一園木蓮

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 俺に残されたのは、幼馴染の倫周と莫大な遺産――
 香港の銀行の他に、他国の銀行の貸金庫にも多額の金を預けていたらしい親父の遺産が転がり込んできたことで、とりあえず目先の生活に困ることはなく、それは倫周も同様だった。親父と麗さんは危険な裏稼業で稼いだ金を方々の銀行に預けていたのだ。
 俺たちはショックを受けている暇もなく、葬儀の後始末やら遺産相続の手続きなどで、忙しない日々に追い立てられながら、しばらくの間、二人寄り添うように生活を共にした。
 嫌な思い出のあるアパートを引き払い、通っていた学校も休学して、狭い部屋を借り、ただただ流れゆく日々を呆然と過ごした。
 そしてすべてが一段落し、落ち着きを取り戻した頃、俺は香港を離れることを決意した。
 壮絶な思い出のあるこの地に留まるのが苦痛だった俺は、生まれ故郷である日本での生活に夢を馳せるようになった。
 何かに追われるような生活ではなく、普通の学生として暮らしたい。強くそう願った俺は、かつて親父から話に聞き及んでいたこの学園に転入することを決めたのだ。
 元々、あんな事件が無ければ、高校最後の一年間を日本で過ごしてみないかという話向きだったというのもある。
 両親の生まれ育った国であり、俺にとっての母国でもある日本で、少しの間でも普通の学生としての思い出を作らせてやりたいと、親父が再三口にしていたのが懐かしく感じられた。その思いを無駄にしたくないというのもあった。単に環境を変えたいという思いも無論だ。
 俺は倫周を誘って帰国することを決めた。幸い、何処へ行っても金の心配は無い。それは有難いことだった。
 だが、倫周は俺の誘いを断って、香港の地に残ることを望んだ。もしかしたら何処かで生きているかも知れない父親の麗さんを、どうしても諦めたくはないというのだ。
 そしてヤツは父親を捜し出す為に、親父たちがしてきたその同じ稼業に就こうとしていることを俺に打ち明けた。
 一人前のプロになれた時に、或いは麗さんが自分の前に姿を現してくれるのではないかという、一筋の望みに人生を賭けてみたいというのだ。
 当然、俺は反対した。一人前のプロになるということは、イコール、殺しも含めた裏稼業に手を染めるということだ。
 かくいう俺たち自身、どっぷりとその世界で育てられたということは、変えようのない事実に違いはないが、親父たちも亡くなってしまった今となっては、これ以上そんなことに関わって欲しくないと思ったからだ。
 だが倫周の意思は固く、最早俺が何を言っても揺るぎようがないようだった。それが分かった時、俺たちは別々の人生を歩むことを決意した。
 そうしてヤツを一人、香港に残し、俺は生前の親父が留学させるつもりだったというこの学園に入学したというわけだ。

 今までとは打って変わった平凡な日々――
 誰かに狙われる心配もなく、何より此処には俺の過去を知っているヤツは誰もいないというのが心地いい。親父の稼業のことを知る者も皆無だ。
 だがやはり人間の嗅覚というのは大したものだ。このクラスの連中が先程から胡散臭そうに俺を見るのは、きっと俺にそんな雰囲気が沁みついて離れないからなのだろう、何も言わずとも自分たちとは違う危険なニオイが漂っているのを感じ取るのかも知れない。
 こいつは何者だ、自分たちとは明らかに別の畑のヤツだ、いつか害を及ぼすに違いないと、まあそこまでは思っていないにせよ、露骨にそんな感情をぶつけてきやがる。ある意味、本能とは大したものだと感心しつつも、実際あまり感じのいいものじゃない。
 だがまあ、香港にいた時に比べたら、こんなことくらいどうってことないと思えた。無視されようが、毛嫌いされようが、実害を加えられる心配など無いのだし、至って気楽なもんだ。いつどこで、いきなり銃口を突き付けられるか分からないと、刺々しかったあの頃を思えば、存外楽園に思えた。

――ふと、香港に残してきた倫周のことが頭に浮かんだ。
 今頃ヤツはどうしているだろう?
 それを思えばこんな所で平々凡々と、何の目的も無しにダラダラしているのもどうかと思えたが、とにかく今はこれでいい。やりたいことなどその内、自然と見つかるだろう。
 そんなことを考えながら、俺はぼんやりと午前中の授業をやり過ごした。
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