21 / 58
21 領主として
しおりを挟む貴族としてのあり方なら、先代の姉が正しい。
しかし、先代領主は恋に落ちていた。
体は弱くても心の強い孤児の孕み腹を、誰にも奪われたくないと番にした。
他の腹などいらない!
それならばお前はもう弟ではない!
姉弟間の言い争いは苛烈を極め、修復不可能なまでにこじれた。
最後にはお互いを罵り合うだけになった。
それ以降の姉は、嫁ぎ先の遠方男爵家から一度も里帰りをしていない。
時折、先代領主が姉に手紙を送り、日持ちする農作物を送っていたことを、執事見習いとしてテルにこき使われていたエトレは知っていた。
伯母の嫁ぎ先の地では、地形の関係で地滑りが起きやすく、民が困っていると聞くたびに支援の手を伸ばしていたことを。
仲直りができたかどうか、は不明だ。
先代領主の執務補佐をしていた執事は、事故で主人と共に亡くなっている。
家令のトゥアは、隣国対策の諜報と家内に特化していて、領内の統治には明るくない。
領内の情報を集めるのは、執事の仕事だ。
当時は執事見習いだったエトレは、情報を共有されるだけの経験を積んでいない、未成年だった
伯母に養子縁組の話を持っていくには、領主であり、執事見習いの経験があるエトレ本人が出向くしかなかった。
事前に手紙を何通かやりとりした時の感触は、悪くなかった。
子供が二人いれば、どちらかは家を継げない。
元が都会の貴族ならばともかく、同じく田舎貴族なのだから、当主の座が転がり込んできて、喜ばないわけがない。
きっと助けてくれる。
そう思って、伯母に伸ばしたエトレの手は、嫌悪の表情で払いのけられた。
「醜い、なんて醜いの!よくもそんな醜い姿をわたくしの前に見せられたものね!
愚かな弟だと思っていたけれど、まさか毛無しを自分の子として飼っているなんて!」
二人いるという、あなたのお子様のどちらかを、レコムフェンセ家の後継にして頂けませんか?と口にすることも出来なかった。
興奮して喚く伯母に呆然として、立ち尽くした。
家令のトゥアが同伴していなければ、心痛で領に戻れなかったかもしれない。
その後も家令のトゥアが、何度も伯母に手紙を送ってくれている。
エトレが毎回署名をしているのだから、知っている。
伯母から、返事はない。
返事がないことが拒否です、とトゥアは言う。
そんな時に王都から国王名義で手紙が届き、テルの婚約者としてケェアがきてくれたことで、交渉に猶予ができた。
貴族家で婚約から婚姻まで一年は短いけれど、不安を抱える領民たちに伝えられる最良だ。
領民には、英雄を迎えるために必要な準備期間として、伝えられている。
家令と暗部以外の仕事が増えたことで、老年のトゥアが疲労を抱えていることを、エトレは知っていた。
一年もかからずに、伯母の説得ができると思っていた。
だから、もしも、ケェアが望んでくれるなら。
一年が過ぎた後は……そんな、夢を見た。
「エッツ」
「……はい、師匠」
身体能力の低いエトレが、執事としてやっていくために必要な、肉体の使い方をトゥアは教えてくれた。
暗部の仕事の師匠として。
将来は執事になる予定だったので、暗部としての心意気は教えてくれなかったけれど。
訓練の時だけは、領主の実子であるエトレを愛称で呼んで、仕事なのだと教えてくれる。
「エッツ、あなたが領主としてケェア・アテンションヌ殿を夫に迎え、子を産むしかありません」
エトレは醜い毛無しだけれど、レコムフェンセ家の実子で届出はされている。
姿を領民へ見せないように隠されているだけで、存在していないことにはなっていない。
エトレがケェアの番となって子を産めば、それは間違いなく男爵家の後継者だ。
「できません!……できない、ですっ」
あの、優しい方を。
あの、美しい方を。
あの、強い方を。
あの、素晴らしい方を。
今以上に利用することなど、エトレにはできない。
毎晩でも会いたい気持ちを我慢して、数日おきに夜の散歩をするだけで、幸せだった。
今以上の幸福を望んでは、いけない。
そう思うと、涙が止まらなかった。
ずっとこのまま一人で生きていくのだと思っていた。
双子の兄弟のテルは、ぼんやりと白っぽいエトレとは似ても似つかない、美形の黒毛持ちだった。
豊かな被毛と、先だけが白い立派な尾を持っていた。
テルが両親に愛を注がれる姿を羨んでいた。
けれど理解もしていた。
醜すぎて正面から見つめることもできない自分とは違い、テルは美の神に愛されている。
どうして、自分にも少しだけその愛を分けてくれない!と嘆いて恨んだ。
