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第五話
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とはいえ、馬が乗れるようになったからといってマックスが話を聞いてくれるわけじゃない。
乗馬場へ行くために談話室への呼びだしを断ったら、教室で会ったときにネチネチと文句を言われてしまった。ご友人の子息に注意されて渋々と離れてくれたものの、背中にじっとりと突き刺さる視線は神経を疲弊させた。
「疲れた……」
無意識に口からこぼれ出る本音に身体を起こす。いけない、こんなことを言っていたら淑女としてはしたないわ。
疲れを癒すには図書館ね。
本を読んでいるあいだだけは現実を忘れることができる。
わたしはいそいそと本棚に向かった。
〝大陸史全集〟も残すところあと三巻。歴史は最近の百年にまで近づきつつある。
けれど、踏み台に立って本をとろうとして――わたしは聞きなれた声に気づいた。
「いったい何を考えておられるのですか?」
相かわらず人を憚らぬ声。いえ、これでも憚っているのでしょう、普段よりは幾分ひそめられているような気もする。
少し高い、責めるような声色はマックスだ。
何を考えているのか――だなんて、マックスでも思うことがあるのね。
問いに対して、今度は明らかにひそめられた声が答えを返した。
聞き取りづらくて内容はわからないけれど、わたしはその声も知っていた。
「畏れながら――ロベルト殿下。サリィはぼくの婚約者です」
殿下?
驚きのあまり身体が硬直した。重心が変わったのか、踏み台がみしりと軋みをあげる。その音でわたしはようやく自分が盗み聞きをしていることを理解した。
立ち去らなければ。
「婚約者に対する扱いとは思えないけどね」
ロベルト様の声は少し大きくなった。怒っている……のかもしれない。なんだかそう思わせる口調だった。
マックスはハッと嘲るような笑いを漏らす。
「サリィはぼくの言いなりなんです。あいつが逆らうなんてありえない」
「それは愛じゃない。ただの諦めだ」
本をとると、わたしはそっとその場を離れた。
わたしがいない場所でも、ああしてマックスはわたしを蔑んでいるのね。
わかってはいたけれど現実に見てしまうと心が痛い。わたしにだけ言うのであれば、まだ幼なじみの甘えかとも思えたのに。
けれどもそれ以上に気になったのは。
マックスが呼んだ、「ロベルト殿下」という敬称。
ドキドキと脈打つを鼓動をかかえながら久しぶりに窓際の席へ行った。こちらのほうが目立たない。
本を冒頭から順に読むいつもの習慣を今日だけは変えて、まず目次から我が国の章を調べた。
王家の歴史が解説されているページをひらき、自分のよく知る名をさがす――〝エイヴォン〟を。
「……!!」
エイヴォン家。その歴史はきちんと綴られていた。
王家に次いで古い家柄であること。宰相から学者まで様々な人物を輩出した。また女性も王家へ輿入れした者が多く、賢妃と呼ばれる方もいる。
その功績をたたえ、第二王子のミドルネームはエイヴォンと名づけるのが慣習である。
「バレちゃったか」
「!!!」
笑いを含む声に驚いて顔をあげると、そこにはたったいま思いえがいていた人物、ロベルト・エイヴォン様が立っていた。
服の仕立てもいいはずだ、お忍びの乗馬場も持っているはずだ。
この方は我が国の第二王子だったのだから。
わたしはあわてて立ちあがると頭をさげた。
「申し訳ありません、わたし、ひどい粗相ばかり……!」
「気にしないで。わざとミドルネームを名乗って家名をぼかしたのは俺だからね。立場を気にせずに君と仲よくなりたかったんだ」
それでも自国の王族の顔を知らないなんてありえないことだ。領地にいたのならそれでもいいが、もう学院に入学してからふた月になる。社交をないがしろにし、図書館にこもっていたわたしの落ち度だった。
「本当に気にしないで。頭をあげてくれないか?」
困ったような笑顔を浮かべるロベルト様に、わたしはようやく顔をあげた。
まだ緊張で心臓がばくばくと鳴っている。
王族の前に出たことなどなかった。自覚はあるのか、と言っていたマックスを思い出す。やっぱりマックスにも正しい部分はある。わたしはなんて自覚が足りなかったのでしょう。
ロベルト様が第二王子の立場にある人なら、ますますマックスやわたしの面倒に巻きこむわけにはいかない。
「マックス・ターナーの分まで、非礼をお詫びいたします。どうか忘れてくださいませ」
「……それは、もう関わらないでほしいってこと?」
そうはっきり言われると返答に困ってしまう。
わたしは無言のまま顔を伏せた。ロベルト様を拒絶する意図はない。でも、お手を煩わせるのはあまりにも申し訳ないのだ。
「そうは言わずに、関わらせてほしい」
「どうしてそんなに気にしてくださるのですか?」
尋ねてはいけないかと思いつつ、つい口から出てしまった。
わたしはただの伯爵家の娘。それは変わった言動もするけれど、王族の方に興味を持たれるほどではないと思う。
けれどもロベルト様はふっと笑った。やさしいほほえみだった。
「人目も気にせず、なんにでも挑戦する君が素敵だと思ったんだ。応援したい」
「それは……ただ、マックスの言うとおりにしていただけですわ」
「いや、君の素直すぎる行動は、彼の予想の斜め上をいっているよ」
……褒められているのだろうか。
そうは言われても、なんでも否定ばかりのマックスがわたしの行動を気にかけているはずがないとも思う。
わたしの中の疑念を見透かしたように、ロベルト様は首をかしげた。
「マックスは君のことが好きだって言ったら、信じるかい?」
「え……」
信じられない。
そう言葉にすることもできなくて、黙って首をふる。
ロベルト様の口元がゆるんだ。
そして、
「じゃあ俺も君のそういうところが好きって言ったら?」
さらなる信じられない発言が、降ってきた。
乗馬場へ行くために談話室への呼びだしを断ったら、教室で会ったときにネチネチと文句を言われてしまった。ご友人の子息に注意されて渋々と離れてくれたものの、背中にじっとりと突き刺さる視線は神経を疲弊させた。
「疲れた……」
無意識に口からこぼれ出る本音に身体を起こす。いけない、こんなことを言っていたら淑女としてはしたないわ。
疲れを癒すには図書館ね。
本を読んでいるあいだだけは現実を忘れることができる。
わたしはいそいそと本棚に向かった。
〝大陸史全集〟も残すところあと三巻。歴史は最近の百年にまで近づきつつある。
けれど、踏み台に立って本をとろうとして――わたしは聞きなれた声に気づいた。
「いったい何を考えておられるのですか?」
相かわらず人を憚らぬ声。いえ、これでも憚っているのでしょう、普段よりは幾分ひそめられているような気もする。
少し高い、責めるような声色はマックスだ。
何を考えているのか――だなんて、マックスでも思うことがあるのね。
問いに対して、今度は明らかにひそめられた声が答えを返した。
聞き取りづらくて内容はわからないけれど、わたしはその声も知っていた。
「畏れながら――ロベルト殿下。サリィはぼくの婚約者です」
殿下?
