ひだまりで苔むすもの

Cleyera

文字の大きさ
上 下
28 / 28
その後

23 甘い毒 終

しおりを挟む
 

 兄ちゃんが帰ってきたのは、さらに三日後。
 新年祭りの前日だった。

「ヘイディ、ただいま戻りましたよ」
「……」
「どうかしたのですか?」

 使用人さんたちと一緒に玄関で出迎えて、移動車から降りた兄ちゃんが声をかけてくるのを、じっと見つめた。
 その口調に、表情に、おれへの後ろめたさが潜んでいないか。

「兄ちゃん」
「なんでしょう」
「おれに言ってないこと、あるよね」
「ありますよ」
「え」

 さらっと肯定されて、言葉に詰まる。

「もちろんありますよ、人は誰でも他人に言えないことを心の内に持っているものです。
 わたしがヘイディをどうしたいと思っているか、聞かせることはできません」
「え、え?」
「わたしは飛び立とうとする鳥の羽をむしるような真似はしません、けれど、まだ飛ぶことができない鳥を巣から落とすこともしません」
「え?」

 禁欲的に肌を覆い隠す高帽子と神官服の中に、おれの知る暴力的な兄ちゃんの姿が見えた。
 ぬるり、と兄ちゃんの瞳が熱を帯びる。

「ヘイディ、飛びたいのなら、飛べる所を見せてごらんなさい」
「っ、え、あ」

 喉が鳴った。
 兄ちゃんに対しての恐怖で。
 おれはいつのまにか勘違いしていたのか。
 普段は優しい兄ちゃんが、いくらでも暴力的になれることを、忘れていたつもりなんてないのに。

「具体的に、さあ、なにをどうしたいのです?
 到達可能な目標点と、敵殲滅を目的とした作戦が無い状態での妄言は受け付けませんよ」

 兄ちゃんは、従軍神官として戦場で生きてきた。
 十四歳から四十年間。
 戦場にいなかった人生の方が短いのだ。
 平和になったのだから考え方を一から改めろなんて、できるわけがない。

「おれは、守られるだけは嫌だ」
「知っています、では、どう改善するつもりですか?」

 鬼軍曹。
 軍に入ってすぐの頃、見習い兵にそう呼ばれる指導係がいた。
 めちゃくちゃ厳しくて、ものすごく嫌われていた。
 でもおれは嫌いじゃなかった。

 誰にでも厳しかったから。
 落ちこぼれのおれには特に厳しかったけれど、てめぇのせいで全員が死ぬんだ!、とよく言われたけれど。
 嘘をついてまで、おれを貶めなかったから。

 兄ちゃんも、きっと軍属だった頃、そういう系統の人だったんだ。
 厳しくて怖くて、でも、ものすごく情が深くて。

 使用人さんたちが心配そうに見ている。
 膝が笑う、怖くて。
 でもここで引いたら、きっと、おれは守られるだけを受け入れないといけなくなる。
 いつか、兄ちゃんを守る側になれなくなる!

「エッキさんを見つけて話し合う!」
「どこにいるのかも分からない女性を、貴方一人で人口三十万人超の王都でどうやって見つけるのです?」

 うぐ、と言葉に詰まった。

 やっぱり兄ちゃんは知っているのだ。
 家に帰る暇がなくても、何が起きているのか、どうやってか知る手段があるのだ。

 使用人さんたちの雇い主は兄ちゃんだ。
 同情や善意で動いてもらえる、なんて考えたらいけない。

 家の仕事を放り出して、おれの頼みをきいてもらえるかどうかは、雇用主兄ちゃんに交渉して了承を得た後で、使用人さんたち本人に伺わないといけない。

「それなら、衛兵さんたちに」
「王都の治安を守る職務を放り出して、一住人の依頼を受けろと?
 それができるのは王族くらいでしょうね」

 兄ちゃんは正しい。
 正しいから、痛い。

「勘違いしないでくださいねヘイディ、わたしはとても嬉しいのです」
「……」
「日々を過ごすことで精一杯になっていた貴方が、周囲の人のことを思いやれる余裕を持てるようになった。
 それは成長であり、今が満たされている証でも有ります」

 不意に優しい口調になった兄ちゃんを見下ろす。

「誰でも、自分一人で何もかも全てを行うことはできません。
 貴方がすべきことはエッキ嬢と話すことではなく、全てが終わるまで家にいることです」
「それだと」
「ヘイディを仲間はずれにしているわけではありません、人には向き不向きがあるのですから、荒事は得意な者にまかせる。
 それが一番、周りの者を心配させない、最善の方策です」

 思わず使用人さんたちを見回してしまう。
 誰も彼も、おれを心配してくれている。

「おれが悪いの?」
「良いも悪いもありません、家族を心配するのは当然のことです」

 子供が怪我をしそうな遊びを始めたら、良識ある大人はそれを見咎めますよ。
 止めるかどうかは、個人の判断でしょうけれどね。

 言われて目を動かすと、使用人さんたちに視線を避けられた。
 今のおれが、使用人さんたちにとっては、危険な遊びを始めた幼子みたいなものってこと?

