上 下
184 / 191
第三章

しおりを挟む
 人の根幹は魂でできており、その魂は何度も転生を繰り返すのだと、聖典には書かれている。
 そして、人が転生する世界は一つではないと言うことも。

 数多あまたある世界の中心には、世界樹と呼ばれる天を凌駕する程に巨大な樹があり、ありとあらゆる世界は、世界樹の枝先や根冠に繋がる。
 そして、転生を繰り返す魂はみな、世界樹を介して、世界を往来する。

 その世界樹に連なる、幾千幾万の世界の均衡を保つ者が、世界樹の守護者だ。
 だからこそ、世界樹の守護者は世界の王とも呼ばれている。

「普通に考えてもわかるでしょう? 世界樹の守護者は、世界樹を守り、世界の均衡を保つ者。そんな役割を担う者が、世界樹から離れられる訳がないじゃない」

 呆然と目を見開くアルフレードに、ベアトリーチェは出来の悪い生徒を見るような視線を向けた。

「だとすれば、守護者の生まれ変わりは……」

「そんな人いないわ」

「だが、御伽話では……」

 ベアトリーチェはふっと小さく嘆息した。

「だから、転生した守護者なんてこの世界には存在しないの。現実が御伽話とは違う事など、わかっているでしょう」

 ベアトリーチェは右手を前に出して、手のひらを上に向ける。
 それと共に手のひらの上には、小さな光の塊が現れた。光の塊は人の頭程の大きさの球体になった後、徐々に色を変え始めた。

「これは……」

 球体の中に映し出される光景に、アルフレードは背に冷たい物を感じ、息を呑んだ。

 太陽も月もない、淡い薄紅色と薄紫色、そして瑠璃色が混じりあう美しい空に、色とりどりの野の花が咲き乱れる大地。その中央には空を映す静かな湖があり、湖のほとりには、透き通った葉をつけた若木が生えていた。

 まさか……と、掠れた声が勝手にアルフレードの唇から零れ出る。

「世界樹よ」

 低く、感情のない声で魔女は告げた。


 まるで時が止まったかのような、とてつもなく美しい世界。
 夜が訪れる事はなく、大地の花々が枯れる事もない。
 そんな中、ただ、若木だけが、少しずつ成長していく。

「見ればわかるように、世界樹は成長している。これを宇宙の膨張と呼ぶ世界もあるのだけれど、世界樹の成長と共に世界もまた増えていく」

「……理解できない」

「成長し続ける世界樹に縛られた守護者の魂は、世界樹からは離れられない。もしも守護者が世界樹から離れるとすれば、新たなる守護者に殺され、魂が世界樹から解放された時か、力を失った守護者の魂が壊れ、世界が崩壊する時だけ」

「世界が崩壊する事など、あり得るのか?」

 息苦しさに押しつぶされたような喉から搾り出した、かすれた声で問う。 

「永遠の世界なんて存在しない。神々でさえも、いつかは消えゆく。そして、転生を繰り返す魂にも、終わりはある。転生を繰り返した魂はやがて摩耗し、存在そのものが消滅する。今代の守護者には、次代の守護者に殺され、魂の解放を待つ時間なんてないの」

 だから……と、ベアトリーチェは続けた。

「守護者は幾度となく己の魂を砕いて、取り換え姫の近しい存在に、その欠片を与え続けた。たとえ世界樹から解放される時が来ても、二度と転生する事ができないようになるまで」

 ヒュッとアルフレードの喉が鳴った。
 呼吸が止まる。

 瞬きすら忘れたように、動きを止めたアルフレードの視線の先。
 ベアトリーチェは手のひらをぎゅっと握りしめた。同時に、世界樹を映し出していた球体が砂煙のように霧散した。

「ラローヴェル侯爵は、守護者の生まれ変わりではない。でも、守護者の魂の欠片を持ってはいる。ただそれは、記憶を刻む事すらできないような、ともすれば呆気なく壊れてしまう、転生する事も出来はしないとてもとても小さな欠片だけれど。魂を根幹とする人の身体において、それはまがいものの命ともいえる。……きっと、彼の魂はどんなに長くとも三年とは持たないでしょうね」

 ベアトリーチェの言葉を最後に、シンっと部屋は静まり返った。

 突如足元が崩れ、別世界に引き摺り込まれたかのような錯覚に陥る。自分だけが世界から切り離されたような静寂。呼吸の音も、鼓動の音もない。
 アルフレードは目の前で足を組む美貌の魔女から、視線を外す事ができないまま、ただ沈黙する。鈍く瞬き、重い思考をなんとか巡らせようとした。
 だが、何も考えられはしなかった。

