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本編と補話
06 転がされた
しおりを挟む部屋に一日中いるわけにはいかない、となんとか考えて絞り出した。
「すいません」
「はい、なんでございましょう」
「調理場を貸してもらえませんか?」
「はい、構いませんよ、どうぞ」
使用人の男性が言うには、基本的に、おれの望みは全て叶うらしい。
兄ちゃんがそうしろと言ったらしい。
なんだそれ、甘やかしか。
他人の家でお世話になっておきながら、わがままを言うつもりはない。
それでも、暇つぶしの手段が少ないので、時間を持て余した。
軍にいた時は、暇な時間なんてなかった。
起床、食事、鍛錬に参加、食事したいのに職務を要求されるから洗って職務、鍛錬に参加したいのに職務を要求される、食事、職務、体を洗う、夢も見ずに寝る。
二等兵で本採用された頃から、何も変わらない。
それがおれの生活だった。
他の兵にとっては休憩時間でも、おれにとっては職務で、一日に三人とかきついし、中でも寝る時間を削られるのは、辛かった。
上官は特に回数が多くて乱暴で、おれの負担を考えてくれなかった。
「ボロストファさま、どうかなさいましたか」
いつのまにかぼんやりしていたようだ。
使用人の男性になんでもないと答えて、両親の形見のシェフナイフのセットを取り出す。
おれは料理ができないから、これを使うことはない。
でも、形見だ。
自暴自棄になった時でも、売ることも捨てることもできなかった。
「すいません、研ぎ石と革砥はお借りできますか?」
「分かる者を呼びますので、少々お待ちください」
錆びないように油を塗って最低限の手入れはしてきたけれど、手入れ用品は持っていない。
休憩していたらしい料理人がわざわざ来てくれて、研ぎ方を教えてくれた。
これまでのナイフの手入れ方法が、大雑把すぎたと知った。
礼を言って、広い調理室を後にする。
庭に行こうか、部屋に戻ろうか。
やることがないから、変なことばかり考えるんだ。
どうして誰も、おれになにも聞いてこないのか。
おれが兄ちゃんとどういう関係なのか。
いつまでここにいるつもりなのか。
居心地が良いと同時に、申し訳ない気持ちにさせられる。
おれはここでも役立たずだ。
軍にいた時よりひどい。
軍では役職があった。
働いて給金を受け取っていた。
おれの役職は軍人らしさの欠片もなかったけれど、軍人としての肩書きは与えられていた。
才能もなければ向いてもいないおれのような落ちこぼれにも、職務があった。
軍の規律を乱さないために。
軍の評価を落とさないために。
中の問題を外に出さないように。
兵士が問題を起こさないために、おれのような役職が必要だと分かっている。
一番発散が必要な若い兵士たちの給料では、毎日は通えない。
外の女性に相手をしてもらえないなら、軍の中で消化するしかない。
それが、男同士でも。
男である以上、欲求の解消は必要だから。
おれが職務をこなすんだ。
いやだ。
何百回もやってるのに、何年も経つのに、いつもいやで仕方なかった。
おれは、男なのに。
兄ちゃんのように、強い男になりたかったのに。
「は、はっ……はぁっ、はぁっ……」
息が苦しい。
やめろ、思い出すな。
あれもこれも職務だ、これまでのは全部、職務だったんだ。
それでも。
おれは今までのおれを、兄ちゃんに知られたくない。
情けなくて格好悪くて、国を守っていると胸を張ることもできない。
ここを、出ていかなくては。
兄ちゃんに、おれが軍でなにをしていたのかを、知られる前に。
「ボロストファさま、どうなさいました?」
「はっ……はぁっ……」
耳鳴りがする。
男の手が……おれに……触れ……。
「ひいっっっ!」
「ボロストファさまっ」
……隠れないと。
せめて、寝台で。
……見つかりたくない。
立ったままは後で体がきついし、床の上はつらい。
……どこか、見つからない場所へ。
今日はまだ、洗ってない。
……怖いのはいやだ。
きたねぇ、と殴られたくない。
どこをどう走ったのか、気がついたら通ったことのない廊下にいた。
……おれは。
おれは。
こつん、こつん、と木靴の底が床石を打つ。
戦争が終わって生活が豊かになってきたことで、普段から木靴を履くのは神官くらいだ。
つまり。
「ただいま戻りました、どうしたのです、ヘイディ?」
「あ……」
しわ一つ、汚れ一つない神官服。
穏やかな声音、穏やかな口調。
でも、その顔が。
「ヘイディ、どうです、昔と同じでしょう?」
「トリル兄ちゃんっ!」
かぶっているだけですけれど、と言いながら、つるんとした金属製の顔上半分を外して、その下から現れた少年の顔で微笑む。
まるで帽子みたいに手に持ったそれ。
それは、おれの知るトリル兄ちゃんの顔だった。
頭頂から後頭部、顔の上半分をすっぽりと覆う、金属製の外装。
目の部分には、細い線状のすき間が何本もある。
そうだ。
おれは初めて会った時に、トリル兄ちゃんに言ったんだ。
顔が金属製の人がいるなんて知らなかったから「ぼうしあっちです」って壁の上着かけを指差して。
本物の顔だと知ったおれは、なんて言ったのか。
本物の顔だと、どんな気持ちでおれに言ったのか。
「話し方はこのままで許してくれませんか?
少しでも崩すと、戻せなくなってしまうのです」
「おれ、って言って」
「あまり自信はないのですが、分かりました。
俺をおかえりと出迎えてくれないのですか、ヘイディ?」
「……おかえり兄ちゃん、でも、なんか変だ」
「ええ、そうですね、言葉遣いを正すのは難しいです」
なぜか、流れるように抱き上げられた。
細い少年の腕なのに力が強いのは、改造神官だからなのか。
抱っこされて、おれが借りている部屋に連れていかれると、いつもいつのまにか敷布が交換されている寝台の上に下ろされた。
「顔色が悪いですよ、気分の落ち着く薬湯を用意しましょうか」
「待って、おれ、ここでお世話になってるのに、仕事をしてないんだっ」
行かないで、とまっさらな神官服の胸元を掴んで、服の下の硬さに指が震える。
風呂で見た胴体は金属製だった。
股間までは覚えていない。
「仕事?」
見た目は十四、五歳くらいだけれど、兄ちゃんだって男だ。
欲求があるはずだ。
この家の使用人さんたちは、みんな手際が良くて親切で、おれができそうな仕事は見つけられなかった。
図体ばかりでかいのに、不器用で愚図で鈍間なおれにできることはない。
誰かの仕事を奪うことはしたくなかったから、奪えそうになくて安心した。
でもそうなると、おれにできることなんて、たった一つしか残らない。
そうだ、覚悟を決めないと。
おれにはもう、後が無い。
「トリル兄ちゃん、おれにご奉仕させて」
知られたくなかったけれど。
でも、これしかない。
これしか、知らないんだ。
おれは体が大きいから。
無茶しても大丈夫、……って。
怖いけど。
兄ちゃんなら。
借りている服に手をかけて、釦を外していく。
使用人さんたちが用意してくれる服は手触りが良くて、布も柔らかくて、良い香りだ。
毎日、湯船に浸かる風呂にも入ってる。
洗ってないから迎え入れるのは無理でも、口と手なら。
「ヘイディ」
真っ白で傷一つない手が、おれの手に触れた。
そのまま軽く引っ張られて、ぽんぽん、と寝台脇に立つ兄ちゃんの股間を触れさせられた。
手のひらに伝わってきたのは、硬さ。
手をこぶしに握ったら指の関節が当たり、こん、こん、と人の体からするはずのない音がする。
「……?……あれ?」
「さあ、寝巻きに着替えましょう」
おれの手を離した兄ちゃんは、なにもなかったように手を伸ばしてくる。
頭を洗ってもらっていた時のように、簡単に服を脱がされて、下も靴に靴下に下衣と引き抜かれた。
おれの手と感覚がおかしいのでなければ、兄ちゃんの股間には、なにもなかった。
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