上 下
9 / 73
歪な物語の始まり

8.晩酌

しおりを挟む
 完全に日は沈んだ。なのに何故かイオリは帰ってこない。
 ……やっぱり、一緒に行くべきだった?もし、あいつに何かあったら?

 オレはまた、大切な人を失うのか?

 そう考えた瞬間、全身に鳥肌が立った。我慢の限界になり直ぐに扉の方に走り出した。その瞬間、ドアノブはオレが触れる前に回った。


「ごめん、遅くなって。連絡手段が無かったから遅くなるって伝えられなかったから……心配かけた?」
「イオリ……の、バカっ!」
「!?」


 ようやく戻って来たイオリは所々に傷や泥が付いていた。微かに血の匂いがするし、血が滲んでいるところもある。コートには再生魔法がかけられているようで破けたり切れた痕はないけど。
 こんな遅くにぼろぼろになって帰って来れば心配するし怒るのは当たり前だ。コートを脱がし、ソファまで手を引いた。


「こんなに怪我して……何で回復薬を使わなかった!」


 そう、オレは確かにイオリが外に出る時、超級の回復薬を持たせた。
 なのに腕には何かが刺さった痕に深く切れた傷があった。すぐに魔法で治療したが、治って良かったとはならない。


「………怒ってる?」
「ったりまえだ…!もっと自分を大事にしてくれよ。痛かったろ?」

 表情ひとつ変えずによく分からない質問をしてきたイオリ。当たり前の回答を返すしか無い問いに、オレは少し呆れていた。

「いや、そうでもないよ。崖から落ちたけど木が緩衝材になって助かったよ、この程度で済ん……」
「この程度じゃない!」


 イオリが傷付くとこは見たくない。やっぱりオレも行くべきだっただろうか。
 安堵の表情を薄く浮かべるイオリにオレは怒ってばかりだ。こうやって生きて戻ってきてくれて本当に良かった。


「ミカ、俺が傷だらけでどう思った?」
「何バカなこと聞いてんだよ……心配に決まってんだろ?こんな傷だらけで、平気そうにして。こんな事、二度とごめんだ。」

 イオリの傷は、オレにとって自分が傷付くことよりも圧倒的に痛く感じる。そっと触れたイオリの胸元から感じる布越しの熱と鼓動にオレは少しだけ安堵した。

「そう…、なら分かったよな?」
「え?」


 何が分かるというのだろうか。イオリは大きな手でオレの両肩をしっかりと掴んだ。アウターを羽織っていない今、直で肩に触れるイオリの手は少し冷たく感じる。


「俺だってお前が傷付いて平然として、そんなの見たくない。こんな馬鹿な真似をお前はずっとして来たんだ。」
「イオリ……?」


 イオリは肩を掴む手に力を入れた。そして、僅かに声が震えている。
 オレが……?だってオレは怪我をしたところで痛みはそれほど感じ無かった。別に傷付こうが何ともないから大丈夫だろう。
 それよりもイオリが傷付く方が、胸の辺りが締め付けられるような感じがして苦しい………。

 まさか、イオリも同じように感じてたのか?


「頼むから……お前の方こそ自分を大事にしてくれよ。平気で危険な事をするな。俺は、お前が傷付く度に生きた心地がしない。」


 イオリはオレの肩に顔を埋めた。苦しそうに、悲しそうに訴えかける声。オレが血を流す度にこんな風に心配をかけていたのだろうか。


 なら…せめて見えない所は隠し通さないとだな。


「分かった。オレもちゃんと自分の身は守るよ。」
「あぁ、そうしてくれ。」

 イオリは少し安心したように顔を上げた。良かった。こんな小さな嘘でイオリが安心出来るのなら、オレは何度だって嘘を吐く。


「あ、そうだ。」


 何かを思い出したようにイオリは立ち上がった。扉の方に行くと、放ってある袋を拾ったようだ。
 口の閉じられた麻袋を抱え、棚からグラスと皿とスプーンを持って来た。机の上に並べると、麻袋から物を出し始めた。


「これが欲しくて寄り道をしてたら遅くなったんだ。」

 取り出したのは一本のビンと白い紙袋。その両方にラベルが貼ってあり、中身はすぐに分かった。

「赤ワインにクラッカーと……その四角いのは?」
「なんだと思う?」

 薄い大きな四角の箱。白い木で出来たシンプルかつお洒落な箱だ。他二つとは違い、ラベルは貼られていない。
 イオリは黄色いリボンを解き、僅かに蓋を持ち上げた。

 その瞬間、微かに甘い匂いがした。
 これは……


「蜂蜜…?」
「正確。」


 蓋を完全に取ると、白い点が密集した長方形のものが出て来た。これが蜂蜜?なんて思っていると、イオリがナイフで白い点を剥ぎ取り始めた。そこにあったのは無数の小さな穴にぎっしり詰められた黄金の蜜。


