ひだまりで苔むすもの

Cleyera

文字の大きさ
上 下
8 / 28
本編と補話

06 転がされた

しおりを挟む
 

 部屋に一日中いるわけにはいかない、となんとか考えて絞り出した。

「すいません」
「はい、なんでございましょう」
「調理場を貸してもらえませんか?」
「はい、構いませんよ、どうぞ」

 使用人の男性が言うには、基本的に、おれの望みは全て叶うらしい。
 兄ちゃんがそうしろと言ったらしい。
 なんだそれ、甘やかしか。

 他人の家でお世話になっておきながら、わがままを言うつもりはない。
 それでも、暇つぶしの手段が少ないので、時間を持て余した。

 軍にいた時は、暇な時間なんてなかった。

 起床、食事、鍛錬に参加、食事したいのに職務を要求されるから洗って職務、鍛錬に参加したいのに職務を要求される、食事、職務、体を洗う、夢も見ずに寝る。
 二等兵で本採用された頃から、何も変わらない。
 それがおれの生活だった。

 他の兵にとっては休憩時間でも、おれにとっては職務で、一日に三人とかきついし、中でも寝る時間を削られるのは、辛かった。
 上官は特に回数が多くて乱暴で、おれの負担を考えてくれなかった。

「ボロストファさま、どうかなさいましたか」

 いつのまにかぼんやりしていたようだ。
 使用人の男性になんでもないと答えて、両親の形見のシェフナイフのセットを取り出す。

 おれは料理ができないから、これを使うことはない。
 でも、形見だ。
 自暴自棄になった時でも、売ることも捨てることもできなかった。

「すいません、研ぎ石と革砥カワトはお借りできますか?」
「分かる者を呼びますので、少々お待ちください」

 錆びないように油を塗って最低限の手入れはしてきたけれど、手入れ用品は持っていない。

 休憩していたらしい料理人がわざわざ来てくれて、研ぎ方を教えてくれた。
 これまでのナイフの手入れ方法が、大雑把すぎたと知った。

 礼を言って、広い調理室を後にする。
 庭に行こうか、部屋に戻ろうか。

 やることがないから、変なことばかり考えるんだ。
 どうして誰も、おれになにも聞いてこないのか。

 おれが兄ちゃんとどういう関係なのか。
 いつまでここにいるつもりなのか。

 居心地が良いと同時に、申し訳ない気持ちにさせられる。
 おれはここでも役立たずだ。
 軍にいた時よりひどい。

 軍では役職があった。
 働いて給金を受け取っていた。
 おれの役職は軍人らしさの欠片もなかったけれど、軍人としての肩書きは与えられていた。
 才能もなければ向いてもいないおれのような落ちこぼれにも、職務があった。

 軍の規律を乱さないために。
 軍の評価を落とさないために。
 中の問題を外に出さないように。

 兵士が問題を起こさないために、おれのような役職が必要だと分かっている。
 一番発散が必要な若い兵士たちの給料では、毎日は通えない。
 外の女性に相手をしてもらえないなら、軍の中で消化するしかない。
 それが、男同士でも。
 男である以上、欲求の解消は必要だから。
 おれが職務をこなすんだ。

 いやだ。
 何百回もやってるのに、何年も経つのに、いつもいやで仕方なかった。
 おれは、男なのに。
 兄ちゃんのように、強い男になりたかったのに。

「は、はっ……はぁっ、はぁっ……」

 息が苦しい。
 やめろ、思い出すな。
 あれもこれも職務だ、これまでのは全部、職務だったんだ。

 それでも。
 おれは今までのおれを、兄ちゃんに知られたくない。

 情けなくて格好悪くて、国を守っていると胸を張ることもできない。

 ここを、出ていかなくては。
 兄ちゃんに、おれが軍でなにをしていたのかを、知られる前に。

「ボロストファさま、どうなさいました?」
「はっ……はぁっ……」

 耳鳴りがする。
 男の手が……おれに……触れ……。

「ひいっっっ!」
「ボロストファさまっ」

 ……隠れないと。
 せめて、寝台で。
 ……見つかりたくない。
 立ったままは後で体がきついし、床の上はつらい。
 ……どこか、見つからない場所へ。
 今日はまだ、洗ってない。
 ……怖いのはいやだ。
 きたねぇ、と殴られたくない。

 どこをどう走ったのか、気がついたら通ったことのない廊下にいた。

 ……おれは。
 おれは。

 こつん、こつん、と木靴の底が床石を打つ。
 戦争が終わって生活が豊かになってきたことで、普段から木靴を履くのは神官くらいだ。
 つまり。

「ただいま戻りました、どうしたのです、ヘイディ?」
「あ……」

 しわ一つ、汚れ一つない神官服。
 穏やかな声音、穏やかな口調。

 でも、その顔が。

「ヘイディ、どうです、昔と同じでしょう?」
「トリル兄ちゃんっ!」

 かぶっているだけですけれど、と言いながら、つるんとした金属製の顔上半分を外して、その下から現れた少年の顔で微笑む。
 まるで帽子みたいに手に持ったそれ。
 それは、おれの知るトリル兄ちゃんの顔だった。

 頭頂から後頭部、顔の上半分をすっぽりと覆う、金属製の外装。
 目の部分には、細い線状のすき間が何本もある。

 そうだ。
 おれは初めて会った時に、トリル兄ちゃんに言ったんだ。
 顔が金属製の人がいるなんて知らなかったから「ぼうしあっちです」って壁の上着かけコートフックを指差して。

 本物の顔だと知ったおれは、なんて言ったのか。
 本物の顔だと、どんな気持ちでおれに言ったのか。

「話し方はこのままで許してくれませんか?
 少しでも崩すと、戻せなくなってしまうのです」
「おれ、って言って」
「あまり自信はないのですが、分かりました。
 俺をおかえりと出迎えてくれないのですか、ヘイディ?」
「……おかえり兄ちゃん、でも、なんか変だ」
「ええ、そうですね、言葉遣いを正すのは難しいです」

 なぜか、流れるように抱き上げられた。
 細い少年の腕なのに力が強いのは、改造神官だからなのか。

 抱っこされて、おれが借りている部屋に連れていかれると、いつもいつのまにか敷布シーツが交換されている寝台の上に下ろされた。

「顔色が悪いですよ、気分の落ち着く薬湯を用意しましょうか」
「待って、おれ、ここでお世話になってるのに、仕事をしてないんだっ」

 行かないで、とまっさらな神官服の胸元を掴んで、服の下の硬さに指が震える。
 風呂で見た胴体は金属製だった。
 股間までは覚えていない。

「仕事?」

 見た目は十四、五歳くらいだけれど、兄ちゃんだって男だ。
 欲求があるはずだ。

 この家の使用人さんたちは、みんな手際が良くて親切で、おれができそうな仕事は見つけられなかった。
 図体ばかりでかいのに、不器用で愚図グズ鈍間ノロマなおれにできることはない。
 誰かの仕事を奪うことはしたくなかったから、奪えそうになくて安心した。

 でもそうなると、おれにできることなんて、たった一つしか残らない。
 そうだ、覚悟を決めないと。
 おれにはもう、後が無い。

「トリル兄ちゃん、おれにご奉仕させて」

 知られたくなかったけれど。
 でも、これしかない。
 これしか、知らないんだ。

 おれは体が大きいから。
 無茶しても大丈夫、……って。
 怖いけど。
 兄ちゃんなら。

 借りている服に手をかけて、ボタンを外していく。
 使用人さんたちが用意してくれる服は手触りが良くて、布も柔らかくて、良い香りだ。

 毎日、湯船に浸かる風呂にも入ってる。
 洗ってないから迎え入れるのは無理でも、口と手なら。

「ヘイディ」

 真っ白で傷一つない手が、おれの手に触れた。
 そのまま軽く引っ張られて、ぽんぽん、と寝台脇に立つ兄ちゃんの股間を触れさせられた。

 手のひらに伝わってきたのは、硬さ。
 手をこぶしに握ったら指の関節が当たり、こん、こん、と人の体からするはずのない音がする。

「……?……あれ?」
「さあ、寝巻きに着替えましょう」

 おれの手を離した兄ちゃんは、なにもなかったように手を伸ばしてくる。
 頭を洗ってもらっていた時のように、簡単に服を脱がされて、下も靴に靴下に下衣と引き抜かれた。

 おれの手と感覚がおかしいのでなければ、兄ちゃんの股間には、なかった。

 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

失恋して崖から落ちたら、山の主の熊さんの嫁になった

無月陸兎
BL
ホタル祭で夜にホタルを見ながら友達に告白しようと企んでいた俺は、浮かれてムードの欠片もない山道で告白してフラれた。更には足を踏み外して崖から落ちてしまった。 そこで出会った山の主の熊さんと会い俺は熊さんの嫁になった──。 チョロくてちょっぴりおつむが弱い主人公が、ひたすら自分の旦那になった熊さん好き好きしてます。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

君と秘密の部屋

325号室の住人
BL
☆全3話 完結致しました。 「いつから知っていたの?」 今、廊下の突き当りにある第3書庫準備室で僕を壁ドンしてる1歳年上の先輩は、乙女ゲームの攻略対象者の1人だ。 対して僕はただのモブ。 この世界があのゲームの舞台であると知ってしまった僕は、この第3書庫準備室の片隅でこっそりと2次創作のBLを書いていた。 それが、この目の前の人に、主人公のモデルが彼であるとバレてしまったのだ。 筆頭攻略対象者第2王子✕モブヲタ腐男子

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

フローブルー

とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。 高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。

英雄様の取説は御抱えモブが一番理解していない

薗 蜩
BL
テオドア・オールデンはA級センチネルとして日々怪獣体と戦っていた。 彼を癒せるのは唯一のバティであるA級ガイドの五十嵐勇太だけだった。 しかし五十嵐はテオドアが苦手。 黙って立っていれば滅茶苦茶イケメンなセンチネルのテオドアと黒目黒髪純日本人の五十嵐君の、のんびりセンチネルなバースのお話です。

すべてはあなたを守るため

高菜あやめ
BL
【天然超絶美形な王太子×妾のフリした護衛】 Y国の次期国王セレスタン王太子殿下の妾になるため、はるばるX国からやってきたロキ。だが妾とは表向きの姿で、その正体はY国政府の依頼で派遣された『雇われ』護衛だ。戴冠式を一か月後に控え、殿下をあらゆる刺客から守りぬかなくてはならない。しかしこの任務、殿下に素性を知られないことが条件で、そのため武器も取り上げられ、丸腰で護衛をするとか無茶な注文をされる。ロキははたして殿下を守りぬけるのか……愛情深い王太子殿下とポンコツ護衛のほのぼの切ないラブコメディです

処理中です...