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03 処女は知らんぷりをする
しおりを挟む気が付いた時には、男を張り飛ばしていた。
真っ白になった頭が行動に移せるようになるまでの間、どれだけ唇を塞がれていたのか。
「いやあっっ!!」
「ぅぁ、ぼぐえぇっ!!?」
変な声を残しながら吹っ飛んだ男が、壁にぶち当たって、そのままくたっと倒れる。
そして……その姿が変わった。
「ええっ!?」
白目を剥いている男の下半身が、人の足から、どう見ても……ヒツジ?のようなもっこもこの毛に覆われた偶蹄のものに変わった。
一見しただけで足の骨格が人とは違うし、下半身には何も着ていない。
ヒツジのような桃色のもこもこの毛に包まれているけれど、下半身を丸出しの男性が私の部屋にいることに、今更ながらに動揺し、そっと廊下に続く扉を開けて、人が近くにいないことを確認する。
今が夕食時でよかった。
私が泊まっている部屋は、最上位冒険者としての格を示すための続き部屋で、石造り三階建ての宿の最上階だから、一階の食堂まで悲鳴や物音は届いていないと考えて良いはず。
目の前で伸びている、下半身がヒツジ?の自称夢魔の魔族男性をどうしようか、と悩む。
このまま憲兵さんに突きだせば、人族と敵対している魔族ということで、討伐対象として処刑されるだろう。
魔族と人族は長年に渡って衝突し続けていて、別の大陸では魔王と勇者が現れるっていう。
魔王や勇者なんて、ゲームでしか聞いたことのない単語だけど、この世界には魔術や魔法?があるから、その存在を否定しきれない。
私みたいな変わり者もいるくらいだから、この世界ではなんでもありなんだろう、と早々に考えるのをやめた。
でも、この男性は魔族なのは間違いないだろうけど、誰かに危害を与えたわけじゃ……って、私が与えられてるよっ!!
キスを奪われた!
初めてだったのに!
とっておいたわけじゃないけど、相手がいなかっただけだけど、それでも私の初めてが!!
やっぱり憲兵に突き出してやる、私の初めてを奪った変態魔族っ!と半泣きになりながら簡単に身支度を整え、それからふと思った。
私、この人、夢魔を抱えて詰所までいかないといけないの?って。
絶対に変な勘ぐりをされるに決まってる!
ただでさえ変な勘違いをされてるのに、魔族を部屋に連れ込んだとか言われたら、生きていけない。
突然、部屋の中に現れたなんて言っても、信用してもらえると思えない。
どうしよう、さ、三階の窓から投げ捨てる?
それって完璧に殺人、いや殺魔族だよね、死ぬかもって分かってるのに、意識のない相手を窓から放り出すなんて無理。
この魔族の意識が戻ってから追い出せばいい?
そこまで考えて、二進も三進もいかなくなったので、魔族を〝異次元〟から取り出した荒縄でぐるぐる巻きにして、床に転がしておく。
それから小銭の入った袋だけを手にして、一階に食事に行くことにする。
今の状況に一番ぴったりな言葉は、現実逃避だと思う。
足音を忍ばせるように階段を降り、雑多な匂いと喧騒で賑わう食堂へと足を踏み込んだ。
食事を終えて、一応、もしかしたらお腹を空かせているかも、って思ったから、肉と塩漬け野菜を薄焼きに挟んでもらったものを用意してもらう。
水は私が作れるけれど、愛用しているカップを使わせたくないから、木彫りのカップも借りる。
お皿やカップは借りるときにお金が必要。
お金は返却時に返してもらえるけれど、壊してしまう人やそのまま持っていってしまう人への対策。
「……た、だいま?」
自分の借りている部屋に入るのに、なんて言えばいいのか分からない。
起きてるかな?と思いながら部屋に入り、奥の寝室の扉をゆっくりと開く。
「……いない」
室内には誰かがいるような気配もしない。
抜け出せないように気をつけて縛っておいたから、現れた時と同じように、消えた?