驚きのあまり身体が硬直した。重心が変わったのか、踏み台がみしりと軋みをあげる。その音でわたしはようやく自分が盗み聞きをしていることを理解した。
立ち去らなければ。
「婚約者に対する扱いとは思えないけどね」
ロベルト様の声は少し大きくなった。怒っている……のかもしれない。なんだかそう思わせる口調だった。
マックスはハッと嘲るような笑いを漏らす。
「サリィはぼくの言いなりなんです。あいつが逆らうなんてありえない」
「それは愛じゃない。ただの諦めだ」
本をとると、わたしはそっとその場を離れた。
わたしがいない場所でも、ああしてマックスはわたしを蔑んでいるのね。
わかってはいたけれど現実に見てしまうと心が痛い。わたしにだけ言うのであれば、まだ幼なじみの甘えかとも思えたのに。
けれどもそれ以上に気になったのは。
マックスが呼んだ、「ロベルト殿下」という敬称。
ドキドキと脈打つを鼓動をかかえながら久しぶりに窓際の席へ行った。こちらのほうが目立たない。
本を冒頭から順に読むいつもの習慣を今日だけは変えて、まず目次から我が国の章を調べた。
王家の歴史が解説されているページをひらき、自分のよく知る名をさがす――〝エイヴォン〟を。
「……!!」
エイヴォン家。その歴史はきちんと綴られていた。
王家に次いで古い家柄であること。宰相から学者まで様々な人物を輩出した。また女性も王家へ輿入れした者が多く、賢妃と呼ばれる方もいる。
その功績をたたえ、第二王子のミドルネームはエイヴォンと名づけるのが慣習である。
「バレちゃったか」
「!!!」
笑いを含む声に驚いて顔をあげると、そこにはたったいま思いえがいていた人物、ロベルト・エイヴォン様が立っていた。
服の仕立てもいいはずだ、お忍びの乗馬場も持っているはずだ。
この方は我が国の第二王子だったのだから。
わたしはあわてて立ちあがると頭をさげた。
「申し訳ありません、わたし、ひどい粗相ばかり……!」
「気にしないで。わざとミドルネームを名乗って家名をぼかしたのは俺だからね。立場を気にせずに君と仲よくなりたかったんだ」
それでも自国の王族の顔を知らないなんてありえないことだ。領地にいたのならそれでもいいが、もう学院に入学してからふた月になる。社交をないがしろにし、図書館にこもっていたわたしの落ち度だった。
「本当に気にしないで。頭をあげてくれないか?」
困ったような笑顔を浮かべるロベルト様に、わたしはようやく顔をあげた。
まだ緊張で心臓がばくばくと鳴っている。
王族の前に出たことなどなかった。自覚はあるのか、と言っていたマックスを思い出す。やっぱりマックスにも正しい部分はある。わたしはなんて自覚が足りなかったのでしょう。
ロベルト様が第二王子の立場にある人なら、ますますマックスやわたしの面倒に巻きこむわけにはいかない。
「マックス・ターナーの分まで、非礼をお詫びいたします。どうか忘れてくださいませ」
「……それは、もう関わらないでほしいってこと?」
そうはっきり言われると返答に困ってしまう。
わたしは無言のまま顔を伏せた。ロベルト様を拒絶する意図はない。でも、お手を煩わせるのはあまりにも申し訳ないのだ。
「そうは言わずに、関わらせてほしい」
「どうしてそんなに気にしてくださるのですか?」
尋ねてはいけないかと思いつつ、つい口から出てしまった。
わたしはただの伯爵家の娘。それは変わった言動もするけれど、王族の方に興味を持たれるほどではないと思う。
けれどもロベルト様はふっと笑った。やさしいほほえみだった。
「人目も気にせず、なんにでも挑戦する君が素敵だと思ったんだ。応援したい」
「それは……ただ、マックスの言うとおりにしていただけですわ」
「いや、君の素直すぎる行動は、彼の予想の斜め上をいっているよ」
……褒められているのだろうか。
そうは言われても、なんでも否定ばかりのマックスがわたしの行動を気にかけているはずがないとも思う。
わたしの中の疑念を見透かしたように、ロベルト様は首をかしげた。
「マックスは君のことが好きだって言ったら、信じるかい?」
「え……」
信じられない。
そう言葉にすることもできなくて、黙って首をふる。
ロベルト様の口元がゆるんだ。
そして、
「じゃあ俺も君のそういうところが好きって言ったら?」
さらなる信じられない発言が、降ってきた。
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