24 / 58
24 本心から
しおりを挟むケェアが男爵領から出ていくことを決め、荷物を取りまとめて部屋を出ると。
「アテンションヌ様!」
ケェアはこれまでに一度も、館の中でエトレの姿を見たことがなかった。
裏庭での散歩の時だけだ。
それが、廊下をこちらに駆けてきている。
木靴がカコカコと音を立てる。
「エトレ?」
「どこに行かれるのですか?」
「……どこでも良い」
「まだ一年は経っておりませんよ」
まだ、お願いの話をするのか。
エトレを傷つけたのに。
(涙はこぼれていないけれど)泣かせたのに。
領主の婿になるオスからの告白が、嬉しいはずがない。
貴族の領主が、毛無しを夫の愛人として認めるはずがない。
思い出すのは王都での悪夢、毛無しが性欲処理の道具扱いされていたこと。
下手をしたら、ケェアの知らない間にエトレが殺される……?
そんなことをさせる訳にはいかない。
この世界で初めて恋をした相手、その体が前世で言うところの〝男〟だと知識で知っていても。
恋してしまった。
一生懸命で。
いつも優しくて。
穏やかで。
ケェアの努力を蔑まない。
成り上がり者だと嗤わない。
美しい顔を緩めて、微笑んでくれる。
軽やかな笑い声が愛おしくて。
もっと、美しくなった姿を見たいと欲が出た。
ケェアは、誰もが素敵!と褒めてくれるオスになりたかった。
自分が黒いウシだと知り、黒い毛並みが美しいと言われることを知り、見掛け倒しと思われたくない、と努力した。
肉体は鍛えて強くなれても、ケェアの心は弱い。
初めての戦場の記憶はない。
思い出したくない。
いつでも戦場は悪夢だった。
いつでも気がつけば、娼婦を抱いていた。
ケェアの初めては、顔も知らない娼婦だ。
戦場に赴いたはずなのに、射精の快感で正気付いて、驚いて腰を引いた。
簡素な偽牝台の上に押しつぶされるように伸びた相手の、毛だらけの体を、尻の穴からあふれる白濁を見て、逃げた。
逃げ出した。
野営に戻れば、先輩騎士たちの目が変わっていた。
あいつは美神じゃない、死神だ、と言われるようになるまで、時間はかからなかった。
それでも、騎士の他にやりたいことがなかった。
何も思いつかなかった。
動物を妻にしたくない。
サル系でも無理だった。
誰に誘われても、股間のものは戦場以外では使い物にならない。
だからこの話を受けた。
何もかもどうでも良いと、逃げて、逃げた先で、白金のわたあめのような長い髪と、薄曇りの空のような灰色の瞳の美女(玉と棒付き)に出会ってしまった。
エトレの美しさが、見た目だけなら良かったのに。
ケェアを利用してから、使い古した雑巾のように捨てる性格なら良かったのに。
エトレの何もかもを、恋しいと思ってしまった。
妻にと望むこともできないのに。
これから先の一生の間、動物を抱くためにエトレの姿を妄想して勃起させるのは嫌だ、と思ってしまった。
「一年後には追い出されるなら、今でも良いだろっ!」
ケェアは内心を取りつくろえなくなっていた。
ずっと心の中では前世の〝俺〟だった。
動物じゃない、俺は動物にはなりたくない!と怯えていた。
戦場では本能に負けて暴れて、それを何度も、何百も繰り返しているのに。
諦めきれなかった。
自分のことを〝俺氏〟などとふざけて呼んで、会話相手もいないのに、茶化すようなことばかりを考え続けてきた。
初めて、この世界でそばにいて欲しいと思った人は。
肉欲を感じた人は。
とても美しい、人間だった。
「追い出したりしませんよ!?」
「毛むくじゃらの嫁なんて俺がヤなんだ!」
「け、けむ、くじゃら?ってなんですか?」
「牛にしか見えなくても俺は人間だ!正気のままで動物とセックスなんてしたくないんだよ!!」
「ウシ?ニンゲン?え?セッ??あの、アテンションヌ様?」
一度も聞いたことのない言葉ばかりを口にするケェアの姿に、困りきってしまってうろたえるエトレを、ケェアは壁に押し付けた。
べろり、と白い頬を舐める。
「ひっ」
ぬらぬらと唾液で濡れて光る、陶器のような肌は上品なのに、汗ばんだ孕み腹の薫香がケェアを疼かせる。
背中を壁につけたまま体を硬直させて、目をぎゅっと閉じてしまったエトレの首筋を執拗に嗅ぐ。
