391 / 1,212
周焔の東京好日
1
しおりを挟む
周焔が香港を去ってから八年が過ぎたその日、東京の汐留に巨大なツインタワーを建てるほどに成長させた高層ビルの一室で、周は穏やかな面持ちで室内を見渡していた。
白を基調にした広々とした洋室は、未だ誰にも使われてはいない。ただ、掃除だけは常に行き届いており、全面パノラマのガラス窓からは秋の傾きかけた午後の陽射しがやわらかに降り注ぎ、遥か階下の街路樹をキラキラと照らしているのが見えた。
周の自室はこの部屋からダイニングを挟んだ隣にあるが、時々こうして一人で立ち寄り、景色を眺めるのが習慣となっていた。
「老板、やはりこちらでしたか」
控えめなノックと共に側近の李が顔を覗かせる。午後の休憩の後にふと姿を消してしまった周を捜して追い掛けて来たのだ。
「ああ、李か。どうした」
今日はもう来客や打ち合わせの予定も入っていない。そんな午後には必ずといっていいほど、周は一人でこの部屋を訪れるのだ。特には何をするわけでもなく、ただただ大きな窓辺に佇んで景色を眺めているだけのことが多い。
「いえ、特に急ぎの用というわけではございませんが、明日は老板のお誕生日であらせられます。一日早いですが、今日はこの後の予定もございませんし、よろしければ劉と私とでささやかながらお祝いを申し上げたいと思いまして」
周の気に入りのレストランでディナーをどうかと誘いにやって来たらしい。
「お誕生日当日は真田さんがお祝いの膳をご用意しておられると存じますので」
だから今日にでもと思ったようだ。
「誕生日か。相変わらず律儀に覚えていてくれるな」
そんな年齢でもないのだが、こうして毎年忘れずに祝ってくれようという心遣いが有り難い。
「いつもすまねえな」
「いえ、私と劉の楽しみでもありますので」
気を遣わせまいとそんなふうに言ってくれるのも、周にとってはあたたかく嬉しい気持ちにさせてくれるものだった。
「老板はここからご覧になる景色が本当にお好きなのですね」
「ああ。なんとなく香港が見えるような気がしてな」
ちょうどこの窓から望む方角に香港があるというのもある。
「なあ、李――」
「はい」
「黄のじいさんはどうしているだろうな。あの坊主も既に修業して、今はじいさんの後を継いで、カジノのディーラーをしているんだったな」
「はい、そのようです。季節毎に香港の兄上が黄大人と少年のご様子を見に密かに訪ねてくださっておりますが、この夏にアパートを訪れた際にはお二人共変わらぬご様子だったと聞き及んでおります」
年に二、三度、周は兄の風に頼んで若い衆に二人の様子を見に行ってもらっているのだ。もちろん、年始などで自身が香港に帰郷した際には自ら赴くわけだが、そんなおりでも周が二人と直接顔を合わせることはなかった。ただ、遠くから彼らの無事を確かめられればそれで安心できたのだ。
「あの坊主も職に就く年齢になったか。黄のじいさんは誠大切にあの坊主を育ててくれたんだな」
「老板……」
李は誰も使っていないこの部屋が何の為に用意されているのかを知っている。万が一にも黄老人が他界した時の為に、あの少年を引き取ろうと周が心に決めていることもむろん承知だ。そうなった時には彼をここへ呼んで住まわせる心づもりでいるということも重々理解していた。
白を基調にした広々とした洋室は、未だ誰にも使われてはいない。ただ、掃除だけは常に行き届いており、全面パノラマのガラス窓からは秋の傾きかけた午後の陽射しがやわらかに降り注ぎ、遥か階下の街路樹をキラキラと照らしているのが見えた。
周の自室はこの部屋からダイニングを挟んだ隣にあるが、時々こうして一人で立ち寄り、景色を眺めるのが習慣となっていた。
「老板、やはりこちらでしたか」
控えめなノックと共に側近の李が顔を覗かせる。午後の休憩の後にふと姿を消してしまった周を捜して追い掛けて来たのだ。
「ああ、李か。どうした」
今日はもう来客や打ち合わせの予定も入っていない。そんな午後には必ずといっていいほど、周は一人でこの部屋を訪れるのだ。特には何をするわけでもなく、ただただ大きな窓辺に佇んで景色を眺めているだけのことが多い。
「いえ、特に急ぎの用というわけではございませんが、明日は老板のお誕生日であらせられます。一日早いですが、今日はこの後の予定もございませんし、よろしければ劉と私とでささやかながらお祝いを申し上げたいと思いまして」
周の気に入りのレストランでディナーをどうかと誘いにやって来たらしい。
「お誕生日当日は真田さんがお祝いの膳をご用意しておられると存じますので」
だから今日にでもと思ったようだ。
「誕生日か。相変わらず律儀に覚えていてくれるな」
そんな年齢でもないのだが、こうして毎年忘れずに祝ってくれようという心遣いが有り難い。
「いつもすまねえな」
「いえ、私と劉の楽しみでもありますので」
気を遣わせまいとそんなふうに言ってくれるのも、周にとってはあたたかく嬉しい気持ちにさせてくれるものだった。
