ひだまりで苔むすもの

Cleyera

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本編と補話

04 連れ込まれた

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 スケル神官が、突然トリル兄ちゃんだと名乗った。
 その言葉が、ようやく耳から頭に届いて。

「え、うそだ!、ええ、トリル兄ちゃん?、ええええ、本当に??」
「そうですよ、思い出してくれました?」

 よくよく見てみれば、……うーん、似てるか?
 似てないような。
 十年以上前のことだから、記憶が遠い。

 でも。

「トリル兄ちゃんは改造神官だった」
「ええ、そうですよ」

 改造神官。
 改造兵。
 それはおれが生まれる前に終わった戦争が残してしまった、汚点であり遺物。

 兵士や従軍神官に、古代遺跡から発掘した技術を埋め込んだ化け物。
 戦争に勝つために作られた、知恵持つ人型兵器。

 戦争の最終期はどの国も殲滅戦センメツセンの様相で、戦場から戻れたものはほとんどいないと、軍に入ってから習った。
 少ない生き残りも人とは呼べない代物で、表舞台から姿を消したはずだ。
 だからトリル兄ちゃんも、もう生きていないと思い込んでいた。

 おれが知っているのは、トリル兄ちゃんは、貧民街と下町の境目の小神殿に、駐在神官として赴任していたってこと。

 当時の貧民街は治安が悪くて、自衛できない神官を置けなかったのだろう。
 元従軍神官なら、一般人に負けるわけがない。

 他の改造神官は知らないけれど、トリル兄ちゃんは、神官服は着ていても人とは違う姿だった。

 顔の上半分は、無骨な金属で覆われていた。
 両手は金属製の三本指で、服の下の腕も胴体も金属製だった。
 口は酔っ払ったおっさん以上に悪い。
 神官のくせに酒が大好き。

 騒ぎや喧嘩ケンカがあれば真っ先に飛び込んで行くのに、説法なんてしなくて、全員をぶちのめす解決方法しか持ってない。
 金属製の拳は、血で汚れていない日の方が少なかった気がする。

「別人にしか見えない」
「外装交換は定期的にしなくてはいけませんが、顔は本物同様のはずです」

 見た目の話だけじゃない。
 あの喧嘩っ早い荒くれ者みたいな人が、ここまで変わるもんなのか。

 にっこりと微笑んで、自称神官長で自称トリル兄ちゃんは、おれに手を差し出してくる。

「一夜の宿ではなく、永劫を差し出しても構わないほどに、わたしは幼いヘイディに救われたのです」

 反射的にその手をとってしまった。
 そうしないと、なぜか泣かせてしまうような気がして。





   ◆





 連れていかれたのは、何人もの使用人が頭を下げて出迎える豪邸だった。

 いや、無理です、と言ったけれど、逃がしてくれなかった時点で、この少年神官は本当に本物のトリル兄ちゃんなのかなと痛感する。
 やると決めると強引なところは変わらない、うん、変わってない。

「まずはお風呂に入りましょう、昔のように頭を洗ってあげます」

 いやそれ、おれが子供の頃の話だ。
 ご機嫌な様子で言われて、周囲の使用人までにこにこしていると、言葉にできない。

 下町で両親が営んでいた食堂は酒場も兼用で、軍人や傭兵でごった返していた。
 夕食時からは、店じまいまで客が途切れることはなかった。

 他人を信用するのは難しい時代で、両親だけで店を回していたから、余裕もない。
 自然と自分のことは自分でやるようになったが、ある時からトリル兄ちゃんが、風呂に入れてくれるようになった。

 できているつもりでも、自分で髪の毛を洗うのは難しかった。
 こまめに切ってもらえる環境でもなかった。

 頭に血吸い虫がわいたのを見つけられて、薬を手に入れるより早いと、父親にまるっと剃り落とされた。

 下手くそな剃り上げ頭を、酔っ払いにからかわれて泣くおれに「これからは俺が洗ってやるから泣くんじゃねえよ」と、三本指で頭を洗ってくれた。

 ああ、そうか。
 おれが〝おれ〟と言い出したのは、トリル兄ちゃんの真似だ。

 強くなりたかった。
 誰が相手でも軽い口調であおって、簡単にぶちのめすくせに、後には残さない。
 おれもそうなりたかった。

 トリル兄ちゃんは軍人以上に荒っぽくても、根底はしっかりと神官だった。
 暴力は振るうけれど、理由があった。
 口は悪くても、優しかった。

 軍人や傭兵の中には、貧民街の人々に暴力や金銭で欲求を叩きつける者がいたから、両親にとっても信用できる相手だったのだろう。

「こちらへどうぞ」

 なぜかご機嫌な様子の使用人たちに囲まれ、広々とした風呂場に案内される。
 着替えや垢すりなどの全身の手入れを受ける部屋と、湯船と洗い場のある二部屋がつながっているようだ。

「ヘイディ、うちの風呂は広いですよ、ゆっくりと温まって疲れを落としてくださいね」

 あのさ、待って、おれ、大人だから。
 自分で頭くらい洗える!

「先に入っています」

 あっという間に少年の姿が、扉の奥に消えていく。
 そっと部屋を出ようとしたら、外に布を抱えた使用人がいた。

「お着替えをお持ちしました、他に不足がございますか?」
「いえ、あの、ありがとうございます」

 逃げられそうにない。
 見られたくない。
 知られたくない。
 きっと大丈夫、結婚式の予定があったから、体に痕が残らないように頼んでた。
 ここ数日は休日だったから、職務をしていない。
 わからないだろう。

 荒くなりそうな呼吸を止めて、どくどくと暴れ出した胸を手で押さえる。

 服を脱いで、見れる範囲で全身を確認してから腰に布を巻く。
 全裸は見せられない。
 しぶしぶと扉を開くと、もわりと湯気が顔に当たる。

「ヘイディ、こちらへ」

 本当に広い。
 大人が二人入っても足を伸ばせそうな湯船。
 体を洗う場所は滑りにくいタイルが敷かれて、頭上から湯が注ぐようになっている。

 金持ちだ。
 うわ、すごい。
 そんな頭の悪い感想を覚えている間に、温かい指に手を引かれる。
 指は五本。
 金属製の三本指とは大違いだ。
 少年と大人の境目の細い体、鎖骨辺りまでは人の肌、胴体は細い金属を組み合わせたような構造、腕と脚は人の肌。

「……体が」
「戦場に出る時は換装する必要がありますが、街中では人の姿でないと目立ちますから」

 ぜんぜん思い出せない。
 子供だったおれは、人の形をしてなかったトリル兄ちゃんに、どんな言葉をかけたのか。

「……」
「温まったら洗ってあげますから、入ってください」

 ……湯をかけてから湯船に浸かって温まった後、頭を洗ってもらう。
 ガチガチに緊張しているおれに気が付かないはずがないのに、なにも言わずに、ただ洗ってくれた。

 兄ちゃんに頭を洗ってもらうの、大好きだった。
 懐かしい。

 十二歳で一人になってから、こんなふうに優しく触れられたことはなかった。

 顔に柔らかい布を押し当てられて、おれは泣いていることに気がついた。
 大人なのに。
 メソメソと泣いてしまうなんて。
 でもこんな情けない姿も、相手がトリル兄ちゃんなら見られて構わない。

 どうやらおれは、少年の姿のスケル神官を、本当にトリル兄ちゃんだと信じたらしい。
 信じたい、のかもしれない。

 風呂上がりのマッサージを断ったら、よく冷えたあっさりとした飲み口の果実酒を渡されて。
 大きな長椅子に座って飲む。
 ほとんど酒の味がしなくて美味しかったから、おかわりをもらった。

 そんなふうに過ごしていたら、ここ数日の騒動で疲れていたのか、夕食も食べていないのに、いつのまにか眠ってしまったようだった。

 
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