1,057 / 1,212
陰謀
1
しおりを挟む
その衝撃はある日突然にやってきた。
汐留の商社ロビーに隣接する一般応接室でのことだ。
「……ちょっと待ってください……! そのようなでたらめが通用するとお思いですか」
普段は何事に於いても冷静沈着な李狼珠が、珍しくも感情をあらわにした声音で表情を蒼白に変えている。
「でたらめ、違うます! 私、本当のこと言てるだけ」
李に負けじと必死の抵抗を口にしているのはアジア人と見られる一人の女だ。会話からは明らかに流暢でないと分かるたどたどしい中国語――片言ながらそれでも必死に覚えてきたのだろうことが窺える。
「嘘、違うます! 私、本当に周焔サンの息子を生んで育ててきた! 子供、十四歳なった。父親に会わせてあげたい。それだけあるます!」
女の言い分はこうだ。
十五年前、中国南部の山あいに隣接する村で彼女は周焔に出会ったという。その時は周の兄である周風も一緒で、山中で怪我を負い、行き倒れ同然になっていた兄弟を助けたことが出会いのきっかけだったそうだ。
彼女は村人たちと協力して兄弟を家へ運び、怪我が快復するまで面倒を見たのだと主張した。
(十五年前……中国山間部に隣接する村……だと?)
李はすぐさまコンピュータも顔負けの記憶を辿った。その瞬間、蒼白だった顔色が更に色を失う――。
(まさか……あの時の……)
十五年前、確かに周兄弟はその村に滞在した。
ファミリーが手掛けている例の鉱山に視察に出向いた際のことだ。当時はまだ鉱石が見つかったばかりで、進められていた道路開発の工事が中断し、鉱石を掘り出すことに専念するか道路の場所を他へ移すかなどと意見が対立して揉めていた時期だった。李もまた、周兄弟と共に鉱山の視察に同行していて、他には周風の第一側近である曹来をはじめ幾人かの側近たちも一緒だった。
その視察の最中で酷い雷雨に見舞われた一行は、麓へ下りる道すがら大きな落雷に直撃されて車が脱輪、滑落事故に遭い周兄弟と離れ離れになってしまった――という苦い記憶だった。
李と曹ら側近たちは兄弟とは別の後続車に乗っていた為、全員が軽傷程度で無事だった。ところが兄弟と案内人の村長が乗った車はもろに山の斜面を滑り落ちてしまい、捜索には困難を要した。工事関係者も含めた村人総出で必死に捜し回った結果、運転手と村長はすぐに見つかったものの、兄弟は行方知れずとなってしまったのだ。おそらくは滑落後まだ意識があった若い二人は、助けを呼ぼうと山中を歩き回った結果、途中で事切れて行き倒れとなってしまった――そんなところだったのだろう。兄弟が滑落現場から少し離れた山深い小さな村で無事に救出されていたと知ったのは、事故から半月余りも経った頃だった。
(あの時の村に住んでいた女か……。確か、ご兄弟を介抱し、世話してくれた家には子供が一人いたな……。この女性がその時の娘御だとすれば……当時はまだ十五、六の子供だったはずだが)
十五年前といえばちょうど周もその娘と年頃は同じか少し上くらいだ。
(あれは確か焔老板が十八歳の時だ――)
李はまるでコンピュータに収められていた情報を引っ張り出すかのように、当時の記憶を遡っていた。
彼女の一家が住む村は地理的には中国南部の山深いところにある本当に小さな村だった。とはいえ歴史的には古く、元は近隣のラオスやミャンマーなどから移り住んで来た少数民族だったと記憶している。ゆえに当時も言語の点では意思の疎通に少々苦労した覚えがある。村の総長という人が多少中国語を理解していたのでなんとか話は通じたものの、そんなわけだから今目の前にいる彼女が片言でも致し方ないといったところか。名は確か――スーリャンだったはず。いや、スーリーだったか――。
いずれにせよこんなことが社員たちの耳にでも入ろうものなら一大事だ。李は驚いている場合ではないと頭を切り替えるのだった。
汐留の商社ロビーに隣接する一般応接室でのことだ。
「……ちょっと待ってください……! そのようなでたらめが通用するとお思いですか」
普段は何事に於いても冷静沈着な李狼珠が、珍しくも感情をあらわにした声音で表情を蒼白に変えている。
「でたらめ、違うます! 私、本当のこと言てるだけ」
李に負けじと必死の抵抗を口にしているのはアジア人と見られる一人の女だ。会話からは明らかに流暢でないと分かるたどたどしい中国語――片言ながらそれでも必死に覚えてきたのだろうことが窺える。
「嘘、違うます! 私、本当に周焔サンの息子を生んで育ててきた! 子供、十四歳なった。父親に会わせてあげたい。それだけあるます!」
女の言い分はこうだ。
十五年前、中国南部の山あいに隣接する村で彼女は周焔に出会ったという。その時は周の兄である周風も一緒で、山中で怪我を負い、行き倒れ同然になっていた兄弟を助けたことが出会いのきっかけだったそうだ。
彼女は村人たちと協力して兄弟を家へ運び、怪我が快復するまで面倒を見たのだと主張した。
(十五年前……中国山間部に隣接する村……だと?)
李はすぐさまコンピュータも顔負けの記憶を辿った。その瞬間、蒼白だった顔色が更に色を失う――。
(まさか……あの時の……)
十五年前、確かに周兄弟はその村に滞在した。
ファミリーが手掛けている例の鉱山に視察に出向いた際のことだ。当時はまだ鉱石が見つかったばかりで、進められていた道路開発の工事が中断し、鉱石を掘り出すことに専念するか道路の場所を他へ移すかなどと意見が対立して揉めていた時期だった。李もまた、周兄弟と共に鉱山の視察に同行していて、他には周風の第一側近である曹来をはじめ幾人かの側近たちも一緒だった。
その視察の最中で酷い雷雨に見舞われた一行は、麓へ下りる道すがら大きな落雷に直撃されて車が脱輪、滑落事故に遭い周兄弟と離れ離れになってしまった――という苦い記憶だった。
李と曹ら側近たちは兄弟とは別の後続車に乗っていた為、全員が軽傷程度で無事だった。ところが兄弟と案内人の村長が乗った車はもろに山の斜面を滑り落ちてしまい、捜索には困難を要した。工事関係者も含めた村人総出で必死に捜し回った結果、運転手と村長はすぐに見つかったものの、兄弟は行方知れずとなってしまったのだ。おそらくは滑落後まだ意識があった若い二人は、助けを呼ぼうと山中を歩き回った結果、途中で事切れて行き倒れとなってしまった――そんなところだったのだろう。兄弟が滑落現場から少し離れた山深い小さな村で無事に救出されていたと知ったのは、事故から半月余りも経った頃だった。
(あの時の村に住んでいた女か……。確か、ご兄弟を介抱し、世話してくれた家には子供が一人いたな……。この女性がその時の娘御だとすれば……当時はまだ十五、六の子供だったはずだが)
十五年前といえばちょうど周もその娘と年頃は同じか少し上くらいだ。
(あれは確か焔老板が十八歳の時だ――)
李はまるでコンピュータに収められていた情報を引っ張り出すかのように、当時の記憶を遡っていた。
彼女の一家が住む村は地理的には中国南部の山深いところにある本当に小さな村だった。とはいえ歴史的には古く、元は近隣のラオスやミャンマーなどから移り住んで来た少数民族だったと記憶している。ゆえに当時も言語の点では意思の疎通に少々苦労した覚えがある。村の総長という人が多少中国語を理解していたのでなんとか話は通じたものの、そんなわけだから今目の前にいる彼女が片言でも致し方ないといったところか。名は確か――スーリャンだったはず。いや、スーリーだったか――。
いずれにせよこんなことが社員たちの耳にでも入ろうものなら一大事だ。李は驚いている場合ではないと頭を切り替えるのだった。
19
お気に入りに追加
871
あなたにおすすめの小説
身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
紹介なんてされたくありません!
mahiro
BL
普通ならば「家族に紹介したい」と言われたら、嬉しいものなのだと思う。
けれど僕は男で目の前で平然と言ってのけたこの人物も男なわけで。
断りの言葉を言いかけた瞬間、来客を知らせるインターフォンが鳴り響き……?
怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人
こじらせた処女
BL
幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。
しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。
「風邪をひくことは悪いこと」
社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。
とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。
それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる