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4 ボク
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しおりを挟むボクはゼンさまと離れる気がなかったから、部屋を一つしか借りていなかった。
部屋に入ってすぐに寝台があり、机と椅子が二脚。
それだけ揃っていれば十分だと思っていたことを後悔した。
最初に言われた通り二部屋借りておいて、話はゼンさまのいない場所でするべきだった。
二度と離れないと決めたことで、こんな思いをするなんて。
ディスプレにはシンシになる資格があるからと、一人で残ることを許さなければ良かった。
本当に、一瞬でも側を離れなければ良かった。
わざと大きな音を立てながら扉を開けた。
寝台に横になっているゼンさまの方が見られない。
「お待たせ、茶だ」
ディスプレの目の前に茶を差し出し、ゼンさまとディスプレの間に体を割り込ませる。
「ありがたい」
ボクの絶望に気がつかないのか、ディスプレは微笑んで器を受け取った。
これまで一度だって笑顔なんて見せなかったのに、どういうつもりだ。
ゼンさまに良い顔しようとしてるのか。
「スペラ?」
背後から囁くような声がした。
おかしな顔になっていそうで不安になりながら振り返ると、黒い瞳がボクへ向けられていた。
「驚いた、スペラがまた子供になっちゃったのかなって思った」
真っ白で真っ黒な姿。
初めて出会った時に似ていてもやつれていない姿は、ボクと過ごした歳月を失っているように見えた。
安堵の色が含まれた声は優しかった。
見た目は過去に戻っても、ボクのことを覚えているのか。
ボクのお嫁さんになったことを覚えているのか。
……信じてもいいのかな。
ボクとこいつは似てないのに間違える訳がないだろう、と心が悲鳴をあげる。
信じられない。
ゼンさまを信じられなかったら、この世のなにも信じられない。
口を閉ざしたままのボクにゼンさまの揺れる視線が向けられるけれど、うまく言葉にできない。
不安そうに見上げる背に腕を伸ばして、ゼンさまが座れるように支えた。
そこにディスプレが呑気な口調で声をかけてきた。
「まずは今回の事を聞いた方が良いのではないか?」
そんなこと分かってる。
苛立ちと同時に、腹の奥でもやもやが湧いたのを感じた。
子供の姿のくせに末っ子叔父よりも年上で、ボクよりもゼンさまに求められているかもしれないこいつが嫌いだ。
会話もしたくない。
そんな時に、くぅと腹を鳴らしたゼンさまが、気恥ずかしそうに目を逸らした。
「今すぐなんかもらってくる!」
ずっと眠っていたから、消化の良いものを用意しなくては。
部屋を出なくてはいけないから、どっかりと座っていたディスプレの腕を引っ張って、一緒に外に出た。
こいつだけ残していくなんてできるか。
「かみさまは腹の音まで可憐で控えめなのか」
引っ張られながらなにか言ってるが、聞きたくない。
調理場にいたサイシに麦粥を頼んでから振り返ると、ディスプレが呆れた表情でこちらを見ていた。
「ぼくは夫婦喧嘩に巻き込まれたくない、しっかりと話し合え、こちらを気にする必要はない。
人間関係の面倒臭さはここだけで十分だ」
思わず睨んでしまうけれど、それすらも鼻を鳴らして流された。
「良いか、他でもないお前がかみさまを見つけたと、ぼくは巫から聞いている。
誰がなにを言おうともすでに起きたことは変えられない、今お前が一番にするべきは、かみさまが傷つけられた事をどうお考えなのか聞くことではないのか?」
胸に言葉が刺さった。
その通りだ。
拗ねてる場合じゃない。
ボクはゼンさまを守れなかった、どれだけ深い傷を負わせてしまったのかも分からない。
「……偉そうに言われる覚えはない!」
「図体はでかくても子供だな、事実を言われて怒るのがその証拠だ。
お前が一番に考えるのはかみさまの事じゃないのか?、大事にしないならぼくがもらうぞ」
ぼくの方が、かみさまを大切にできるかもしれないからな。
囁くように言われた言葉には、重みがあった。
調理場を出ていくディスプレの背中を睨みつけても、言い返す言葉が出なくて、握った拳が痛んだ。
ゼンさまの待っている部屋に戻ろう。
そう思って外に出れば、廊下の奥に向かって歩いていたディスプレが一瞬だけ振り返った。
「早くしろよ」
嘲るように笑われて、頭に血が上った。
腹の奥で膨れ上がったもやもやを一気に叩きつけると同時に、爆発するように壁と床が吹き飛んだ。
読まれていたのか、がらがらと音を立てて崩れた建材の中にディスプレはいなかった。
仕留められなかった。
子供の体は的としては小さい上、あいつは体の使い方がボクよりうまい。
憎い。
ボクよりも時間を重ねて、余裕を持っていることが憎い。
ゼンさまもボクより年長で、心に余裕があるシンシが良いと望むに決まってる。
あいつがシンシに選ばれたら、ボクはいらないって言われるんだ。
地の底から湧き上がる湯のように、腹の奥からもやもやが溢れ出す。
人の形を取っていた体があっという間にシンシのものに変わって、どす黒く染まっていく。
重たい。
体が、心が、痛い。
どうしてボクはこんなに醜いんだ。
ゼンさまの側にいるに相応しいボクになりたいのに!!
「スペラ!」
ゼン様の声が聞こえた。
シンシの姿が黒く染まっているところを見られたくない。
そう思ったのに、崩れた板壁の向こうにディスプレに抱き上げられているゼンさまの姿があった。
ボクではないオスが、触れている。
触れることを許したのか?
かみさまは頂くぞ。
言葉にしないで、口の動きだけでディスプレはそう言った。
殺してやる。
真っ黒に染まった思考で考えられたのは、それだけだった。
ぎゅう、と抱きしめられた。
どろどろと溢れていた感情が空っぽになって消えた。
ボクを抱きしめているゼンさまの腕はとても暖かくて、力はとても弱くて頼りなかった。
振りほどくことは簡単なのに、できない。
情動が限界まで振り回されたことで、頭の中が真っ白になった。
自分が直前までなにを考えていたのかも全て吹っ飛んだ。
なぜ、ボクは抱きしめられているのか。
ゼンさまは怒り狂うボクを恐れていないのか。
「どっか痛いのかスペラ?、疲れてるのか?」
小さな弱々しい肉体しか持っていないのに、かみさまは醜いボクを恐れない。
ボクがかみさまを傷つけないと信じているから、他意なく近づいて抱きしめてくれたのだ。
それどころか心配までしてくれる。
ボクはゼンさまの側にいられる価値が無いと、証明してしまったのに。
「スペラ、なあ、どうした?」
シンシの姿だと会話できないと知っているのに、何度も繰り返して話しかけてくれるゼンさまの優しさが、からっぽのお腹に染み入るようで辛い。
柔らかい手の感触で欲が頭を持ち上げた。
いつも優しく包んでくれる体に触れたい。
だめだ、傷つけられたばかりのゼンさまに、そんなことできるか。
「彼はドゥンネゼウがご無事だったことに安心して、疲れが出たのでしょう。
しばらく部屋でお休みください」
どこに行っていたのか、けろりとした様子のディスプレが現れて湯気の立つ麦粥の器をボクに押し付けた。
「ありがとう……あの」
「ぼくはディスプレです」
「ディスプレくん」
「!!……ええ、どういたしまして」
ゼンさまに名前を呼ばれて、これまでの太々しさが嘘のように喜んで赤くなるディスプレを見ながら思った。
ボクはディスプレに敵わない。
こいつはこうなると分かっていてボクを挑発した。
ゼンさまを利用したことは許せないけれど、手のひらの上で転がされるように扱われて、思い知らされた。
きっとボクは、ディスプレをシンシとして受け入れることになるだろう。
ゼンさまをお守りするために、こいつが必要だ。
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