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二、伝えられないまま
23 東鬼
しおりを挟むゴンゴンと部屋の扉が叩かれた。
振り返ると同時に、二メートル以上の高さのある引き戸が開かれていく。
「入るぞ」
「ああ、ガワさんか」
「おいおい、ひっでぇ顔だな。
お前のおひいさまは見ててやるから、ちょっと寝ろよ」
「おれが寝てる時に、タクが起きたら困る」
「そんときゃ己が世話してやるって」
「……信用できねえ」
「一ヶ月も不眠不休でやっと本音を口にしたか。
鬼ってのは本当に難儀なもんだな」
飲め、とガワさんに手渡された手に乗る大きさの寸胴鍋の中身は、お茶か?
何リットルあるんだか知んねえが、こんなにいらねえよ。
「お前用の栄養剤だ、あと、性欲を抑える効果もある」
それを聞いて一息で鍋の中身をあおった。
いくら母親を抱いても気持ちを向けられず、酒に逃げる親父の気持ちが分かりすぎて、死にたくなるほど落ち込んできた所で、少しだけ救いに思えた。
逃げた先が酒じゃなくて、ガワさんの薬ってだけだ。
正直、自分の手で慰め続けんのも限界だと感じ始めてる。
いくら射精しても、満たされねえ。
体で快感を追ってどれだけ吐きだしても、タクを求めることが原因の性欲だから、タクに突っ込まねえと鎮まんねえ。
タクの匂い、タクの体温、タクの声、タクの存在の全てが、おれを狂わせる。
おれを見てくれなくても良いから、突っ込みてえ。
タクのハラワタに包まれたい。
でもな、それをやったらおしまいだって、分かってんだよ。
際限なく、珍宝をタクに突っ込むようになる。
親父が母親にやってきたことと、全く同じことをするわけだ。
この先何十年も、タクがズタボロになって死ぬまで。
おれがタクを使い潰すまで。
クソだ。
おれはクソな鬼だ。
親父をクソだと思ってたが、血は争えない。
油断すると、クソみてぇな衝動に屈してしまいそうだ。
「……少し休め、根を詰めすぎても碌なことねえぞ」
ガワさんの声を聞きながら、急に重たく感じ始めた体をマットレスのすぐ横の板間に横たえる。
手を伸ばせばタクに触れられるように、マットレスに半身をくっつける。
だるい。
眠い。
しんどい。
まぶたが重てぇ。
タクの様子を見てねぇといけないのに。
タクが苦しんでもがいて起きたら、薬を飲ませてやらねえといけないのに。
ディルド突っ込んでやらねえと。
発散してやんねえと。
助けて、くれ。
おれがタクを助けてやらねえと。
「なんか眠くなってきた、ちょっとだけ頼んでいいか?」
「おう、お前のおひいさまは、己の趣味じゃねえから心配すんな。
嫁はもっと甘えん坊じゃねえとな」
「うっせえ、クソガッパ……」
泥の中に沈むような眠りに落ちていきながら、ガワさんが、不出来な子供を見るような目でおれを見ていることに、ようやく気がついた。
独身寮の妖たちに、おれがどう見られてるのかなんて、これまでは考える余裕もなかったな。
あんだけビビって怖がってたくせに、今になってガキ扱いしてくるって、どういう事だ。
ガワさんだけは、初めっから変わんねえけどよ。
ガキでも若くても、おれは鬼だぞ。
妖の中のぶっ壊し屋、何もかもめちゃくちゃに破壊する、クラッシャーだってのに、なんで「しょうがねえなあ」って言いそうな顔してんだ、フザケンナ。
おれがタクを助けるんだ。
タクはおれのもんだ。
おれだけの、タクに、してえよ。
ずぶずぶと沈んで溺れてく途中で、タクの声が聞こえたような気がした。
怒ったような、拗ねたような声で「泣くなよアホ!」って。
なんだよ、泣いてねえよ。
鬼は泣いたりしねえんだよ。
◆
目が覚めると、体がいつもよりも重かった。
自覚はなかったが、疲れきってたのか。
いいや、これは一服盛られたな、なんのつもりだあのクソガッパ。
栄養剤と性欲を抑える薬じゃねえのか?
