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歪な物語の始まり

4.夜明け

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月が頂点まで上った頃。
イオリが眠りについて数十分程経っただろうか。寝息も静かで寝相も悪くない……どころかほとんど動いていない。本当に気配が薄い。これだけ時間が経てば大丈夫だろうか。

座っていたベッドの端から起こさないようにそっと立ち上がり、イオリの額にそっと口付けた。いつぶりにするか分からない、『いい夢を見るおまじない』。小さく「いい夢を」と呟き、椅子に移った。


椅子に座り、机に両肘をついて手で目を覆った。
……何とか耐えれたみたいだ。自分の目元から、大粒の雫が溢れていた。机の上にパタパタと音を立てて落ちている。


「名前呼ばれるのも、おやすみって言われるのも、こんなに嬉しいんだ………。」


どっちもオレにとって初めての事だった。
そう、名前を呼ばれるのも。本当は昔の名前は呼ばれた事が無かった。長い年月を過ごしながら、オレが呼ばれるのは『兄』『先生』『師』『番人』とかの役職だけ。要らないと思っていた物を貰って、ここまで幸福感を得るとは思わなかった。
だからこそ、どこか苦しいのだろう。

こんな事で泣くほど自分が泣き虫だとは…オレにまだ泣く事が出来るとは知らなかった。


「また、呼んでほしいな……。」


また悪い癖が出ている。ずっと一人でいたからか、独り言が癖になってしまっている。
イオリを起こさないように静かにしていなければいけないと分かっているにも関わらず、どこかこの願いを、思いを知って欲しいと思ってしまっている。


「たった半年か、やだなぁ…。あと半年でオレが居れる場所が無くなるんだ……。」



唐突に気付いた現実。いつの間にか、涙は止んでいた。






ーーーーーイオリーーーーー






……居れる場所が無くなる?


俺はミカがベッドから立ち上がった時に目が覚めてしまった。慣れない環境で敵かも知れない他人がいて深く眠れる訳もなく、ずっと狸寝入りをしていた。

今になって後悔しているが。


悪魔に戦意が無いとは聞いていたが、ミカの様子を見るとどこか違和感を感じる。他の悪魔を知らないから何とも言えないが、それでもこれは異常だろう。

名前を呼ばれ、『おやすみ』と言われる。
そんな当たり前の事が涙する程嬉しいだろうか。今までどんな風に過ごせばそうなるのだろうか。
それに、『あと半年で居れる場所が無くなる』はどう言う事だ?自分の居場所が消えると考えた上で俺に協力を求めたのか?ミカが何を考えているか、俺には分からない。



『……本当に、ありがとう。』

『オレに気を使う必要ねぇから。』

『おやすみ、イオリ。』

『また、呼んでほしいな……。』



優しくて悲しい声が頭から離れない。演技かも知れない、騙されてるかも知れないって警戒すべきなのに。
だってミカは人間が敵対視している相手で、何人も番人として人間を殺してて、それで……。って、それだとミカはただ仕事をしてただけだ。


あれ、ミカに非があることって何だ?