 そして、時間の感覚を失いかけた時。
 ぺらりと紙をめくる音がして、唐突にアルフレードの思考が動いた。だが……。

「───魔女殿は、魔法が使えたのだな」

 無数の言葉に迷った末に出てきたのは、全くこの場にそぐわないものだった。

「そこ?」

 いつのまにか本を読み始めていたベアトリーチェは、顔を上げ、ぽかんと口を開ける。

「いや、話が壮大すぎて、理解が及ばない。だから、世界樹については、そういう物として、そのまま捉えることにした。……ただ、それとは別に、幻影とはいえ世界樹の若木を見た王族は、私一人なのだろうなと思っただけだ」

 アルフレードは肺の中の空気を一気に吐き出す。指先が凍りついたように冷たい事に、今になってようやく気づき、膝の上で固まっていた手を握ったり開いたりして、血の流れを促す。
 どうしようもない生々しい現実は、無理矢理にでも、一度思考の奥へと押しやる。
 そうして、己の手が届く事だけに集中した。

 そんな王太子を前に、ベアトリーチェは数度長いまつ毛を上下させ、やがてふっと小さな笑い声を零した。

「本当は、私もよく分かっていないのだけどね」

「それは意外だな」

「そうかしら?」

 淡い笑みを浮かべたまま、気怠げに前髪をかきあげたベアトリーチェの黒髪が、さらりと揺れる。

 

「──── さきほど、守護者と兄王子、それから大魔女ベアトリーチェが、呪われた取り換え姫の血に触れたと言っていたが、そもそも、その呪いは彼女の魂にかけられたものだろう? 取り換え姫は何故、いや、いったい誰に呪われている?」

 何とか落ち着きを取り戻し、アルフレードは魔女に問う。

「本人よ」

「本人?」

「そう、取り換え姫は自分で自分に呪いをかけたの。正確には、己に流れる全ての血を対価に、自分を裏切った婚約者が愛する者の魂を呪ったの。そして、その呪いが向かった先は、なんと自分自身だったという訳」

 一度言葉を切った魔女は、ニッと口角を上げた。
 そして、「人を呪わば穴二つってね」……と、意味のわからない言葉を口にして、さも面白そうに声を上げて笑った。





 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。

しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。 私たち夫婦には娘が1人。 愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。 だけど娘が選んだのは夫の方だった。 失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。 事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。 再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

いっそあなたに憎まれたい

石河 翠
恋愛
主人公が愛した男には、すでに身分違いの平民の恋人がいた。 貴族の娘であり、正妻であるはずの彼女は、誰も来ない離れの窓から幸せそうな彼らを覗き見ることしかできない。 愛されることもなく、夫婦の営みすらない白い結婚。 三年が過ぎ、義両親からは石女(うまずめ)の烙印を押され、とうとう離縁されることになる。 そして彼女は結婚生活最後の日に、ひとりの神父と過ごすことを選ぶ。 誰にも言えなかった胸の内を、ひっそりと「彼」に明かすために。 これは婚約破棄もできず、悪役令嬢にもドアマットヒロインにもなれなかった、ひとりの愚かな女のお話。 この作品は小説家になろうにも投稿しております。 扉絵は、汐の音様に描いていただきました。ありがとうございます。

6年後に戦地から帰ってきた夫が連れてきたのは妻という女だった

白雲八鈴
恋愛
 私はウォルス侯爵家に15歳の時に嫁ぎ婚姻後、直ぐに夫は魔王討伐隊に出兵しました。6年後、戦地から夫が帰って来ました、妻という女を連れて。  もういいですか。私はただ好きな物を作って生きていいですか。この国になんて出ていってやる。  ただ、皆に喜ばれる物を作って生きたいと願う女性がその才能に目を付けられ周りに翻弄されていく。彼女は自由に物を作れる道を歩むことが出来るのでしょうか。 番外編 謎の少女強襲編  彼女が作り出した物は意外な形で人々を苦しめていた事を知り、彼女は再び帝国の地を踏むこととなる。  私が成した事への清算に行きましょう。 炎国への旅路編  望んでいた炎国への旅行に行く事が出来ない日々を送っていたが、色々な人々の手を借りながら炎国のにたどり着くも、そこにも帝国の影が・・・。  え?なんで私に誰も教えてくれなかったの?そこ大事ー! *本編は完結済みです。 *誤字脱字は程々にあります。 *なろう様にも投稿させていただいております。

殿下には既に奥様がいらっしゃる様なので私は消える事にします

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のアナスタシアは、毒を盛られて3年間眠り続けていた。そして3年後目を覚ますと、婚約者で王太子のルイスは親友のマルモットと結婚していた。さらに自分を毒殺した犯人は、家族以上に信頼していた、専属メイドのリーナだと聞かされる。 真実を知ったアナスタシアは、深いショックを受ける。追い打ちをかける様に、家族からは役立たずと罵られ、ルイスからは側室として迎える準備をしていると告げられた。 そして輿入れ前日、マルモットから恐ろしい真実を聞かされたアナスタシアは、生きる希望を失い、着の身着のまま屋敷から逃げ出したのだが… 7万文字くらいのお話です。 よろしくお願いいたしますm(__)m

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。