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二、伝えられないまま
18 東鬼
しおりを挟む顎を外しそうなほど口を開いて、牙をむきだして狂ったように笑う伯父の姿に、おれは後悔をしていた。
話したくないと渋る叔父に、父親が殺してしまったという相手のことを、詳しく聞いておくべきだったと。
伯父の言葉の意味が理解できてしまった。
最悪の形で。
かつて親父が殺したと聞いた一人、それが誰かをおれは知らない。
知ろうともしなかった。
暴走した親父が、どうして無罪放免されたのか。
鬼の中で最も身体能力が高く、鬼の代名詞である赤鬼だからかと思ってたが、それだけじゃなかったのか。
予想でしかねえけど、殺した相手が鬼じゃねえ、のか。
伯父のおひいさまだった、のか?
「親父が誰を、殺したって?」
それでも、あえて聞く。
おれの勘違いだと言われたくて。
ここで伯父に情けを期待すんのは間違ってると知ってるから、おれには関係ないのにと苛立ちながら。
「聞かされてないのか?他人のおひいさまに手を出したら、ぶち殺されるのが常識なのに、あいつが強い鬼だから殺せなかった!!
私の代わりに里のカスどもが手を下すかと思ったのに!お前の親父はっ、あっ、あのクズ野郎は!赤鬼だからって生かされてる!!
強い鬼の血を残さないといけないからとっ!あのヤク中のクズと一緒にぃいいっっ!!」
母親が薬漬けにされたのは、母親の意思じゃない。
親父が赤鬼なのも、親父の望みじゃない。
そんな当たり前のことを言っても、今の伯父には通じねえんだろう。
奪われたものへの妄執に取り憑かれている伯父には。
目をらんらんと光らせて、鬼そのものの獰猛な顔で笑う伯父にとって、行われた暴挙が親父や母親の意思かどうかなんて関係ねえのか。
「私のユキオをっ!おひいさまを殺したくせにぃぃいいいっっっ!!」
喉から血を吐くような悲痛な咆哮が、みしみしと家を揺らす。
興奮しすぎて肩で息をしている伯父の体から、ゆらゆらと蒸気が立ち上る。
憤怒が全身の筋肉を膨張させて、体温を過剰に上げている。
おれは、思い違いをしてたのか。
おひいさまは使い捨てじゃねえのか?
……少なくとも、おれにとってのタクは、そうじゃない。
伯父の気持ちが、おれには分かる。
でも、それとこれとは話が違うんじゃねえか?
なんでおれと、おれのタクが巻き込まれてんだよ!
親父と伯父の確執におれを巻き込んでんじゃねえよっっっ!!!
「うるせえよ!文句があんなら親父に言えぇぇっっっっ!!」
怒鳴り返しながら壁を殴ると、拳が二階部分の壁をぶち抜いてしまった。
うお、脆い!?と焦りつつ、一気に見下ろすことになった伯父を見ながら、本性で三メートル超えのおれには人間向けの屋根の高さだと狭すぎる、と気がつく。
これ、壁をぶち破らないと、外に出られなくねえ?
おれは親父がしたことに関係ねえだろ!!って思ったら、つい鬼に戻っちまった。
しまった。
今まで鬼の姿にならないように我慢してきたの、無駄になっちまったじゃねえか。
「おれが伯父さんに何したってんだよ!」
「お前は、里に戻ってこない気だろう?それなら、おひいさまだっていらないじゃないか。
鬼として生きなくちゃいけないことからカイホウされるおまえにおひいさまなんていらないだろう!?
