!」
背後の濁声の男は絶叫をあげながら、ばたばたと足音も荒く走っていった。
振り返った俺に見えたのは、黒い服を着ている背中、ってことくらいだった。
見上げた空には雲一つなくて、あの真っ黒い姿は影も形もなかった。
◆
あの、なにがなんだか分からない騒動から日が経ち、月末。
最後の慈悲という名目で、終業時刻ぎりぎりに広場に呼ばれた。
時刻は夕方。
地竜のほとんどは極端な昼行性で、夕方くらいから動きが悪くなる。
餌でつって呼びかけても頭を向けてくれるくらいで、まったく動かなくなる竜もいるほどだ。
ただでさえ地竜が反応しない時間に〝竜の試し〟をさせようなんて、本当に性格が悪い。
誰の発案にしろ、俺はもう仲間扱いされていないと、否応なく思い知らされる。
最後にしっかりと晒し者にしておいて、今後も俺をこき使うための序列確認。
騎士も見習いも含めて、大勢が賛同して加担している、ってことなんだよな?
通告を受けてから十日程度なのに、よくもここまで馬鹿に出来るな、と呆れる。
騎竜騎士の中には、同期の奴だっているのに。
八年もいて、疎まれていたかもと気づかない俺が悪かったのか。
それはそうと、俺は明日からの異動先を決めていないし、聞かれてもない。
その理由もわかった。
優しさなんかじゃない。
所属のない雑用係になれと言いたかったんだ。
「スターク・オグラスくん」
「はい、副長」
あの、竜だったら嬉しい黒いやつ、が現れた日から、直接的な暴力を振るわれることは無くなった。
俺に構ってる暇がなくなった、というべきか。
あの黒いやつが残した匂いだか存在感だか、まあ、人には感知できないなにかに地竜たちが怯えているようで、竜舎から出なくなってしまったのだ。
緊張状態で食が細くなって、排泄ができずに体調不良になった地竜を隔離しようにも、外に出ることを嫌がる。
運動量が足りていないからなのか、ひどく機嫌が悪くなり、地竜同士で傷つけあうことが増えた。
人が近づけば足踏みをしてしまうので、竜舎の掃除もままならず、不衛生な環境になりつつある。
漏れきいた話からは、こんな感じか。
以前から粗暴な行動が多かった騎士が、無理やり引き摺り出そうとした結果、怯える地竜に振り回された後に踏まれて、全治半年の大怪我をしている。
腰の骨を折っても復帰できるのは、周囲で金が唸っているんだろうな、と感心しきりだ。
0
あなたにおすすめの小説
お兄ちゃんができた!!
くものらくえん
BL
ある日お兄ちゃんができた悠は、そのかっこよさに胸を撃ち抜かれた。
お兄ちゃんは律といい、悠を過剰にかわいがる。
「悠くんはえらい子だね。」
「よしよ〜し。悠くん、いい子いい子♡」
「ふふ、かわいいね。」
律のお兄ちゃんな甘さに逃げたり、逃げられなかったりするあまあま義兄弟ラブコメ♡
「お兄ちゃん以外、見ないでね…♡」
ヤンデレ一途兄 律×人見知り純粋弟 悠の純愛ヤンデレラブ。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる