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2章 粛清と祭
第58話 私の中へ飛び込んで
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「………………………もと」
「………………たまもと」
「参謀タマモト!!」
「ハイっ!」
耳元でマリンの大声が聞こえて目が覚める。
澄み切った青空。
目線を動かして周りを確認する。
僕は草原の中で寝転がっていた。
柔らかい風を全身に感じながら身体を起こすと、『lovely』と赤紫で表記されている白いTシャツとピンクのハーフパンツ姿のマリンが至近距離で立っていた。
周辺には何も無い。
延々と草原が続いているだけだ。
まるで、本当に草の上で寝転がっているように感じる。
夢空間に初めて来た頃から思ってはいたが、今まで普通に生きてきて、こんなに違和感なく夢の中で動き回った事は無かった。
これだけ自由に動けるようになると、現実と全くと言って良いほどに区別がつかない。
凄い体験だ。
いわゆる明晰夢というやつなのだろうが、とにかくサキュバス達が作る夢は特殊だ。
夢の中での搾精で妊娠できると言っていたし、実際に行為に及ぶと身体も同じように反応するのだと言う。
どういう原理なのか。
遠隔で触れているみたいなもんなのだろうか?
肌の感触が伝わるメカニズムが全く分からない。
想像で補うとしても、限界がある。
もし想像だけなのであれば、無知で未経験の男からは搾精が出来ない理屈になってしまう。
となると、ネット通信のように、脳内で繋がっているとしか思えない。
そう考えると、サキュバス自身の夢の感覚と、対象の夢の感覚を統合させていると仮定するのが、正解に近いと思う。
統合させているならまだ理解はできる。
サキュバスの夢は、新しい世界を見せる事と何ら変わりないというわけだ。
そうでなくては辻褄が合わない。
妊娠に関しても、実体を持たないサキュバスは夢でしか搾精できないのだから、妊娠できるのは当たり前な気もする。
だけど、実体が無いなら、サキュバスの妊娠からどうやって実体が生成されるんだろう?
確か、人間同士の中から見習いサキュバスが突然変異で産まれると聞いているから、その突然変異が関係しているのだろうか?
もし、夢の中で妊娠したサキュバスの子が、突然変異で人間の中から産まれるのだとしたら、実質、父親の遺伝子が2つになってしまう。
実体の男2人に対し、子どもが1人なのだから。
となると、この説が正しい可能性は低そうだ。
……それとも、産まれた子供に憑依するのだろうか?
この辺は、アカリの方が詳しそうだな。サキュバスの母親持ちなのだし。
会ったら聞いてみるか。
それにしても、アカリが味方なのは本当に頼もしい。
今まで何となく接して来たけど、もうちょっと丁寧に接してみようかな。
マリンにしてもそうだ。夢で会って、現実でも会えるマリンやアカリは、ある意味でお得な存在なのかも知れない。
まぁ、たまたま今は僕の味方になっているだけで、普通に悪魔なんだけどね…………。
仁王立ちで左手を腰に当て、マリンがニヤッと笑う。
「起きたか」
「ごめんマリン、遅れちゃって」
「あぁ、大丈夫だ。私も遊んでいたからな」
「遊んでいた、……誰と?」
「そんなもん、ちゆのすけに決まってるだろ」
「………ちゆのすけ」
………誰だ?
あぁ、分かった、ちゆのことか。
なんだ、ちゆのすけって。
僕は呼び名には突っ込まないことにした。
「てことは、ちゆも居るの?」
「今は自分の夢の中に行ってる」
「そっか、って事は、僕らだけって事か」
「嬉しいだろ?」
僕ににじりよるマリン。随分と楽しそうだ。
イジってやろうという気が満々の表情をしている。
「マリンと2人っきりだから?」
「そうだ」
「…………そういう答え難い質問は控えてほしいな」
「マジメかよタマモト!」
元気に突っ込むマリン。
………確かに真面目過ぎた。
これではただの失礼な奴だ。
マリンに対してはもっとフラットで良いだろう。
その方が彼女にとってもやりやすいはずだ。
「ごめん、……マリンと一緒にいられて僕は幸せだよ」
「なっ」
マリンが照れる。
顔が赤く、耳も赤い。
ツインテールの真紅の髪が風になびいて揺れる。
なんか思ったより反応が良い。
「え?」
「タマモト、私といて幸せなのか?」
「うん、だから、それを聞いたんじゃなかったっけ?」
「あ………、まぁ、嬉しいかどうかってのとはちょい違うかなぁと思って」
「そうかな?でも、ほんとだよ」
「私もタマモトと幸せになりたいと思ってる」
「マリン、君は良いやつだよ」
少しニュアンスは違うが。
「……それで、考えてくれたのか?」
何の話だろう?
「あぁ、そうだね、今回の事なんだけど、レオミュールからは許可が出たから、僕も同行できるようになった。足手まといにはなりたく無いから、みっちり戦闘技術を叩き込んで欲しい」
「…………あ、そっちじゃなくてさ」
「そっち?」
他に何かあったっけ?
「…………もぉ」
マリンが内股になってもじもじし始める。
なんだろう?
「いいよ、タマモトがその気になった時に決めよう」
本当になんだ?
まぁ、そのうち思い出すか……。
「それから、マリン」
「なんだよ」
「今日の学校は楽しかったかい?」
「え?……学校、……ぁあ、なんて言うか、まぁ楽しかったかな。……みんなのおかげだ」
もじもじしながら、俯き加減に恥ずかしそうに呟くマリン。
僕は嬉しくなった。
あの傍若無人というか、まさに狂犬って感じのマリンが、みんなのおかげと言っている。
こんなミラクルがあるだろうか?
昨日じゃ考えられないほどの急激な変化だ。
僕はズンズンとマリンに近付く。
ビビって退くマリン。
「え、えっ!あっ、タマ、タマモ……」
僕はマリンの両肩に手を置き、頬を染める困り眉の彼女の顔を見つめた。
「マリン、僕は今、とんでもなく感動している!」
取り乱すマリン。
近付かれて焦ってる様子だ。
「たたた、タマモト、今日は訓練がメインだから、あとでだぞ、あとでなっ」
なにか勘違いしてそうだが、とりあえず言わずにはいられない。
「僕は君のクラス復帰がとても嬉しいんだ!」
「え!?…………そう、なのか?」
「うん、こんなに嬉しいことはないよ。マリンだって、正直、不思議な気持ちだろ?あんなに嫌がっていたのにさ」
「……でも、まぁそうだな、私もこんなに気持ちが変わるとは思わなかった」
「明日も学校、行きたい?」
「え、……うん、きょうこに、同人誌見せる約束してるし、また、りさとも話したいから」
マリン、同人誌持ってるのか?なんだろう?ボーイズラブかな?
きょうこもそうだが、りさとも仲良くなったようだ。
色々あったが、写真部での交流も良い結果に繋がったわけだ。
あやかのお陰でもある。感謝だ。
「そっか、じゃあ、今日も早く休まないとなっ」
「それは、そうだけど、訓練しないと」
「もちろん、じゃあ、マリンが早く休むためにも、始めよう」
「あ、あぁ。タマモト急に元気だな。そんなに私に学校に来て欲しかったのか?」
「うん、僕はマリンが学校に来てくれることが、世界で一番嬉しいんだ、いや、宇宙イチかもしれない」
「………あはは、そうか、そんなにタマモトが嬉しいなら、タマモトのためにも、学校行かないとな……」
嬉しそうにしている。
マリンが身体をくねくねしながら僕を見つめた。
実際、マリンの復帰はめでたい。
僕の懸念点である、ゆかとの敵対関係も解消される可能性が出て来たし、マリンと学校で気軽に情報を共有できることもプラスだ。
何より、事情は何にせよ、不登校の女の子を引っ張り出せたことは良い事だ。
サキュバスになってしまってはいるが、天使の庇護下に置かれている限りは、安全が保障されている。
ケルビンに従ってさえいれば、問題はない。
僕らは正式なパートナーなのだ。
「うんうん、マリン、僕のために学校に居てくれよ」
「た、タマモトもだぞ!休む時はちゃんと連絡しろよなっ」
「え、連絡した方が良いの?」
「当たり前だろ!私の参謀なんだぞ」
「そう、か、そうだね、分かった。参謀になったからには連絡はしないとな」
「あと、…………朝とか、寝る前とか、別に、連絡とかしても良いからな」
「朝と、……寝る前」
そんなに連絡するのか?毎日?
「そうだぞ、ほら、私のこと心配だろ?」
「そうだね、心配だ」
「な?だから、私は別に、そういうの嫌がったりしないタイプだからな、教えといてやる、……参謀だから」
「うん、ありがとう」
朝と寝る前に連絡……、それはもう友人以上の関係では?
そんな事してたらゆかに勘繰られる。
とは言え、ここで強く拒否するのも良くないし、難しい。
「あ、そうだ、マリン、連絡するなら、夜だけにしないか?」
「なんで?」
「1日の報告するなら、夜の方が良いだろ?まとめやすいし」
「報告?そんなのいるのか?」
「やっぱさ、僕は参謀なんだし、調査結果は気になるよな」
「うーん、私は、タマモトが私のことを考えてくれるなら、止めないけど、それだとタマモトの負担にならないか?」
「そうだね、でも、何も無ければ何も無いで良いしさ」
「そうか、それもそうだな」
「うん、だから、朝はなくて良いでしょ」
「その報告と朝と夜の連絡は関係ないだろー」
「…………あ、僕アレなんだ、朝弱くって」
「タマモト、朝弱いのか」
「うん、バタバタしてて、遅刻しそうになった事も何度もあってさ、ほんと、実家にいた時は、何度も母さんに叩き起こされてたよ」
コレは半分は本当だ。
起こされないと本当に遅刻しそうになっていた。
すると、マリンの目がキラキラしてくる。
なんだろう?
「なんだ、まどろっこしいなっ!タマモト、私に毎朝起こしに来て欲しかったんだなっ!それで朝の連絡はいらないってことかっ」
ヤバい、盛大に勘違いさせてしまった。
しかしマリン、そんなに僕といないと不安なのか?
連絡しないってのを、起こしに来て欲しいに変換するのはいくら何でも飛躍し過ぎだろう。
「ちょっと待ってくれ、そんな事までさせるわけにはいかない」
「ったく、タマモトは遠回しに言い過ぎなんだよ、私と毎朝登校したいならそう言えば良いだろ?」
「いや、あの、そう言う事ではなくってだね」
なんでこんな流れになるんだ。
マリンの好感度が高いのは分かっていたが、こうなると、ちゆとゆかの話をしなくてはいけなくなる。
同棲については、マリンとゆかとの関係が良くなってから言いたい。
何と言えばいいか。
とりあえず、これだけは伝えておこう。
「マリン、言ってなかったんだけどさ」
「ん?なんだ?」
「僕、同居人がいるんだ」
「そうなのか?」
「うん、だから、朝は大丈夫なんだ。ごめん、言ってなくて」
どうせ話すのだから、ルームシェアに関しては言っておいても良いだろう。
後で何とでも言い訳はできる。
「………ちゆのすけだろ?」
「え!?」
「だから、同居人、ちゆのすけだよな」
ちゆ、言っていたのか、だけど、大丈夫だったのか?