それにしても、部屋の中に突然現れるのは、この部屋が問題なのかな。
侵入者報知の魔術具の設定を調整してもらわないといけない、と考えてから、職人さんになんて説明したらいいのか分からなくなる。
部屋の中に突然現れる魔族を探知してほしい、とか無理じゃないかな。
部屋を変えてもらうことにしようかな。
変えてもらう理由……窓から見える景色に飽きた、じゃただのワガママにしか聞こえない。
ここのベッドの寝心地が気に入らない、はもう十日以上この部屋に泊まっているのに、今更すぎる。
必要なものは全て持っているから、借りるのもベッドだけの部屋で構わないのに、最上位冒険者だからって、何も言わないうちに一番高い部屋に通されるから、どうしたら良いのか分からない。
衛生観念の発達してないこの国では、宿の備品も清潔とは言い切れないから、私は生活に必要なものを持ち歩いている。
荷物を全部〝異次元〟に放り込んでおけるからできることだけれど。
しばらく悩んでいるうちに、どんな言い訳も言い訳にしか聞こえないと思って、後ろ向きな考え方しかできなくなってくる。
「うん、もう良いか」
ちょうど受けていた仕事も終わってるし、私が受けないと回らなくなるような危険度の高い仕事は、今日の時点では残っていなかった。
この町を出よう。
そう決めたら、すごくスッキリした。
私はとても安らかな気持ちで、眠りにつくことができた。
◆
朝、目が覚めてすぐに違和感に気がついた。
昨夜の寝る前の日課を忘れていたことに、今更気がついても後の祭りでしかない。
「……うそでしょ、またやっちゃった」
じわりと目の前が滲むけれど、三十路前男の泣き顔になんて、なんの価値もないと涙を飲み込む。
臭くて冷えたベタつく下穿きを脱いで、濡らした端切れで股間をぬぐう情けなさに耐え、新しいものに替える。
汚れた下穿きと端切れは、高圧高温で圧縮して砂に変えた。
〝異次元〟の中に大量に入れていたはずの下穿きと、端切れが残り少なくなってきたな、とまたどこかの店で大量に作ってもらうことにする。
文明が未発達で、服といえば自作、もしくは注文仕立てが普通のこの国には、既製品の服というものが無い。
自分にぴったりのサイズを求めるなら、肌着や庶民が着る麻のような素材の服だって、職人さんに作ってもらわないといけない。
古着屋はあるけれど、そういう店にあるのは、富裕層の人が仕立ててて、必要なくなったり、着れなくなった服ばかり。
当たり前のこととして、冒険者として行動するには向かない。
それにこの国の人はお風呂に入らないだけじゃなく、洗濯だってあまりしない。
肌着以外は洗わなくて良いのよ、って裕福なはずのうちの母親も言ってた。
年間を通して雨の少ない気候も関係して、この国は水が豊かではないから、農業用水の確保が最優先で、生活に使う水を最低限にするのは当たり前なんだと思う。
そういうことを理解はしていても、赤の他人が着た後に、年単位で洗っていない服は着たくない。
次の町に着いたら一番に仕立て屋に行って、下穿きを注文しないと。
十日くらい滞在するとして、その間に何枚作ってもらえるかな。
宿なら寝る前に日課をこなせるけれど、屋外で集団行動するような討伐系の仕事を受けてしまうと、その度に下穿きが駄目になっていく。
本当なら洗って使うべきだって分かっているけれど、自分で洗うなんて無理。
自分が男であることを受け入れられない私の、これはささやかにして最大の反抗。
中から外への音だけを遮断する魔法もどきはまだ成功していないから、一人用のテントの中であってもそういう行為をするのが恥ずかしい。
出費と羞恥心の天秤は羞恥に傾きっぱなし。
朝食、身支度を済ませてから宿を後にして、組合で町を出ることを報告したら、その足でそのまま街道へ向けて進む。
町から町の間で貸してもらえる馬みたいな動物がいるけれど、乗馬できないから歩くしかない。
乗合馬車もあるけれど、視線を感じるから乗りたくない。
乗合馬車や荷馬車を引く、ウマとロバの中間のような生き物であるファラプンダは、早くは走れないけれど、重たい荷物を引く力は強い。
そして私が歩くより早い。
本気で走れば追い抜けるけれど、急ぐ用事もないのに汗だくになるのは嫌なので、乗合馬車を見送った。
ゲームみたいに一瞬で装備品の変更ができれば良いのにな、と思いながら、派手な緑青のマントの襟を立て、顔が見えないようにフードを引きおろす。
とりあえず次の町まで、何日かかるのかな、とため息をついた。
太い街道を歩いていると、騎乗や乗合で通り過ぎる人々からの視線を感じるけれど、脇道にそれて盗賊のお世話をするのは気が滅入るので、おとなしく道を進んでいく。
就寝前は周囲に魔法もどきの結界を張って、テントの中で日課に励む。
結界は空気以外は通さない、っていう設定。
雨も虫も入ってこないから、安心、安全。
魔法もどきの発動する理屈は不明だけど、イメージして大量の魔素をぶち込めば発動してしまうのが、魔法もどきなので考えないでおく。
魔術にはそれなりに公式というか、細かい制約とかあるようだけれど、私は最低限の知識しか持っていないので、単語の組み合わせにも限りがある。
ちなみにバクサンもとい燻煙殺虫剤の魔術陣は、初心者向け教導本で知ることのできる、最低位階の魔術単語を事典並みの分厚さに重ねることで、発動するように作ってあるから、私以外に発動できた人はいない。
そもそも名前はバクサンだけど、薬剤を撒き散らす魔術ではなく、不完全燃焼時には一酸化炭素が発生することを利用している。
こういう物理法則?が前世とほとんど同じらしいので、本当に助かっている。
普通は魔術陣って横に広げていくものらしい、って知ったのは、手のひらくらいの分厚い魔術陣を組合に登録してから。
ナニコレ?!って顔で見られたけれど、単語の数が多すぎて横につなげてしまうと、多分四畳くらいになるから、某ブロックみたいに魔術単語を積み上げて陣にしてみたんだけど、この世界では斬新すぎたみたい。
「……ぅっ」
夜に安心して眠れる準備ができるのは前世の記憶があるからで、こんな時だけはこの記憶に感謝するけれど、虚しさは変わらない。
左手の端切れを砂に変えて、テントの外に落とした。
と、同時に「あいでぁっ!!」と男の声で悲鳴が聞こえて、結界に何かがぶつかったのか、周囲の空気が揺れるのを感じた。
テントの周りの結界は空気だけを通すから、空気の中を伝わってくる音も通してしまう。
すごく嫌な予感がして、そっとテントの隙間から出していた手を引っ込めた。
何も聞こえなかった。
うん、私は何も聞いてない。
「えー、何これ?目に見えないけど、なんかある!
……硬くはないけど、破れない、えいっ!っぅ痛いっ、無理か、おーい、聞こえてる?おーい」
聞こえない、って思い込みたいのにすごくうるさい。
この軽い口調を、短い時間とはいえ二日続けて聞いているのだから、誰なのか分かってしまう。
どうして野宿している場所がわかったの?
「処女穴ちゃーん、もう寝ちゃったの?すっごく良い匂いプンプンさせてるのにひどいよー!
お願いだから入れさせてよ、先っぽだけ!先っぽだけなら良いでしょ?中に入れさせてよぉ」
あんまりうるさいので〝異次元〟から耳栓を取り出して、寝ることにした。
うん、私は何も聞こえてない。
遠くでもごもご聞こえる物音を無視して目を閉じると、半日歩いた疲労であっという間に眠りの中に引き込まれていった。
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