「兄ちゃん、じじくさい」
「今後は、お兄様と呼ぶように」

 ぴしゃりと言われた冗談に笑った。



 結局、今は赤の他人のエッキ嬢に、おれができることはない。
 儀式に来なかったことを彼女がどう考えているのかも分からないまま、謝罪させることも後悔させることもできない。

 〝何人も他者を変えることはできぬ、ただ、己が道を進むのみ〟

 兄ちゃんが読まないからと教典をくれた。
 ……発行年数だけは古いけれど、開き癖も手垢の一つもついていない。

 書かれている内容は、そうだよな、と思わせられるものばかりで。
 でも、中味を読めば読むほど、兄ちゃんは神官じゃ無いような気がする、と思わせられて。

 今回の件で、おれは少しだけ大人になったのかもしれない。
 年齢を重ねて体が大きくなっても、頼る相手がいなかったおれの内面は、変わることができなかった。

 兄ちゃんや使用人さんたち、穏やかで人の良い人々。
 世の中にある全てを知ることなんてできないし、困っている人を見ても、助けようと動くには勇気がいる。

 動きたい。
 そう思えるようになった。
 この一歩は、間違いなく前進だ。

 今日、明日、明後日と、おれは進んでいける。
 いつかおれが望むように、守る側になれる日が来る。

 胸の奥に灯った、兄ちゃんからもらった勇気は、今日も消えない。





   ◆





 家名を持たないエッキ嬢の捜索はされなかった。

 逃亡の翌日に寒波が来て、早朝に下町のゴミ捨て場で遺体がみつかった。

 今度こそ確実に誰かから暴行を受けたが、訴えられなかったようだ、と家まで来てくれた衛兵長さんが無理に笑い話にしてくれようとしたが、笑えなかった。

 彼女は、ヘゴミ家の御令嬢、から変わることができなかったのか。

 上官が自慢の娘だと紹介してくれた時は、よく笑うけれど、家のことを任せられるか不安になる相手、だった。
 彼女を見捨てたおれを恨んだだろうか。
 歩み寄れていた未来も、あったのだろうか。

「ヘイディ」

 ちゅ、と小さな音をたてて、唇が吸われた。
 ぬるり、と薄く開いていた口の中を伸ばされた舌になめられた。

「に、兄ちゃんっ」
「わたしの腕の中にいるのに、他の誰かのことを考えているのですか?」
「ごめん」
「責めているわけではありませんよ、わたしももっと技術を磨かなくては、と思っただけですから」

 なんの技術を磨くの?
 その思いを言葉にしてはいけない気がして、口を閉じた。

「ヘイディ、わたしの愛しい子、さあ、可愛らしいお口を開けて」
「……ぅう」

 結局、兄ちゃんに言われると、おれは逆らえないのだ。
 おれに向いてないことはさせないし、したくないこともさせない。
 したくても危ないことは周囲を使用人さんで固めてから、さあどうぞと微笑む。

 過保護な兄ちゃんは、おれがなにもできないことを知っている。
 知っているから過保護になるのかもしれない。 

 実り豊かな庭で、新年祭りを最後に引退宣言をした兄ちゃんに口付けられながら過ごす日常は、甘い毒を食べ続けているような日々で。
 溶けて、しまいそうだ。










   了





   *

こちらで最後になります
ヘゴミ父娘、ロングン助神官の詳細な末路は胸糞展開しかないので、いらないかなー?と書いてません

R18展開にならない上に、暗躍する説教臭いトリル兄ちゃんになってしまった
もっと物理脳筋で凛々しい殺戮マシーンの予定だったのに(´;ω;`)

最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました・:*+.\(( °ω° ))/.:+
しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

あなたにおすすめの小説

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

【完結】トルーマン男爵家の四兄弟

谷絵 ちぐり
BL
コラソン王国屈指の貧乏男爵家四兄弟のお話。 全四話+後日談 登場人物全てハッピーエンド保証。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

今夜のご飯も一緒に食べよう~ある日突然やってきたヒゲの熊男はまさかのスパダリでした~

松本尚生
BL
瞬は失恋して職と住み処を失い、小さなワンルームから弁当屋のバイトに通っている。 ある日瞬が帰ると、「誠~~~!」と背後からヒゲの熊男が襲いかかる。「誠って誰!?」上がりこんだ熊は大量の食材を持っていた。瞬は困り果てながら調理する。瞬が「『誠さん』って恋人?」と尋ねると、彼はふふっと笑って瞬を抱きしめ――。 恋なんてコリゴリの瞬と、正体不明のスパダリ熊男=伸幸のお部屋グルメの顛末。 伸幸の持ちこむ謎の食材と、それらをテキパキとさばいていく瞬のかけ合いもお楽しみください。

フローブルー

とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。 高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。

すべてはあなたを守るため

高菜あやめ
BL
【天然超絶美形な王太子×妾のフリした護衛】 Y国の次期国王セレスタン王太子殿下の妾になるため、はるばるX国からやってきたロキ。だが妾とは表向きの姿で、その正体はY国政府の依頼で派遣された『雇われ』護衛だ。戴冠式を一か月後に控え、殿下をあらゆる刺客から守りぬかなくてはならない。しかしこの任務、殿下に素性を知られないことが条件で、そのため武器も取り上げられ、丸腰で護衛をするとか無茶な注文をされる。ロキははたして殿下を守りぬけるのか……愛情深い王太子殿下とポンコツ護衛のほのぼの切ないラブコメディです

エンシェントリリー

斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
短期間で新しい古代魔術をいくつも発表しているオメガがいる。名はリリー。本名ではない。顔も第一性も年齢も本名も全て不明。分かっているのはオメガの保護施設に入っていることと、二年前に突然現れたことだけ。このリリーという名さえも今代のリリーが施設を出れば他のオメガに与えられる。そのため、リリーの中でも特に古代魔法を解き明かす天才である今代のリリーを『エンシェントリリー』と特別な名前で呼ぶようになった。

処理中です...