「……えっと、それは」
「やっぱりそうか。今日話してて、何となく察しはついてたんだ」
「……マリン」
「夢来る前に、ちゆのすけと風呂入ってたんだけど、ずっと朝ごはんの話してて、お兄ちゃんがいつも美味しそうに食べてくれるから、作り甲斐があるんだっつっててさ。そんな話、同棲してないと出てこないだろ?」
「………そっか」
朝ごはんの話。
そりゃ、そんな話されたら誰でも疑うよな。
だけど、その話だけだとしたら、ゆかの存在はまだ、ベールに隠されたままのはずだ。
マリンは、ちゆとは仲良くなっているのだから、そこは問題ないだろう。
「ちゆのすけとは長いのか?」
「ううん、まだ最近の話だよ、そもそも、僕が転入してからそんなに経ってないし」
「そうなのか、まぁ、お前らがそういう関係なのは初対面で分かったけどな」
「そうだよね、ごめん気を遣わせて」
「ん、それはこっちのセリフだろ、私の方が勝手に言い出したんだし」
「僕がハッキリ言えば良かったね」
「気にすんなって、私も試して悪かったと思ってる」
「なんだよ、試したのかよ、酷いなマリン」
「良いだろ、私だって、お前の気持ち確かめたかったし」
僕の気持ち?
どういう意味だろう?
僕がマリンの事を好きかどうかテストしたって事なのか。
もしすぐに話に乗っていたら何か変わったのだろうか。
「マリン、あの、……僕は」
「ちゆのすけ、明日、朝ごはん作ってくれるってさ」
「そうなんだ」
「タマモトの好きなものが食べたいって言っといた」
「そっか」
僕の好きなものって言うと、豚の生姜焼きとかだろうか?
「そしたら、ちゆのすけ、なんて言ったと思う?」
「……なんて言ったの?」
「ゴホンっ、『エェえー、お兄ちゃんの好きなものって、ちゆじゃんっ!』っつってた」
マリンが自分で言って大声で笑う。
よほど面白かったんだろう。
想像したら、確かに笑ってしまうのは分かる。
正直、ちゆの反応は可愛い。
ちゆの絶妙なボケとエンタメ性は、一緒にいる人を男女問わず幸せにしてくれる。
マリンも楽しかっただろうな。
しかも風呂という、まさに裸の付き合いの中だ。
アカリとも仲良くなっていたが、マリンとマブダチになる日も近そうだ。
「そっか、じゃあ、明日の朝食はちゆを食べるんだね」
「そうなるかな」
「ほんとに食べたらダメだよ」
「食べねーわ」
笑うマリン。
良かった。
ちゆと2人で帰ったおかげで、マリンの気持ちも落ち着いたのだ。
ちゆには感謝だな。
僕はそんなちゆのために、冥界のザクロと戦いたいと思っている。
僕にどこまでできるかは分からないが。
「それで、マリン、そろそろ特訓のメニューを聞かせて欲しいんだけどさ」
マリンが真面目な表情になる。
「あぁ、……それなんだが、一応、訓練はやるが、本当にマジのマジでピンチになった時の手段だと思ってくれ」
ん?
それはつまり、戦わないってことだろうか?
「一応ってのは?」
「アカリから、あの後連絡が来て、今回の話は、レオミュールが直々に交渉することになったんだ」
「レオミュールが?」
「あぁ」
「だけど、天使でしょ?レオミュールって」
「天使だ」
「だって、冥界のザクロって、悪魔の巣窟なんじゃ」
「もちろん」
「大丈夫なの?」
「…………知らん」
「知らんって、………悪魔の親玉の本拠地に、天使が1人で乗り込むなんて、無謀だとしか」
「んな事言ったら、お前はどーなんだよタマモト。人間だろ?一応」
「僕はまぁ、仕方ないじゃないか、事情が事情なんだから」
「なら、レオミュールにだって考えがあるんじゃねーの?」
「そういや、ザクロって、堕天使もたくさんいるんだよね」
「いるね」
「って事は、レオミュールも堕天使と繋がりがあるとか…………、実は堕天使だった、なんて事は?」
「レオミュールは純粋に天使だし、一度堕天した天使が天使に戻った前例は無い」
「そっか………、堕天したらお終いなんだ」
「まぁ、堕天したら、堕天使としての生活が待ってるってだけだろ」
「レオミュール大丈夫なのかな?」
「私らが心配したって仕方ないだろ、タマモトは天使舐め過ぎなんだよ」
「そうなのかな?」
「そそ、天使ってマジで強えーし」
「マリン、天使と喧嘩したことあるの?」
「あるよ」
「それって、レオミュール?ケルビン?」
「両方とも顔知らねーし」
「そっか、そうだったね、ケルビンとは、マリンも会った事無いんだ」
「あぁ、どうやっても会ってくれないみたいだからな」
「お願いしたことはあるの?会ってくださいって」
「そりゃな、私くらいしつこい奴、今までいなかったって言われたわ」
「何やったんだよ」
「無理矢理、夢の中に招待しようとしたんだけど、ぜんぜん罠に掛かってくんなくてさ」
「罠?」
「そうそう、ケルビンの趣味とか聞いて、その空間を夢で作ったり、ケルビンが昔行きたかった懐かしい店の再現をしてみたり、夢と気付かないような、めちゃくちゃ細部までこだわった現実そっくりの街並みを作ってさりげなく招待したり、………それ以外だと、私の身体に異常が出たとか、夢から出られないから助けてくれとか、泣き落としをしてみたりとか、そりゃもう、とにかく色々やったんだけどな、ことごとく見破られたよ」
「凄い執念だな。なんでそこまでしてケルビンと会いたかったんだよ」
「んなもん、悪魔と手を組もうとする天使なんて、何か裏があって当然だろ?そう思わないか?」
「それは、…………確かにそうか」
初め、ケルビンの怪しさは、人間の僕でも感じてはいた。
ある意味で、悪魔なら当然の行動ではある。
人間自体は、常に天使の庇護下にある。
これは間違いない。
天使は普通、人を導く立場の者だ。
悪魔は逆に、人を陥れる立場。
そう考えると、僕ですら天使自体を信じ切れてないのに、マリンにとっては尚更だ。
それでも、ケルビンの側に付いてこうしてデーモンハンターになる道を選んだ。
果たしてケルビンが凄いのか、マリンが洗脳されやすいのか、答えはどっちだろう?
僕としては、たまたまマリンが単純だったという方を推したい。
なぜって、……そっちの方が、なんとなく腑に落ちると言うか。
別にケルビンを認めてないわけではないし、たぶん凄い天使なのだろう。
それは否定しない。
ただ、悪魔という存在にも、必然性があると思いたいのだ。
そもそも、悪魔自体に存在理由が無いなんてわけがない。
確かに悪魔は敵だ。人間に害をなす存在なのだから。
ただ、今日のタクトを見て、僕は何を感じたか、正直、結論を出すには早計ではあるが、少なくとも、彼にとってサキュバスは不必要では無かった。
もし、サキュバス自体が、人間にとって必要な存在だったとしたら………。
僕はまだ、本質に届いていない気がしてならないのだ。
冥界のザクロが、その答えを持っている可能性は少なからずある。
それはなぜか?
多くの天使が、ザクロによって堕天させられているからだ。
そこに何かヒントが隠されていると思う。
「マリン、レオミュールがどんな交渉をするのかは聞いてないのか?」
「一応、概要くらいなら聞いてはいるけど」
「聞いても良いの?」
「うーん、そうだな、私も全部理解してるわけじゃないんだけどさ」
「断片だけでも良い」
「まぁ、要するに、エリスを解放する代わりに、堕天使を回収する気なんだよ」
「え?そんなことできるの?」
「そうそう、意外か?」
「エリスって、そんなに大事にされてたのか」
「私もよく分からん。こうなったのはエリスの自業自得だし、向こうも返して欲しいって思ってるのかも疑問だ」
「冥界のザクロって、悪の組織みたいなイメージだから、そういう交渉には応じないと思ってたよ」
「意外と応じるんだよな」
「そういう前例があるみたいな言い方だね」
「あぁ、実際、ザクロのメンバー捕らえて堕天使回収したことあるからな」
「そうだったんだ、だけど、それなら、ちゆちゃんの融合の交渉をして貰いたいんだけどな」
そもそも、エリスを捕らえたのは、僕とアカリ、マリンの3人だ。誰が欠けていてもあの結果にはなり得なかった。
僕が無事なのは、アカリとマリンのおかげだ。
そのことを考えると、エリスを解放する条件に、双子のちゆを差し出すのが道理では無いか?
