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10 不穏の気配
しおりを挟むブレーと久しぶりに一緒に過ごすのが嬉しくて、周りに意識が向いていなかった。
豆をつまみ、店主の奥方手作りだという野菜の酢漬けを頂き、わたしは幸せな気分だった。
ブレーは炭で焼かれた肉の塊を食いちぎり、酒に舌鼓を打っている。
人の飯は久々だ、と嬉しそうな姿にほっこりする。
人種族の出入りが多いこの街は、時におかしな人種族も迎え入れてしまう事を忘れていたわけではないけれど、ふわふわした心地に浸って周辺の注意が散漫になっていた。
「お前が噂のエルフか!」
背後から唐突にかけられた大声に、反応しそびれた。
あーびっくりした。
ブレーが横にいなかったら、椅子から飛び上がっていたかもしれない。
噂とは一体?
エルフと呼び捨てられるのも、あまり好ましくない。
人種族にだって、この普人族が!、と種族名で叫ばれて喜ぶ者はいないだろう。
振り返るのも面倒で無視したいが、人種族は理由もわからずに激昂するので、気がつかなかったふりは良い判断ではないと、これまでの経験で思っている。
「……」
とりあえず、一瞬だけ視線を向けて、なにか言いたそうな顔をして終わりだ。
これが一番の安全策なので。
酒場の扉を開いて入ってきたらしい魔人族の男が、外套を羽織ったまま仁王立ちしていた。
何事か、と扉の側に控えている用心棒が腰を上げかけている。
いきなり背後から種族名で呼びかけられても、反応に困る。
初対面の赤の他人が私の名前を知っている事があるので、この街の人種族への反応はしづらい。
「どういうつもりだ、名乗れ!」
あれ、いつもと反応が違う。
名乗られていないのに、名乗らなくてはいけないのか?
人種族は、敵対意志はありませんよと訴えるために、自分から名乗るのが正しい作法だと教わったのに。
人種族の名乗りは短いから、名を聞いても所属先がよく分からない。
それなのに名乗ってもくれないなんて、どうしたら。
あーそうか、なるほど、酔っ払いか。
それとも、たまによく分からない理由でからんでくる、血気盛んな若者かもしれない。
寿命が短い人種族の年齢は、外見からは分かりにくいからな。
一人の時なら相手をしてやっても良いけれど、今はブレーと過ごす時間を楽しんでいたい、諦めてもらえないかな。
「お客さん」
男のさらに背後から、用心棒が静かに声を掛ける。
そして。
どぱんっ、と水袋が破裂するような音に、がつん、と床を叩く音が続いた。
「……あ」
失敗した。
突然、男が振り返りながら用心棒に武器を振るったのだ。
魔術道具にしか見えない武器を。
近接戦闘が苦手な私は、武器を見ても使い方が分からない。
どんな攻撃をされるか分からないので、咄嗟に用心棒と私たちの前面に一つずつ『反射障壁』を張った。
まさか、武器から放たれた衝撃波が二枚の障壁の間で往復し、それを一身に浴びた男が倒れてしまうなんて。
反射ではなくて、衝撃吸収にしておくべきだった。
でもあれ、魔法式が長くて面倒くさいから、咄嗟に発動しにくくて使いにくい。
「お客さま、ご無事ですか?」
「ああ」
目の前の男が武器を振り上げたかと思えば、勝手に吹っ飛んで見えない壁に叩きつけられて倒れた事に驚いていた用心棒だが、荒事に慣れているからなのか、まず私たちの心配をしてくれた。
そういえば、用心棒の声を初めて聞いた。
私たちの心配より、武器を向けられた自分の無事を確かめるべきなのでは?、と思いつつ、大丈夫だよと手を振っておく。
「なんだ、今のは?」
「さあ、なんだろう」
荒事に無縁のブレーは、なにが起きたのか見ていなかったらしい。
この店にはそれなりの回数を訪れているけれど、こんなの初めてだ。
私にもうまく説明できる気がしなかった。
店主と用心棒が、やってきた衛兵たちに起きたことを説明した後、私も当事者になっているので、と衛兵の前に座った。
