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過去:花を拾う

クマ(みたいな)養蜂家 2/2

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 人の街に行ってみたい以外に、合歓は先の展望を持っていなかった。
 なぜ森を出てきたのかは話してくれなかったが、樹精にもいろいろあるのだろう。

 行きたい場所もない、やりたいこともない、とないない尽くしとはいえ木の精霊だ。
 蜜蜂の相手くらいできるだろうと考えたのは、人手不足解消と、長く合歓の側にいたいと願う、浅ましい欲望からのことだ。

 やることがあれば、ここに長くいるかもしれない。
 おれの側にいてくれるかもしれない。
 そう考えてしまう自分が嫌いなのに、合歓の、それはタノしそうだね、と微笑む顔に言葉を失った。

 巣箱を用意してみれば、季節外れの分蜂でもするつもりか?、と聞きたくなる勢いで蜜蜂が群がる姿を見てしまい。
 最終的にとれた蜂蜜は、これは本当に蜂蜜なのかと疑うほどに美味だった。

 味見でほうけているおれを見て、合歓がにこにこしている姿に胸が苦しくなったが、このままではいられない。
 これを流通させて良いものか、判断できなかった。

 卸売業者を介して国の食料生産物管理系の部署に依頼して、たぶんなんか凄い魔術師に成分の分析や中毒性の有無を調べてもらった結果。
 これが、気が狂いそうに美味い上に『成分が霊薬エリクサーと同等の希少な樹精由来の蜂蜜』と聞かされてしまい、欲が出た。

 検査結果とともに、王家への定期納品を打診された。
 これを受ければ、おれは王家御用達の養蜂家になって爵位とかもらえるらしい。
 なんだそりゃ。

 知らなかったが、金持ちや権力者は樹精の蜂蜜を求めるらしい。
 そんなもん、養蜂家になって十年以上なのに初めて聞いた。

 専門の狩人が命懸けで森にもぐり、野生の蜜蜂の巣から持ち帰るそれは、万金の価値があるという。

 暗闇であっても金粉が入ったように光り輝き、魔力に満ち溢れ、食べれば寿命が伸び、万病に効くとか聞いてしまえば、人の手で作り出そうと考えなかったわけがない。
 樹精を探しに行った者、樹精を捕らえようとした者の全てが失敗していると教えられた。
 実際に樹精を生育して蜜を絞ったとかいう眉唾な話もあったが、精霊の怒りを買って最後に残ったのは荒野だけなんて、これっぽっちも笑えない。

 人の強欲さで、国が滅ぶわけだ。

 国を滅ぼしてでも求める樹精の蜂蜜を、この手で作ることができる?
 おれが合歓に頼めば、安定供給できてしまう?
 そんなうまい話が転がってるわけがないだろ。

 恐ろしく思いながらも、期待した。
 金があれば、嫁の来手もあるんじゃないか。
 豪遊したいとは思わないが、人を雇って楽することもできるんじゃないか。

 合歓を利用しようとする自分の醜さに吐き気がして、合歓に微笑まれ、必要以上に優しくするたびに罪悪感に押しつぶされそうになった。

 合歓の蜂蜜は信じられない値段で売れたものの、現実感がない。
 冬になったのに老爺ではなく青年の姿でうとうとする姿を見ながら、次の春にまた蜜を分けてくれるとは限らないだろ、と気がついた。

 目が覚めた気がした。
 おれに必要なのは嫁じゃない。
 合歓が蜜を分けてくれるように、ひたすらに尽くすしかない。

 樹木が冬を越すように、合歓はまどろみ続けたが、なぜか服を着てくれない。
 冬だから葉を落としているのか?
 寒いだろうと毛布を巻いてやっても、気がつくと全裸になっている。

 おれは、苦しかった。
 何十回も見ているのに見慣れない、人ではありえない美しい裸に……欲情を覚える。

 嘘だろ、と思った。

 これまで、男に肉欲を覚えたことはなかった。
 合歓のように美しい男を見たのは初めてだったがいくら美しくても、相手は精霊で植物だ。
 人ではないもの相手だというのに、信じられなかった。
 性交などできるわけがない。
 そう思いたいのに、思いたかったのに……。

 昨冬に合歓を拾ってから、一年が過ぎていた。
 目を背けている間にまた春が来て、初夏が訪れる。

 おれの心など知らぬ合歓は、蜂に気前よく蜜を与える。
 気のせいではなく、青年の時の姿が去年以上に美しくなっている気がした。
 無駄毛の一本もない手足はすらりと伸び、凹凸の少ない体は咲き誇る花のように瑞々しい。
 蜜蜂に蜜を与えやすいからと全裸になった合歓は、陽光を浴びて香り立つ花そのものだった。

 おれのために咲いているのではないか、と誤解してしまいそうだ。

 ほろほろと涙がこぼれるように瞳から蜜をしたたらせて、蜂が狂ったように群がると、ころころと鈴を転がすように笑うのだ。

「コドモたちにおナカいっぱいタべさせてあげてね」

 蜂と会話が成立しているとしか思えない優しい声、柔らかく緩んだ目元。
 すらりとした肉体はこの世のものではない清廉さすら感じさせ、合歓の歩くところには花が咲き乱れる。

 合歓を拾うまで拠点を同じくしていた同業者二人が恋人同士で、男同士だったのがよくないのか。
 男同士でも体を繋ぐことができると、おれは知っていた。

 合歓は、男じゃない!
 精霊だ!
 知っているのに、あの、なにも知らないとしか思えない、無垢に違いない体に、触れたい。

 自らのおぞましさに総毛立つ。
 樹精から蜜を得るだけでも強欲なのに国を滅ぼす気か、と責められてもおかしくない。

 優しさを蜂へ向ける合歓に性欲を覚える自分が哀れで、次に街に行った時に女を買おうと決めた。

 欲望を発散してしまえば、全て解決すると思った。
 この歳ではじめてだと公言するのは情けないが、人ですらない相手に欲を覚え続けるのは恐ろしかった。
 いつか襲ってしまう未来を夢に見た。
 襲ってしまえば、国が滅びかねないというのに。

 この一年の間に、街へ買い物に行く時は、合歓に巣箱をまかせるようになっていた。
 家事はまかせられないが、蜜蜂は安心して預けられる。
 現在の拠点から直近の街へは馬に乗って半日程度かかるので、よほどの事情がない限り日帰りは難しい。

 以前は同じ拠点で養蜂をする同業者に留守を頼んでいたが、合歓に仕事を与えるのはおれの側に縛っておくのに必要なことだった。

 同じ国の中にいて拠点がかぶりがちな同業者たちは、合歓が樹精だと聞いてから最低限しか姿を見せなくなった。
 季節ごとに花を求めて移動しながらの仕事なので、いつも同じ地域を拠点にしているわけではないが、その気持ちは理解できる。
 国を滅ぼしかねない存在に近づきたいわけがないから、人手が必要な時以外、こちらからも声をかけることはない。

 留守番を頼むと、合歓は表情こそ動かないものの、あからさまに落ち込む。

 しおれかけたのに街に行きたい気持ちがまだあるのか、と複雑な気持ちになる。
 一度でも街に行ってしまえば、魅力的な男も女も山ほどいると気づかれてしまう。
 おれが、とんでもない最低な男だと知られてしまう。
 木の精霊に懸想するような変態だ、と知られる訳にはいかない。

「土産買ってくるから」
「うん」

 そのまましおれてしまいそうな合歓を振り切って、おれは山の縁から顔を出した朝日に照らされる拠点を後にした。





 一泊の予定を前倒しにして、夕暮れの中を虚しさを胸に家へ向かう。

 おれは、女を抱くことができなかった。
 合歓の作り物めいた美しすぎる裸身を見慣れてしまった後では、手触りや匂いが生々しい女の体に欲情できなかった。

 何度も抱きつかれて、花弁のようにしなやかで冷えた肌を知っているせいで、生ぬるい体温を持ったざらついた肌へ嫌悪感を覚えてしまった。
 近づいた時に立ち上るものが花の香ではなく、香水や香油の混ざった体臭であることが気持ちを萎えさせてしまった。

 向こうも商売だからと手を尽くしてくれたが、おれの股間は使い物にならなかった。

 腹の奥でぐつぐつと音をたてる欲望が、合歓の顔を見た時にどうなってしまうのか。
 恐怖を抱えたまま、合歓を一人で放っておけずに家路を急ぐ。
 矛盾した思いを抱えたまま、均された土の道を走った。

 家に着いた時には、夜がすぐそこまで来ていた。

「ただいま」

 鍵を開けて家の中に入るが、返事がない。

 合歓は植物らしく日暮れと共に寝るので、もう眠っているのだろう、と考えて自分の寝支度をする。
 夕食を食べていないが、作る気力は無かった。
 真っ暗な自室に入って寝台に転がると、柔らかいなにかの上に乗り上げた。

「うわっ!?」

 飛び起きて角灯を灯してみれば、おれの寝台に合歓が転がっていた。
 全裸で。

「な、なん、なんでっ」

 正直に訳がわからなかった。
 これまでに合歓をおれの部屋で寝かせたことはない。
 おれのことを気にせずにすむようにと、貸している部屋は台所を挟んで反対側だから間違えたとも思えない。

 そっと覗き込んでみたが寝息は聞こえない。
 植物だから人のような呼吸はしていない、と自己申告していたのを疑っていたわけではないが、胸が苦しくなった。

 人だったら。
 ……まて、人だったら、どうするってんだ。
 据え膳を食おうとでも?
 これが据え膳なのかどうかすら、分からないのに。

 揺れる灯りに照らされる合歓の姿は、血肉を備えた人のように見える。

 柔らかく弧を描く眉毛、閉じたまぶたを飾るように長いまつ毛が伸び、形の良い鼻には二つの穴もある。
 話す時には口の中に歯が揃っているようにも見えるが、固形物を食べることはできないと言う。

 乳首やへそがない体なのに、股間には小丸茄子くらいの小さな陰茎と金柑に似た睾丸のようなものがある。
 形を真似た、と言われて納得するような造形は、人のものとは明らかに違う。
 ぱっと見は尻も二つに割れているが、その奥があるのかは分からない。

 呼吸の音さえさせずに眠る姿はひそやかで、近づき難い神聖さを覚えた。

 頭を抱えながら、自室を後にした。
 関わるべきじゃ無かった、と後悔しても遅い。
 おれはもう、合歓に魅了されている。

 植物に肉欲などあるわけもないのに、望んでしまう。
 合歓をおれのものにしたい、と。

 翌朝、全裸の合歓に押し倒されるまで、おれは一睡もできずに悩み続けるのだった。

 
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