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02 無為無策
しおりを挟む柔らかな寝床で過ごしていると、時間の感覚がない。
不思議なことに、空腹にならない。
排泄も必要ない。
記憶がなくても、生き物は食べて栄養を摂取して、排泄物を出すと知識がある。
知識が間違っているのか、眠たい以外の欲求を感じない。
おれは、本当に生きているのか?
ただ、とろとろと暗い中で眠り続ける。
目が覚めた時に、おれの側にはペルディディ・コル・メウムがいたり、いなかったり。
変化は、早くから感じていた。
一人でいたくない。
不安になってしまう。
暗い中に一人。
体も動かない。
不安にならないはずがない。
でも言えない。
好意でおれを寝床に置いてくれているらしい、ペルディディ・コル・メウムに、さらに要求をするなんて。
ずっと側にいて欲しい、なんて、幼い子供のようではないか。
おれは何を不安に思っているのか。
周囲は常に暗い。
今が朝か昼か夜か、分からない。
まどろみながら過ごして、ようやく上半身を自分で起こせるようになった頃、おれを抱きこんでいたペルディディ・コル・メウムが言った。
近すぎて、鼻の穴が話したかと思った。
洞窟を風が通るような、ぼうぼうと耳の奥がおかしくなる声が、ゆっくりと紡がれる。
とても優しく聞こえてしまって、おれは苦しい。
「其方は、これからどうするのだ」
考える時間はたっぷりあった。
でも、考えたくなかった。
この寝床でとろとろとまどろむのは、とても気持ちよくて。
ずっとここにいられるような、そんな気がしていた。
「どうしようかな」
正直に言ったら、目の前の白く濁った目が、呆れているような気がした。
ふんす、と鼻から吐息が吹きかけられた。
生臭いのに、嫌ではない。
「傷が癒えれば、ここにはおれぬぞ」
「そうなの?」
「うむ、ここは常世で幽世ぞ、常命の者は入れぬ」
「……おれは、やっぱり死んでるのか?」
ここが死後の世界だというなら、あまりにも穏やかで驚きだ。
死んだ後も、眠いと感じるのは変だと思うけれど。
「いいや、死んでおらぬから落ちたのだ」
「どう違うんだよ」
ゆらゆらと揺れる灰色のひげが、おれのほほに触れる。
表面を細かな鱗が覆うひげは、色が濁って曲がっていても、しなやかで美しい。
「其方の魂が救いを求めて、我の死の床に落ちたのだ」
「……」
確信を持った言い方に、言葉が出ない。
死の床?
寝床って言ってたのに。
どうしていきなり、そんな。
おれは何も覚えていない。
自分の名前すら。
おれがどこの誰なのか、何をして生きてきたのか、なにも分からないのに、その通りだと感じている。
ずっとここにはいられないのだと。
これまでゆっくりとした鼓動しか知らなかった胸の奥が、警鐘を鳴らすように音を高くする。
「故に聞く、其方はどうしたい」
「……貴方は、どうすべきだと思う?」
不思議なことに、おれ自身の返答は、初めからそこにあったように胸の奥に灯っていた。
初めて自覚したのに、それをおかしいとも怖いとも思わない。
ペルディディ・コル・メウムと一緒にいたい。
側にいて欲しいのではない。
おれが、側にいたい。
ただ、目の前の傷ついてぼろぼろのペルディディ・コル・メウムが、おれをどう思っていて、どうしてここに置いてくれたのか、をどうしても知りたかった。
「どうもこうもなかろう、其方の魂は落ちてきたその時より、我が番になりたいと訴えておる。
其方がまことに望むのであれば、我にできる返答は一つしかないのだ」
「つがい?」
「うむ、腹と胸に穴が空き、四肢を引き裂かれた姿で落ちてきたので、少々驚いたがの」
「……本当に?」
つがいってなんだ?
という疑問は吹っ飛んだ。
体に穴が空いて……なんて、それ、普通なら死んでないか?
体が動かないと思ったら、本当に死にかけていたのか?
自分が何者か分からないことが怖い。
そういえばおれは、ここで目覚めたその時から、死んだと思っていた。
もしかして、犯罪で処刑されたのか?
自分が何者か分からないのが、こんなに恐ろしいなんて。
「其方の魂は傷ついておるが、穢れておらず腐敗もしておらぬ、みずから悪しき事に手を染めてはおらぬよ」
「あ、ありがとう」
礼を言いながら思った。
もしかして、おれが考えていることが筒抜けなのかと。
「我はペルディディ・コル・メウム、定命なる者の考えくらいは読める。
さらに其方の考えは、とても分かりやすいからのう」
「そうなんだ」
単純すぎると言われたようで、少しいらっとした。
けれど、目の前の巨体はおれを馬鹿にするために、そう言ったのではない。
そう、ペルディディ・コル・メウムは……。
ふわり、と頬に触れる温もり。
視線を持ち上げてみれば、目の前に、卵型の顔があった。
頬に添えられた、枯れ枝のように細い手。
人の顔。
人の肉体。
年齢のわからない小さな体。
それでも、目の前にいるのはペルディディ・コル・メウムだった。
白く濁った瞳。
肌は荒れてただれてぼろぼろで、ところどころに皮膚の下の腐った肉が見えている。
白と灰色の混ざったような髪は、引きちぎられたようにざんばらで、長さも揃っていなければ、質感も藁束のようにばさばさと乾ききっている。
「我が番となるか?」
聞き取りにくい声。
掠れて割れて、喉をつぶしたような声。
その声の中に含まれる熱を。
おれは確かに感じた。
「なる」
ああ、おれはペルディディ・コル・メウムの側にいたい。
こんなに強烈に、何かを望んだことなんて、これまでの人生でない。
記憶がないのに、確信している自分に笑ってしまう。
〝つがい〟ってなんだろうな、と思いながら。
ペルディディ・コル・メウムと一緒にいられるなら、どんな関係でも良い。
心の底からの激情でおぼれてしまいそうだ。
巨体でおれを潰すことなど簡単にできるのに、一度もおれを傷つけようとしなかった。
ずっと守っていてくれた。
おれに何も強要しなかった。
おれが自分で考えられるように、静けさと安らぎをくれた。
そんな存在を好きにならずに、どうしろというんだ。
つがい、がなにかを知らなくても。
一緒にいられるなら、受け入れよう。
そう思ってしまった。
◆
常世、幽世は死者の国という意味ですが、ここでは生と死の間という意味で使っています
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