【R18】A pot of gold at the end of the black rainbow

Cleyera

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02 無為無策

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 柔らかな寝床で過ごしていると、時間の感覚がない。

 不思議なことに、空腹にならない。
 排泄も必要ない。

 記憶がなくても、生き物は食べて栄養を摂取して、排泄物を出すと知識がある。
 知識が間違っているのか、眠たい以外の欲求を感じない。

 おれは、本当に生きているのか?

 ただ、とろとろと暗い中で眠り続ける。
 目が覚めた時に、おれの側にはペルディディ・コル・メウムがいたり、いなかったり。

 変化は、早くから感じていた。
 一人でいたくない。
 不安になってしまう。

 暗い中に一人。
 体も動かない。
 不安にならないはずがない。

 でも言えない。
 好意でおれを寝床に置いてくれているらしい、ペルディディ・コル・メウムに、さらに要求をするなんて。

 ずっと側にいて欲しい、なんて、幼い子供のようではないか。
 おれは何を不安に思っているのか。

 周囲は常に暗い。
 今が朝か昼か夜か、分からない。

 まどろみながら過ごして、ようやく上半身を自分で起こせるようになった頃、おれを抱きこんでいたペルディディ・コル・メウムが言った。
 近すぎて、鼻の穴が話したかと思った。

 洞窟を風が通るような、ぼうぼうと耳の奥がおかしくなる声が、ゆっくりと紡がれる。
 とても優しく聞こえてしまって、おれは苦しい。

其方ソナタは、これからどうするのだ」

 考える時間はたっぷりあった。
 でも、考えたくなかった。

 この寝床でとろとろとまどろむのは、とても気持ちよくて。
 ずっとここにいられるような、そんな気がしていた。

「どうしようかな」

 正直に言ったら、目の前の白く濁った目が、呆れているような気がした。
 ふんす、と鼻から吐息が吹きかけられた。

 生臭いのに、嫌ではない。

「傷が癒えれば、ここにはおれぬぞ」
「そうなの?」
「うむ、ここは常世トコヨ幽世カクリヨぞ、常命ジョウミョウの者は入れぬ」
「……おれは、やっぱり死んでるのか?」

 ここが死後の世界だというなら、あまりにも穏やかで驚きだ。
 死んだ後も、眠いと感じるのは変だと思うけれど。

「いいや、死んでおらぬから落ちたのだ」
「どう違うんだよ」

 ゆらゆらと揺れる灰色のひげが、おれのほほに触れる。
 表面を細かな鱗が覆うひげは、色が濁って曲がっていても、しなやかで美しい。

「其方の魂が救いを求めて、我の死のトコに落ちたのだ」
「……」

 確信を持った言い方に、言葉が出ない。

 死の床?
 寝床って言ってたのに。
 どうしていきなり、そんな。

 おれは何も覚えていない。
 自分の名前すら。

 おれがどこの誰なのか、何をして生きてきたのか、なにも分からないのに、その通りだと感じている。
 ずっとここにはいられないのだと。

 これまでゆっくりとした鼓動しか知らなかった胸の奥が、警鐘を鳴らすように音を高くする。

ユエに聞く、其方はどうしたい」
「……貴方アナタは、どうすべきだと思う?」

 不思議なことに、おれ自身の返答は、初めからそこにあったように胸の奥に灯っていた。
 初めて自覚したのに、それをおかしいとも怖いとも思わない。


 ペルディディ・コル・メウムと一緒にいたい。


 側にいて欲しいのではない。
 おれが、側にいたい。

 ただ、目の前の傷ついてぼろぼろのペルディディ・コル・メウムが、おれをどう思っていて、どうしてここに置いてくれたのか、をどうしても知りたかった。

「どうもこうもなかろう、其方の魂は落ちてきたその時より、我がツガイになりたいと訴えておる。
 其方がまことに望むのであれば、我にできる返答は一つしかないのだ」
「つがい?」
「うむ、腹と胸に穴が空き、四肢を引き裂かれた姿で落ちてきたので、少々驚いたがの」
「……本当に?」

 つがいってなんだ?
 という疑問は吹っ飛んだ。

 体に穴が空いて……なんて、それ、普通なら死んでないか?
 体が動かないと思ったら、本当に死にかけていたのか?

 自分が何者か分からないことが怖い。
 そういえばおれは、ここで目覚めたその時から、死んだと思っていた。

 もしかして、犯罪で処刑されたのか?
 自分が何者か分からないのが、こんなに恐ろしいなんて。

「其方の魂は傷ついておるが、ケガれておらず腐敗もしておらぬ、みずからしき事に手を染めてはおらぬよ」
「あ、ありがとう」

 礼を言いながら思った。
 もしかして、おれが考えていることが筒抜けなのかと。

「我はペルディディ・コル・メウム、定命なる者の考えくらいは読める。
 さらに其方の考えは、とても分かりやすいからのう」
「そうなんだ」

 単純すぎると言われたようで、少しいらっとした。
 けれど、目の前の巨体はおれを馬鹿にするために、そう言ったのではない。

 そう、ペルディディ・コル・メウムは……。

 ふわり、と頬に触れる温もり。
 視線を持ち上げてみれば、目の前に、卵型の顔があった。

 頬に添えられた、枯れ枝のように細い手。

 人の顔。
 人の肉体。
 年齢のわからない小さな体。
 それでも、目の前にいるのはペルディディ・コル・メウムだった。

 白く濁った瞳。
 肌は荒れてただれてぼろぼろで、ところどころに皮膚の下の腐った肉が見えている。

 白と灰色の混ざったような髪は、引きちぎられたようにざんばらで、長さも揃っていなければ、質感も藁束のようにばさばさと乾ききっている。

「我が番となるか?」

 聞き取りにくい声。
 掠れて割れて、喉をつぶしたような声。

 その声の中に含まれる熱を。
 おれは確かに感じた。

「なる」

 ああ、おれはペルディディ・コル・メウムの側にいたい。
 こんなに強烈に、何かを望んだことなんて、これまでの人生でない。

 記憶がないのに、確信している自分に笑ってしまう。

 〝つがい〟ってなんだろうな、と思いながら。

 ペルディディ・コル・メウムと一緒にいられるなら、どんな関係でも良い。
 心の底からの激情でおぼれてしまいそうだ。

 巨体でおれを潰すことなど簡単にできるのに、一度もおれを傷つけようとしなかった。
 ずっと守っていてくれた。

 おれに何も強要しなかった。
 おれが自分で考えられるように、静けさと安らぎをくれた。

 そんな存在を好きにならずに、どうしろというんだ。

 つがい、がなにかを知らなくても。
 一緒にいられるなら、受け入れよう。

 そう思ってしまった。

 
   ◆










常世トコヨ幽世カクリヨは死者の国という意味ですが、ここでは生と死の間という意味で使っています
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