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その後
23 甘い毒 終
しおりを挟む兄ちゃんが帰ってきたのは、さらに三日後。
新年祭りの前日だった。
「ヘイディ、ただいま戻りましたよ」
「……」
「どうかしたのですか?」
使用人さんたちと一緒に玄関で出迎えて、移動車から降りた兄ちゃんが声をかけてくるのを、じっと見つめた。
その口調に、表情に、おれへの後ろめたさが潜んでいないか。
「兄ちゃん」
「なんでしょう」
「おれに言ってないこと、あるよね」
「ありますよ」
「え」
さらっと肯定されて、言葉に詰まる。
「もちろんありますよ、人は誰でも他人に言えないことを心の内に持っているものです。
わたしがヘイディをどうしたいと思っているか、聞かせることはできません」
「え、え?」
「わたしは飛び立とうとする鳥の羽をむしるような真似はしません、けれど、まだ飛ぶことができない鳥を巣から落とすこともしません」
「え?」
禁欲的に肌を覆い隠す高帽子と神官服の中に、おれの知る暴力的な兄ちゃんの姿が見えた。
ぬるり、と兄ちゃんの瞳が熱を帯びる。
「ヘイディ、飛びたいのなら、飛べる所を見せてごらんなさい」
「っ、え、あ」
喉が鳴った。
兄ちゃんに対しての恐怖で。
おれはいつのまにか勘違いしていたのか。
普段は優しい兄ちゃんが、いくらでも暴力的になれることを、忘れていたつもりなんてないのに。
「具体的に、さあ、なにをどうしたいのです?
到達可能な目標点と、敵殲滅を目的とした作戦が無い状態での妄言は受け付けませんよ」
兄ちゃんは、従軍神官として戦場で生きてきた。
十四歳から四十年間。
戦場にいなかった人生の方が短いのだ。
平和になったのだから考え方を一から改めろなんて、できるわけがない。
「おれは、守られるだけは嫌だ」
「知っています、では、どう改善するつもりですか?」
鬼軍曹。
軍に入ってすぐの頃、見習い兵にそう呼ばれる指導係がいた。
めちゃくちゃ厳しくて、ものすごく嫌われていた。
でもおれは嫌いじゃなかった。
誰にでも厳しかったから。
落ちこぼれのおれには特に厳しかったけれど、てめぇのせいで全員が死ぬんだ!、とよく言われたけれど。
嘘をついてまで、おれを貶めなかったから。
兄ちゃんも、きっと軍属だった頃、そういう系統の人だったんだ。
厳しくて怖くて、でも、ものすごく情が深くて。
使用人さんたちが心配そうに見ている。
膝が笑う、怖くて。
でもここで引いたら、きっと、おれは守られるだけを受け入れないといけなくなる。
いつか、兄ちゃんを守る側になれなくなる!
「エッキさんを見つけて話し合う!」
「どこにいるのかも分からない女性を、貴方一人で人口三十万人超の王都でどうやって見つけるのです?」
うぐ、と言葉に詰まった。
やっぱり兄ちゃんは知っているのだ。
家に帰る暇がなくても、何が起きているのか、どうやってか知る手段があるのだ。
使用人さんたちの雇い主は兄ちゃんだ。
同情や善意で動いてもらえる、なんて考えたらいけない。
家の仕事を放り出して、おれの頼みをきいてもらえるかどうかは、雇用主に交渉して了承を得た後で、使用人さんたち本人に伺わないといけない。
「それなら、衛兵さんたちに」
「王都の治安を守る職務を放り出して、一住人の依頼を受けろと?
それができるのは王族くらいでしょうね」
兄ちゃんは正しい。
正しいから、痛い。
「勘違いしないでくださいねヘイディ、わたしはとても嬉しいのです」
「……」
「日々を過ごすことで精一杯になっていた貴方が、周囲の人のことを思いやれる余裕を持てるようになった。
それは成長であり、今が満たされている証でも有ります」
不意に優しい口調になった兄ちゃんを見下ろす。
「誰でも、自分一人で何もかも全てを行うことはできません。
貴方がすべきことはエッキ嬢と話すことではなく、全てが終わるまで家にいることです」
「それだと」
「ヘイディを仲間はずれにしているわけではありません、人には向き不向きがあるのですから、荒事は得意な者にまかせる。
それが一番、周りの者を心配させない、最善の方策です」
思わず使用人さんたちを見回してしまう。
誰も彼も、おれを心配してくれている。
「おれが悪いの?」
「良いも悪いもありません、家族を心配するのは当然のことです」
子供が怪我をしそうな遊びを始めたら、良識ある大人はそれを見咎めますよ。
止めるかどうかは、個人の判断でしょうけれどね。
言われて目を動かすと、使用人さんたちに視線を避けられた。
今のおれが、使用人さんたちにとっては、危険な遊びを始めた幼子みたいなものってこと?
「兄ちゃん、じじくさい」
「今後は、お兄様と呼ぶように」
ぴしゃりと言われた冗談に笑った。
結局、今は赤の他人のエッキ嬢に、おれができることはない。
儀式に来なかったことを彼女がどう考えているのかも分からないまま、謝罪させることも後悔させることもできない。
〝何人も他者を変えることはできぬ、ただ、己が道を進むのみ〟
兄ちゃんが読まないからと教典をくれた。
……発行年数だけは古いけれど、開き癖も手垢の一つもついていない。
書かれている内容は、そうだよな、と思わせられるものばかりで。
でも、中味を読めば読むほど、兄ちゃんは神官じゃ無いような気がする、と思わせられて。
今回の件で、おれは少しだけ大人になったのかもしれない。
年齢を重ねて体が大きくなっても、頼る相手がいなかったおれの内面は、変わることができなかった。
兄ちゃんや使用人さんたち、穏やかで人の良い人々。
世の中にある全てを知ることなんてできないし、困っている人を見ても、助けようと動くには勇気がいる。
動きたい。
そう思えるようになった。
この一歩は、間違いなく前進だ。
今日、明日、明後日と、おれは進んでいける。
いつかおれが望むように、守る側になれる日が来る。
胸の奥に灯った、兄ちゃんからもらった勇気は、今日も消えない。
◆
家名を持たないエッキ嬢の捜索はされなかった。
逃亡の翌日に寒波が来て、早朝に下町のゴミ捨て場で遺体がみつかった。
今度こそ確実に誰かから暴行を受けたが、訴えられなかったようだ、と家まで来てくれた衛兵長さんが無理に笑い話にしてくれようとしたが、笑えなかった。
彼女は、ヘゴミ家の御令嬢、から変わることができなかったのか。
上官が自慢の娘だと紹介してくれた時は、よく笑うけれど、家のことを任せられるか不安になる相手、だった。
彼女を見捨てたおれを恨んだだろうか。
歩み寄れていた未来も、あったのだろうか。
「ヘイディ」
ちゅ、と小さな音をたてて、唇が吸われた。
ぬるり、と薄く開いていた口の中を伸ばされた舌になめられた。
「に、兄ちゃんっ」
「わたしの腕の中にいるのに、他の誰かのことを考えているのですか?」
「ごめん」
「責めているわけではありませんよ、わたしももっと技術を磨かなくては、と思っただけですから」
なんの技術を磨くの?
その思いを言葉にしてはいけない気がして、口を閉じた。
「ヘイディ、わたしの愛しい子、さあ、可愛らしいお口を開けて」
「……ぅう」
結局、兄ちゃんに言われると、おれは逆らえないのだ。
おれに向いてないことはさせないし、したくないこともさせない。
したくても危ないことは周囲を使用人さんで固めてから、さあどうぞと微笑む。
過保護な兄ちゃんは、おれがなにもできないことを知っている。
知っているから過保護になるのかもしれない。
実り豊かな庭で、新年祭りを最後に引退宣言をした兄ちゃんに口付けられながら過ごす日常は、甘い毒を食べ続けているような日々で。
溶けて、しまいそうだ。
了
*
こちらで最後になります
ヘゴミ父娘、ロングン助神官の詳細な末路は胸糞展開しかないので、いらないかなー?と書いてません
R18展開にならない上に、暗躍する説教臭いトリル兄ちゃんになってしまった
もっと物理脳筋で凛々しい殺戮マシーンの予定だったのに(´;ω;`)
最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました・:*+.\(( °ω° ))/.:+
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