3 / 58
03 一年前、花咲く時期
しおりを挟む男は、何日も押し込められていた狭い馬車から、ようやく解放された、と鼻から深く息を吐いた。
ほどほどに発展した町で生まれ、騎士を目指して育ち、王都での騎士としての生活しか知らなかった男にとって、話でしか聞いたことのなかった辺境は、緑豊かで美しい土地に見えた。
王都で感じていた息苦しさは、ここにはない。
「お客さん、お疲れさんでした、町を街道に沿って三つ抜けりゃご領主様のお館がありやすよ」
「そうか、何日も世話になって悪かったな、遠くまで運んでくれて助かった」
(ウマが馬車の御者とか、何度見ても笑えたよ、ありがとおっちゃん)
「ハハ、こっちは仕事でさあ、あー、そうっすねえ、お客さんがご領主様のとこで仕事すんならまた会えまさあ」
「そうだな、それでも世話になった」
(ウマが馬っぽいナニかを世話する動画を、撮影も保存もできないのが辛いわぁ)
「え、こいつはもらいすぎで……分かりやした、受け取りやすよ、義理がてえこって、そんじゃ、ま」
姿を見られたくない、と複数人で利用する乗合馬車を貸し切りで乗り継ぎ、ようやくたどり着いたのは、男が思っていたような未開の土地ではなかった。
最後の数日をともに過ごした気のいい御者に別れを告げ、男は木と石を組んでつくられた町並みへと、足を踏み出した。
町の反対側で、その先へ進む乗合馬車を見つけるのが目的ではあったが、田舎の牧歌的な町並みは、都会暮らしに慣れた男の目には珍しく映る。
それは良い意味で美しかった。
のどかな光景は、疲れて荒んでいた男の心を癒してくれた。
これからこの地で生きていくのだと思い、王都にあのまま残ることを選ばずに良かった、と感じるほどに。
男はゆっくりと辺境の地を見て回った。
付き人も従者もいない気楽な一人旅であり、必要以上に気負う必要はない。
全身を覆う外套一枚を羽織った男は、体格の良さと毛並みから目立ってはいたが、威圧するまでもなく寄ってくる者はいなかった。
男は、とても美しかった。
通りすがりに声をかけることができないほどに。
美の神がやってきた、と人々は威風堂々とした後ろ姿に見惚れて、そっと見送った。
隣国との国境沿いに近い町々を、領主の館へ向かう乗合馬車の道すがらに巡った男は、そのどれもに領主の目が行き届いていることを知っていく。
馬車が通りやすい石畳が敷かれているのは、王都から続く街道のみではあったけれど、町並みは美しく整っていた。
王都のように昼間からくだを巻く酔漢や、人の懐を狙う者の心が漂わせる、饐えたような匂いもしない。
しかし問題がない訳でもないようだ、と男は思う。
昨夜、男が泊まった宿の女将は話し好きな孕み腹だった。
領主様に何かが起きているよ、とうそぶく顔は、好意的には見えなかった。
領主の紹介状を持っていて、体格から戦職にしか見えない色男に、有る事無い事を吹き込んできたのは、なんのためなのか。
この辺境までの旅費に、と用意された路銀が少ないわけではないし、無駄金を使ってもいない。
それでも、紹介状を見せるだけで、領内の各所で待遇を良くしてもらえるなら、使わない手はないと思っていたが、面倒にも巻き込まれるのかと、男は辟易していた。
この地を治めるのは賢き良い領主。
それは間違っていない。
しかしそれは先代の話。
辺境を統治する男爵でもあった領主夫妻は、巣ごもりの時期前に馬車の事故で亡くなったという。
そして、男爵家の唯一の生き残りであり、領地を継いだ新領主は、ひどく人目を厭う孕み腹だという
新領主様のお披露目すら未だにされていないのよぉ、と宿の女将は口を尖らせた。
孕み腹に領主なんか務まるもんかい、頼りになるオスと番ってしまえば良いのにねえ、と自らも孕み腹の女将が男に色目を使いながら言うので、男は少しだけ口元を歪めて不快を表したものの、言葉にすることはなかった。
誰も彼もが口にする。
良い番が欲しい、誇れる番になりたい、立派な番で羨ましいと。
〝番〟とはなんなのか。
男には、生まれついた時から、それを理解する本能が欠けていた。
その言葉が妻や夫に変わる言葉でないことだけは分かるけれど、どれほどの意味を持つのか、が分からないのだ。
通常、貴族家に生まれた孕み腹が、責任ある仕事に就くことはない。
原因のわからない少子化が長く続く昨今、庶民であっても孕み腹の子は大切にされるが、貴族家に生まれた孕み腹は、文字どおり箱入りとして育てられる。
下手に外に出して襲われ、家の弱みになっては困るからだ。
種にもよるそうだが、孕み腹が番うことのできる相手は、生涯で一人であることが多いらしい。
子を作ることは番同士でなくてもできるとも聞くが、血を重視する貴族家では番同士の子供でなくては、どれだけ優秀でも家を継ぐことができない。
貴族は血で繋がるものであり、子が残せなければ家は途絶えるだけだ。
それが薬や暴力を用いて結ばれた番の関係だとしても、一生の番を変えることはできない。
貴族家に生まれた孕み腹は、家同士のつながりを強固にするための道具だ。
そうなれば、新領主が領主に相応しい人物か?という疑問が湧いてくるのは、当然のことなのかもしれない。
領主になったとはいえ、本来であればいつかは嫁がされるはずだったのだから、領地経営のことに明るいわけがない。
領主としての振る舞いも知らないだろう。
この地に住まう者たちが、不安になるのは当然だ。
だからこそ、男のような落ち目な者のところに、婿入りの話が来たのだろう。
そう男は考えていた。
王都で生きがいと居場所を失った男としては、渡りに船の話であり、領主を補佐する入り婿として、できる限りの努力をするつもりだった。
領地の経営方法の支援や補佐など、聞いたことも見たことないけれど、石に食らいついてでも学ぼうと決めていた。
とはいえ、領主を押しのけて政に携わる気はない。
逆境と苦境に慣れている、慣れてしまった男は、自分はこの地を守る剣と盾になりにきたのであり、貴族の駆け引きには関わらない、とこの話を受けたのだ。
もう貴族に関わる気はなかった。
ついでに、まだ見ぬ嫁が愛せる相手であれば良い、とも思っていた。
1
お気に入りに追加
123
あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

心からの愛してる
マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。
全寮制男子校
嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります
※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください
【完結】相談する相手を、間違えました
ryon*
BL
長い間片想いしていた幼なじみの結婚を知らされ、30歳の誕生日前日に失恋した大晴。
自棄になり訪れた結婚相談所で、高校時代の同級生にして学内のカースト最上位に君臨していた男、早乙女 遼河と再会して・・・
***
執着系美形攻めに、あっさりカラダから堕とされる自称平凡地味陰キャ受けを書きたかった。
ただ、それだけです。
***
他サイトにも、掲載しています。
てんぱる1様の、フリー素材を表紙にお借りしています。
***
エブリスタで2022/5/6~5/11、BLトレンドランキング1位を獲得しました。
ありがとうございました。
***
閲覧への感謝の気持ちをこめて、5/8 遼河視点のSSを追加しました。
ちょっと闇深い感じですが、楽しんで頂けたら幸いです(*´ω`*)
***
2022/5/14 エブリスタで保存したデータが飛ぶという不具合が出ているみたいで、ちょっとこわいのであちらに置いていたSSを念のためこちらにも転載しておきます。

乙女ゲームのサポートメガネキャラに転生しました
西楓
BL
乙女ゲームのサポートキャラとして転生した俺は、ヒロインと攻略対象を無事くっつけることが出来るだろうか。どうやらヒロインの様子が違うような。距離の近いヒロインに徐々に不信感を抱く攻略対象。何故か攻略対象が接近してきて…
ほのほのです。
※有難いことに別サイトでその後の話をご希望されました(嬉しい😆)ので追加いたしました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる