【R18】かみさまは知らない

Cleyera

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4 ボク

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 力の抜けた肉体を抱きしめた。
 泥を詰めた袋のように柔らかい体に、腹の底が恐怖でうねった。

 死んだ。
 死んでしまった。

 ゼンさまが地を歩むための体が死ねば、シンシであるボクも死ぬ。
 いいや、ボクも一緒に死ぬしかない。

 一人になんて二度となれないとボクは知ってしまった。
 ゼンさまのいない世界に、未練はない。

 生き物ではないと訴えるように、みるみるうちに冷たくなっていくゼンさまの体を、決して手放すものかと深く抱き込む。

 ゼンさまの体は人の肉体とは明らかに違う。
 触れれば触れるほどに作り物めいていた。

 心臓の鼓動を感じて、呼吸をしているのに、ゼンさまの肉体からは生きているものの持つ醜さを感じられなかった。
 いつでもどんな時でも真っ白だった。

 外側だけ人に似せている、そう感じた。

 決して離さないとその体の最奥に精を注いでいる時ですら、人とは違う清らかな存在だった。
 快楽に溶けて顔を歪めている時ですら、獣じみた欲に溺れているようには見えなかった。

 腹の中にボクが注いだ熱を持って、甘く鳴いている時ですら、ゼンさまはかみさまだった。

 だから、絶対に離れないと決めた。
 命をかけても守ると誓ったのに、できなかった。

 幸せだった日々は短かった。
 あっという間に奪われた。
 町や村から離れて、もっと慎重になるべきだったのか。
 でも、ゼンさまを森や荒野で寝かせたくなかった。
 温かい食事を、寝台で眠るのを、とても喜んでくださっていたから。

 傷ひとつ付けたくなくて優しく触れているのに、何百年も放置されたものであるかのように、ぼろぼろとボクの手の中でゼンさまが崩れていく。
 砂を固めたようにぐずぐずと形を失っていく。

 いやだ。
 いかないで。
 ゼンさまがいないと、生きられない。

 ああ、そうだ。
 どうせ死ぬなら、ボクの全力でゼンさまを傷つけたものたちを滅ぼしてからにしよう。

 憎しみと怒りと悲しみに腹の中のもやもやが存在感を増す。
 止められない、止める気もない。

 許せない。
 ゼンさまがいないなら、人を殺すことをためらう必要が無い。
 だってボクは、末っ子叔父を見捨てた。

 ボクが殺した。
 末っ子叔父と、ゼンさまを。

「やめロ、待てッ、見ロ、ヌー・テ・ウイタ・ラ・ドゥンネゼウをっ」

 腹の中のもやもやを全てぶちまけて、目に見えるものを全て滅茶苦茶にしてやろうと思ったその時、ディスプレの声が届いた。
 煙にまかれて正気を失うことを恐れて遠くにいたからこそ、見えたようだ。

 ボクの腕の中で、ゼンさまだったものがどろりと動いた。
 いつのまにか真っ白で真っ黒な塊になっていたゼンさまが、みるみるうちに人の姿を取り戻していく。

 傷ひとつない肌、柔らかい頬、筋肉の少ない少年のような肉体。
 時間が戻っていくように、ゼンさまの姿はボクが初めて出会った時と同じものになった。

 短く整えられた黒い髪、健やかな体。
 共にいた二年で髪が伸びていたことを知る。
 過ごした二年で日に焼けたことを知る。
 男に抱かれて満たされることを知った体が、色気を増していたことを知る。

 出会ったばかりの時と同じ姿になったゼンさまは、意識のないままゆっくりと胸を膨らませて、呼吸をした。
 どくり、と心臓が音を立てた。

 そして。
 ボクがどうしようもないほどに溜め込んでいたもやもやを、一瞬で消してくださった。



 真っ白になった腹が、からっぽの腹が苦しい。
 憎しみも悲しみも怒りも、言葉にできない全てが混ざった憎悪が強制的に浄化された。

 ゼンさまが人を憎まないなら、ボクも憎まない。
 ゼンさまが望むことを、ボクはそのまま受け入れる。

 かみさまが人へ悪感情を向けてはならないと言うのなら、ボクはそうしよう。
 心が引き裂かれそうな痛みを感じていても、憎しみも怒りも残っていないから、動くことはできない。

「こッチだ!」

 ディスプレの声に呼ばれるように立ち上がったボクの手足は、望んだ人の形になっていた。
 伸びた白い髪がはらりと肩を滑り落ちる。

 シンシの姿であっても人の姿であっても、ゼンさまはボクをボクだと認めてくださるけれど、いつでもどこでも共に在るために、人の姿は必要だ。

「かみさま」

 人の姿を失ったままあげた声とは違う、人としての声で呼べば、意識がなくともゼンさまに慰撫されたような気がした。

 全ての傷が癒えているように見える。
 薄汚い汚泥を注ぎ込まれていた肉体は、真っ白で真っ黒に戻っていた。
 なにもかも、全てが始まる前に戻ったように見えた。

 すうすうと健やかな息の音をさせて眠っているようにしか見えないゼンさまを、この薄汚い場所へ置いておく訳にはいかない。

 両腕で壊れやすい宝を守るように抱き上げ、揺らさないように足を踏み出した。
 ゼンさまの眠りを妨げることのないように。
 目を覚まされた時に、全てを忘れていてくだされば良い。

 倒れた男たちが意識を取り戻してもがいているけれど、煙を吸い過ぎて動けなくなっているようだったので都合が良い。


 片腕を失って、人の形から崩れ始めているディスプレの元へ辿り着き、口惜しい気持ちを覚えながらゼンさまを差し出した。

 ディスプレはゼンさまに触れる権利を得ていると、ボクの心が告げる。
 ゼンさまが受け入れてくださるなら、触れれば姿が変わるだろう。

 ボクと同じように。

「おお、おおっ」

 ディスプレは意識のないゼンさまの指に怯えるように触れた。
 指先が触れただけで、シンシの証のように白い髪と白の瞳を手に入れた事に、腹の奥がぐるりと動いた。

 喜びと恍惚とした声をあげて、ディスプレは地に膝をついた。
 ゼンさまに献身を誓った。
 人の姿を取り戻しただけでなく、ボクがもいでしまった腕も元通りだ。

「唯一つ星にワシマすヌー・テ・ウイタ・ラ・ドゥンネゼウよ、我らの嘆願はその耳に届いていたのか。
 感謝いたします、悲願を受け取ってくださったこと、ぼくが我らの総意として深くお礼申し上げます」

 ボクに対していつも偉そうな口調だったくせに、今は召使いが主人に仕えるように腰を低くする姿に腹がたった。
 怒りを感じているのに、空っぽの腹が動かない。

 こいつの方が、ボクよりもゼンさまの御力を受け取るのが上手いのか。
 そう思うことが苦しい。

 ゼンさまを独り占めするのは贅沢すぎる望みだと分かっていても、口惜しい。
 一番初めにゼンさまを見つけたのは、ボクなのに。

「仲間が待っている、行くぞ」
「ああ、協力に感謝する」

 悔しい。
 ボクの方がゼンさまを知っている、と言葉にすれば陳腐になってしまう。
 こいつに負けるものか、ボクはゼンさまの夫なのだ。

 腐り果てたような神殿もどきを駆け抜け、道を走り抜け、行方をくらませるために道なき道を進んでいく。

 心に従うなら、ディスプレと別れるべきだ。
 卑怯なボクはそれが一番正しいと考える。
 でもゼンさまを抱えているから、助けてもらった礼も言わずに逃げ出すことは、できなかった。

 眠り続けるゼンさまを抱き抱えたまま、休みも取らずに走り続けた。

 体が軽い。
 ゼンさまが全て浄化してくださるから、休息は必要ない。
 眠っておられても、進んできた道が白く浄化されて背後に伸びていることを感じる。

 かみさまはいつでも、この世界を愛してくださっている。
 自分が苦痛に苛まれることを、知っていてなお。

 喜びと共に苦しくて仕方がない。
 これからもずっとゼンさまと一緒に在り続けるならば、二度と今回のようなことを繰り返すわけにはいかない。

 どうしたらお守りできる。
 ボクには力が足りない。
 知恵が足りない。

 悪知恵を働かせる金と権力を持った者と戦うには、ボクはあまりに頼りない。

 
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