それならおひいさまなんていなくていいんだよっっっ!!」
もう滅茶苦茶だ。
興奮しすぎている伯父の声は歪んで、雷鳴のようにゴロゴロと喉を鳴らして唸ってっから、ちゃんと聞き取ることも難しい。
それでも伯父のおひいさまが親父に殺されたと知った。
きっと、半殺しにされたもう一人ってのが伯父だ。
おひいさま(の命)を奪われたのに、相手の鬼を殺すどころか返り討ちにされた。
これは鬼の里での地位を守るためには、致命的な出来事のはずだ。
薬番だから、里にいないと困るけれど、最底辺の鬼として扱われる。
鬼の里で暮らしたことのないおれでも知ってる常識だから、今の伯父は、里での立場がない村八分状態なのかもしれない。
この家は、誰の助けも得られない伯父が、自分で建てたもんなのか。
自分のおひいさまを奪われて泣き寝入りなんて、弱さを露呈するも同じ。
鬼にとって一番まずいことだ。
二人の間に何があったか、おれは知らない。
でも、なんで無関係のおれを巻き込むんだよ。
おれはただ、タクと二人で暮らしていけりゃそれで良かったのに。
「鬼とか人間とか関係ねえんだよ!!」
もう二度と、里に関わるもんか。
おれはそう心に決めて、伯父の家の壁を思い切りぶん殴った。
柱と丸太を積んだ壁を一気にぶち抜いて、ガラガラと家が崩れる中を走り抜けて、里の中を走り弟を探す。
頭に血が上って暴れちまうとこなんか、本当におれは親父の子で赤鬼だ。
くだらねえよな。
そんなことを考えて怒りの矛先を逸らしながら、なんとか周辺にあるものを破壊したい衝動を抑え込む。
どうでもいいことを考えてねえと、そこらのもんを全部ぶっ壊したくてうずうずしちまう。
「隆仗どこだあああっ!!」
咆哮に妖気を乗せて、周辺に響かせるけれど、里中にうちの騒動が広まってんのか、誰も出てこない。
鬼として日常的に行う殴り合いは好きでも、おひいさま関連だと本物の殺し合いになるから、関わるべきか様子を見てるんだろう。
おれが赤鬼だから、殴り殺されると思ってんのか?
それか、里に住んでないおれに、関わりたくねえだけかもな。
くそ、くそ、くそっっ!
タク、どこにいんだよ。
タク、頼むからおれ以外のやつの珍宝を咥えこむなよ。
そんなん見せられたら、おれ、どうなっちまうか分かんねえよ。
「……兄貴、遅かったな」
砂利を踏む音に首を巡らせれば、そこには金髪でオールバックのチンピラ……ええ、今時そんな格好してるやついんのかよ、と言いたくなる服を着た弟の隆仗らしい人の男がいた。
ド派手なアロハシャツに、刺繍まみれのパンツ、つま先の尖った革靴って……こいつは何を目指してんだ?
ずっと会ってなかったとはいえ、なんでそれよ?と今の弟の格好が衝撃すぎて、とりあえず怒りがちょっとおさまっちまった。
「てめぇ何してくれてんだよ」
何年も会ってない弟が人に化けた姿で姿を現した。
格好はチンピラらしすぎるが、中身はどうだろうか。
弟の隆仗は青鬼で、青鬼ってのは冷酷で残忍な面なら鬼の中で随一だ。
里外の叔父の家に預けられていたおれが、まだ人の姿に化けられなかった頃。
祝い事があるからと里に呼ばれて、伯父のところに預けられていると話だけは聞いていた弟と、初めて会った。
そしておれはその日、鬼の里に住むってのがどういうことなのか知った。
調理済みの人間の食事しか知らなかったおれに、鬼の里での宴会は血生臭すぎた。
さっきまで一緒に鬼ごっこをして遊んでいた幼い弟が、祝いの席に用意されていた生きたままの鶏を、わざと時間をかけて引き裂いてむさぼり喰う姿を見てから、おれは弟の前ではいい兄貴を演じてる。
なんかこいつを怒らせたくねえなーって、本能的に思ったんだ。
店売りの血抜きされた肉より、踊り食いを美味いと思うのが鬼だとはいえ、鬼のほとんどは一瞬で鶏の命を終わらせて、食事として喰っていた。
死にかけの鶏が暴れたら肉が不味くなるだけで、食材の味を落とす必要なんてない。
生きた鶏を食うのは、里の鬼にとっては白魚の踊り食いみたいなものだと思う。
ちなみにおれは、踊り食いは好きじゃない。
その中で、弟と同じようにわざと残酷な過程を経て食事を楽しんでいるのが、青鬼ばかりだということに、おれは気がついた。
青鬼は敵に回したくない、と思って、それなりに振舞ってきたおれが間違ってるのか?
それで、少なくともこれまで仲が悪くなかった弟が、なんでタクをさらった?
「何って、兄貴を助けたんだよ」
「助けられてねえし助けてくれとも言ってねえよ、おれのタクを、おひいさまをどこにやった?」
「兄貴、五鬼助のおやっさんから縁談が来てんだろ?可愛い鬼女だって話じゃんか、あんな骨と皮だけの人間の男なんかやめとけって。
大丈夫だって、あのホモ野郎にオニグルイ飲ませてやったんだ。
おねだりしたら突っ込んでやれって、見張りを頼んだ雄太と雄吾に言っといたから、今頃は二本の珍宝を咥えて喜んでるだろうよ」
「……」
どこかで、ぶつん、と音が聞こえた。
◆
次より二話、残酷描写回避のため、回想に入ります
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