「私もそれはそう思うんだけど、レオミュールからすると、その交渉は成り立たないらしい」
「なんで?」
「要するに、差し出すものが対等だと交渉にならないみたいなんだ」
「そんなの、こっちが被害者なのに」
「タマモトの言う事は正しいんだけどな」
「だけど、それじゃあ僕らは何のために」
「私も納得はしてない」
「だけど、対等にならないってのはどういう意味なんだ」
「要するに、双子もザクロの一員だろ?」
「うん」
「それで、エリスももちろん一員だ」
「そうだね」
「エリスを渡すから、双子を渡せ、って、交渉成り立つと思うか?」
「…………まぁ、無理か」
「だろ?結局、その条件になると本当に戦う事になるんだ」
「戦いを避けるためか……」
「何てったって、本拠地だからな、敵陣の」
「そうだよな、いくらレオミュールが強くってもダメか……」
「仮にレオミュールが本気でザクロを叩いたとしても、その後もヤバいだろ?堕天使もいるんだぞ」
「そうか……」
確かに、悪魔の本拠地って言っても、ザクロだけが組織では無い。
レオミュールが本気で城を落としに掛かって、成功したとしても、報復を受ける可能性は大いにある。
力技ってのは、どうしてもリスクがあるものだ。
となると、堕天使の回収くらいが落とし所になるというわけか。
だが、それでも、納得はいかない。
「タマモトの気持ちはマジで痛いほど分かる。苦労して手に入れたチャンスを、天使の勝手な都合で消費されちゃ、たまんないもんな」
マリンは、僕の気持ちに寄り添ってくれているようだ。
そこは素直に嬉しい。
だが、マリンにもマリンなりの考えはあるはずだ。
「……マリンは、この交渉をどう見てるんだ?」
「私がか?そんなの、不満しかないだろ」
「ケルビンは、僕らがそう思う事まで読んでるって線は無いか?」
「どういう意味だよ」
「レオミュールの交渉は、あくまで堕天使回収。なら、僕らが同行して、何をするんだ?」
「そんなの、双子の融合だろ?」
「うん、だけど、ケルビンは、融合に関してはあまり期待して無さそうだったんだ」
「様子見して来い、みたいなことだろ?」
「そうなんだ。……たぶん、レオミュールの交渉相手は、ザクロではない」
「は?じゃあ誰と取引すんだよ」
「……そもそも、ザクロへの取引ではないって可能性もある」
「何を言ってんだ?」
「レオミュールは勝負をかけるつもりなんじゃ無いかな」
「ザクロにか?」
「うん」
「どうやって?」
「これは憶測なんだけど」
僕はレオミュールが仕掛けようとしている作戦について、マリンに話す。
正直なところ、もしそうなら、コレは天使側にとって大きな賭けになる。
レオミュールが自ら交渉に赴く事にも納得できる。
その上で、ついでに僕らの目的も達成できるなら、一石二鳥というわけだ。
そして、もしレオミュールが成功すれば、僕らもかなり勝機のある交渉になる。
僕は、天使を信じてみようと思う。
マリンは僕の憶測を話すと、関心したようだった。
「…………なるほどな、参謀タマモト。もしそうなら、レオミュールは凄い。いや、ケルビンも知っているんだろうけどさ」
「それはまだ分からない」
「そうなのか?」
「レオミュールが単独で計画しているかも知れないし、同行を許可したのも、僕らを利用するつもりなのかも」
「私らは交渉のおまけみたいなもんか?」
「正確には、交渉する上で、説得力を持たせる為なんじゃないかな?」
「私とアカリか?」
「そうだね、君たちが鍵だ」
「ザクロにとっちゃ、私らはただの裏切りもん悪魔だろ?」
「だけど、レオミュールがその場で何を言うかで、マリンの立場も変わってくると思うんだ」
「レオミュール、先に私に話してくれれば良いのに、なんで教えてくれないんだ」
「必要がないからかも」
「どう言う意味だよ」
「要するに、先に話そうが、その場で話そうが、結果が変わらないなら、話すだけ無駄になるだろ?」
「だけど、演技くらい私だって」
「無理だよ」
「なんだとー!」
「別にマリンの演技が下手って言いたい訳じゃないんだ。そもそも演技って事は、嘘をつくって事だろ?」
「そりゃな」
「それは良くないんだ」
「なんでさ」
「僕らは自分の意思があるだろ?」
「あるけど」
「意思決定を先に決められると、どうしても反発したい気持ちになる。それは分かるよな?」
「分かる……けど」
「だから、敢えてその場で答えを出させるんだよ」
「そんな、卑怯だぞ」
「そう思うのは仕方ないよ。そもそも、これは憶測だ。僕が勝手に妄想してるだけに過ぎない」
「だ、だけどなタマモト、私もなんか、そんな気しかしなくなってきたんだ、どーしよう」
「待てって、まだ決まったわけじゃない」
プルプルと脚が震えるマリン。
まずい、怖がらせてしまったらしい。
「たた、たまもと、私、大丈夫かなぁ……」
僕はマリンの両肩に優しく触れる。
「大丈夫、深呼吸してくれ」
「すぅー、……はぁ、すぅー、……はぁ」
マリンが素直に深呼吸している。
ほんとにマリンは感情が分かりやすいな。
そういう意味では、ちゆ以上だ。
「落ち着いた?」
「うん、ありがとう参謀タマモト」
「とにかく、僕らの目的は、ちゆちゃんの融合だ。レオミュールが何を企んでいようと変わりない。そうだろ?マリン」
「そう、だな、ちゆのすけが助かれば、それで良い。他の事は考えないでおこう」
「よし、じゃあ、特訓のメニューを」
「ふぅ、よし、とりあえず、ダンテグローブと、アンクレットを2つ渡すから、さっそく付けてくれ」
マリンは、自分のハーフパンツのポケットから3つの装着品を取り出す。
僕はダンテグローブとアンクレットを受け取る。
ダンテグローブは、グレーのハーフフィンガーになっているので、指が出せる。少し重みがあり、表面はゴム製だが精密機器っぽい着け心地で雰囲気がある。
アンクレットは青い細い鎖のようで、足首に装着するとフィット感がある。
伸縮性があって、ピッタリ嵌まるので動いてもそれほど気にならない。
それにしても、こんなに実在感のあるアクセサリーが、現実に実体が無いのだと考えると、この感触はほんとにどこから来ているんだろうと思う。
グローブは頑丈な見た目の割に、薄くて着け心地も良く、コレだけでかなり気が引き締まってくる。
マリンにも伝わっているようだ。
「へぇー、タマモト、イカすじゃん」
「そう?マリンに言われると悪くない気分だな」
「ふふ、なんかキリッとしててカッコいいよ」
「ほんとに?」
急に褒めてくるマリン。
少し頬が赤らんでるようだ。
やはり、やる気になっている男ってのは魅力的に映るものなのだろうか。
「タマモト、それで、カッコいいセリフとか言ってみてよ」
「え?…………じゃあ、マリン!僕がキミを守る!」
マリンが吹き出した。
「ぶふぁっ!なにそれ笑うわ」
僕は恥ずかしくなった。顔が熱くなる。
「なんだよ、人に言わせといてそりゃ無いだろ?もっとセンス良い言葉が良かったんなら直接言ってくれれば良いだろが」
茶化すなら言わせないで欲しいと思った。
コレはお願いした側に責任がある。
「いや、ごめんごめん、違う違う、ただね………ぶふっ、ふふっ」
まだ腹を抱えて笑うマリン。
「ほら、笑うじゃないか、違わないだろ」
「違うよ、……ほんとに、カッコいいなぁ、ってさ………ぶふふっ」
「ぜんぜん説得力無いんだけど……」
「ごめんごめん、ごめんって、怒らないでよ」
「怒ってないわ!」
そう言われると腹が立ってきた。
「怒ってるじゃん、耳も赤いし、恥ずかしかったの?」
「なんなんだよ、まったく」
落ち着いたマリンが、涙目で僕を見つめた。
「タマモト、私のこと、守ってくれよな」
「…………分かったよ、早く始めよう」
「うん、じゃあ、ダンテグローブの衝撃波の飛距離を測るから、思いっきり振り切ってみて」
「分かった。真っ直ぐ飛ばすには、正拳突きが良いのかな?」
「普通に振りかぶれば前に飛ぶよ」
「そうなの?なんで?」
「弧を描くように振ったら前に飛ぶように設計されてるって言ったら良いのかな?前もそうだったろ?まぁやってみれば分かるよ。私はタマモトの後ろにいるから気にしないでね」
そういうものなのか?
とりあえずやってみるか。
「じゃあ、右手で思いっきり振ってみるよ」
「オーケー、ゴー!タマモト!」
後ろから元気なマリンの高い声が聞こえた。
普通にしてると可愛いんだけどな。
ブンっと振ると、オレンジ色の三日月みたいな衝撃波が発生して正面に飛んでいった。
周辺の草が、衝撃波の風に巻き込まれて宙を舞う。
ぶわっと反動の風が僕の全身に当たり、髪の毛を逆立てさせる。
前はそこまで意識していなかったが、確かに精力を消耗しているのか、若干の気怠さも感じる。
回数制限があるというのも本当なようだ。
「マリン、どうだった?」
僕は後ろに振り向く。
マリンは右手に黒い棒のようなモノを握っており、先端をカチカチと親指で鳴らしていた。
アレで測定しているのだろうか?
「うん、秒速50………だから、時速180キロってとこだね」
「それって凄いの?」
「凄い凄い、ダンテグローブじゃなかったら、秒速30も行かないよ、相当速いし、衝撃波の威力もヤバい。61メートルの飛距離が出てるよ」
「そう………なんだ、威力は、前に岩を吹っ飛ばしてたから、それなりだとは思うんだけど。でもアレ、ちゆちゃんの夢だからお菓子の岩だと思うんだよなぁ」
「そうだね、だけど、ダンテグローブだから、たぶんオッケー!」
グッと、親指を立てるマリン。
アバウトだが、それだけこの武器に信頼があるって事らしい。
「アカリの円盤の通常が、時速200キロだから、アレよりちょっと遅いくらいかな?」
「そうなんだ。そういや、前に乗った時は、全開だったとおもうんだけど、最高速度だと、どれくらい出るの?」
「うーん、たしか、300キロ行くかどうかってくらいだったと思うよ、まぁ、あんまり出しても操縦者がコントロール仕切れないからね、真っ直ぐ飛ぶだけになっちゃうけど」
なるほど、そうなると、あの時はMAXで飛んでたから、300は出てたのか。
……凄いな。あの円盤。
アカリが僕を抱えてたけど、もしハーフサキュバスじゃなかったら、僕は間違いなく振り落とされてただろうな。
「あと、タマモト、さっき別の方法でって言ってたよね」
「うん、正拳突きだよね」
「そうそう、正拳突き?それでもやってみる?」
「分かった。じゃあ、やってみるね」
僕は昔、空手をやっていた友達からの教えを思い出しながら体勢を整える。
正拳突きをする際に重要な事は、体のバランス感覚だ。
普通、殴る方、つまり、突き手の方に意識が行きがちになるが、力を入れるだけでは本来の力を出せない。
大事な事は、体の前後でバランスを取ること。
つまり、脇腹の引き手が重要になってくる。
肘の位置を意識してブレないように引き、腰の回転を利用して突き手を押し出す感覚だ。
引き手の甲は下、突き手の甲は上。
肩の力は抜き、余計な力は加えない。
突き手の力は、全身の総合的な筋力で決まる。
脚の伸びと、腰の切り方。
コレを意識して、互いに邪魔しない様に細心の注意を払う。
引き手の締まりと腰の回転、肩の力を入れない様にすれば、勝手に突き手が理想の正拳を叩き出してくれると言うわけだ。
僕は左足を少し前に出し、右拳を握りしめて深呼吸した。
「タマモト?大丈夫?」
「マリン、いくよ」
「うん」
僕は、中腰になり、正面に向かって思いっきり正拳突きをした。
ブワッ!
っと、強い衝撃波が周囲で発生する。
凄い。
ほんの一瞬のことだが、暴風でも巻き起こったのかと言う位くらいの威力だった。
オレンジ色の楕円が高速で草原の葉っぱを散らしながら駆け抜けていく。
明らかにさっきより速い。
どの辺まで飛んだのか、全く分からないが、これはさっきより遥かに飛んだだろう。
「マリン!どう?」
僕が振り返ると、マリンが驚いて目を見開いている。
この反応、たぶん、かなりの好成績だっただろう。
「タマモト、今の、なに?」
「えっと、正拳突きだよ」
「そうなんだ、なんか、激アツ・ハイパー・ウルトラ・バーストパンチとかじゃないの?」
「なんだよそのパンチ、ほんとにあるの?」
「知らないけど」
「で、結果は?」
「えっとね、………秒速100メートル………時速360キロ出てる」
「倍じゃん!」
「倍だね」
「アカリの円盤に追いついたな」
「そうだね」
「飛距離は?」
「143.3メートル」
「倍以上じゃんっ!?そんな飛ぶんだ」
「まぁ、単なる衝撃波の距離だけどね、ゴルフボールだったらもっと飛んでるよ」
「威力が弱いとあんまり意味ないもんなぁ」
「だね。それに、的が無いと、どれくらいで威力落ちるのか分からないよね」
「それもそうか」
僕はマリンの驚いているまん丸の目を見つめる。
「……私を的にすんなっ!」
「してないって!」
「私で試そうとすんなよっ!」
「何も言ってないだろが」
「とにかく、ダンテグローブが凄いのは分かった。エリスを気絶させられた理由もね。私の蹴りですらほとんど入らなかったのに……、なんか悔しいな」
「だね、本当に凄い天使だよ、ダンテさんは。……あ、堕天使なのか」
「あと、タマモトも凄いよ」
「ほんとに?」
「うん」
「どの辺が?」
「やっぱり精力なのかな?それにしても、こんなにスピードが出たのはグローブの中でも最高なんじゃないかな?」
「そうなの?」
「うん、たぶん時速260キロくらいまでしか報告されてなかったと思う」
「100キロ上乗せじゃん」
「そうだね、異常事態だよこんなの」
「僕にも少しは才能があったってことだね」
「そうみたい」
どうやら、グローブ界隈での新記録を樹立してしまったらしい。
コレはコレで気持ちがいいモノだ。
何事もトップクラスというのは悪くない響きだ。
今までは、絶倫がどうのというだけの話だったが、こうして何かの競技で1番になると感動ものだ。
明日、ゆかとちゆに自慢しておこう。
しかし、この成果は、体の動かし方を意識した結果なのは間違いない。
力を入れるとこは入れ、抜くところは上手く抜く。
武道の鉄則ではなかろうか。
「それで、コレが分かって、次は何をするんだ?」
「命中率を上げる訓練とかかな。だけど、いったんアンクレットの方も確認したい」
「分かったよ」
僕は軽くジャンプして、足の感覚を取り戻す。
地面を押せば押すほど高く跳べる。
これは本当に便利だ。
マリンのような高速回転はできないが、単純な移動であれば5倍くらいのペースで動けるだろう。
まるでウサギにでもなった気分だ。
ぴょんぴょん飛び跳ねてると、マリンが僕に声を掛けた。
「タマモト、カエルの真似はいいから、一回止まってて」
「なに!?カエル?ちがう、ウサギだ!」
「ええー、跳ねると言えばカエルでしょ?」
「いや、ウサギのつもりだったんだけどな」
「別にどっちでも良いでしょ?」
まぁ、それはどっちでも良いが、ついつい反発してしまった。
……あ、補足しておくと、別に僕がカエルが苦手とか、そういう意味ではない。
走るって言うと、ウサギの方がイメージしやすかっただけだ。
ウサギと亀の話もあるし、哺乳類だし。
「それでマリン、どうやって測るんだ?」
「次はコレを使います」
マリンは、丸くて青いバッジを僕のTシャツの胸元に着ける。
「これで分かるの?」
「うん」
「そうなんだ、もう跳んでいい?」
「いいよ、計測ボタン押したから。あ、ちゃんと真上に跳んでね。変なとこ跳んでっちゃダメだぞ」
「分かった分かった。じゃあ、行きます」
「行ってらっしゃい」
僕は脚を曲げて、集中する。
アンクレットの効果を考えると、感覚的には、10メートルは軽く跳べるはずだ。
ちゆの夢空間で跳んだ時は、天井がドーム型のホワイトチョコみたいになっていたから、正確に高さは分からなかった。
目測で、ここなら届くだろうと目星を付けて、その真下にある一本木を選んだのだ。
最大でどれくらい跳ぶのかは、まだ未知の領域。
期待は高まる。
僕は、全力で地面を蹴り上げる。
ふわっと、宙へ浮かぶような感覚。
凄いスピード感だ。
ジェットコースターに乗った時と同じ様な風圧を感じる。
夢空間でも空気抵抗があるのが何となく不思議だが、本来の重力を正確に再現出来なくては、夢空間としては弱いのだろうと思った。
サキュバスの搾精についても、重力を上手く再現できないと楽しめないのは、何となく想像がつく。
そういう意味では、夢空間のクオリティはとても重要だ。
双子のちゆに至っては、現実感が凄すぎて全く疑えなかったからな。
まぁ、記憶もなかったんだけども。
そんな事を考えていると、徐々にスピードが落ちて、周囲を見渡せるようになる。
澄み切った青空に、ちらほらと雲が見える。
下を見ると、立派な丘の草原が見事に広がっていた。
僕を見上げるマリンがポツンと見える。
…………あ、これって、着地はどうやるんだっけ?
そのまま落ちても、反動で数分動けないくらいだったよな。
だけど、普通に地面に直撃するのは、痛いのではないか?
え?
嫌だな。
ピタッ、と、空中で身体が止まったと思うと、そのまま急降下する。
何という風圧。
まるで、バンジージャンプだ。
まぁ、本来なら紐がついているわけだが。
落ちながら考える。
これ、普通に痛いとして、両足で着地したらどうなるんだろう。
骨に響く、というか、普通なら骨折?……だけじゃ済まないよな。
だけど、アンクレットの効果があるから、そうはならないのか。
だけど、不安だ。
上手く受け身が取れると良いんだが。
…………無理だろ。
「マリーン!」
僕が声を上げると、マリンが僕の真下で、両手を広げてニヤニヤしている。
なんだ?
マリンの腕の中に飛び込めという事か?
落ちるにつれて、どんどん近づいて来るマリンの腕と胸。
赤くてサラサラのツインテールが風になびいている。
楽しそうな表情で僕を見つめる青い瞳。
「参謀タマモト!そのまま私の腕の中に飛び込んでっ!!」
マリンの少し色気を感じる甘い声に導かれるように、マリンの胸の中へダイブした。
ドスっ!
勢いよくマリンに抱きつく。
凄い物理的な密着感。
ドキドキと、胸が高鳴った。
むにっとした胸の感触と、すべすべした両腕の感覚を背中に感じる。
しっかりと抱き抱えてくれているようだ。
「ふふっ、おかえり、タマモト」
左耳から聞こえる甘い声と吐息。
髪から爽やかで良い香りがした。
「マリン、ありがとう。助かったよ」
「参謀タマモトも、高い所から落ちて来ると怖いのか?」
「そ、そんなことは」
怖く無いわけがない。だが、素直にそれを言うのも恥ずかしい。
「よしよーし、お姉ちゃんが、慰めてあげるからなぁ」
マリンが、僕の背中を右手でさすりながら身体を上下に揺らした。
正直、かなり気持ち良い。
このまま腕の中で眠りたいくらいだ。
マリンの腕の中が、こんなに安心できるとは思わなかった。
学院の廊下を歩く時に、散々マリンを抱いていたのだが、あの時は、抱いていると言うよりは、保健室まで運んでいるって感じだったから、こういう感覚にはならなかった。
しかも、落ちて来たところを受け止めてもらっている。
吊り橋効果のようなモノだろうか。
「マリンって、凄い柔らかいんだな」
「たまもとー、やっぱ私の事、好きだろ?」
「やめてくれよ」
マリンが僕を強く抱きしめて来る。
心臓がまた高鳴る。
恥ずかしくなって来た。
「よちよち、赤ちゃんタマモト、ママの抱っこが気持ち良くなっちゃったんだなっ、ぶふっふふっ」
僕を抱いたまま、左右に揺れるマリン。
また笑っている。
さすがに、この状況は、僕でも笑いたくなる。
離れたくないというのが本音だが、そんな事をしている余裕も無いので、離れることにした。
「マリン、ありがとう、もう大丈夫」
「んよっ、もう離れて良いのか?」
離れた僕に対して、マリンはジト目で、腕を広げながら、両手の指をゆらゆら動かして誘惑してくる。
「やめてくれよ、ほんとにまた抱きしめてしまうだろが」
「ほぉほぉ、やはり、参謀タマモトセイシは、私との子どもが欲しくて欲しくてたまらないってわけだ」
僕は顔が熱くなるのを感じた。
「や、やめろって、……頼むから」
なんでフルネームなんだ。
てか子どもの話、まだ続いてたのか。
……そう言えば、さっき言ってた、考えてくれた?って言うのは、子どもの名前のことだったんだな。
そんなの、考えられるわけないだろう。
「私はいつでも作ってやるからな」
「なんてこと言うんだよ、それより、記録教えてくれよ記録」
「………あ、そうだったな。バッジ外すぞ」
胸の青いバッジを取るマリン。
その時、胸をさするマリンの手の平の感触がした。
「ぁあ、ちょ、急に触るなよ」
「たまもとー、お前、乳首立ってたぞ?舐めてやろうか?」
意地悪そうに、にひひっ、と笑うマリンに、またドキドキしてしまう。
マリンに触られると気持ち良いのは確かだ。しかし、だからこそ、いちいち誘惑しないで欲しいと心から思う。
「いいからっ、早く教えてくれ」
笑いながら、バッジを確認するマリン。
「17.6メートル」
「それは、高いの?」
「高いよ、ビルの5か、6階くらいの高さまで跳んでる」
「マリンのジャンプ力と比較したら、どれくらいなの?」
「うーん、…………私より高いなぁ」
「凄いじゃんっ」
「タマモトって、なに?ほんとに人間なの?」
「え?なんで?」
「だって、今日、現実のタマモト見て、不思議だったんだもん」
不思議?
まぁ、確かに、普通に考えて、タクトを拳で吹っ飛ばしたのは人間離れしてはいる。
だが、それはちゆのしっぽから抑制剤を飲んだからだ。
悪魔の能力が一部、僕の身体から発現した。
ケルビンによれば、そういう事象が起きる事も想定可能だと言う。
僕は、悪魔では無いし、もちろん天使でも無い。
あくまで、精力旺盛な人間の男だ。
それによって、インキュバスが使っていたダンテグローブを高いレベルで使用できるようになっている。
確かに、精力に関しては、才能とも呼べるかも知れない。
だが、一応、これには僕の過去が関係している。
初めから絶倫だったわけでは無いのだ。
僕には、絶倫になった過去が存在する。
だから…………。
「タマモト、私って、純粋な悪魔、サキュバスなんだ」
「それは、聞いたよ、ちゆと同じだよね」
「ちゆのすけもサキュバスだけど、たぶん、アイツは気付いてないと思うんだ」
「そうなの?」
何を気付いてないんだ?
「同じように、ハーフサキュバスのアカリも分からないと思う」
「なに?純粋なサキュバスでないと、分からない事があるの?」
「うん、分からない、たぶんだけど」
「それは、なに?」
「タマモトから、なんつーか、人間以外の気配っつーか、オーラみたいなもんを感じるんだ」
「へ?何それ?」
「私にもよく分からないんだけど、タマモトは確かに人間の香りだし、見た目も人間にしか見えないんだけど、それ以外にも、……悪魔とか、天使からしか感じられない独特の空気を感じるんだよ」
「それって、僕に何か取り憑いてるってこと?」
「分からん」
「曖昧だなぁ」
「タマモトって、どんな子どもだったんだ?」
「僕の、過去に興味があるの?」
「そりゃな、参謀だし」
「僕は………」
マリンが僕に対して感じる、人ならざる何かの気配。
それが、何なのかに、少しだけ心当たりがある。
僕はその過去について、これまで、卑しいモノだと決め付けていた。
だが、今になって思う。
それは、決してそんな対象のモノでは無いと言う事を。
もし僕がそれを語る相手がいるとしたら、それは間違いなく、悪魔だと思っていた。
その相手が今、現れたということだ。
僕がマリンとパートナーになったのは、必然だったのだろうか?
人は秘密を語る時、完全に無防備になる。
そして、秘密を知った相手を自由にする事はできない。
取り込むか、消し去るか、二つに一つだ。
話せば、僕はマリンを取り込まなくてはならない。
僕はマリンの目を見つめて微笑む。
本当に信用して良いのだろうか?
彼女は僕に対して、困ったように苦笑した。
「………………たまもと」
「参謀タマモト!!」
「ハイっ!」
耳元でマリンの大声が聞こえて目が覚める。
澄み切った青空。
目線を動かして周りを確認する。
僕は草原の中で寝転がっていた。
柔らかい風を全身に感じながら身体を起こすと、『lovely』と赤紫で表記されている白いTシャツとピンクのハーフパンツ姿のマリンが至近距離で立っていた。
周辺には何も無い。
延々と草原が続いているだけだ。
まるで、本当に草の上で寝転がっているように感じる。
夢空間に初めて来た頃から思ってはいたが、今まで普通に生きてきて、こんなに違和感なく夢の中で動き回った事は無かった。
これだけ自由に動けるようになると、現実と全くと言って良いほどに区別がつかない。
凄い体験だ。
いわゆる明晰夢というやつなのだろうが、とにかくサキュバス達が作る夢は特殊だ。
夢の中での搾精で妊娠できると言っていたし、実際に行為に及ぶと身体も同じように反応するのだと言う。
どういう原理なのか。
遠隔で触れているみたいなもんなのだろうか?
肌の感触が伝わるメカニズムが全く分からない。
想像で補うとしても、限界がある。
もし想像だけなのであれば、無知で未経験の男からは搾精が出来ない理屈になってしまう。
となると、ネット通信のように、脳内で繋がっているとしか思えない。
そう考えると、サキュバス自身の夢の感覚と、対象の夢の感覚を統合させていると仮定するのが、正解に近いと思う。
統合させているならまだ理解はできる。
サキュバスの夢は、新しい世界を見せる事と何ら変わりないというわけだ。
そうでなくては辻褄が合わない。
妊娠に関しても、実体を持たないサキュバスは夢でしか搾精できないのだから、妊娠できるのは当たり前な気もする。
だけど、実体が無いなら、サキュバスの妊娠からどうやって実体が生成されるんだろう?
確か、人間同士の中から見習いサキュバスが突然変異で産まれると聞いているから、その突然変異が関係しているのだろうか?
もし、夢の中で妊娠したサキュバスの子が、突然変異で人間の中から産まれるのだとしたら、実質、父親の遺伝子が2つになってしまう。
実体の男2人に対し、子どもが1人なのだから。
となると、この説が正しい可能性は低そうだ。
……それとも、産まれた子供に憑依するのだろうか?
この辺は、アカリの方が詳しそうだな。サキュバスの母親持ちなのだし。
会ったら聞いてみるか。
それにしても、アカリが味方なのは本当に頼もしい。
今まで何となく接して来たけど、もうちょっと丁寧に接してみようかな。
マリンにしてもそうだ。夢で会って、現実でも会えるマリンやアカリは、ある意味でお得な存在なのかも知れない。
まぁ、たまたま今は僕の味方になっているだけで、普通に悪魔なんだけどね…………。
仁王立ちで左手を腰に当て、マリンがニヤッと笑う。
「起きたか」
「ごめんマリン、遅れちゃって」
「あぁ、大丈夫だ。私も遊んでいたからな」
「遊んでいた、……誰と?」
「そんなもん、ちゆのすけに決まってるだろ」
「………ちゆのすけ」
………誰だ?
あぁ、分かった、ちゆのことか。
なんだ、ちゆのすけって。
僕は呼び名には突っ込まないことにした。
「てことは、ちゆも居るの?」
「今は自分の夢の中に行ってる」
「そっか、って事は、僕らだけって事か」
「嬉しいだろ?」
僕ににじりよるマリン。随分と楽しそうだ。
イジってやろうという気が満々の表情をしている。
「マリンと2人っきりだから?」
「そうだ」
「…………そういう答え難い質問は控えてほしいな」
「マジメかよタマモト!」
元気に突っ込むマリン。
………確かに真面目過ぎた。
これではただの失礼な奴だ。
マリンに対してはもっとフラットで良いだろう。
その方が彼女にとってもやりやすいはずだ。
「ごめん、……マリンと一緒にいられて僕は幸せだよ」
「なっ」
マリンが照れる。
顔が赤く、耳も赤い。
ツインテールの真紅の髪が風になびいて揺れる。
なんか思ったより反応が良い。
「え?」
「タマモト、私といて幸せなのか?」
「うん、だから、それを聞いたんじゃなかったっけ?」
「あ………、まぁ、嬉しいかどうかってのとはちょい違うかなぁと思って」
「そうかな?でも、ほんとだよ」
「私もタマモトと幸せになりたいと思ってる」
「マリン、君は良いやつだよ」
少しニュアンスは違うが。
「……それで、考えてくれたのか?」
何の話だろう?
「あぁ、そうだね、今回の事なんだけど、レオミュールからは許可が出たから、僕も同行できるようになった。足手まといにはなりたく無いから、みっちり戦闘技術を叩き込んで欲しい」
「…………あ、そっちじゃなくてさ」
「そっち?」
他に何かあったっけ?
「…………もぉ」
マリンが内股になってもじもじし始める。
なんだろう?
「いいよ、タマモトがその気になった時に決めよう」
本当になんだ?
まぁ、そのうち思い出すか……。
「それから、マリン」
「なんだよ」
「今日の学校は楽しかったかい?」
「え?……学校、……ぁあ、なんて言うか、まぁ楽しかったかな。……みんなのおかげだ」
もじもじしながら、俯き加減に恥ずかしそうに呟くマリン。
僕は嬉しくなった。
あの傍若無人というか、まさに狂犬って感じのマリンが、みんなのおかげと言っている。
こんなミラクルがあるだろうか?
昨日じゃ考えられないほどの急激な変化だ。
僕はズンズンとマリンに近付く。
ビビって退くマリン。
「え、えっ!あっ、タマ、タマモ……」
僕はマリンの両肩に手を置き、頬を染める困り眉の彼女の顔を見つめた。
「マリン、僕は今、とんでもなく感動している!」
取り乱すマリン。
近付かれて焦ってる様子だ。
「たたた、タマモト、今日は訓練がメインだから、あとでだぞ、あとでなっ」
なにか勘違いしてそうだが、とりあえず言わずにはいられない。
「僕は君のクラス復帰がとても嬉しいんだ!」
「え!?…………そう、なのか?」
「うん、こんなに嬉しいことはないよ。マリンだって、正直、不思議な気持ちだろ?あんなに嫌がっていたのにさ」
「……でも、まぁそうだな、私もこんなに気持ちが変わるとは思わなかった」
「明日も学校、行きたい?」
「え、……うん、きょうこに、同人誌見せる約束してるし、また、りさとも話したいから」
マリン、同人誌持ってるのか?なんだろう?ボーイズラブかな?
きょうこもそうだが、りさとも仲良くなったようだ。
色々あったが、写真部での交流も良い結果に繋がったわけだ。
あやかのお陰でもある。感謝だ。
「そっか、じゃあ、今日も早く休まないとなっ」
「それは、そうだけど、訓練しないと」
「もちろん、じゃあ、マリンが早く休むためにも、始めよう」
「あ、あぁ。タマモト急に元気だな。そんなに私に学校に来て欲しかったのか?」
「うん、僕はマリンが学校に来てくれることが、世界で一番嬉しいんだ、いや、宇宙イチかもしれない」
「………あはは、そうか、そんなにタマモトが嬉しいなら、タマモトのためにも、学校行かないとな……」
嬉しそうにしている。
マリンが身体をくねくねしながら僕を見つめた。
実際、マリンの復帰はめでたい。
僕の懸念点である、ゆかとの敵対関係も解消される可能性が出て来たし、マリンと学校で気軽に情報を共有できることもプラスだ。
何より、事情は何にせよ、不登校の女の子を引っ張り出せたことは良い事だ。
サキュバスになってしまってはいるが、天使の庇護下に置かれている限りは、安全が保障されている。
ケルビンに従ってさえいれば、問題はない。
僕らは正式なパートナーなのだ。
「うんうん、マリン、僕のために学校に居てくれよ」
「た、タマモトもだぞ!休む時はちゃんと連絡しろよなっ」
「え、連絡した方が良いの?」
「当たり前だろ!私の参謀なんだぞ」
「そう、か、そうだね、分かった。参謀になったからには連絡はしないとな」
「あと、…………朝とか、寝る前とか、別に、連絡とかしても良いからな」
「朝と、……寝る前」
そんなに連絡するのか?毎日?
「そうだぞ、ほら、私のこと心配だろ?」
「そうだね、心配だ」
「な?だから、私は別に、そういうの嫌がったりしないタイプだからな、教えといてやる、……参謀だから」
「うん、ありがとう」
朝と寝る前に連絡……、それはもう友人以上の関係では?
そんな事してたらゆかに勘繰られる。
とは言え、ここで強く拒否するのも良くないし、難しい。
「あ、そうだ、マリン、連絡するなら、夜だけにしないか?」
「なんで?」
「1日の報告するなら、夜の方が良いだろ?まとめやすいし」
「報告?そんなのいるのか?」
「やっぱさ、僕は参謀なんだし、調査結果は気になるよな」
「うーん、私は、タマモトが私のことを考えてくれるなら、止めないけど、それだとタマモトの負担にならないか?」
「そうだね、でも、何も無ければ何も無いで良いしさ」
「そうか、それもそうだな」
「うん、だから、朝はなくて良いでしょ」
「その報告と朝と夜の連絡は関係ないだろー」
「…………あ、僕アレなんだ、朝弱くって」
「タマモト、朝弱いのか」
「うん、バタバタしてて、遅刻しそうになった事も何度もあってさ、ほんと、実家にいた時は、何度も母さんに叩き起こされてたよ」
コレは半分は本当だ。
起こされないと本当に遅刻しそうになっていた。
すると、マリンの目がキラキラしてくる。
なんだろう?
「なんだ、まどろっこしいなっ!タマモト、私に毎朝起こしに来て欲しかったんだなっ!それで朝の連絡はいらないってことかっ」
ヤバい、盛大に勘違いさせてしまった。
しかしマリン、そんなに僕といないと不安なのか?
連絡しないってのを、起こしに来て欲しいに変換するのはいくら何でも飛躍し過ぎだろう。
「ちょっと待ってくれ、そんな事までさせるわけにはいかない」
「ったく、タマモトは遠回しに言い過ぎなんだよ、私と毎朝登校したいならそう言えば良いだろ?」
「いや、あの、そう言う事ではなくってだね」
なんでこんな流れになるんだ。
マリンの好感度が高いのは分かっていたが、こうなると、ちゆとゆかの話をしなくてはいけなくなる。
同棲については、マリンとゆかとの関係が良くなってから言いたい。
何と言えばいいか。
とりあえず、これだけは伝えておこう。
「マリン、言ってなかったんだけどさ」
「ん?なんだ?」
「僕、同居人がいるんだ」
「そうなのか?」
「うん、だから、朝は大丈夫なんだ。ごめん、言ってなくて」
どうせ話すのだから、ルームシェアに関しては言っておいても良いだろう。
後で何とでも言い訳はできる。
「………ちゆのすけだろ?」
「え!?」
「だから、同居人、ちゆのすけだよな」
ちゆ、言っていたのか、だけど、大丈夫だったのか?
「……えっと、それは」
「やっぱりそうか。今日話してて、何となく察しはついてたんだ」
「……マリン」
「夢来る前に、ちゆのすけと風呂入ってたんだけど、ずっと朝ごはんの話してて、お兄ちゃんがいつも美味しそうに食べてくれるから、作り甲斐があるんだっつっててさ。そんな話、同棲してないと出てこないだろ?」
「………そっか」
朝ごはんの話。
そりゃ、そんな話されたら誰でも疑うよな。
だけど、その話だけだとしたら、ゆかの存在はまだ、ベールに隠されたままのはずだ。
マリンは、ちゆとは仲良くなっているのだから、そこは問題ないだろう。
「ちゆのすけとは長いのか?」
「ううん、まだ最近の話だよ、そもそも、僕が転入してからそんなに経ってないし」
「そうなのか、まぁ、お前らがそういう関係なのは初対面で分かったけどな」
「そうだよね、ごめん気を遣わせて」
「ん、それはこっちのセリフだろ、私の方が勝手に言い出したんだし」
「僕がハッキリ言えば良かったね」
「気にすんなって、私も試して悪かったと思ってる」
「なんだよ、試したのかよ、酷いなマリン」
「良いだろ、私だって、お前の気持ち確かめたかったし」
僕の気持ち?
どういう意味だろう?
僕がマリンの事を好きかどうかテストしたって事なのか。
もしすぐに話に乗っていたら何か変わったのだろうか。
「マリン、あの、……僕は」
「ちゆのすけ、明日、朝ごはん作ってくれるってさ」
「そうなんだ」
「タマモトの好きなものが食べたいって言っといた」
「そっか」
僕の好きなものって言うと、豚の生姜焼きとかだろうか?
「そしたら、ちゆのすけ、なんて言ったと思う?」
「……なんて言ったの?」
「ゴホンっ、『エェえー、お兄ちゃんの好きなものって、ちゆじゃんっ!』っつってた」
マリンが自分で言って大声で笑う。
よほど面白かったんだろう。
想像したら、確かに笑ってしまうのは分かる。
正直、ちゆの反応は可愛い。
ちゆの絶妙なボケとエンタメ性は、一緒にいる人を男女問わず幸せにしてくれる。
マリンも楽しかっただろうな。
しかも風呂という、まさに裸の付き合いの中だ。
アカリとも仲良くなっていたが、マリンとマブダチになる日も近そうだ。
「そっか、じゃあ、明日の朝食はちゆを食べるんだね」
「そうなるかな」
「ほんとに食べたらダメだよ」
「食べねーわ」
笑うマリン。
良かった。
ちゆと2人で帰ったおかげで、マリンの気持ちも落ち着いたのだ。
ちゆには感謝だな。
僕はそんなちゆのために、冥界のザクロと戦いたいと思っている。
僕にどこまでできるかは分からないが。
「それで、マリン、そろそろ特訓のメニューを聞かせて欲しいんだけどさ」
マリンが真面目な表情になる。
「あぁ、……それなんだが、一応、訓練はやるが、本当にマジのマジでピンチになった時の手段だと思ってくれ」
ん?
それはつまり、戦わないってことだろうか?
「一応ってのは?」
「アカリから、あの後連絡が来て、今回の話は、レオミュールが直々に交渉することになったんだ」
「レオミュールが?」
「あぁ」
「だけど、天使でしょ?レオミュールって」
「天使だ」
「だって、冥界のザクロって、悪魔の巣窟なんじゃ」
「もちろん」
「大丈夫なの?」
「…………知らん」
「知らんって、………悪魔の親玉の本拠地に、天使が1人で乗り込むなんて、無謀だとしか」
「んな事言ったら、お前はどーなんだよタマモト。人間だろ?一応」
「僕はまぁ、仕方ないじゃないか、事情が事情なんだから」
「なら、レオミュールにだって考えがあるんじゃねーの?」
「そういや、ザクロって、堕天使もたくさんいるんだよね」
「いるね」
「って事は、レオミュールも堕天使と繋がりがあるとか…………、実は堕天使だった、なんて事は?」
「レオミュールは純粋に天使だし、一度堕天した天使が天使に戻った前例は無い」
「そっか………、堕天したらお終いなんだ」
「まぁ、堕天したら、堕天使としての生活が待ってるってだけだろ」
「レオミュール大丈夫なのかな?」
「私らが心配したって仕方ないだろ、タマモトは天使舐め過ぎなんだよ」
「そうなのかな?」
「そそ、天使ってマジで強えーし」
「マリン、天使と喧嘩したことあるの?」
「あるよ」
「それって、レオミュール?ケルビン?」
「両方とも顔知らねーし」
「そっか、そうだったね、ケルビンとは、マリンも会った事無いんだ」
「あぁ、どうやっても会ってくれないみたいだからな」
「お願いしたことはあるの?会ってくださいって」
「そりゃな、私くらいしつこい奴、今までいなかったって言われたわ」
「何やったんだよ」
「無理矢理、夢の中に招待しようとしたんだけど、ぜんぜん罠に掛かってくんなくてさ」
「罠?」
「そうそう、ケルビンの趣味とか聞いて、その空間を夢で作ったり、ケルビンが昔行きたかった懐かしい店の再現をしてみたり、夢と気付かないような、めちゃくちゃ細部までこだわった現実そっくりの街並みを作ってさりげなく招待したり、………それ以外だと、私の身体に異常が出たとか、夢から出られないから助けてくれとか、泣き落としをしてみたりとか、そりゃもう、とにかく色々やったんだけどな、ことごとく見破られたよ」
「凄い執念だな。なんでそこまでしてケルビンと会いたかったんだよ」
「んなもん、悪魔と手を組もうとする天使なんて、何か裏があって当然だろ?そう思わないか?」
「それは、…………確かにそうか」
初め、ケルビンの怪しさは、人間の僕でも感じてはいた。
ある意味で、悪魔なら当然の行動ではある。
人間自体は、常に天使の庇護下にある。
これは間違いない。
天使は普通、人を導く立場の者だ。
悪魔は逆に、人を陥れる立場。
そう考えると、僕ですら天使自体を信じ切れてないのに、マリンにとっては尚更だ。
それでも、ケルビンの側に付いてこうしてデーモンハンターになる道を選んだ。
果たしてケルビンが凄いのか、マリンが洗脳されやすいのか、答えはどっちだろう?
僕としては、たまたまマリンが単純だったという方を推したい。
なぜって、……そっちの方が、なんとなく腑に落ちると言うか。
別にケルビンを認めてないわけではないし、たぶん凄い天使なのだろう。
それは否定しない。
ただ、悪魔という存在にも、必然性があると思いたいのだ。
そもそも、悪魔自体に存在理由が無いなんてわけがない。
確かに悪魔は敵だ。人間に害をなす存在なのだから。
ただ、今日のタクトを見て、僕は何を感じたか、正直、結論を出すには早計ではあるが、少なくとも、彼にとってサキュバスは不必要では無かった。
もし、サキュバス自体が、人間にとって必要な存在だったとしたら………。
僕はまだ、本質に届いていない気がしてならないのだ。
冥界のザクロが、その答えを持っている可能性は少なからずある。
それはなぜか?
多くの天使が、ザクロによって堕天させられているからだ。
そこに何かヒントが隠されていると思う。
「マリン、レオミュールがどんな交渉をするのかは聞いてないのか?」
「一応、概要くらいなら聞いてはいるけど」
「聞いても良いの?」
「うーん、そうだな、私も全部理解してるわけじゃないんだけどさ」
「断片だけでも良い」
「まぁ、要するに、エリスを解放する代わりに、堕天使を回収する気なんだよ」
「え?そんなことできるの?」
「そうそう、意外か?」
「エリスって、そんなに大事にされてたのか」
「私もよく分からん。こうなったのはエリスの自業自得だし、向こうも返して欲しいって思ってるのかも疑問だ」
「冥界のザクロって、悪の組織みたいなイメージだから、そういう交渉には応じないと思ってたよ」
「意外と応じるんだよな」
「そういう前例があるみたいな言い方だね」
「あぁ、実際、ザクロのメンバー捕らえて堕天使回収したことあるからな」
「そうだったんだ、だけど、それなら、ちゆちゃんの融合の交渉をして貰いたいんだけどな」
そもそも、エリスを捕らえたのは、僕とアカリ、マリンの3人だ。誰が欠けていてもあの結果にはなり得なかった。
僕が無事なのは、アカリとマリンのおかげだ。
そのことを考えると、エリスを解放する条件に、双子のちゆを差し出すのが道理では無いか?