「わぁ……!」

 光を反射した黄金のプレートからは、酔いそうな程の甘い香りが肺いっぱいに入ってくる。

「これは蜂の巣。蜂蜜はここから蜜だけを取ってるんだ。」
「凄い!何コレ!」
「ミカはここだと十六って事になってるから外では飲めないだろ?たまには二人で晩酌なんてどうかと思ってね。」


 箱の中でキラキラと光る蜂蜜。甘い匂いが辺りに漂い光輝く『蜂の巣』は、オレから見て宝石より綺麗だ。ずっと目を輝かせるばかりで、言葉を失った。


見かけてね。お気に召したかな?」
「あぁ!」
「それは良かった。」


 イオリはワインをグラスに注いだ。甘さを含んだ芳醇な香り。悪魔の国で飲んだものよりも自分好みの香りが鼻をくすぐる。
 オレもイオリも甘い物が好きだから、こう言う時にとても嬉しい。同じ物を同じ時に同じように楽しめる、今までに過ごした事のない時間。
 なんだか心臓が煩くなる。鼓動が段々と大きくなっても苦しくは無い。むしろ暖かいような……?感じた事のない不思議な感覚は、どうにもオレを虜にして来る。

 この時間が、続けばいいのにな………。

 なんてな。



「それにしても、イオリも酒は飲むんだな。」
「これが二回目だけどね。」


 随分と少ないな……。イオリの世界で飲酒が許される歳が二十歳である事は後で知った。そして、しばらく雑談をしながらワインを嗜んでいた。



 数十分経っただろうか。イオリは少し酔っているように見える。
 蜂蜜もワインもクラッカーも美味しかったが、酔って少し脱力しているイオリを見れたと言う事が何気に嬉しい。飲んでる途中で「邪魔だな…」と言って眼鏡を外し、泣き黒子がある左側の前髪をサラリと耳にかけていた。表情が分かりやすいし、何より酔ってふわふわしているイオリの可愛い顔がよく見える。


「ミカ?俺の顔に何かついてる?」
「え?いや…。」
「はは、そんなに見られたら穴が開きそうだ。」


 声もいつもと違う。いつもの色を含んだ大人な声もいいけど、今の少し幼く感じる甘い声もいいと思う。
 イオリがオレを呼ぶ声は、どこか安心できて好きだ。


「イオリ…。もっと、オレの名前呼んで…?」
「ん?どうした、ミカ。」


 疑問は持ちつつもお願いを聞いてくれた。本当に、イオリは優しい。優しいからこそ、もっと甘えたくなってしまう。ダメだと分かっているのに甘えたのは、オレも酔っているのだろうか。


「オレ、イオリに名前呼ばれるの好きだな。イオリがくれた名前も好き。」
「………俺のことは?」
「もちろん、大好きだよ。イオリはオレにとって大切な仲間だからな。」


「…………それだけ?」


 オレは、最後の一言が分からなかった。「それだけ?」はどう言う事なのだろうか。
 考えてももっと分からなくなっていくから、話題を変えることにした。何故か、そうした方がいいと思ったから。
 オレはずっと疑問に思ってた事を聞いた。


「なぁ、何で今日飲もうと思ったんだ?今日はイオリのこと教えて貰おうと思ってたのにさ。」


 そう、昨夜オレは『実戦経験が浅いのに何故あれほど動けるのか』をイオリに聞いていた。それに対してイオリは『明日きょうの夜に話す』と答えていた。
 酒を飲んで眠るタイプでは無いようだが、何か理由があるように感じた。


「…だからだよ。俺がこの世界に来てちゃんと戦えてる自負はある。そして、何でかの目処もついてる。それを説明するってなると必然的に俺の過去を一部話す事になるから…。素面シラフだとなんか恥ずかしくて。」


 一体なんだろうか。オレもイオリの過去は気になる。綺麗な顔を隠す理由も、強い理由も、賢い理由も、何もかも。
 普通なんてものが分からないオレが思える事では無いかも知れないけど、それでもイオリは人間にしては頭一つ飛び抜けて見える。


「イオリ、オレはお前の事がもっと知りたい。イオリが言える範囲で良いから教えて欲しい。何を感じて、どう過ごして来たのか。」
「……ああ、いいよ。俺の過去のことを話そうか。」




 イオリは、ゆっくりと語り出した。まるで一つの物語を読み聞かせるように。その時のイオリは、話す程に色々な表情を見せていた。
 過去の事を思い出し、懐かしそうに。どの出来事も大切にしているような優しい顔で。イオリは、本当は感情豊かな人間だったんだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

モテる兄貴を持つと……(三人称改訂版)

夏目碧央
BL
 兄、海斗(かいと)と同じ高校に入学した城崎岳斗(きのさきやまと)は、兄がモテるがゆえに様々な苦難に遭う。だが、カッコよくて優しい兄を実は自慢に思っている。兄は弟が大好きで、少々過保護気味。  ある日、岳斗は両親の血液型と自分の血液型がおかしい事に気づく。海斗は「覚えてないのか?」と驚いた様子。岳斗は何を忘れているのか?一体どんな秘密が?

俊哉君は無自覚美人。

文月
BL
 自分カッコイイ! って思ってる「そこそこ」イケメンたちのせいで不運にも死んでしまった「残念ハーフ」鈴木俊哉。気が付いたら、異世界に転移していた! ラノベ知識を総動員させて考えた結果、この世界はどうやら美醜が元の世界とはどうも違う様で‥。  とはいえ、自分は異世界人。変に目立って「異世界人だ! 売れば金になる! 捕まえろ! 」は避けたい! 咄嗟に路上で寝てる若者のローブを借りたら‥(借りただけです! 絶対いつか返します! )何故か若者(イケメン)に恋人の振りをお願いされて?  異世界的にはどうやらイケメンではないらしいが元の世界では超絶イケメンとの偽装恋人生活だったはずなのに、いつの間にかがっちり囲い込まれてるチョロい俊哉君のhappylife。  この世界では超美少年なんだけど、元々の自己評価の低さからこの世界でも「イマイチ」枠だと思い込んでる俊哉。独占欲満載のクラシルは、俊哉を手放したくなくってその誤解をあえて解かない。  人間顔じゃなくって心だよね! で、happyな俊哉はその事実にいつ気付くのだろうか? その時俊哉は? クラシルは?  そして、神様念願の王子様の幸せな結婚は叶うのだろうか?   な、『この世界‥』番外編です。  ※ エロもしくは、微エロ表現のある分には、タイトルに☆をつけます。ご注意ください。

王子様と魔法は取り扱いが難しい

南方まいこ
BL
とある舞踏会に出席したレジェ、そこで幼馴染に出会い、挨拶を交わしたのが運の尽き、おかしな魔道具が陳列する室内へと潜入し、うっかり触れた魔具の魔法が発動してしまう。 特殊な魔法がかかったレジェは、みるみるうちに体が縮み、十歳前後の身体になってしまい、元に戻る方法を探し始めるが、ちょっとした誤解から、幼馴染の行動がおかしな方向へ、更には過保護な執事も加わり、色々と面倒なことに――。 ※濃縮版

【完結】浮薄な文官は嘘をつく

七咲陸
BL
『薄幸文官志望は嘘をつく』 続編。 イヴ=スタームは王立騎士団の経理部の文官であった。 父に「スターム家再興のため、カシミール=グランティーノに近づき、篭絡し、金を引き出せ」と命令を受ける。 イヴはスターム家特有の治癒の力を使って、頭痛に悩んでいたカシミールに近づくことに成功してしまう。 カシミールに、「どうして俺の治癒をするのか教えてくれ」と言われ、焦ったイヴは『カシミールを好きだから』と嘘をついてしまった。 そう、これは─── 浮薄で、浅はかな文官が、嘘をついたせいで全てを失った物語。 □『薄幸文官志望は嘘をつく』を読まなくても出来る限り大丈夫なようにしています。 □全17話

運命なんて知らない[完結]

なかた
BL
Ω同士の双子のお話です。 双子という関係に悩みながら、それでも好きでいることを選んだ2人がどうなるか見届けて頂けると幸いです。 ずっと2人だった。 起きるところから寝るところまで、小学校から大学まで何をするのにも2人だった。好きなものや趣味は流石に同じではなかったけど、ずっと一緒にこれからも過ごしていくんだと当たり前のように思っていた。そう思い続けるほどに君の隣は心地よかったんだ。

【完結】神様はそれを無視できない

遊佐ミチル
BL
痩せぎすで片目眼帯。週三程度で働くのがせいっぱいの佐伯尚(29)は、誰が見ても人生詰んでいる青年だ。当然、恋人がいたことは無く、その手の経験も無い。 長年恨んできた相手に復讐することが唯一の生きがいだった。 住んでいたアパートの退去期限となる日を復讐決行日と決め、あと十日に迫ったある日、昨夜の記憶が無い状態で目覚める。 足は血だらけ。喉はカラカラ。コンビニのATMに出向くと爪に火を灯すように溜めてきた貯金はなぜか三桁。これでは復讐の武器購入や交通費だってままならない。 途方に暮れていると、昨夜尚を介抱したという浴衣姿の男が現れて、尚はこの男に江東区の月島にある橋の付近っで酔い潰れていて男に自宅に連れ帰ってもらい、キスまでねだったらしい。嘘だと言い張ると、男はその証拠をバッチリ録音していて、消して欲しいなら、尚の不幸を買い取らせろと言い始める。 男の名は時雨。 職業:不幸買い取りセンターという質屋の店主。 見た目:頭のおかしいイケメン。 彼曰く本物の神様らしい……。

倫理的恋愛未満

雨水林檎
BL
少し変わった留年生と病弱摂食障害(拒食)の男子高校生の創作一次日常ブロマンス(BL寄り)小説。 体調不良描写を含みます、ご注意ください。 基本各話完結なので単体でお楽しみいただけます。全年齢向け。

処理中です...