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第三章

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 この世界と類似した小説、『青い蝶が見る夢』には、王太子暗殺事件の前に、ある帝国で内乱が始まった事が書かれていた、……のを、アリシティアは今になって思い出した。

 言い訳ではないが、小説内での帝国の内乱は、ヒロインであるエヴァンジェリンにも、リトリアン王国にも何ら影響はなかった。だから、綺麗さっぱり忘れてしまっていても、仕方がない事だと思うのだ。

 当然の事ながら、アリシティアはライリッヒ神聖帝国の名が小説に書かれていた事すらも、覚えてはいなかった。
 

 ──── 最悪…。


 『青い蝶が見る夢』の中には、小説内では明らかにされていなくとも、この国の未来を変えたいアリシティアにとって重要な事柄に繋がる伏線のような物が、いくつも散りばめられている。
 今思えば、あれは作者の伏線回収ミスだと思うが、それについてはどうでもよい。

 重要なのは、隣国の動きだ。
 それこそが、後の王太子暗殺事件に大きく関わってくるというのに。
 アリシティアは、自身の迂闊さと、学習力のなさに、内心でため息を吐いた。


 王太子アルフレードの背後から首に腕を回すように抱きついていたアリシティアは、アルフレードの肩に頬をのせる。
 黒く染めている髪がさらりと顔に流れ、目の前の客人から、アリシティアの表情を隠した。

 今日のアリシティアは、王家の影である『ノル』こと、レナート・ディノルフィーノに合わせて黒髪黒目に変え、仕草から雰囲気までもを、普段のディノルフィーノに似通るように意識している。
 そうする事により、二人を見た人間からはアリシティア個人への印象は霞み、この国では珍しい黒髪黒目のよく似た姉弟の印象だけが強く残るからだ。

 こういう時の為、アリシティアは幼い頃から、ディノルフィーノと共にいる時は、ディノルフィーノの行動や仕草、彼の持つ雰囲気に自分自身を合わせてきた。
 普段のディノルフィーノの、のんびりとした無邪気で幼い雰囲気は、他者に警戒心を抱かせないのだ。

 まあ、実際の彼は、戦いになれば両手に剣を持ち、血濡れで敵を解体していくのだが……。


 それはさておき、この娼館でのアルフレードの護衛として、王弟ガーフィールド公爵はアリシティアとディノルフィーノを選んだが、アリシティアが客人の印象に残らないよう、ディノルフィーノに合わせておくようにと指示があった。

 アリシティアとしては、髪や目の色を変えたり、『ノル』に似せたメイクをするのは構わない。
 だが、少年であるディノルフィーノに合わせて、アリシティアが女神様から貰った絶対チートの“巨乳“を小さく見せるのは、とてつもなく不本意であるが、仕事なので仕方がないと、不承不承受け入れた。





「ライリッヒ神聖帝国ですか……。戦争に積極的な皇帝と皇太子に対し反発が高まっていますから、第二皇子を担ぎ出そうとする勢力が動き出しましたか?」

 アルフレードの問いに、彼の伯父であるエドワードは不敵に口角を上げた。

「よくわかったな。そこで、ライリッヒの第二皇妃から、彼女の実子である第三皇子を我がアストリアに秘密裏に亡命させたいとの打診があった」

「それは……、困りましたね。第二皇妃は単に第三皇子を内乱に巻き込みたくないのか、もしくは皇太子と第二皇子の共倒れを狙い、息子を隠しておきたいのか」

 アルフレードは本当に困ったように、小さく苦笑した。

 ライリッヒ神聖帝国は、事あるごとに周辺各国に戦争を仕掛け属国化している軍事大国だ。だからこそ、第三勢力を担ぎ出し、帝国の内乱を目論んでいると見做される可能性のある行為など、アストリアとしては論外である。

「我が国としては、受け入れる事は出来ない。だが、叔母の願いを無碍にも出来ない」

「でしょうね」

 エドワードの言葉に、アルフレードは頷いた。
 帝国の第二皇妃は、アストリアの王の年の離れた妹だ。
 アストリアがライリッヒ神聖帝国の属国にならずに済んでいる理由の一つには、アストリア王の妹、帝国に第二皇妃として嫁いだ、アストリアの王妹の存在がある。

 だが、アストリアが下手に帝国の第三皇子に関われば、帝国への宣戦布告と見做される可能性が出てくる。

「そこで帝国の第三皇子を、リトリアンで引き取って貰えないかと思ってね。リトリアンには、いかに帝国と言えど、手出し出来ない。二十年前と同じ轍を踏みたくはないだろうからな」

 エドワードとアルフレードの会話に、アリシティアは瞬間的に息を詰めた。
 ドクリと一際大きく心臓が脈打つ。

 この世界と類似した小説、『青い蝶が見る夢』のクライマックスである、王太子暗殺事件。エドワードの言葉で、今の今まで考えもしなかった可能性が、アリシティアの脳裏を掠めた。



 小説の中では、帝国で内乱が起こり、その時皇族の一人がアルフレードの亡き母の祖国、アストリアに亡命する。その為アストリアとライリッヒ神聖帝国は一時的に緊張状態となっていた。そんな時、小説のクライマックスである王太子暗殺事件が起こる。