「私もそれはそう思うんだけど、レオミュールからすると、その交渉は成り立たないらしい」
「なんで?」
「要するに、差し出すものが対等だと交渉にならないみたいなんだ」
「そんなの、こっちが被害者なのに」
「タマモトの言う事は正しいんだけどな」
「だけど、それじゃあ僕らは何のために」
「私も納得はしてない」
「だけど、対等にならないってのはどういう意味なんだ」
「要するに、双子もザクロの一員だろ?」
「うん」
「それで、エリスももちろん一員だ」
「そうだね」
「エリスを渡すから、双子を渡せ、って、交渉成り立つと思うか?」
「…………まぁ、無理か」
「だろ?結局、その条件になると本当に戦う事になるんだ」
「戦いを避けるためか……」
「何てったって、本拠地だからな、敵陣の」
「そうだよな、いくらレオミュールが強くってもダメか……」
「仮にレオミュールが本気でザクロを叩いたとしても、その後もヤバいだろ?堕天使もいるんだぞ」
「そうか……」
確かに、悪魔の本拠地って言っても、ザクロだけが組織では無い。
レオミュールが本気で城を落としに掛かって、成功したとしても、報復を受ける可能性は大いにある。
力技ってのは、どうしてもリスクがあるものだ。
となると、堕天使の回収くらいが落とし所になるというわけか。
だが、それでも、納得はいかない。
「タマモトの気持ちはマジで痛いほど分かる。苦労して手に入れたチャンスを、天使の勝手な都合で消費されちゃ、たまんないもんな」
マリンは、僕の気持ちに寄り添ってくれているようだ。
そこは素直に嬉しい。
だが、マリンにもマリンなりの考えはあるはずだ。
「……マリンは、この交渉をどう見てるんだ?」
「私がか?そんなの、不満しかないだろ」
「ケルビンは、僕らがそう思う事まで読んでるって線は無いか?」
「どういう意味だよ」
「レオミュールの交渉は、あくまで堕天使回収。なら、僕らが同行して、何をするんだ?」
「そんなの、双子の融合だろ?」
「うん、だけど、ケルビンは、融合に関してはあまり期待して無さそうだったんだ」
「様子見して来い、みたいなことだろ?」
「そうなんだ。……たぶん、レオミュールの交渉相手は、ザクロではない」
「は?じゃあ誰と取引すんだよ」
「……そもそも、ザクロへの取引ではないって可能性もある」
「何を言ってんだ?」
「レオミュールは勝負をかけるつもりなんじゃ無いかな」
「ザクロにか?」
「うん」
「どうやって?」
「これは憶測なんだけど」
僕はレオミュールが仕掛けようとしている作戦について、マリンに話す。
正直なところ、もしそうなら、コレは天使側にとって大きな賭けになる。
レオミュールが自ら交渉に赴く事にも納得できる。
その上で、ついでに僕らの目的も達成できるなら、一石二鳥というわけだ。
そして、もしレオミュールが成功すれば、僕らもかなり勝機のある交渉になる。
僕は、天使を信じてみようと思う。
マリンは僕の憶測を話すと、関心したようだった。
「…………なるほどな、参謀タマモト。もしそうなら、レオミュールは凄い。いや、ケルビンも知っているんだろうけどさ」
「それはまだ分からない」
「そうなのか?」
「レオミュールが単独で計画しているかも知れないし、同行を許可したのも、僕らを利用するつもりなのかも」
「私らは交渉のおまけみたいなもんか?」
「正確には、交渉する上で、説得力を持たせる為なんじゃないかな?」
「私とアカリか?」
「そうだね、君たちが鍵だ」
「ザクロにとっちゃ、私らはただの裏切りもん悪魔だろ?」
「だけど、レオミュールがその場で何を言うかで、マリンの立場も変わってくると思うんだ」
「レオミュール、先に私に話してくれれば良いのに、なんで教えてくれないんだ」
「必要がないからかも」
「どう言う意味だよ」
「要するに、先に話そうが、その場で話そうが、結果が変わらないなら、話すだけ無駄になるだろ?」
「だけど、演技くらい私だって」
「無理だよ」
「なんだとー!」
「別にマリンの演技が下手って言いたい訳じゃないんだ。そもそも演技って事は、嘘をつくって事だろ?」
「そりゃな」
「それは良くないんだ」
「なんでさ」
「僕らは自分の意思があるだろ?」
「あるけど」
「意思決定を先に決められると、どうしても反発したい気持ちになる。それは分かるよな?」
「分かる……けど」
「だから、敢えてその場で答えを出させるんだよ」
「そんな、卑怯だぞ」
「そう思うのは仕方ないよ。そもそも、これは憶測だ。僕が勝手に妄想してるだけに過ぎない」
「だ、だけどなタマモト、私もなんか、そんな気しかしなくなってきたんだ、どーしよう」
「待てって、まだ決まったわけじゃない」
プルプルと脚が震えるマリン。
まずい、怖がらせてしまったらしい。
「たた、たまもと、私、大丈夫かなぁ……」
僕はマリンの両肩に優しく触れる。
「大丈夫、深呼吸してくれ」
「すぅー、……はぁ、すぅー、……はぁ」
マリンが素直に深呼吸している。
ほんとにマリンは感情が分かりやすいな。
そういう意味では、ちゆ以上だ。
「落ち着いた?」
「うん、ありがとう参謀タマモト」
「とにかく、僕らの目的は、ちゆちゃんの融合だ。レオミュールが何を企んでいようと変わりない。そうだろ?マリン」
「そう、だな、ちゆのすけが助かれば、それで良い。他の事は考えないでおこう」
「よし、じゃあ、特訓のメニューを」
「ふぅ、よし、とりあえず、ダンテグローブと、アンクレットを2つ渡すから、さっそく付けてくれ」
マリンは、自分のハーフパンツのポケットから3つの装着品を取り出す。
僕はダンテグローブとアンクレットを受け取る。
ダンテグローブは、グレーのハーフフィンガーになっているので、指が出せる。少し重みがあり、表面はゴム製だが精密機器っぽい着け心地で雰囲気がある。
アンクレットは青い細い鎖のようで、足首に装着するとフィット感がある。
伸縮性があって、ピッタリ嵌まるので動いてもそれほど気にならない。
それにしても、こんなに実在感のあるアクセサリーが、現実に実体が無いのだと考えると、この感触はほんとにどこから来ているんだろうと思う。
グローブは頑丈な見た目の割に、薄くて着け心地も良く、コレだけでかなり気が引き締まってくる。
マリンにも伝わっているようだ。
「へぇー、タマモト、イカすじゃん」
「そう?マリンに言われると悪くない気分だな」
「ふふ、なんかキリッとしててカッコいいよ」
「ほんとに?」
急に褒めてくるマリン。
少し頬が赤らんでるようだ。
やはり、やる気になっている男ってのは魅力的に映るものなのだろうか。
「タマモト、それで、カッコいいセリフとか言ってみてよ」
「え?…………じゃあ、マリン!僕がキミを守る!」
マリンが吹き出した。
「ぶふぁっ!なにそれ笑うわ」
僕は恥ずかしくなった。顔が熱くなる。
「なんだよ、人に言わせといてそりゃ無いだろ?もっとセンス良い言葉が良かったんなら直接言ってくれれば良いだろが」
茶化すなら言わせないで欲しいと思った。
コレはお願いした側に責任がある。
「いや、ごめんごめん、違う違う、ただね………ぶふっ、ふふっ」
まだ腹を抱えて笑うマリン。
「ほら、笑うじゃないか、違わないだろ」
「違うよ、……ほんとに、カッコいいなぁ、ってさ………ぶふふっ」
「ぜんぜん説得力無いんだけど……」
「ごめんごめん、ごめんって、怒らないでよ」
「怒ってないわ!」
そう言われると腹が立ってきた。
「怒ってるじゃん、耳も赤いし、恥ずかしかったの?」
「なんなんだよ、まったく」
落ち着いたマリンが、涙目で僕を見つめた。
「タマモト、私のこと、守ってくれよな」
「…………分かったよ、早く始めよう」
「うん、じゃあ、ダンテグローブの衝撃波の飛距離を測るから、思いっきり振り切ってみて」
「分かった。真っ直ぐ飛ばすには、正拳突きが良いのかな?」
「普通に振りかぶれば前に飛ぶよ」
「そうなの?なんで?」
「弧を描くように振ったら前に飛ぶように設計されてるって言ったら良いのかな?前もそうだったろ?まぁやってみれば分かるよ。私はタマモトの後ろにいるから気にしないでね」
そういうものなのか?
とりあえずやってみるか。
「じゃあ、右手で思いっきり振ってみるよ」
「オーケー、ゴー!タマモト!」
後ろから元気なマリンの高い声が聞こえた。
普通にしてると可愛いんだけどな。
ブンっと振ると、オレンジ色の三日月みたいな衝撃波が発生して正面に飛んでいった。
周辺の草が、衝撃波の風に巻き込まれて宙を舞う。
ぶわっと反動の風が僕の全身に当たり、髪の毛を逆立てさせる。
前はそこまで意識していなかったが、確かに精力を消耗しているのか、若干の気怠さも感じる。
回数制限があるというのも本当なようだ。
「マリン、どうだった?」
僕は後ろに振り向く。
マリンは右手に黒い棒のようなモノを握っており、先端をカチカチと親指で鳴らしていた。
アレで測定しているのだろうか?
「うん、秒速50………だから、時速180キロってとこだね」
「それって凄いの?」
「凄い凄い、ダンテグローブじゃなかったら、秒速30も行かないよ、相当速いし、衝撃波の威力もヤバい。61メートルの飛距離が出てるよ」
「そう………なんだ、威力は、前に岩を吹っ飛ばしてたから、それなりだとは思うんだけど。でもアレ、ちゆちゃんの夢だからお菓子の岩だと思うんだよなぁ」
「そうだね、だけど、ダンテグローブだから、たぶんオッケー!」
グッと、親指を立てるマリン。
アバウトだが、それだけこの武器に信頼があるって事らしい。
「アカリの円盤の通常が、時速200キロだから、アレよりちょっと遅いくらいかな?」
「そうなんだ。そういや、前に乗った時は、全開だったとおもうんだけど、最高速度だと、どれくらい出るの?」
「うーん、たしか、300キロ行くかどうかってくらいだったと思うよ、まぁ、あんまり出しても操縦者がコントロール仕切れないからね、真っ直ぐ飛ぶだけになっちゃうけど」
なるほど、そうなると、あの時はMAXで飛んでたから、300は出てたのか。
……凄いな。あの円盤。
アカリが僕を抱えてたけど、もしハーフサキュバスじゃなかったら、僕は間違いなく振り落とされてただろうな。
「あと、タマモト、さっき別の方法でって言ってたよね」
「うん、正拳突きだよね」
「そうそう、正拳突き?それでもやってみる?」
「分かった。じゃあ、やってみるね」
僕は昔、空手をやっていた友達からの教えを思い出しながら体勢を整える。
正拳突きをする際に重要な事は、体のバランス感覚だ。
普通、殴る方、つまり、突き手の方に意識が行きがちになるが、力を入れるだけでは本来の力を出せない。
大事な事は、体の前後でバランスを取ること。
つまり、脇腹の引き手が重要になってくる。
肘の位置を意識してブレないように引き、腰の回転を利用して突き手を押し出す感覚だ。
引き手の甲は下、突き手の甲は上。
肩の力は抜き、余計な力は加えない。
突き手の力は、全身の総合的な筋力で決まる。
脚の伸びと、腰の切り方。
コレを意識して、互いに邪魔しない様に細心の注意を払う。
引き手の締まりと腰の回転、肩の力を入れない様にすれば、勝手に突き手が理想の正拳を叩き出してくれると言うわけだ。
僕は左足を少し前に出し、右拳を握りしめて深呼吸した。
「タマモト?大丈夫?」
「マリン、いくよ」
「うん」
僕は、中腰になり、正面に向かって思いっきり正拳突きをした。
ブワッ!
っと、強い衝撃波が周囲で発生する。
凄い。
ほんの一瞬のことだが、暴風でも巻き起こったのかと言う位くらいの威力だった。
オレンジ色の楕円が高速で草原の葉っぱを散らしながら駆け抜けていく。
明らかにさっきより速い。
どの辺まで飛んだのか、全く分からないが、これはさっきより遥かに飛んだだろう。
「マリン!どう?」
僕が振り返ると、マリンが驚いて目を見開いている。
この反応、たぶん、かなりの好成績だっただろう。
「タマモト、今の、なに?」
「えっと、正拳突きだよ」
「そうなんだ、なんか、激アツ・ハイパー・ウルトラ・バーストパンチとかじゃないの?」
「なんだよそのパンチ、ほんとにあるの?」
「知らないけど」
「で、結果は?」
「えっとね、………秒速100メートル………時速360キロ出てる」
「倍じゃん!」
「倍だね」
「アカリの円盤に追いついたな」
「そうだね」
「飛距離は?」
「143.3メートル」
「倍以上じゃんっ!?そんな飛ぶんだ」
「まぁ、単なる衝撃波の距離だけどね、ゴルフボールだったらもっと飛んでるよ」
「威力が弱いとあんまり意味ないもんなぁ」
「だね。それに、的が無いと、どれくらいで威力落ちるのか分からないよね」
「それもそうか」
僕はマリンの驚いているまん丸の目を見つめる。
「……私を的にすんなっ!」
「してないって!」
「私で試そうとすんなよっ!」
「何も言ってないだろが」
「とにかく、ダンテグローブが凄いのは分かった。エリスを気絶させられた理由もね。私の蹴りですらほとんど入らなかったのに……、なんか悔しいな」
「だね、本当に凄い天使だよ、ダンテさんは。……あ、堕天使なのか」
「あと、タマモトも凄いよ」
「ほんとに?」
「うん」
「どの辺が?」
「やっぱり精力なのかな?それにしても、こんなにスピードが出たのはグローブの中でも最高なんじゃないかな?」
「そうなの?」
「うん、たぶん時速260キロくらいまでしか報告されてなかったと思う」
「100キロ上乗せじゃん」
「そうだね、異常事態だよこんなの」
「僕にも少しは才能があったってことだね」
「そうみたい」
どうやら、グローブ界隈での新記録を樹立してしまったらしい。
コレはコレで気持ちがいいモノだ。
何事もトップクラスというのは悪くない響きだ。
今までは、絶倫がどうのというだけの話だったが、こうして何かの競技で1番になると感動ものだ。
明日、ゆかとちゆに自慢しておこう。
しかし、この成果は、体の動かし方を意識した結果なのは間違いない。
力を入れるとこは入れ、抜くところは上手く抜く。
武道の鉄則ではなかろうか。
「それで、コレが分かって、次は何をするんだ?」
「命中率を上げる訓練とかかな。だけど、いったんアンクレットの方も確認したい」
「分かったよ」
僕は軽くジャンプして、足の感覚を取り戻す。
地面を押せば押すほど高く跳べる。
これは本当に便利だ。
マリンのような高速回転はできないが、単純な移動であれば5倍くらいのペースで動けるだろう。
まるでウサギにでもなった気分だ。
ぴょんぴょん飛び跳ねてると、マリンが僕に声を掛けた。
「タマモト、カエルの真似はいいから、一回止まってて」
「なに!?カエル?ちがう、ウサギだ!」
「ええー、跳ねると言えばカエルでしょ?」
「いや、ウサギのつもりだったんだけどな」
「別にどっちでも良いでしょ?」
まぁ、それはどっちでも良いが、ついつい反発してしまった。
……あ、補足しておくと、別に僕がカエルが苦手とか、そういう意味ではない。
走るって言うと、ウサギの方がイメージしやすかっただけだ。
ウサギと亀の話もあるし、哺乳類だし。
「それでマリン、どうやって測るんだ?」
「次はコレを使います」
マリンは、丸くて青いバッジを僕のTシャツの胸元に着ける。
「これで分かるの?」
「うん」
「そうなんだ、もう跳んでいい?」
「いいよ、計測ボタン押したから。あ、ちゃんと真上に跳んでね。変なとこ跳んでっちゃダメだぞ」
「分かった分かった。じゃあ、行きます」
「行ってらっしゃい」
僕は脚を曲げて、集中する。
アンクレットの効果を考えると、感覚的には、10メートルは軽く跳べるはずだ。
ちゆの夢空間で跳んだ時は、天井がドーム型のホワイトチョコみたいになっていたから、正確に高さは分からなかった。
目測で、ここなら届くだろうと目星を付けて、その真下にある一本木を選んだのだ。
最大でどれくらい跳ぶのかは、まだ未知の領域。
期待は高まる。
僕は、全力で地面を蹴り上げる。
ふわっと、宙へ浮かぶような感覚。
凄いスピード感だ。
ジェットコースターに乗った時と同じ様な風圧を感じる。
夢空間でも空気抵抗があるのが何となく不思議だが、本来の重力を正確に再現出来なくては、夢空間としては弱いのだろうと思った。
サキュバスの搾精についても、重力を上手く再現できないと楽しめないのは、何となく想像がつく。
そういう意味では、夢空間のクオリティはとても重要だ。
双子のちゆに至っては、現実感が凄すぎて全く疑えなかったからな。
まぁ、記憶もなかったんだけども。
そんな事を考えていると、徐々にスピードが落ちて、周囲を見渡せるようになる。
澄み切った青空に、ちらほらと雲が見える。
下を見ると、立派な丘の草原が見事に広がっていた。
僕を見上げるマリンがポツンと見える。
…………あ、これって、着地はどうやるんだっけ?
そのまま落ちても、反動で数分動けないくらいだったよな。
だけど、普通に地面に直撃するのは、痛いのではないか?
え?
嫌だな。
ピタッ、と、空中で身体が止まったと思うと、そのまま急降下する。
何という風圧。
まるで、バンジージャンプだ。
まぁ、本来なら紐がついているわけだが。
落ちながら考える。
これ、普通に痛いとして、両足で着地したらどうなるんだろう。
骨に響く、というか、普通なら骨折?……だけじゃ済まないよな。
だけど、アンクレットの効果があるから、そうはならないのか。
だけど、不安だ。
上手く受け身が取れると良いんだが。
…………無理だろ。
「マリーン!」
僕が声を上げると、マリンが僕の真下で、両手を広げてニヤニヤしている。
なんだ?
マリンの腕の中に飛び込めという事か?
落ちるにつれて、どんどん近づいて来るマリンの腕と胸。
赤くてサラサラのツインテールが風になびいている。
楽しそうな表情で僕を見つめる青い瞳。
「参謀タマモト!そのまま私の腕の中に飛び込んでっ!!」
マリンの少し色気を感じる甘い声に導かれるように、マリンの胸の中へダイブした。
ドスっ!
勢いよくマリンに抱きつく。
凄い物理的な密着感。
ドキドキと、胸が高鳴った。
むにっとした胸の感触と、すべすべした両腕の感覚を背中に感じる。
しっかりと抱き抱えてくれているようだ。
「ふふっ、おかえり、タマモト」
左耳から聞こえる甘い声と吐息。
髪から爽やかで良い香りがした。
「マリン、ありがとう。助かったよ」
「参謀タマモトも、高い所から落ちて来ると怖いのか?」
「そ、そんなことは」
怖く無いわけがない。だが、素直にそれを言うのも恥ずかしい。
「よしよーし、お姉ちゃんが、慰めてあげるからなぁ」
マリンが、僕の背中を右手でさすりながら身体を上下に揺らした。
正直、かなり気持ち良い。
このまま腕の中で眠りたいくらいだ。
マリンの腕の中が、こんなに安心できるとは思わなかった。
学院の廊下を歩く時に、散々マリンを抱いていたのだが、あの時は、抱いていると言うよりは、保健室まで運んでいるって感じだったから、こういう感覚にはならなかった。
しかも、落ちて来たところを受け止めてもらっている。
吊り橋効果のようなモノだろうか。
「マリンって、凄い柔らかいんだな」
「たまもとー、やっぱ私の事、好きだろ?」
「やめてくれよ」
マリンが僕を強く抱きしめて来る。
心臓がまた高鳴る。
恥ずかしくなって来た。
「よちよち、赤ちゃんタマモト、ママの抱っこが気持ち良くなっちゃったんだなっ、ぶふっふふっ」
僕を抱いたまま、左右に揺れるマリン。
また笑っている。
さすがに、この状況は、僕でも笑いたくなる。
離れたくないというのが本音だが、そんな事をしている余裕も無いので、離れることにした。
「マリン、ありがとう、もう大丈夫」
「んよっ、もう離れて良いのか?」
離れた僕に対して、マリンはジト目で、腕を広げながら、両手の指をゆらゆら動かして誘惑してくる。
「やめてくれよ、ほんとにまた抱きしめてしまうだろが」
「ほぉほぉ、やはり、参謀タマモトセイシは、私との子どもが欲しくて欲しくてたまらないってわけだ」
僕は顔が熱くなるのを感じた。
「や、やめろって、……頼むから」
なんでフルネームなんだ。
てか子どもの話、まだ続いてたのか。
……そう言えば、さっき言ってた、考えてくれた?って言うのは、子どもの名前のことだったんだな。
そんなの、考えられるわけないだろう。
「私はいつでも作ってやるからな」
「なんてこと言うんだよ、それより、記録教えてくれよ記録」
「………あ、そうだったな。バッジ外すぞ」
胸の青いバッジを取るマリン。
その時、胸をさするマリンの手の平の感触がした。
「ぁあ、ちょ、急に触るなよ」
「たまもとー、お前、乳首立ってたぞ?舐めてやろうか?」
意地悪そうに、にひひっ、と笑うマリンに、またドキドキしてしまう。
マリンに触られると気持ち良いのは確かだ。しかし、だからこそ、いちいち誘惑しないで欲しいと心から思う。
「いいからっ、早く教えてくれ」
笑いながら、バッジを確認するマリン。
「17.6メートル」
「それは、高いの?」
「高いよ、ビルの5か、6階くらいの高さまで跳んでる」
「マリンのジャンプ力と比較したら、どれくらいなの?」
「うーん、…………私より高いなぁ」
「凄いじゃんっ」
「タマモトって、なに?ほんとに人間なの?」
「え?なんで?」
「だって、今日、現実のタマモト見て、不思議だったんだもん」
不思議?
まぁ、確かに、普通に考えて、タクトを拳で吹っ飛ばしたのは人間離れしてはいる。
だが、それはちゆのしっぽから抑制剤を飲んだからだ。
悪魔の能力が一部、僕の身体から発現した。
ケルビンによれば、そういう事象が起きる事も想定可能だと言う。
僕は、悪魔では無いし、もちろん天使でも無い。
あくまで、精力旺盛な人間の男だ。
それによって、インキュバスが使っていたダンテグローブを高いレベルで使用できるようになっている。
確かに、精力に関しては、才能とも呼べるかも知れない。
だが、一応、これには僕の過去が関係している。
初めから絶倫だったわけでは無いのだ。
僕には、絶倫になった過去が存在する。
だから…………。
「タマモト、私って、純粋な悪魔、サキュバスなんだ」
「それは、聞いたよ、ちゆと同じだよね」
「ちゆのすけもサキュバスだけど、たぶん、アイツは気付いてないと思うんだ」
「そうなの?」
何を気付いてないんだ?
「同じように、ハーフサキュバスのアカリも分からないと思う」
「なに?純粋なサキュバスでないと、分からない事があるの?」
「うん、分からない、たぶんだけど」
「それは、なに?」
「タマモトから、なんつーか、人間以外の気配っつーか、オーラみたいなもんを感じるんだ」
「へ?何それ?」
「私にもよく分からないんだけど、タマモトは確かに人間の香りだし、見た目も人間にしか見えないんだけど、それ以外にも、……悪魔とか、天使からしか感じられない独特の空気を感じるんだよ」
「それって、僕に何か取り憑いてるってこと?」
「分からん」
「曖昧だなぁ」
「タマモトって、どんな子どもだったんだ?」
「僕の、過去に興味があるの?」
「そりゃな、参謀だし」
「僕は………」
マリンが僕に対して感じる、人ならざる何かの気配。
それが、何なのかに、少しだけ心当たりがある。
僕はその過去について、これまで、卑しいモノだと決め付けていた。
だが、今になって思う。
それは、決してそんな対象のモノでは無いと言う事を。
もし僕がそれを語る相手がいるとしたら、それは間違いなく、悪魔だと思っていた。
その相手が今、現れたということだ。
僕がマリンとパートナーになったのは、必然だったのだろうか?
人は秘密を語る時、完全に無防備になる。
そして、秘密を知った相手を自由にする事はできない。
取り込むか、消し去るか、二つに一つだ。
話せば、僕はマリンを取り込まなくてはならない。
僕はマリンの目を見つめて微笑む。
本当に信用して良いのだろうか?
彼女は僕に対して、困ったように苦笑した。
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