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6.おしゃべりをいっしょに

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 シエルフィリードとテオドシーネの関係は漸進した。
 シエルフィリードはテオドシーネの存在に慣れ、徐々に顔面の防御を薄くした。目と鼻と口の次は流れる美しい銀髪があらわになり、その次には額が秘密のベールをとかれた。
 眉が出た。鼻筋が、顎が出て、最後に念願の頬が。
 
 テオドシーネもまたゆっくりとシエルフィリードの素顔に慣れた。内心では麗しの美少年に鼓動が大暴れでも、表情はおだやかなほほえみを浮かべていられる。
 
 ひと月後には、二人は視線をあわせて語りあうまでになった。
 少し離れた場所から使用人たちが目にハンカチをあてて見守る中、二人は食事をしたり、午後のお茶を嗜んだり、散歩や馬での散策を楽しんだりした。
 
 
 うちとけてみれば、シエルフィリードは豊かな学識をもっていた。テオドシーネが知っていることはほとんど知っている。ということは、基礎学問はすべて修めたということだ。
 ねだればシエルフィリードはその先のことも語って聞かせてくれた。世界の成り立ちについてや、元素について、それらがどう組みあわさって物質を生みだすのか。
 一方でまたシエルフィリードも、テオドシーネの知識に感嘆した。
 
「テオは様々な分野の知識をもっているんだね」
「えぇ、たくさん本を読みました。新しいことを知るのが楽しくて。……最初は、反発心から始めた学問でしたが……」
 
 ふと、テオドシーネは思い出した。
 いまはただ好きで本を読むけれど、最初のきっかけは――そう、ピエトロの悪態だった。
 
「わたくしの名前、テオドシーネは、少しいかめしいでしょう? 男のようだと言われたことがありました」
「……? しかし、立派な女性名だろう?」
 
 シエルフィリードが首をかしげる。肩にかかるほどの銀髪がさらりと揺れた。その仕草だけで、悲しい思い出もどうでもよくなってしまう。
 悲壮な記憶に聞こえぬよう、明るい声で、テオドシーネは言った。
 
「はい、当てつけですよ。わたしは見た目も地味ですから、すべてが女のようには見えないということですよ」
「……? 地味、か? かわいらしいと思うが」
 
 シエルフィリードはまた首をかしげている。
 さすがにそれはお世辞がすぎると思ったが、シエルフィリードが本気であることはすぐに知れた。
 言ったあとに、隠されていない頬がぽっと赤く染まったからだ。
 いまの台詞が気障であったことに気づいたらしい。逆にいえばそれは、本音から出た褒め言葉だということ。
 シエルフィリードは顔を染めたまま、ぱくぱくと口を動かしている。なにか言おうと思うものの、なにも出てこないらしい。
 
「シェル様……! その顔は反則です!」
「す、すまん、す、すこし、は、恥ずかしくなって、しまって」
「わたしまで恥ずかしくなってしまいます……!」
「すまない……」
 
 しばしのあいだ、二人して両手で顔を覆って悶絶した。
 ようやく頬の赤みがひいても、心臓はまだドキドキと鳴っている。
 
(なんなんだろう、これは……)
 
 少々、甘酸っぱいのが過ぎるのではないだろうか。
 こんなふうに浮かれた気持ちになると、もう少し踏みこんでみたいと思ってしまう。
 
「シェル様……」
 
 テオドシーネは顔をあげた。
 シエルフィリードは目を泳がせつつもこちらを向いてくれている。
 
「わたくしの……名前は。テオは、古語で『月』を意味します。月は、衛星。夜を守り、太陽と対になる存在です」
 
 この話は、誰にもしたことがなかった。婚約者であったピエトロにも。
 テオドシーネがどんな覚悟で婚約に臨んだかなんて、ピエトロには一生わからないだろう。
 
「ユフ家は、王家への忠誠を誓った家です。だから父は私にこの名をつけました。……どんな形であれ、この国のためになるように。王家が代々栄えある治世を成すように」
 
 こんなことを言ったって、ピエトロとの婚約自体を知らないシエルフィリードに、その意味はわからない。
 そう理解してはいても、誰かに聞いてほしかったのだ。
 ピエトロと心を通じ合わせることなく自己研鑽に励んだテオドシーネのやり方は間違っていたのだろうけれど、政略結婚だったとしてもピエトロを支えたい気持ちは本物だった。それをピエトロは打ち砕いてしまったのだ。
 
 予想どおり、シエルフィリードは考えるそぶりを見せた。
 謎かけのような話を真剣に考えてくれているらしい。
 
 そして、テオドシーネに向き合ったシエルフィリードは、――ほほえんでいた。
 
「実はぼくも自分の名が苦手だったんだ」
 
 突然の告白に、しかしテオドシーネは驚かなかった。それは予期していたことでもあったからだ。
 
「それを察したから、テオは互いを愛称で呼ぶように提案してくれたんだろう? ぼくがいったん『シエルフィリード』を忘れ、『シェル』としてテオに向きあえるように」
「はい。……名はときに、人を縛ります」
 
 家名だけでなく、爵位だけでなく。
 期待を込めて呼ばれてきた『名』もまた、呪縛を生みだす。
 
 はじめて会ったあの日、『シエルフィリード・クイア公爵閣下』と――フルネームと敬称とで呼ばれたシエルフィリードは、泣きそうな顔をした。
 妻としてやってきたテオドシーネに、望まれるにふさわしいふるまいをせねばならないと気負いこんで。
 
 シエルフィリードはうなずいた。
 その表情はやはりおだやかで、テオドシーネはふと大聖堂の正面に輝くステンドグラスを思い出した。色ガラスでできた天使は、やはりこのような姿をしていたように思う。
 
「でも、君は自分の呼び名として『テオ』を選んだ。それはテオにそれだけの誇りがあったからだと思うんだ。……そしてテオはぼくのことを助けてくれただろ」
「シェル様……」
 
 じわり、と熱いものが視界を覆って。
 数秒遅れて、テオドシーネは自分が泣いていることに気づいた。
 
(そんなふうに言ってもらえるなんて思ってもみなかった)
 
 シエルフィリードはとりだしたハンカチでそっと目をぬぐってくれる。涙が落ちないうちに。
 晴れた視界で見上げたシエルフィリードは、女性にふれるという行為のせいかほほえみをといて緊張した面持ちになっていたけれども。
 
「ありがとうございます……」
 
 テオドシーネの胸は、これまでとは違った鳴り方をした。
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