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20 領主の苦悩
しおりを挟む老家令の耳に、全ては届いていた。
そして、困っていた。
ケェアが本心から男爵領へ婿入りに来てくれている、という事実に。
普段の行動から、街に出ても問題ないだろうと許可を出せば、あっという間に領内で顔と名前が売れ、好意的に受け入れられてしまっていることに。
「どうなさいますか、領主様」
「……伯母上はなんと?」
「こちらから出せる条件は全て提案しましたが、返事は頂けておりません」
「もう、時間がないのに」
「領主様、全てを話してはいかがでしょうか?
アテンションヌ殿は、懐の深い誠の武人とお見受けします、全てを知っても態度を変えられる心配はいらないかと」
「……」
領主の瞳が揺れる。
望んでもいない、望むこともできない地位と権力と肩書きが、ある日突然、手の中に転がり込んできた。
ただただ、怖いと思った。
手に負えない。
何もかも。
望んでいなかったのに。
望んでいなかったから。
誰か、助けて。
救いを求めても、助けてくれる人はいない。
辺境は広く、領地経営は先代からの有能な代官がいる。
その下について各地に派遣されている文官もいる。
今現在、それをおぼつかないながらも、必死で取り仕切っているのは家令のトゥアと、元執事見習いのエトレだった。
領地を維持するだけなら、現在の代官と文官を継いでくれる若い者を育てれば、なんとかなる。
問題は、現領主が領主のままでは、男爵家の血筋が絶えてしまう、という点だ。
男爵家の直系は、現領主一人しかこの地にいない。
約一年前、先代の領主夫妻は、四頭立ての大型馬車で、後継であるテルの成人祝いに出かけた。
季節一つをかけて、広い領地を若いテルに見させるために。
代官や各地の文官と顔合わせをさせ、領主になる自覚と覚悟を持たせるための、親子水入らずの視察旅行だった。
その帰り道で事故にあって、亡くなったのは領主夫妻と、次期領主のテル・テ・レコムフェンセ。
そして同乗していた護衛たち、従者たちと執事、御者たち。
全員が亡くなる、ひどい事故だった。
先代の領主夫妻と共にいた、本物のテル・テ・レコムフェンセは、すでに死んでいて、今現在、領主をしているのは偽物ということになる。
これが本当にただの偽物なら、家を乗っ取っただけになる。
しかし今、テルと名乗って領主のふりをしているのは、正当な後継者でオスだったテルの、領民にすら知られていない双子の孕み腹。
体が弱い母親には二度目の出産ができない、と殺されずに済んだ毛無し。
正餐の席では起毛させた布を被って姿を隠し、日中は執務室に隠れて仕事をしている、エトレ・レコムフェンセだった。
孕み腹が領主になれないという法はない。
領主が孕み腹なら、補佐ができる有能なオスを婿に迎えれば良い。
しかし〝毛無し〟に婿入りしたい貴族家のオスなど、国中を探してもいるはずがない。
毛無しのエトレは、男爵家の敷地内からほとんど出たことがない。
これは毛無しを嫌う一部の領民たちから、エトレを守るため。
貴族の家に生まれた毛無しである、エトレの姿を知られないように。
正餐のように、薄暗い部屋で距離を取ればごまかせても、昼日中の領地内を視察することはできない。
誰にも姿を見せないまま、館に引きこもったままで領主を名乗るのは無理だった。
領民への、新領主のお披露目を引き延ばすのも限界だ。
数年もしない内に、醜い毛無しが領主だと明るみに出てしまう。
そうなったら、この地は終わりだ。
エトレが吊るし上げられるだけならば良い。
庶民、貴族に関係なく、毛無しを嫌う者たちは一定数いる。
何が起きるか、何をされるか、が分からない。
父母が守ってきた領地を守りたいと、事故後に死骸の顔が判別できない状態だったことを利用して、テルが生き残っているように偽装した。
事が片付いた後に葬送の儀式を行うまで、名もなき墓に入れることを許してください、とエトレは埋葬前のテルの死骸に涙を落とした。
貴方の代わりに領地を守り、次代に繋ぎます、と。
テル(とエトレ)が成人前であり、領民の前に姿は見せていても、名乗っていなかったのが功を奏した。
新しい領主が成年になったばかりの孕み腹だということに、不安を口にする者たちはいたけれど、明確な抗議は届いていない。
領内の騒動を抑えて時間を稼いでいる間に、遠方に嫁いだ先代領主の姉に連絡して、伯母の子供たちのどちらかを次の領主に迎えたい、と交渉を開始した。
もちろん、交渉を始める前に王都に問い合わせて、助けを求めた。
亡くなった先代領主の実子であるエトレがいるけれど、毛無しなので伴侶を得られず、後継にはなり得ない。
どうか新しい領主を任命してほしいと。
届いたのは、適当な者がいない、という手紙だけだった。
旨味のない辺境の領地を欲しがる、中央の貴族などいない。
家を継げないあぶれ子息たちは、ことさらに嫌がった。
たとえ一家の長になれるとしても、何もない田舎に一生の間、閉じ込められるのはごめんだ!と。
実家の脛をかじり、小言を聞き流して冷や飯食いをしていた方が、辺境で苦労するよりもましだと、誰もが思っている。
隣国とは友好的な付き合いが続いているけれど、目立つような特産物はなく、領地が広いだけ。
幽玄な山林や豊かな農地など、都会暮らしの貴族には無価値に見えた。
そして、頼みの綱である伯母には、個人的な感情でこの話を蹴られ続けている。
先代領主の妻は、元庶民だった。
それも、孤児で体の弱い孕み腹だった。
庶民を妻に迎えることに関しては、顔をしかめつつも苦言を呈するだけだった、先代領主の姉だが、孤児の上に体が弱いという点は許せなかった。
領主の妻は、家を守り、管理し、夫の子を残すのが存在意義。
なんの後ろ盾もなく、学がないために家を守れず、子供も産めないような弱い腹を妻に娶るなど、それでも領主か!と悪し様に弟を罵った。
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