細い体を押しつぶさないように気をつけながら、ケェアが頭を動かすと、力の入った蹄が壁に傷をつける音が聞こえた。
ねっとりと首筋を舐めると、多すぎるよだれが白い肌を伝っていく。
怯えてる、怖がらせてる。
俺を嫌わないで、と思いながら、ケェアにはどうすべきか分からなかった。
「エトレしゃんが欲しい」
「……え?」
「エトレしゃんが俺の嫁なら良かったのに」
「……アテンションヌ様?」
困ったように耳元で聞こえたか細い声に、ケェアの黒くて大きな耳が勝手にぱたぱたと動いた。
アニマルボディが憎い。
外見が男しかいない世界が憎い。
「ホモでアニマルな世界なんて滅んじまえば良いのに」
「……」
今までと全く口調の違う、ケェアの言葉の全てが理解できずに、エトレは黙って。
そして、両手を伸ばしても届かない大きな体を、精一杯抱きしめた。
何を言いたいのか全く分からないけれど、ケェアは絶望しているのだろうと、それだけは理解して。
エトレは戦場を知らない。
屋敷の敷地から出た回数を数えられる、文字通りの箱入りだ。
だからこそ誤解した。
ケェアのような素晴らしい人が、壊れて、おかしくなってしまう。
戦場は、そんな過酷で凄惨な場所なのだろう、と。
本当のところを言えば、戦場はそこまで過酷で凄惨な現場ではない。
本能が強い人々は、明らかな強者に挑むことをためらう。
立派過ぎる角で敵兵を空高く跳ね上げ、落ちてきた所を戦斧や鉄棒、元は剣だったかもしれない鈍器で吹っ飛ばし、さらにスパイクを履いた偶蹄で踏み潰しまくるケェアこそ、戦場を地獄に変えていた張本人だ。
動物食性の猛者敵兵ですら、近寄りたくないと遠巻きにして怯える。
それがケェア・アテンションヌ。
黒い死神と呼ばれた戦線騎士団の元団長。
彼がいるだけで戦場は牛追い祭り、いいや、牛に追われる祭りだぜヒャッハー!状態だった。
0
お気に入りに追加
123
あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
【完結】相談する相手を、間違えました
ryon*
BL
長い間片想いしていた幼なじみの結婚を知らされ、30歳の誕生日前日に失恋した大晴。
自棄になり訪れた結婚相談所で、高校時代の同級生にして学内のカースト最上位に君臨していた男、早乙女 遼河と再会して・・・
***
執着系美形攻めに、あっさりカラダから堕とされる自称平凡地味陰キャ受けを書きたかった。
ただ、それだけです。
***
他サイトにも、掲載しています。
てんぱる1様の、フリー素材を表紙にお借りしています。
***
エブリスタで2022/5/6~5/11、BLトレンドランキング1位を獲得しました。
ありがとうございました。
***
閲覧への感謝の気持ちをこめて、5/8 遼河視点のSSを追加しました。
ちょっと闇深い感じですが、楽しんで頂けたら幸いです(*´ω`*)
***
2022/5/14 エブリスタで保存したデータが飛ぶという不具合が出ているみたいで、ちょっとこわいのであちらに置いていたSSを念のためこちらにも転載しておきます。

見ぃつけた。
茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは…
他サイトにも公開しています

転生したら魔王の息子だった。しかも出来損ないの方の…
月乃
BL
あぁ、やっとあの地獄から抜け出せた…
転生したと気づいてそう思った。
今世は周りの人も優しく友達もできた。
それもこれも弟があの日動いてくれたからだ。
前世と違ってとても優しく、俺のことを大切にしてくれる弟。
前世と違って…?いいや、前世はひとりぼっちだった。仲良くなれたと思ったらいつの間にかいなくなってしまった。俺に近づいたら消える、そんな噂がたって近づいてくる人は誰もいなかった。
しかも、両親は高校生の頃に亡くなっていた。
俺はこの幸せをなくならせたくない。
そう思っていた…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる