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10 騙しあい?
しおりを挟む夜、裏庭を覗くケェアの前に、気配もなく白い下働きが姿を見せる。
出会えなければ、その日は会えない日だ。
部屋に戻ってしょぼくれるしかない。
この日は、運よく出会えた。
「良い夜だな、エトレ」
(エトレしゃん今夜もマジ天使、hshs)
「良い夜ですね、アテンションヌ様」
ケェアはエトレに対して幾度か、クーと呼んでほしいと頼んだけれど、旦那様になる方をそのように呼ぶことはできない、と恐縮されていた。
お互いに指一本触れることはない。
二人で暗がりや物陰、屋内に入ることもない。
誰がどこから見ていても、ただの知人にしか見えない距離を保つ。
それがケェアがエトレを守るためにできる、唯一の手だった。
未だに権限を持たないケェアは、エトレを守れない。
ケェアとエトレは、夜の散歩を楽しむ同志だ。
ざくざくと砂利混じりの土を踏みながら、物干し竿を避けつつ、ケェアは昼に習ったばかりの領主の夫君に必要だという知識を、エトレに話していた。
下働きのエトレに対して、知識を自慢げに披露するというよりも、習ったことの確認を兼ねて聞いてもらいたい、という要旨があり、話すことでケェアの中で整理することができていた。
言葉にしなくても、エトレは理解してくれているようだった。
「……ということだ、地方や王都という土地柄関係なく、貴族階級にはとても厄介な決まりごとが多い。
すまないがこの先は聞き流してくれ、……正直に言うと俺には荷が重い」
(貴族うぜぇよぉ、面倒臭いよぉ、強い男にも弱音を吐かせてくだせえ)
普段は(内心を隠すために)口数の多くないケェアのぼやきを、珍しいと思ったエトレは口を開いた。
「わたしも少し独り言を言いますけれど、そんなことありません。
アテンションヌ様の鍛錬内容を見た者たちは、自分たちの鍛え方では足りなかった、と慌てています。
やはり本物の英雄であると皆が思っていますよ、アテンションヌ様がおられるだけで十分です」
「……そうか、俺はここにいて、役に立てているのか」
(エトレしゃんマヂ天使、優しい……うぅ)
ケェアの重々しい声に、エトレは言葉にできない苦悩を感じてしまった。
元英雄。
戦場での功も地位も全て失う辛さを思い、エトレは切なくなる。
「貴族らしく振舞って頂くのは、同じく貴族の方々に対面された時だけで良いと思います。
アテンションヌ様はお強いだけでなく見目もよろしいので、あまり貴族らしくされると立派過ぎる、と畏怖を覚えてしまいます」
「なるほど」
(ホッフゥン、そういう考え方もあるんか、なるほど……見目が良い、イケてるってことだよな、そうなんだよな、俺氏イケメソなんよな、狂戦士なヒゲ乗せウシなのになー。
エトレしゃん、俺氏をイケメ~ソって思ってくれてんの?それって喜ぶべき?)
ただの下働きにしては知識量の豊富なエトレとの会話は、ケェアに単純な貴族嫌悪を恥ずかしいと思わせるようになっていた。
貴族には貴族の、庶民には庶民の要不要がある。
傲慢さと高潔さは貴族だからこそ必要で、無知ゆえの清廉潔白が許されるのは、ただ守られている者のみ。
ここで学ぶことによって、貴族の傲慢さを嫌っていても、それが処世術だと割り切ることも必要だ、とケェアは思えるようになっていた。
王都での行為をやりすぎだったな、と始めて反省した。
だからと言って、権力を使った犯罪行為を許すつもりはないが。
諜報員として育てられているからなのか、エトレは気配の消し方がうまい。
ただ、肉付きを見ると、どうにも戦えそうにはないが、それは孕み腹である時点で仕方ない。
孕み腹には、好戦的な人物など滅多にいないのだから。
潜入捜査員として育てられているのだろうか。
しかし、毛無しを潜入させたとして、まともな扱いを望める場所は多くない。
色を売って情報を引き出そうにも、醜い毛無しは使えない。
赤い月を見上げ、柔らかく口元を緩めて微笑むエトレに見惚れながら、ケェアは口を閉じる。
エトレと過ごすうちに強くなり、幾度も口元まで出かけた気持ちは、今夜も飲み込むことができた。
一年が過ぎた後に、共にこの地を出ていかないか、と。
(俺氏の嫁ちゃんになって、パコパコ生活とか興味ありませんかね?)
本心は別として、それを告げるには、今のケェアには何もかもが足りなかった。
衣食住の全てを男爵家に養われている身で、できることなど何もない。
働きへの褒賞として与えられ、騎士団長として所持していた私財は、損害を与えた貴族への賠償金として没収された。
資産的な意味で、ケツの毛まで毟りとられたケェアにあるのは、この体一つ。
毛無しの孕み腹で、外に働きに出られないエトレを養いたいと思っても、この先の数日すら暮らしていく余裕はない。
稼ごうにも、貴族に嫌われて汚名を着せられた挙句、騎士団を辞めたも同然の立場であるケェアが、まともな職を得られることはない。
貴族の見栄の果ての尻拭いやドブさらいのような仕事、役職を押し付けられても、文句が言えない。
王都でなくても貴族の目が届く場所、つまり領主がいて、貴族間で情報交換がされるような地では、同様の扱いを受けることが考えられる。
そんな情けない姿を、エトレには見られたくない。
心から惚れた相手にくらい、情けない姿を見せたくない。
男の子のやせ我慢だと理解していても。
ケェアの心は、妻となる領主ではなく、白く醜いエトレへと目を向けていた。
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