「老板はここからご覧になる景色が本当にお好きなのですね」
「ああ。なんとなく香港が見えるような気がしてな」
ちょうどこの窓から望む方角に香港があるというのもある。
「なあ、李――」
「はい」
「黄のじいさんはどうしているだろうな。あの坊主も既に修業して、今はじいさんの後を継いで、カジノのディーラーをしているんだったな」
「はい、そのようです。季節毎に香港の兄上が黄大人と少年のご様子を見に密かに訪ねてくださっておりますが、この夏にアパートを訪れた際にはお二人共変わらぬご様子だったと聞き及んでおります」
年に二、三度、周は兄の風に頼んで若い衆に二人の様子を見に行ってもらっているのだ。もちろん、年始などで自身が香港に帰郷した際には自ら赴くわけだが、そんなおりでも周が二人と直接顔を合わせることはなかった。ただ、遠くから彼らの無事を確かめられればそれで安心できたのだ。
「あの坊主も職に就く年齢になったか。黄のじいさんは誠大切にあの坊主を育ててくれたんだな」
「老板……」
李は誰も使っていないこの部屋が何の為に用意されているのかを知っている。万が一にも黄老人が他界した時の為に、あの少年を引き取ろうと周が心に決めていることもむろん承知だ。そうなった時には彼をここへ呼んで住まわせる心づもりでいるということも重々理解していた。
13
お気に入りに追加
867
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【BL】SNSで人気の訳あり超絶イケメン大学生、前立腺を子宮化され、堕ちる?【R18】
NichePorn
BL
スーパーダーリンに犯される超絶イケメン男子大学生
SNSを開設すれば即10万人フォロワー。
町を歩けばスカウトの嵐。
超絶イケメンなルックスながらどこか抜けた可愛らしい性格で多くの人々を魅了してきた恋司(れんじ)。
そんな人生を謳歌していそうな彼にも、児童保護施設で育った暗い過去や両親の離婚、SNS依存などといった訳ありな点があった。
愛情に飢え、性に奔放になっていく彼は、就活先で出会った世界規模の名門製薬会社の御曹司に手を出してしまい・・・。
イケメンドクターは幼馴染み!夜の診察はベッドの上!?
すずなり。
恋愛
仕事帰りにケガをしてしまった私、かざね。
病院で診てくれた医師は幼馴染みだった!
「こんなにかわいくなって・・・。」
10年ぶりに再会した私たち。
お互いに気持ちを伝えられないまま・・・想いだけが加速していく。
かざね「どうしよう・・・私、ちーちゃんが好きだ。」
幼馴染『千秋』。
通称『ちーちゃん』。
きびしい一面もあるけど、優しい『ちーちゃん』。
千秋「かざねの側に・・・俺はいたい。」
自分の気持ちに気がついたあと、距離を詰めてくるのはかざねの仕事仲間の『ユウト』。
ユウト「今・・特定の『誰か』がいないなら・・・俺と付き合ってください。」
かざねは悩む。
かざね(ちーちゃんに振り向いてもらえないなら・・・・・・私がユウトさんを愛しさえすれば・・・・・忘れられる・・?)
※お話の中に出てくる病気や、治療法、職業内容などは全て架空のものです。
想像の中だけでお楽しみください。
※お話は全て想像の世界です。現実世界とはなんの関係もありません。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
ただただ楽しんでいただけたら嬉しいです。
すずなり。
受け付けの全裸お兄さんが店主に客の前で公開プレイされる大人の玩具専門店
ミクリ21 (新)
BL
大人の玩具専門店【ラブシモン】を営む執事服の店主レイザーと、受け付けの全裸お兄さんシモンが毎日公開プレイしている話。
僕を拾ってくれたのはイケメン社長さんでした
なの
BL
社長になって1年、父の葬儀でその少年に出会った。
「あんたのせいよ。あんたさえいなかったら、あの人は死なずに済んだのに…」
高校にも通わせてもらえず、実母の恋人にいいように身体を弄ばれていたことを知った。
そんな理不尽なことがあっていいのか、人は誰でも幸せになる権利があるのに…
その少年は昔、誰よりも可愛がってた犬に似ていた。
ついその犬を思い出してしまい、その少年を幸せにしたいと思うようになった。
かわいそうな人生を送ってきた少年とイケメン社長が出会い、恋に落ちるまで…
ハッピーエンドです。
R18の場面には※をつけます。
新しいパパは超美人??~母と息子の雌堕ち記録~
焼き芋さん
BL
ママが連れてきたパパは超美人でした。
美しい声、引き締まったボディ、スラリと伸びた美しいおみ足。
スタイルも良くママよりも綺麗…でもそんなパパには太くて立派なおちんちんが付いていました。
これは…そんなパパに快楽地獄に堕とされた母と息子の物語…
※DLsite様でCG集販売の予定あり
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる