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23 再度旅路
しおりを挟む私は一般エルフだ。
エルフには人種族のような階級がない。
人口が少なくて、階級社会になりようもない。
王はいる。
けれど忠誠を求められる事はない。
エルフが忠誠を捧げるのは、身近にいる大切な家族だ。
物理的な距離は、心の距離と言う。
私は里には帰っていないけれど、手紙のやりとりはまめにしていた。
物理的な距離を心の距離にしないようにと、気を付けていた。
そうしないと両親が心配し過ぎて里を飛び出すと思ったからで、その懸念は正しかった。
今回の事を相談したら、思いもよらない展開になった。
あれよあれよという間に、人種族との外交役をしている里と連絡がつき、あっという間に他の里にまで話が回って、いつの間にやら人種族に教授した全ての知識と技術を引き上げる、なんて話になりかけた。
私への実害は一切ないにも関わらず、だ。
ドワーフの工房を燃やされたからエルフが援助を切り上げる、のは展開としておかしいだろう。
言いたいことは分かる。
私の恋人なら、エルフにとって家族も同然。
会ったことないけど、二百年一緒にいるなら伴侶扱いが当たり前、と。
嬉しいけれど、困る。
親が子へ捧ぐ愛情というのは本当に重たい。
うちの親は里の中でも最重量級だと思っていたので、使い所を間違えないように気を付けて来たのに。
結局、私が動く事になった。
そうしないと両親が来てしまいそうだったので。
わざわざ誰かをこちらに来させるより、自分で片づけますから来なくても大丈夫ですよ、という事だ。
元よりブレーのために動く覚悟はあったけれど、シンネラン国の最高責任者に会う機会はいらなかった。
支部長に任せて終わりにしたかったけれど、そうも言っていられない。
私は、一般エルフだ。
一般の凡庸エルフとして扱ってくれ。
旅の間、ブレーもこまめに出身窟と連絡していた。
通信の魔法道具を使っていたので、旅の間にドワーフ流の遠隔飲み会に私も混ぜてもらった。
とりあえず「飯をくえ、肉をつけろ」という言葉を千回くらい言われた。
飯は食っとるが、筋肉がつかんのだ。
とブレーの口調に似せて言ったら、げらげらと笑われた。
酔っ払いの一発芸位には盛り上げられて良かった。
エルフの平凡おじさんは、ドワーフたちには骨と皮だけに見えるらしい。
骨と皮は怖いな。
酔っ払ってご機嫌なブレーが「細っこくても抱き心地はええし鳴き声がかわええぞぉ」とか言うので吹っ飛ばしたら、「こりゃあ良い嫁だ」と言われた事は嬉しかった。
それ以上に恥ずかしかったけれど。
仲間を大切にするブレーが愛おしい。
私を大切にしてくれるブレーが大好きだ。
私が生まれ育った里のエルフたちも、いつまで経っても心配してくる。
嬉しいような、困るような。
私は普通のエルフだ。
人種族の敵ではない。
怯えられる覚えはない。
とても失礼だ。
◆
ホーヴェスタッド支部長に手回しをしてもらっている間に、私もできる事をやった。
実際に人種族の王族に会うとなれば、それなりの準備が必要だ。
とりあえず、ブレーの安全を守る。
それから、ブレーの安寧を守る。
さらに、ブレーの平和をとり戻す。
完璧な作戦だ。
ブレーの工房があった焼け跡は、付き合いのあった組合の協力で更地にされていたので、話し合いに赴いて新しい工房を建ててもらうことになった。
土地はブレーが購入済み。
間取りや収納は、できる限り前の工房と同じように作ってもらう。
使い慣れとる間取りがええ、と言うブレーの言葉そのままに。
もちろん私の部屋も。
細々とした所を話し合っているのを私は聞き流した。
人種族の法令や建築基準云々に則していれば、それ以上は望まない。
資金は、ブレーが各組合からの報酬を預けていた事で十分に足りると言う。
さすが先見の明にあふれるブレーだ。
やはり、ブレーはこの街を離れる気がないらしい。
それなら、私もこの地に骨を埋める覚悟をするべきだろう。
今回の事で私は知った。
ブレーを失ったら、私は生きる屍になる。
里にいた頃に両親が面倒を見ていた大叔母のように、一日のほとんどを揺り椅子の上でぼんやりと過ごし、徐々に動けなくなり、木の一部のように穏やかに朽ち果てていく。
そうなるだろう。
大叔母の伴侶は、三百歳ほど年上だったという。
添い遂げて、寿命で穏やかに別れた。
死別を覚悟の上で伴侶になったらしいが、現実に訪れた絶望を、大叔母は受け止めきれなかった。
ドワーフは、エルフよりも寿命が短い。
そしてブレーは私よりも少し年上だ。
寿命を全うしたとしても、私より先に死ぬだろう。
私はブレーと結ばれた事を後悔しない。
朽ち果てる未来しかなくても。
里に残っていても、これほどの幸せを得る事はできなかっただろう。
私にはブレーが必要だ。
ブレーが心安らかに幸福な生活を送っている姿が、私に必要なのだ。
全ては私自身のために。
ブレーに幸せを差し出したい。
宿暮らしをしていた数日後、私たちはシンネラン国の王都〝ホイ・ビフォルクニン〟へと旅立った。
突然、迎えが来た。
人種族が使う馬車は苦手なので、私は馬を用立ててもらった。
ブレーは馬に乗った事がないそうで、二人乗りは諦めた。
私の腕力では、ブレーが落ちそうになったら支えられないからな。
裸馬に乗らないでほしい?
申し訳ないけれど、金属なめしの革や金具に触れたくないので、これが最良だ。
長時間触れていると、かゆくなる。
獣の解体も一日中はできない。
かゆくなる。
母も同じだったので、エルフの体質なのだろう。
厄介だ。
「疲れておられませんか」
「ああ、問題ない」
裸馬にまたがっている私に、王都から派遣されてきた護衛がたびたび声をかけてくる。
監視なのか護衛なのか知らないが、全身を金属の鎧で覆ったまま近づくな。
「エレデティさま」
馬車の窓が開けられて、侍従とかいう人が顔を覗かせた。
「シュモクロスさまのお加減が」
「馬車を止めて」
これまで庶民向けの、開口部が広い乗り合い馬車にしか乗った事がなかったらしいブレーは、小窓しかない豪華な馬車に酔った。
体調不良の酔いだ。
周りが見えない事もさることながら、馬車と共についてきた人々が……くさい、からだろう。
香水と呼ばれるものだ。
上流階級の人々が楽しむもの、雅な趣味である、と人種族の本に書いてあった。
嗅ぎ慣れない香水の臭気に苦手意識を持ったらしい。
軋轢を起こしたくないブレーは、我慢して体調を崩している。
これで三度目だ。
半日で三度目。
これ以上、ブレーを我慢させるのは、私が辛い。
「ブレー、これ以上は私が耐えられない」
「うう、だがな」
「到着が遅れるのは、彼らにとっても良くない」
護衛や侍従は仕事をしているのだ。
香水臭いから全身を洗えと言われて断ったら、それは職務を放棄した事になるだろう。
多分。
「分かった」
ブレーの許可が得られたので、私は遠慮しなかった。
二人の侍従を、服を着たままでまるっと洗って乾かした。
馬車の中に匂いが染み付いている気がしたので、馬車もまるごと洗った。
完全に脱臭するには魔法の規模を大きくしないといけないので、水洗いだけ。
一応、人種族の前で派手な魔法を使わない、位の心遣いはする。
ブレーに大丈夫か聞いたら、かなり楽になったと返事が得られたので、とりあえずこれで良しとしておく。
彼らが所持していた香水瓶は布で巻いて革袋に入れて、客車の後ろにぶら下げてもらった。
外で臭っている分には気にならないだろう。
四人の護衛が呆然としていたので、告げる。
「では、進みたまえ」
「……は、はいっ」
職業意識の高い良い護衛と侍従だ。
この後は大変に快適な旅路になった事を、彼らを寄越してくれた者に感謝として伝えよう。
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