髪の毛を掻き毟ろうとしたら、腕が上がらない。
なんだ?と思いながら、腕を使って体を引き起こそうとすると、気づかねえうちにマットレスに乗り上げかけてるおれに、何かがくっついてた。
元から痩せてたのに、今では骨の凹凸までくっきりと浮き上がる、細すぎる体。
鬼の手ではちゃんと洗って乾かしてやれなくて、元はサラサラだった黒髪は、ぼさぼさになってる。
筋肉が減ってしまった体は体温が低く、無意識に抱きしめようとして、それが何か、いや、誰なのか気がついた。
「……タク?」
「なんだ」
「タク?」
「そうだよ」
「タク、なのか?」
「しつこいぞ、なんどもよぶなよ、さむいからうごくなアホ」
応える声はささやきのように小さくて、たった少し話しただけで呼吸を荒くする。
げっそりと頬がこけた顔の色も、青白いを越えて土気色だったが、まぶたを上げたタクの目にはおれがうつってた。
瞳だけが、以前のタクと変わらない光を放っている。
おれを、見てる。
タクが。
「た、タクぅっっ」
「ぅおっまて、くるしっ」
ぼすんとマットレスの上に押し倒したタクを抱きしめようとして、おれは自分が鬼の姿のままだってことに気がついた。
なんで、タクは今のおれと普通に会話してんだ?
姿が違う、声が違う、何もかも違うはずだ。
三メートル以上ある朱塗りみてえに真っ赤な筋肉の塊と、人間の警備員を同一人物だと繋げられる奴なんて……いねえだろ?
「タッくん。
〝おに〟のコスプレでもしてるのか?」
力なく伸びきった仰向けの姿勢で、おれを見上げるタクの目には、静かな光が小さく燃えてる。
無残にやつれて痩せてしまった顔の中で、強い意志を持つ瞳だけが一等星のように光ってる。
この感じは知ってる。
前に、興奮しすぎてタクを抱きつぶした時に、おれに向けられた目だ。
とっさの反応を外に出すのが苦手で、表情が動きにくいタクだが、形の良い切れ長で一重の目には、分かりやすく感情が出る。
音もなく静かに、ものすごく温度が高くて圧力を高めた怒りが、研ぎ澄まされた憤怒が、タクの中で噴火寸前になってんのが見えるようだ。
きれいだ……って見とれてる場合じゃねえよっ!!
「……す」
「?」
「すいませんでしたぁあああああああっっっっっ!!!!」
「……アホか!!あやまるまえにいう、っ、けほっぇほっっけほっ」
声を張ったのが負担になったのか、力なくむせる骨ばった背中を撫でる。
大きく息を吸って咳ができないからなのか、なかなか咳が止まらない。
指に触れる背中が、骨に皮膚をかぶせたような状態で、胸をえぐられるように辛えけど、目をそらすわけにはいかねえ。
タクが、正気を取り戻してくれた。
嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて、目の前がぼやけた。
「なくなよ、おまえ〝おに〟なんだろう?」
「鬼は泣いたりしねえっ」
「あ、そ、かおぐっちゃぐちゃにされていわれてもな、けほっ」
ほんの少し話しただけで、苦しそうにふぅふぅと呼吸を荒くしている背中を、優しく優しく撫でる。
人にならねえと、人の姿じゃねえと壊しちまう。
あぁ……なんだよクソッ、うまくいかねえ。
人の姿になれねえ。
タクだ、タクだ。
おれのタクだ。
おれが言った言葉に対して、こいつ仕方ねえなって感じで、呆れたような言葉が返ってくる。
言葉では呆れてんのに、おれに向けられる瞳には、怒りとなんかよく分かんねえもんが、ぐるぐると渦巻いて見える。
こちらに向けられた顔は痩せこけてしまってんのに、その目が、感情をうつしてめまぐるしく色を変える瞳が、おれを見てくれてる。
おれだけを見てる。
何もかもおれのせいだ。
責任取らねえと。
おれが、タクを幸せにしないと。
誘拐する気も起きねえくれえ、タクに匂い付けしねえと。
「なんでもするから嫁になってくれ!!」
「……ほんとうにアホだな」
今にも死にそうな顔色のタクが、疲れたように言い、そして笑う。
照れたような、怒っているような、照れ隠しのような、なんとも言えないぎこちない笑顔で。
「俺がよめになるんじゃなくて、おまえがむこにくるんだよ」
「ふへ?」
「俺はひとりっこなんだ」
「……おう、わかった」
目を細めるタクの拗ねたような笑顔が、掠れたささやき声の告げた内容が、おれの止まってしまった時間を、再び動かし始めた。
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