極道恋事情

一園木蓮

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春遠からじ

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「うーん、やっぱりこっちも暑いですねぇ」
 飛行機を降りるなり冰が伸びをしながら笑顔を見せている。
 緯度的には香港の方が東京よりも赤道に近いわけだが、暑さという点ではそう大差はない。真夏の街は観光客もたくさんいて、非常に賑やかだった。
 周の父と兄は夜まで仕事で戻らないということだったので、街中で昼食をとった後、皆で黄老人の墓参りをすることになった。冰を育ててくれた老人である。
「冰君のじいちゃんの墓には俺たちも一度ご挨拶したかったんだ」
 紫月らもそう言ってくれるので、周も冰も有り難く思っていた。
 墓地は街を見下ろす小高い丘の上にあり、灼熱の太陽を和らげるような海風が心地好い。
「じいちゃん、ただいま。今日はね、日本でお世話になっている白龍のご友人の方たちも来てくださったんだよ」
 冰が花を手向けながら老人に話し掛ける。皆で順番に拝んでいったのだが、そんな中、鐘崎が誰よりも長くじっと墓前で手を合わせている姿があった。
 黄老人と鐘崎とは面識はなかったものの、生前は冰に様々な知恵を与えたことはこれまでの冰を見ていて知っている。生きていく為に必要なこと、臨機応変に対応していく柔軟さなどだ。もしも黄老人が生きている頃に出会っていたら――自分にも何か学ぶことがあったと思うのだろうか。会ったことはないが、こうして墓前で手を合わせることによって老人に何かを話し掛けているような鐘崎の姿からは、彼の中での悩みや葛藤をどうにかしたいという切なる思いが感じられるようであった。
 その後、皆で冰が住んでいたという繁華街のアパート周辺を散策して歩いた。少し前に冰が記憶喪失になった際には、その原因を突き止められればと、鐘崎と紫月が訪れたこともあったわけだが、アパートは未だ健在で、その中のひとつの窓を見上げながら周が瞳を細めていた。
「懐かしいな――。ここに来ると香港を離れた日のことを思い出す」
 そう、あれはまだ冰が小学生の頃だった。幼い彼を残して香港を去った日のことを思えば、今でも昨日のことのように郷愁が蘇る。
「日本で起業することを告げに行った日、黄のじいさんがふるまってくれた茶の味が忘れられんな」
 あの日、老人に挨拶を済ませ、アパートを出たそのすぐ後で冰が学校から帰って来た。通りを挟んだアパートの窓から顔を出して、一生懸命にこちらのことを探してくれた少年の日の冰の姿が蘇る。幾度車のドアを開けて通りの向こう側に行きたいと思ったことか――。
「正直なところ、あの時は胸が潰れそうになったもんだ。生まれ育った街を離れる不安と、見知らぬ日本での起業。それに幼かった冰を置いていく葛藤、いろんな気持ちが入り混じっていたっけな。車の窓から見たあの日の空は生涯忘れることはねえだろうと思う」
 思い返せば今でもちくりと胸が痛む。だが、それを乗り越えて今の幸せがあるのだ。
 瞳を細めてアパートを見上げる周の隣で、鐘崎もまたその頃の友の思いに自らを重ね合わせていたのだろうか。共にアパートを見つめながら、じっと祈るように佇むその背中を黙って見守る紫月の視線が深い愛情を讃えているかのようだった。
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