テルが領主になったら、それを補佐していく。
それがエトレの人生だった。
兄の幸せを見ながら、頭と体を隠して執事として働き、死ぬまで館の敷地内で暮らしていくのだと。
エトレの細い肩に領主の任は重すぎる。
両親とテルが亡くなって半年で、潰れてしまいそうになっていた。
ケェアがエトレに勇気をくれた。
彼が英雄でありながら、田舎に来なくては行けなかった理由を、エトレは知っている。
愚か者かと思っていた。
そうではなかった。
誰よりも優しい人だった。
そして、強い人だった。
苦境でも腐らずに、努力して、真っ当に生きていける強さを、目の前で実演してくれた。
エトレを嫌っていないと伝えるために、抱きしめてくれた。
両親もテルも、エトレを守ってくれた。
でも、そこに愛はなかった。
醜すぎるエトレを愛せないのは当たり前だ。
両親は、エトレを腫れ物のように扱った。
テルとは、兄弟というよりも主人と使用人の関係だった。
トゥアは家令として師匠として接してくれた。
孕み腹としての知識は師匠から。
執事としての知識と常識は先代の執事から。
向けられていたものは愛情の一種かもしれないけれど、無償の愛ではなかった。
誰も、息ができなくなるほどの、溺れるほどの愛はくれなかった。
それが普通なのだろうか、と思いながら、両親の連れ添う姿を見るたびに苦しかった。
成長して、発情するようになって。
毛無しには明確な発情期が無い代わりに、年中いつでも発情すると知った。
師匠に教わったように、自分を慰めながら泣いた。
虚しくて。
切なくて。
孕み腹として愛されたい。
不相応にもそう思うようになった。
婚約者への贈り物として受け取った、大ぶりな月鈴がついた首飾りが、エトレの薄い胸元で涼しい音を立てる。
領主としての仕事中だけ、つけることにしていた。
ケェアに送られた〝月鈴〟を付けていたら、ケェアのようになれるかもしれないと思った。
ひがむことも妬むこともない、強くて優しい人に。
短い間でも、領主としてできることを精一杯しようと、前向きになれた。
しかし今は、エトレに渡された金細工だけのかんざしと違い、派手な飾りと色石のつけられたそれの音は、お前は人々を破滅させるためにここにいるのだ、と言っているようにしか聞こえなかった。
0
お気に入りに追加
123
あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
【完結】相談する相手を、間違えました
ryon*
BL
長い間片想いしていた幼なじみの結婚を知らされ、30歳の誕生日前日に失恋した大晴。
自棄になり訪れた結婚相談所で、高校時代の同級生にして学内のカースト最上位に君臨していた男、早乙女 遼河と再会して・・・
***
執着系美形攻めに、あっさりカラダから堕とされる自称平凡地味陰キャ受けを書きたかった。
ただ、それだけです。
***
他サイトにも、掲載しています。
てんぱる1様の、フリー素材を表紙にお借りしています。
***
エブリスタで2022/5/6~5/11、BLトレンドランキング1位を獲得しました。
ありがとうございました。
***
閲覧への感謝の気持ちをこめて、5/8 遼河視点のSSを追加しました。
ちょっと闇深い感じですが、楽しんで頂けたら幸いです(*´ω`*)
***
2022/5/14 エブリスタで保存したデータが飛ぶという不具合が出ているみたいで、ちょっとこわいのであちらに置いていたSSを念のためこちらにも転載しておきます。

見ぃつけた。
茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは…
他サイトにも公開しています

転生したら魔王の息子だった。しかも出来損ないの方の…
月乃
BL
あぁ、やっとあの地獄から抜け出せた…
転生したと気づいてそう思った。
今世は周りの人も優しく友達もできた。
それもこれも弟があの日動いてくれたからだ。
前世と違ってとても優しく、俺のことを大切にしてくれる弟。
前世と違って…?いいや、前世はひとりぼっちだった。仲良くなれたと思ったらいつの間にかいなくなってしまった。俺に近づいたら消える、そんな噂がたって近づいてくる人は誰もいなかった。
しかも、両親は高校生の頃に亡くなっていた。
俺はこの幸せをなくならせたくない。
そう思っていた…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる