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3 おれ
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しおりを挟む全てが現実だと感じて、恐ろしさと共にひどく寄る方ない気分になった。
この世界に産み落とされたばかりの赤ん坊になったようで、落ち着かない。
水源が少ないと聞いてはいたけれど雨も少ないらしく、街全体が埃っぽい。
町の住人が顔に布をかけて出歩くので真似ていたが、砂埃避けだったことを初めて知った。
どことなく町が臭いのも、生活に水が使えないからなのか。
道はでこぼこで、足元を見ていないと転びそうになる。
見上げた空は風で巻き上げられた砂でかすみ、青緑が夕焼けのように赤っぽく見えた。
なんだか、西部劇の町をもっと猥雑にしたような場所だ。
まとまりも計画性も感じられない建物の群れ。
目の前の道の幅さえ同じではない。
自分が自分で無くなったような、やっと自分になれたような。
うまく説明できない感覚を、どうやって消化したら良いのか分からない。
宿から出て百歩も歩かない内に背後から声をかけられ、返事をする前にその場に押し倒された。
手を出す暇もなく転がって、砂埃が舞って目が痛む。
声を出そうにも喉が乾いたように鳴るばかり、打ち付けた顔、胸に腹が痛い。
人が人に見えていたから。
周囲に人が多く歩いていたから、油断してた。
人に殺された経験もあったけれど、それは人が少ない村のような場所ばかりだったから。
目の前に、黒いものが、たくさんいた。
人にしてはやけに長い腕。
頭の先から爪先まで真っ黒なものが、たくさん。
おれを覗き込んでいた。
気持ち悪い。
ものすごく気持ち悪い。
なんだこいつら。
ぱくぱくと頭部らしき場所の口らしきものを開けて、両腕らしきものを伸ばしてくる。
口々にわめいている黒いものの声が、うまく聞き取れない。
昼の路上でよく分からないものに遭遇したことに恐怖していたら、髪も瞳も白くなってしまったスペリアトが現れて、黒いものたちを殴り、蹴り飛ばした。
「この御方に触れるな、下郎ども!」
途端に、使いすぎて伸びたチェーンを交換した後のように。
スペリアトを基点にうまく回り出す。
倒れこむ黒いものたちの姿に、殺陣でも見ているような気分になる。
殴ったり蹴り飛ばすから、血飛沫が出なくて助かる。
バイオレンスものは苦手だ。
スペリアトの動きがキレッキレで、素敵すぎる。
スペリアトは黒いものたちを蹴散らし、おれをお姫様のように抱き上げると、飛ぶように宿まで戻った。
「ゼンさまはオちられてなお美しく清らかであることを自覚すべきだ、それともこれもまた試練であると?」
あれらは信徒ではなく寄生虫ですよ、と訴えられてもよく分からない。
困った時しか神頼みしないような輩どもに、ゼンさまが応えられる必要は無いのです、とか言われてもな。
瞳孔が開ききった無表情が怖くて、そんなつもりないと首を振ったら、結婚か監禁の二択を迫られた。
虹彩が白いのに瞳孔の中は黒く見えるから、シベリアンハスキーみたいでかっこいいーと思ってたのに。
怖いよぉ。
監禁はともかく、なんで結婚なのかを聞けば、契約で守っておけば虫が寄り付きにくくなる、と言われて。
おれが傷つくことに耐えられない、と真っ青な顔で訴えられた。
さくっとあっさり襲われた身では、心配し過ぎとは言えなかった。
まさかの展開だったからな。
あんな黒いものに遭遇したことが無かったから、本当に驚いた。
もしもスペリアトが来てくれなかったら、殺されていた?
あれらに?
嫌だ。
それは、すごくいやだな。
黒いナニカにむしゃむしゃされた時は嫌悪感を感じなかったのに、あの黒いものは、すごく気持ち悪かった。
つやつやした家庭内害虫に出会った時みたいにゾッとした。
生理的な嫌悪感ってやつだ。
でもさぁ、結婚か。
なんで結婚と監禁の二択?
監禁も結婚も、即決できることでは無いよな。
そう思ったので、考える時間が欲しいと訴えてみれば「では結論が出るまで宿にいてください」と言われて困ってしまう。
譲歩は無し。
外に出たいと思った時に出たいのに。
スペリアトがおれを大事にしてくれるのは、素直に嬉しい。
死ぬようになったかも、そう思うだけで足がすくむ。
痛みを感じず、死なない今までが異常だったと頭では分かっているのに、やっぱり怖い。
これまで、おれはスペリアトとチームやバディでありたいと思ってた。
実現できてないけど。
稼ぎは9:1でおれが役立たず。
戦えない、解体はできない、買い物の目利きや値引き交渉もできない、移動しながらの薪の確保が遅い、点火、火力調整は下手、洗濯が手洗いはしんどい。
努力したつもりだけど、気がつけば貢がれてお世話されてた。
どんな姫プレイだよと申し訳なさを覚えるけど、おれと一緒にいられるだけで幸せだと、スペリアトが言ってくれたから。
結婚したら、変わるんだろうか。
なにが変わるのか。
変わってしまうのが、怖いような気がする。
スペリアトがおれを見る目に、失望が灯ったら困る。
結婚も監禁も、無理かな。
特に監禁は怖いので、先延ばししようと思って戸籍が、年齢が、性別が、と言ったら、懇々と説明された。
なにも問題ない?
嘘だと言ってくれ。
数百年もいるのに知らなかった。
この世界、女性がとても少ないらしい。
一妻多夫が因習の地域も珍しくないとか。
つまり、男同士の同性婚より、男女の夫婦の方が珍しい。
あと、結婚に年齢差は関係ないらしい。
金銭関係や相続問題で老人が子供と結婚する事も多い、ってそこは養子とかじゃないのかよ。
恋や愛のない結婚が普通の世界は嫌だな。
男同士が問題無い事に驚いたけど、出生率はどうなってるんだ。
そーゆーの置いといても、おれは戸籍の無い異世界人だよ?
言い訳を垂れ流すおれを抱きしめて、スペリアトが囁いた。
「結婚契約をすれば一番近くで守れる、オちたゼンさまは弱き人心を惑わせてしまうので心配だ」
魅力的すぎるとか言われて、ようやく気がついた。
……もしかして、あの黒いものはナンパ?
いや、でもあれ、人じゃなかったような?
おれが現実だと感じられるようになったのと同じように、これまで見向きもしなかった住人たちも、おれを認識出来るようになったのか。
もしかしておれもNPCになったのか。
あの黒いものも人扱いなのか?
なんだかすごく気持ち悪かったけど。
スペリアト曰く、今のおれはものすっごい庇護欲を誘う存在になっていて、監禁拘束しないといけない強迫観念に駆られるらしい。
守ってあげたいから続くのが、どうして監禁なんだよ。
どうやっても手に入れたい存在になっちゃったとかおかしいよ。
おれの存在感どうなってんの。
監禁したいって、どーゆー印象?
寂しいと死んじゃう系生物扱いされてるのか?
スペリアトが仕事をしている間、ずっと宿に閉じこもっているのは辛い。
獣を倒すスペリアトを見られそうにないから、着いていくこともできない。
これまで平気だったグロやスプラッタが、また無理になる予感がある。
監禁はされたくない。
黒いものにも遭遇したくない。
痛みがあるから殺されるのはもちろん無理。
これはもうスペリアトから離れられないってことか。
となれば、選択肢なんて存在しないも同然だった。
役所に行って書類にサインしただけで、あっさり終わった。
最後の抵抗で、漢字で名前を書いたのに認証されてしまった。
なんか分厚い皮みたいなのに名前書けって言われて、書いたら光ったよ。
あれ、なんだったの?
これからは襲われにくくなるはずだ、と落ち着いて周囲を見てみれば、役所にも男性しかいなかった。
町で出歩いているのも男ばっかだ、とようやく気がついた。
今まで、生きているだけで必死だったせいで気づいてなかったようだ。
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