「それでは、使われたのは防御の魔法であると、おっしゃるのですね?」
「そう、攻撃や魔法を反射する障壁」
森の中で自給自足生活を送るエルフは、魔法を使えなくては生活できないので、全員がそれなりに使える事が当たり前だ。
私は防御と補助魔法は得意だ。
魔法式を人種族に見せた所で再現はできないだろうが、一応、見せる必要があるなら、魔術への深い理解と知識を持っていて、安全管理ができる人の同席を頼んでおく。
男が持っていた武器は、私が魔術道具だと言ったので、衛兵が魔術封じの魔術道具の箱に入れていた。
医療所へ運ばれていった男がどうなるかは不明。
全速力で壁に激突する、を二回続けて行ったようなものだから、体内が潰れて壊れてない事を祈る。
「帰ろう」
「そうだの」
「あ、はいっ、またお話がある時は伺いますっ」
一通り話をして、もう言う事もないだろうとブレーを振り返る。
衛兵たちに見送られながら、店を後にした。
「最近、街が物騒だ」
歩きながら、そういえば前に本物の精霊石が街に運び込まれていた、とブレーに告げた。
「んー、わしもちっと周りに聞いてみるか」
まさか、変なもんが流入してきてはおらんだろうな、と困ったようにこぼす言葉が、本当になるなんて、思いもしなかった。
◆
翌日、私はブレーと共に、魔術道具組合に呼び出されていた。
私の助けが必要だ、とブレーに言われてほいほい来てしまったけれど、あまり来たくなかった。
「大変、ご迷惑をおかけしました」
見覚えのある黒髪を結い上げた魔人族の女性に、床に打ち付ける勢いで頭を下げられた。
人種族の謝罪の姿勢なのは知ってるけど。
なんで、謝られてるのかな?
「エレン、酒場のやつだろう」
「ブレー、説明の言葉が足りない」
酒場のやつ、であの吹っ飛んだ魔人族の男関係かなとは思ったけど、もしかして魔術道具組合の関係者だった?
身内がすいません、という事なら、話を聞いてから判断したい所だ。
一応、この街で唯一のエルフとして、気軽に契約したり、相談を受けたり、問題を許容しない事にしている。
人と取引している見知らぬエルフ達に、方針の違いで恨まれたくないから。
「失礼な事を申し上げていると重々承知の上で、どうかお願い致します。
今回のことを、なかった事として頂きたいのですわ」
偉い女性の青みがかっている肌の色が、黒ずんでいる。
服にもしわがよっていて、徹夜で事態の収拾に努めて疲労困憊って感じだ。
私がなにを言った所で、人種族の街の一個人。
大した騒ぎになる事はないと思うけど、とブレーを見てみる。
私よりもブレーの方が人種族との関わりが深くて多い。
こう言う時はどうしたら良いのか、きっと知っていると思ったのに、ブレーはいつもと同じ顔で出された茶に口をつけていた。
座ってしまえば長居は確実だから、茶を飲んでおこうってこと?
少しくらい、意見してくれたら助かるのに。
「良いよ」
「お怒りは……え?」
偉い女性は、池の魚みたいに口を開けて、私の言葉を自分の中で確認したらしく、深く息を吐いた。
「本当に、助かります」
「良いよ、私は」
「……それは、どういう意味でございましょうか?」
本当に気がついてないの?
と、偉い女性を見つめる。
この人、顧客相手の商売が大切な組合の一番上にいるのに。
誰も気が付いてないなんて事、ないよな。
「あの時、酒場には店主と料理人、用心棒二人、客を合わせて十三人がいた」
昼過ぎから開いていて、出来上がった酔客がいる酒場というのも、どうかと思うけれど。
「ええ、はい、そうなのですか」
「彼らは怒っていた気がする」
なにが起きたのか理解していない私たちを呼び出すより、酒場の店主に謝罪した方が良いと思っている。
ここは人種族の街なのだから。
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