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18 それぞれの悩み

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 領主との会話がないままでも、毎晩の正餐は続いている。
 もちろん二人の関係に、一切の進展はない。

 領主は贈り物を受け取ってくれたと老家令から聞いたけれど、会話がなく遠すぎる正餐の場では、使ってくれているかも分からない。
 本人からも扇越しに礼を言われたけれど、いつもと同じ会話にならない一方的なものだった。

 このままで良いのだろうか、とケェアは悩みながら日々を過ごしていた。

 のびのびと過ごせるこの地で、この先も生きていきたい。
 そう思うほど、この地はケェアに優しい。
 領主の婿になるからだろう、と分かっていても、自由だった。

 勘違いしないようにしなくては、と思っている。
 成り上がり者の団長だ、と難癖をつけてくる愚か者はいない。
 親の肩書きを振りかざして、前線へ行かずに済ませようとする愚か者もいない。
 今まで問題を起こした相手がほとんど貴族令息相手で、この辺境で貴族といえば領主本人だけ。

 戦場での功績で与えられた騎士爵は奪われていないけれど、ケェアの騎士団での地位は最底辺。
 これから強くなっていく予定の新人よりも下だ。

 辺境で、その日を過ごすことで精一杯の人々に囲まれている方が、焦燥感を覚えずに済む。
 いつでも体面を考えて、人を引きずり落とすことばかり、自分の立ち位置のみを気にしている貴族の中に紛れるのは、本当に大変だった。

 もっと領主との距離を詰めるべきだとは思うが、それは老家令に止められている。
 今は、お待ちいただけませんかと。
 領主様は決してアテンションヌ殿を嫌っているわけではないのです、と。

 疑わしい。
 疑わしいけれど、直接聞くこともできない。
 嫌っているのなら、毎晩の食事を一緒にするのは辛いだろう。

 家令の言葉を信じるなら、あの無言の夕食を楽しみにしているのだろうか?
 疑問に答えてくれる人はいない。

 唯一の楽しみであるエトレとの夜散歩が、毎日なら良いのに、と思うばかりだ。



  ◆



 朝と夜が次第に冷えるようになってきた頃、エトレはカミノケをうまくまとめられるようになっていた。
 色々と試してみたところ、本当にケェアの言う通り、カンザシ一本で固定できた。

 カミノケを一つの束にしてくるくる巻く。
 巻いた根元にカンザシを当ててカミノケをぐるっと巻く。
 カンザシを回して上から下に押し込む。

 たったこれだけなのに、うまくできると、鬱陶しくて邪魔で仕方なかったカミノケが、落ちてこなくなる。
 前肢を離しても、大丈夫。

 ケェアの先見の明に感激したエトレは、毎日のようにカミノケにカンザシを挿すようになった。
 カンザシをしているだけで、ケェアの優しさを思い出して嬉しくて、幸福な気持ちになれた。

 そして、さらに贈り物として渡された花の香りのする毛艶油や、今までに見たことのない薄い板状のブラシなども使うようになった。
 ケェアは〝クシ〟と言っていたので、薄いブラシがクシなのだろう。

 カンザシの使い方のコツを掴むまでは、受け取ったのに使わないのは失礼だろう、という意図だった。
 けれど次第に、その気持ちは変わっていく。

 エトレの変化を誰よりも喜んでくれたのは、ケェアだった。
 今までは邪魔で嫌いで、むしり取ることもできなかったカミノケ。
 色が抜けた老人の毛のような色で、細くて頼りない毛なのに、ケェアだけは素晴らしい!と言葉にして、そのまま嬉しそうな顔をする。

 きっとカンザシを使っているからだ、気のせいだ、勘違いだとエトレは思いたいのに、ケェアは胸いっぱいに息を吸い、うろたえて困ったように腰を引くのだ。

 一度、二度なら誤魔化されたかもしれない。
 エトレは孕み腹の前で腰を引くオスを見たことがある。
 師匠の前で、そうなったオスの姿を見た。

 ケェアの様子は。
 まるで、エトレを孕み腹として抱きたい。
 そう言っているようで、困ってしまう。

 ありえないのに。
 ありえるはずがないのに。

 街一番の孕み腹と名高く美しい師匠の元で学んだから、オスが孕み腹の前でどう動くのか、何を求めるのかは知っている。
 誰よりも醜い姿なので、実践はしたことがないけれど。

 万が一にでも乱暴をされた時のことを考えて、無理やりされても傷つかないように、後孔の手入れは欠かしていない。
 普通の孕み腹なら、そんなことを気にしなくて良いのに。

 エトレがオスを受け入れる機会など、死ぬまでないと知っている。
 あるとすれば、乱暴されて、だ。
 ……いいや、死ぬ前に一度くらい。
 もしも許されるなら、慈しんでくれるヒトが良い。

 普通のヒトのように、愛し愛されることなんて望んでない。
 望むことが贅沢だと知っている。

 家令のトゥアが向けてくれるものは情。
 師匠が教えてくれたのは礼。
 
 ケェアから向けられているものが何か、エトレは考えたくなかった。
 もしもこれが友人としての信なら、どうしてそんな目でわたしを見るのですか?と問いかけたくなる。

 ケェアがこの地に来たのは、領主の婿になるため。
 婿入りしたら最後、領主を抱かなくてはいけない。
 子供を残さなくてはいけない。

 だからこそ、現在の領主はこの地を継ぐ事ができない。
 いつまでも治め続けることはできない。

 誰よりもそれを理解しているエトレは、うつむくと同時に後頭部から聞こえたシャリンという柔らかな音に、泣きたくなった。
 誰も教えてくれなかった甘やかな日々は、息が苦しくて、あまりにも幸せで、何も見えなくなりそうだった。

 
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