 王太子暗殺には、隣国で成り上がった商人がかかわっており、夏至の日に隣国の暗殺者が送り込まれる。
 その為、暗殺事件の黒幕はリトリアンを狙う近隣国のどこか、もしくはエヴァンジェリンを女王にしたい現正妃の派閥のどちらかだと、アリシティアは思っていた。

 けれど、よくよく考えれば近隣国が黒幕である可能性は、とてつもなく低い。
 小説内では、当時の帝国もアストリアも、リトリアンに手出しする余裕など、全くなかったのだから。
 さらには、リトリアンの周辺国は、リトリアンに手出しすると女神の怒りに触れると、本気で思い込んでいるのだ。




 二十年前、ライリッヒ神聖帝国がリトリアンに侵略しようとし、帝国が女神リネスの怒りに触れたという話は、人々の記憶に新しい。

 当時リトリアンの国境付近へ進軍しようとした帝国軍は、局地的豪雨によってことごとく足止めをくらった。それでも部隊を進めようとした帝国は、国土全体が嵐やそれに伴う様々な災害にみまわれた。
 そして、仕上げとばかりに、皇城に四十の雷が落ちたのだ。

 古代から、四十は神の怒りと試練を表す数とされていた為に、ライリッヒ神聖帝国の皇帝は震え上がり、リトリアンに向けていた全軍を撤退させた。



 この話の中の女神の怒りが事実かどうかは別として、近隣国ではリトリアンの王太后が女神に民の無事を願い、女神がその願いを聞き入れたとされている。
 今も信心深い者達はこの話を信じている為、王太后が生きている限り、近隣国はリトリアンに手出ししないだろう。

 何よりも、リトリアンの現王太子アルフレードは、王族間の婚姻で国を守ってきたアストリアの血筋だ。
 近隣国からすれば、リトリアンの国内貴族の血筋であるエリアスやエヴァンジェリンが次代のリトリアンの王となるよりも、婚姻で他国との同盟を強化して来たアストリアの王女が産んだアルフレードこそが、リトリアンの王となるのが最も望ましい。
 となれば、小説内の王太子暗殺の黒幕が、隣国の人間とは考えづらくなる。






 アリシティアは、小説内の王太子暗殺事件に、ずっと違和感を持っていたが、その違和感の理由がわからなかった。
 けれど、今になってようやく気づいた。

 小説内で王太子が暗殺された時、アルフレードを手にかけた暗殺者は、そこにやってきたエヴァンジェリンを見て嗤った・・・のだ。
 そして、エヴァンジェリンに剣先を向け、彼女を殺そうとする。

 小説のヒロインであるエヴァンジェリンは、王太子暗殺の現場近くに居合わせた為に、ただ巻き込まれただけだと、これまでのアリシティアは思っていた。
 だが、それは違った。

 一連の王太子暗殺事件では、王太子だけではなく、エヴァンジェリンもまた、暗殺者の標的だった。
 だからこそ、無防備に飛び込んで来たエヴァンジェリンを見て、暗殺者は嗤いながら、彼女を殺そうとしたのだ。
 後から駆けつけたルイスが彼女を庇う事で、エヴァンジェリンは運良く暗殺を免れただけだ。
 つまり、王太子暗殺事件は、エヴァンジェリンを女王にしたい派閥が起こした事件ではない。

 もしも、この件が王座をめぐるものであると仮定するのなら……
 暗殺されたアルフレード、暗殺の黒幕に仕立て上げられ処刑されたエリアス、そして、ルイスに庇われた事でたまたま生き残ったエヴァンジェリン。
 この三人の派閥は事件の黒幕とは関係ない事になる。




 アリシティアはアルフレードの首に回した腕に、無意識のまま力を込め、ぎゅーっと抱きついた。
 同時にアルフレードの喉から、「ぐっ!!」っと、王太子らしからぬ呻き声が漏れたが、構わずにアルフレードの肩に額を押し当て、思いっきりグリグリする。

 そんなアリシティアの姿を見て、エドワードは「本当に猫みたいだな」などと言っているが、無視だ。今はそれどころではない。



 アルフレードの肩をグリグリしながら、アリシティアは思考を整理した。
 全てはアリシティアの、推測でしかない。
 それでも、小説の結末では語られなかった、事実の欠片を繋ぎ合わせて、見えてくる物がある。




 
 小説では、エヴァンジェリンを庇い、暗殺事件に巻き込まれる形で死亡したが、本来ならば暗殺の標的ではなかった人物がいる。
 もしも、暗殺者を差し向けてきた黒幕の思惑どおり、王位継承順位一位から三位までの人物がいなくなっていれば、四位の彼こそが一位になっていた……



 ルイス・エル・ラ=ローヴェル。



 最も濃い、女神の血を受け継ぐ王族。
 小説『青い蝶が見る夢』の、三人のヒーローのうちの一人。そして、本編では名前すら出て来ないアリシティアの、最愛で最悪の婚約者だ。

 

 





 
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