……また、悪い癖が出てるみたいだな。こうやって直ぐに他人の感情に揺さぶられる。だから、ちゃんと他人の感情と自分の感情を切り離さないと行けないって分かってたのに。


どうやら、俺は既にミカを敵対視出来ないようだ。


もやもやしたまま浅い眠りについた。




ーーーーーミカーーーーー





翌朝
結局オレは一睡もせずに椅子に座っていた。眠ってしまえば時間が一瞬で溶けていく様な気がして。

街まで移動しないといけないだろうし、日が上ったばかりだけどイオリを起こす事にした。
椅子から立ち上がり、大きく伸びをした。


「んぁー…っ!ふぅ。おーいイオリ、起きろー!」
「んっ……」


反応はあったが起きる気配は無い。頬を突いてみたり体を揺すってみたが、嫌そうな顔をするばかりで起きそうに無い。
こうなったら……。


「おーい、起きないとキスするよ?」


イオリの耳元で囁いた。もちろん本気では無い。勝手にすれば怒るだろうからな。


「…………やめろ。」
「ははっ…。おはよー、イオリ。」


この起こし方で起きたのはなんか嫌だ。自分でやっておきながらアレだけど。そこまで拒絶しなくたっていいと思うんだけどなぁ…。

イオリはゆっくり体を起こすと、しばらくボーっとしていた。コートで首まで隠し、長い前髪とメガネで顔を隠している時に比べるとだいぶ印象が違う。胸元が大きく開いた黒インナーに、メガネを外し左側の前髪を耳にかけている。
この状態で外を歩いていたら……あ、ダメだ、顔がいいから大変な事になりそう。


それにしてもずっと焦点が合っていない。朝が弱いのだろうか。俯いてるイオリの顔を下から覗き込んだ。


「おーい?イオリ、おは…ょ……」


……何が起きたのか分からなかった。ふわりと後ろから頭を触れられたと思うと、軽く押され、頬にやわく温かいものが触れた。


「…はよ、ミカ。」
「……っ!?」


え、え、え!?今笑って……ってかキスした!?

頬に触れた柔く温かいものは唇だった。チークキスをされたのは初めてだ。それに、今確かに微笑んでいた。
優しい表情カオでおはようって言って名前を呼んだイオリは……


「あっ、ちょ、二度寝しない!」
「んっ……ん?あれ………朝?」


動揺してる間に座ったまま寝そうになっていた。


イオリは大きく深呼吸してようやくベッドから出た。その間にオレは食器棚にあったボウルに洗顔用に水を溜め、洗っておいたタオルを用意していた。


「まったく…やっと起きたな。まだ朝早いけど移動があるから早く準備するように。」
「あぁ…。あ、おはよう。」


イオリは思い出したように言った。そういえばまだ言ってなかったな、とでも言いそうな顔で。


「はは…、おはよう!これでもう三回目だよ!」
「えっ。」


こんなに『おはよう』を言った朝も初めてだ。イオリは覚えていないような表情で戸惑っている。


「あー…俺、寝ぼけて変なことしてなかったか?」
「あれ、覚えてない?お前からオレにキスした事。」
「…………?」


明らかに信じていないな、これ。もし本当だって知ったらどんな反応するだろうか。イオリは溜息ためいきいて支度を始めた。


「あまり変な事を言うな。」
「変な事?本当の事だけど?つっても頬にだけどな。」


にやにやしながらキスされたところのすぐ下をトントンと突いた。一瞬イオリの動きが停止したが、直ぐに無言で支度を続けた。あ、待ってこれ面白い。


「可愛いかったよ?めっちゃ優しそうに微笑んで……んぐっ!?」


にやにやしたまま話していると、いきなり口と目を手で抑えられた。心無しか手が少し熱いような……。


「ぉ、思い出した、から、まじで止めろ。って言うか忘れろ。寝ぼけてただけだから…。」


あれ、恥ずかしがってる?まぢで?
イオリはまた大きな溜息を吐くとゆっくりと手を離した。


「っ…へ、へぇー。イオリは寝ぼけて恋人みたいなことすりゅんだ?」
「お前が恥ずかしがってどうする。」


変な噛み方した……。すりゅってなんだ。オレは羞恥にしゃがみ込んでしまった。


「……ぷっ、は…ははっ…!もう、何これ…!変なの!」


オレはついつい吹き出してしまった。こんなに楽しい朝も悪くないな。


「何が面白いんだか。……ま、笑ってるならいいか。」
「? 何か言った?」
「ん?何が面白いんだろうかって。」


その後が聞こえなかったけど、気のせいだったのだろうか。

そんなこんなで支度は終わり、オレ達は古家を発った。イオリと話し合い、これからの目的地は冒険者が集まる街になった。オレは人間の悪魔に対する印象と認識を、イオリはこの世界に関する事を調べる為に。





木漏れ日がゆらゆらと揺れる森の中。街に向かって歩いていると、微かに甘い匂いがした。本当に微かに。


「あ、イオリちょっと待ってて。」


甘い香りがする方…木の方に大きく跳んだ。枝から枝へと飛び移り、目の前に成っているリンゴを取ってひとかじりした。


「ん、いいね。」


近くになっているリンゴをもうひとつ取り、枝からヒョイと飛び降りる。人間なら魔法無しで降りたら怪我をするような高さが、オレなら余裕で着地出来る。
取ったリンゴを魔法で軽く洗い、イオリに片方を差し出した。


「朝飯、人間には必要なんだろ?甘いし有害なものも無かった。」
「え、あぁ、ありがとう。」
「あれ、リンゴ嫌いだった?」


結構微妙な反応。甘いものが好きって言ってたからいいかなって思ったけど、リンゴはあんまりだったかな。
そう考えてる矢先、イオリはオレの手からリンゴを受け取った。


「リンゴは好きだけど、当たり前のように味見と毒見をするものだから……。」
「あー、そう言うことか。味見はともかく毒見は仕事のひとつだったからな。だいぶ昔だけど。」


普通は大丈夫かどうか分からないものを口にはしない。オレがなんの躊躇ちゅうちょもなくリンゴをかじったから驚いていたのか。


「そんな危ないことを…?」
「全然危なくなんか無いよ。だってオレ、毒に気付いても効かないし。」


さらっと心配してくれていることが嬉しいが、表に出さずに話し続けた。……いやまぁ、毒なんて聞けば普通そう言う反応か?オレが異常なのは認めるが、ここまで正常が分からないとは思わなかった。
オレも、悪魔に対する認識以外にも常識を調べる必要がありそうだ。


「毒無効?薄々思ってはいたがミカってチーターだよな…。」
「まっさか、チートでは無いよ。毒も大量に取れば少しは効果出るし、それが強いやつなら死にかけることもある。それは毒に限らず全ての薬に共通して言えることだけどな。」
「成程な。」


ま、毒見であるオレが平然と毒を見破っていたからオレの命が狙われることもあった。けど結局オレはいい囮になってたし、結果的に良い方向には行ってる。


「オレはただ『死にがたい』ってだけだし。こと毒に関しては使い回しの効くいい人材だったんだ。」


自慢だがオレは有能だ。それも戦いに置いては最強に近いだろう。少しばかり面倒はあるけどな。

それにしてもイオリからの返事が無い。相槌すら無いとはちょっとびっくり。一応適当でも何かしらは返してくれていたから。

暫く沈黙が続いた。

ものっすごく気不味い。


「えーっと、イオリ?」
「………」


呼んでも返事が無い。何か考え事をしているようだ。


「……ミカ、悪魔はみんなお前みたいな感じなのか?」
「いや、人間と同じで一人一人違うけど?特にオレは特殊だからな。オレみたいな奴はそうそう居ないだろう。」
「そうか…。」
「?」


どこか様子がおかしいような……。体調が悪い、と言うわけでは無さそうだし。嫌な夢でも見たのか、嫌な事でも思い出したのか。
少しそっとしておいた方がいいだろうか。



 
沈黙ちんもくが続いたまま冒険者が集まる街、ギルドタウンが見えた。
鎧や法衣を纏ったいかにも冒険者という人が沢山いる。点在する建物と大きな…宿屋だろうか。そしてこの街を象徴するような大きな建物。入り口横に大きな掲示板の付いている『冒険者ギルド』は一際目を引く外観だ。掲示板には沢山の依頼書やポスターが貼ってあるようだ。冒険者たちが集まっているのが遠目でも分かる。

森を抜けて大通りに出た。沢山の荷馬車や人が出入りしている。
街の入り口には関所があるようだ。それぞれが何かしらを提示しているのだろうか。手の甲を受け付け時に見せている。まぁ、恐らく通行証みたいなものだろう。


これ程の規模の街を見ると、人間の国に来たんだと言う実感が湧く。悪魔だとバレないよう、人間を傷付けないよう、気を付けて行かないとだ。ワクワクを抑えられないまま、長い関所の列に並んだ。
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