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五、受け入れて、受け入れられて
55 志野木
しおりを挟む何故かは分からないけれど、俺は五鬼助さんに気に入られたらしい。
俺が寝かせられているベッド横の椅子に座り、人の姿でぶつくさ言っている東鬼の言葉を聞くと、そんな感じだった。
俺は別に東鬼が全ての元凶だなんて考えていない。
全てを教えてもらったわけではないので断言できないけれど、ただ巻き込まれただけだと思っている。
それでも突き詰めていけば、結局は東鬼が俺に色々と言ってなかったことが原因の一つだと思う。
あのあと、俺が疲れるから、と東鬼以外は部屋から連れだされていった。
五鬼助さんからの気遣い……なのかもしれない。
体がうまく動かせない状態に慣れていた上に、最近は寝込んでばかりなので今更だとは思うけれど、やはりよく知らない人に囲まれている状態は落ちつかないので助かる。
「ぜってえおやっさんと二人きりになんなよ!」
という東鬼に「子持ちの年上は好みじゃない」と言い返す。
自分のことなどどうでも良いと思えるほど惚れ込んでいる鬼に、他の男に近づくなと言われて、俺の矜持が傷つけられた。
しばらく接触禁止にしてやろうか、と思っていると、恐る恐る伸ばされた硬い指先が、俺の頬に触れた。
「……生きてる」
「ああ、生きてるよ」
「……良かった」
「……」
たった一言、顔を見せないように深くうつむいて呟かれた震える声に、東鬼の万感の思いが込められているようで、答えに詰まる。
傷ついた顔をする東鬼を見たくないからと、茶化して「死に損なった」とか言わなくてよかった。
東鬼が何を恐れているのか、ようやくわかった気がした。
俺が離れていくことを、恐れているんじゃない。
俺を傷つけ、最悪の場合は、殺してしまうことを恐れているのか、と。
結局のところ、何もかも俺が虚弱であることが原因なのだろう。
いいや、鬼の体力や腕力だと、俺がマッチョや格闘技の選手であっても、意味がないのかもしれない。
鬼の時の身長は三メートル超えで、おれの倍近くもあるのだから。
人と鬼の間には、あまりにも差がありすぎる。
そして、絶対に改善することができない問題でもある。
俺は生まれつき体が弱く、大人になっても変わらなかったのだから、これからも強くなることはないだろう。
とっくの昔に諦めているとしても、悔しい。
「ごめんな、おれ」
「東鬼」
言葉を遮る俺を、ようやく見上げた東鬼の目は、気のせいではなく潤んでいる。
自分でどんな顔をしているのか気がついていないのか、誤魔化すつもりなのか、口をとがらせてうめく姿に、なぜか愛おしさを覚えた。
「タッくんって呼んでくれって、何度も言ってんのに」
「さっきは嫌がったくせに」
「嫌がってねえよ、タカが笑うのがムカついただけだ」
「笑われたくないならタッくんなんて呼ばせるな、東鬼で十分だろ」
「おいおいタク、おれもお前も苗字がシノギだってこと忘れてねえよな?
そんなん特別感がねえだろが、やだよ!!」
自分でも〝くん〟付けで呼ばれんのが似合わねえなんて分かってんだよ!
本当のこと言うなよ!と情けない顔で言われてしまうと、俺まで困ってしまう。
別に東鬼を困らせるつもりなんてなくて、ただ、俺が日常的に〝タッくん〟って呼んでいるのかと思われたくないだけだ。
当てつけで呼ぶなら構わないけれど、どう考えても成人過ぎの男同士の呼び方じゃない。
東鬼の知人の鬼や、所長、首長さんにカミングアウトするのは決定事項だから良いとしても、他の人々の前では困る。
「俺にとっては、お前だけが特別なんだから、呼び方なんかどうでも良いだろ」
「っうう!?」
「……なんだよ?」
「タクは時々、無意識に爆弾落としてくるけどよ、我慢すんのつれえんだからな!!」
「爆弾ってなんだよ」
「があああ、気がついてねえのがムカつく、ほんとクソ可愛い!!」
「俺としては、お前の目が腐っているのが心配だよ」
痩せすぎの成人男性を可愛いとか言う東鬼は、本当におかしい。
鬼の価値観なんて分からないから、否定はしないけれど、同意もしたくない。
それでも、俺を好いてくれているのだと、俺だけなのだと思うと嬉しい。
あとは〝ごめん〟を言わないでほしい。
全て覚悟して受け入れているんだ、謝られると惨めな気持ちになる。
◆
五鬼助さんの知己だと言う、人の医者に治療を受ける予定が、東鬼がジョウタさんに連絡をしたことで、めちゃくちゃになった。
ジョウタさんには移動制限があるらしくて、俺を何処かに連れて行くだの、移動許可は出せないだので揉めたのだ。
移動制限ってなんだろうな。
前にジョウタさんが言っていた「市販の薬を使わないでくれ」が意識にあったのだろう。
それでも一応、相談してからにしろよ、と思ってしまう。
とりあえず、東鬼には説教をしておく。
さらに、五鬼助さんにも説教されたらしい。
前に言ってくれた「東鬼のしつけをする」という発言は本気だったようだ。
そんな風に忙しない中で治療を受けたり、東鬼に説教をしたりしながら、体が動くようになった俺は、五鬼助さんたちに礼を告げてから、久しぶりにアパートに戻ることになった。
俺の車を持ってきてもらい、東鬼の運転でエクサ第二ビルまで行き、仕事に行け!と東鬼を蹴り出した後に、アパートの近くに借りているガレージに向かう。
徒歩二分の距離をゆっくりと歩いて、久々にアパートの玄関を見たら、泣きそうになった。
玄関扉を開けてみれば、東鬼が最後に掃除をしてくれてから日数が経っていたので、床にうっすらと埃が積もっている。
締め切られていた室内の空気も、どんよりと濁っている。
窓を開けて換気をしながら掃除をした。
水も電気もガスも繋がっていたけれど、一度、口座の残高確認をしておかないといけないな。
所長の話では給料が支払われていると言うけれど、早く復職したい。
自分の意思で、東鬼の側で生きているのだという実感が欲しい。
調味料だけになっている冷蔵庫の中を確認してから、財布を持ってきてもらうのを忘れていたことに気がつく。
通帳とカードはあるから、とりあえず金を下ろして、残高確認もして、何か適当に食べて。
体調が戻ったら、早めに東鬼の住む寮でお披露目をして、引っ越し先を決めて……。
静まり返ったアパートの中には、冷蔵庫がたてる虫が鳴くような音だけが響いている。
寂しいな。
東鬼に会いたい。
まだ数時間も経ってないのに。
あの熱い体が、俺を見つめてくれる瞳が恋しい。
俺は溺れている。
東鬼の腕の中から、抜け出せない。
もう二度と、浮き上がることは出来ないだろう。
東鬼。
俺の全てを賭けて。
愛してる。
ふと気がつけば、ラグの上で転がったまま寝ていたようだ。
春めいてきているとはいえ、体が冷えてしまっていた。
スマホを取り出して、東鬼からの連絡が来ていないか確認をする。
まだ昼前だ。
寝ていたのは三十分ほどか。
こんなに静かに何もせずに過ごすのは、いつぶりだろう。
なんだか、モヤモヤする。
こういう時は、何も考えずにドライブすべきだ。
俺が動けなくなっている間、東鬼に車を使って欲しいと頼んで、鍵も渡してあった。
意識を取り戻すまでの約一ヶ月間、全く乗っていなかったので心配していたけれど、特に何も言われなかったので問題は起きなかったのだろう。
放っておけばバッテリーやエンジンの調子が悪くなってしまう。
ブレーキ周りも錆びついてしまうだろう。
何もかも東鬼に任せっきりだな。
思い立った時がその時だ。
鍵を手に、部屋を出た。
街の中を目的もなく走り、山道を抜け、トイレ以外には何もない展望台へとたどり着く。
漫画みたいに峠を攻めるなんて、道が整備されていないと事故を起こして終わりだよな、と思いながら、安全運転でここまでやって来た。
職場から家までの道のりは、慣れがあったから平気だったのに。
久しぶりの運転で、勘を取り戻すのに苦労した。
元から運転が上手いわけではないから仕方ないのか、下手の横好きだな。
そういえば、せっかく職場のビルに行ったのに、顔を出しそびれたな。
まだ元気ではないけれど、無事ですって直に顔を見せて言った方が、良かっただろうな。
ポツンと一つだけ置かれた自動販売機で、温められすぎの缶コーヒーを買い、塗装の剥げた手すりに腕を乗せて、春霞みで白く見える街並みを見下ろす。
遠くにはまだ冬色の黒々とした山々が横たわり、所々に白や桃色が見える。
野山が緑に萌えるにはまだ早い。
「……」
遮るもののない冷たい春風が、体温を奪っていく。
冬物の上着を着てくるべきだったな、とステンカラーコートの襟を立てた。
もともと筋肉量が少なかったのに、この半年ほどでさらに痩せてしまった。
パンツはベルトの穴を増やして腰骨で止められるから良いとしても、シャツの布が余る。
肉をつけるにはトレーニングが一番だと知っていても、筋肉がつきにくい体質で腹も弱いから、元に戻すのに苦労しそうだ。
コーヒーを飲み干して、春の日差しで温められているだろう車へと戻る。
軽の車内は狭いけれどすぐに温まるから、風は強いけれど日差しのある日なんかは、割と暖かく過ごせる。
日常を取り戻したい、東鬼と何事もなく過ごす平凡な日々を。
途中で買い出しをしてアパートに戻る頃には、言葉にできなかったモヤモヤとした気持ちは消えていた。
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