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39 儀式
しおりを挟む奇形の体型が分からないようにという配慮なのか、たっぷりと使われた布が新領主の歩みにあわせて揺れると、どこかからシャリシャリと美しい音が聞こえる。
足が悪いらしい新領主の脇には先ほどの美丈夫が、付き添っている。
これ以上ないほどに熱い視線を、新領主に向ける様子からは、先ほどの肝が冷えるような恐ろしさは感じない。
「エトレ、大丈夫か」
(ここデコボコすぎるぅ!地ならしくらいしとけや、エトレしゃんが足首グキュってなるだろがよ!)
「ありがとう、ケェア」
周囲が静かすぎることで聞こえてしまう会話は、二人の仲が睦まじいと思わせるに十分すぎた。
お互いに名を呼びあうのは、誰が聞いても親密さの証だ。
二人は市場の奥で待つ茶毛のオスの元へたどり着き、膝を折った。
「儀典技官殿、王都より遠方までお越し頂きました御足労に、感謝致します」
「……そなたが、この地の新しい領主殿、であるのか?」
「はい、エトレ・レコムフェンセ、生まれ出でしその時より当領の礎として、この地に亡骸を埋める所存でございます」
「……なる、ほど」
貴族階級の出なのだろう。
田舎らしくない服を着たイヌが、エトレの顔を見て、目を白黒させている。
この地では珍しいイヌ科のオスは、この日のために王都から呼ばれた、儀式などを取り仕切る文官だ。
領主の交代などは、領地で勝手にできるものではない。
先代領主からテルへの交代は、時間稼ぎの一環でしかなく、交代もお披露目もされていなかった。
国に仕える文官の、儀典技官を領地に呼びたてた時点で、詐欺や騙りでは済まなくなる。
しかし呼ばれた技官としては、目の前に毛無しにしか見えない人物がいて、それが新しい領主だと言うのだから、言葉にし難い気持ちになった。
毛無しが領主になれない法はない。
しかし、誰が毛無しの領主を認めるのか。
もっと相応しい誰かはいないのか?と聞こうとした瞬間、技官はびくり、と体を震わせる。
叩きつけられた底冷えするような圧に、尾が下がる。
耳が垂れて、腹を見せたい衝動にかられる。
なんだこれは、と怯える技官に、静かな声がかけられた。
「何か、問題が?」
醜い毛無しの横で目をギラつかせる美丈夫の姿に、技官は見覚えがあった。
あれは数年前の戦勝パレードだ。
技官の妹が、素敵!と騒いでいた騎士がいた。
たしか、戦線騎士団の団長だった、名前までは分からない。
職場が違う以前の問題で、技官は戦いに興味がなくて、自分の家族と仕事が全てだった。
そんな技官でも見たことがある、と思い出せてしまう黒い騎士。
戦場の英雄。
「ありませんっ」
「そうか」
「はっ、ははいっ」
それからの儀式は、そつなく、淡々と、厳粛に終わった。
エトレ・レコムフェンセが正しくこの地の領主となり。
そしてエトレ・レコムフェンセの夫として、ケェア・アテンションヌを婿に迎える。
エトレとケェアを夫婦とすること。
貴族台帳へ差し替えする書類への、自筆での記名。
新領主としての領民への宣言。
静まり返ったまま粛々と進んでいく儀式は、異様なほどの緊迫感に満ちていて、誰もが凍りついたように指一本動かすことができない。
新領主の姿に嫌悪感を覚えたとしても、それを態度に出した途端に、黒い死神の目に捉えられる。
技官が過去を振り返っても、これほど粛然と終わった儀式は初めてだった、と言える内容だった。
儀式はあっという間に終わった。
結婚式じゃないんだよなー、やっぱり儀式だった。
そんなことを思いながら、ケェアは箱馬車の横を歩いていた。
貴族の務めとしての領主お披露目の儀式なので、領民の前で、交代しましたと手続きをする。
二人は夫婦になりました、と貴族台帳に挟む用紙に記帳する。
簡単に言ってしまうと、この二つだけだった。
そう、終わったのだ。
誓いのキスはなかった。
歌とか歌わなかった。
静かすぎて盛り上がらんから、ペンライト持って全員で踊れ!とケェアはヤケクソ気味で思った。
しかし、これで、ついに、とうとう。
二人は晴れて〝夫婦〟になったのだ。
今日という日を、あたい一生忘れないわ、と乙女のように胸をときめかせながら、ケェアは誓う。
この世界に生まれて、自分の姿がウシだと気がつき、周りにも動物しかいないと知った時に、動物が恋人とか無理、と諦めた。
父の姿に憧れて、騎士を目指したのは本当だけれど。
結婚する気が無かったからこそ、いつ死んでもおかしくない前線で戦う、戦線騎士団に入った。
ケェアの故郷にも、王都に来てからの騎士団にも毛無しがいなかったので、話には聞いていても、毛無しが人間だと知らなかった。
ずるっと毛がなくて、骨格とかもおかしくて、なんか気持ち悪い見た目っていうなら、毛がないネコとかネズミみたいな種族かも、と思っていた。
街で毛無しを助け、顔も身体中も噛み付かれ、引っかかれて血まみれで腫れ上がっていても、その姿が人間だと気がついた。
人間がこの世界にもいたのか、と驚いた。
驚いたけれど、そのあとに続いたゴタゴタと騒動で、終わっていた。
人間が差別されている世界で、人間を守る活動をしようとか、人間を周知させる活動をしようなんて、考えもしなかった。
毛無しが人間だと知ったのに。
何もかも失った。
何も持っていないのに、誰かを助けることなんてできない。
諦めて逃げだした。
美しいエトレに出会い。
一目惚れした。
けれど、ケェアの妻になるのは、領主のテル・テ・レコムフェンセで。
巡り合わせの悪さを呪った。
最終的に何もかもがうまくいったのは、偶然だ。
エトレがケェアに歩み寄ってくれたからだ、と理解している。
自分に足りなかったのは、周囲へ目を向ける余裕だったのではないか。
これからはエトレだけでなく、領地全てを守れる男になろう。
エトレと一緒に居られるのなら、きっとできる。
そして、館に戻った二人は……初夜を迎える。
◆
1、2話に追いつきましたー!!
この後、数話でエロに到達です!長かったー!
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