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第三章

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 ぞくりと身体が震える。暖炉の炎に当たっているのに、寒気は強くなる一方だ。

「魔女がどこにでもいるなどと、聞いたこともない」

 訝しげなウィルキウスの言葉に、魔女は、喉の奥からくつりと笑いをもらした。

「魔女はどこにでもいるさ。魔術師もね。お前達が気付かないだけだ。だが、時渡りの旅人、お前のような生まれながらの魔法使いは、100年に1度生まれるか生まれないかだね。前回はたしか100年ほど前の人形師だったか…。物凄い魔力持ちであったにも関わらず、人形師なんてやってた変わり者さ。確か、あの人形は類感呪術の媒体だったかねぇ。まだ生まれてもいない娘の為に、よくまああんな物騒なものを作ったものだ」

 老女の言葉の後半の意味は、理解出来なかった。だが、百年前の人物について語る老女の年齢が妙に気になった。

「…貴方は何歳なんだ?」

「女に年齢を聞くもんじゃあないよ。女は秘密があってこそ輝くもんだ」

 この目の前の老女の見た目では、80歳と言われても120歳と言われても、別に気にはならないのだが、魔女の寿命がどれ程かは、ほんの少し気になった。だが、それよりも、彼にはもっと聞きたい事があった。

「先ほどから、貴方は俺のことを『時渡りの旅人』と呼ぶが、どういう意味だ?」

「お前この世界で生まれる前の記憶があるだろう?世界樹の下にある様々な世界をめぐる魂の中には、時折前の生の記憶を持つ物がいる。時間と空間を渡った魂は、本来ならば一度眠りにつき、記憶も感情もあらゆる全てを消し去られる。だが、時折その魂に循環の記憶を直接刻まれてしまうやつもいる。神々の悪戯か、その魂の本来の素質か。お前は後者だね」

「なぜ貴方には、俺の魂に前の人生での記憶が刻まれているとわかるんだ?」

「魔女だからね」

 老女の答えに、ウィルキウスはあからさまに眉根を寄せた。何を聞いても肝心な答えは『魔女だから』で、済まされるだろうと感じたからだ。

「それで?お前は何処から逃げて来たんだい?」

 老女の言葉に、ウィルキウスの肩がぴくりと震えた。だが、彼は冷静にカップを口に運ぶ。温かい薬草茶を飲み下し、心を鎮めるように息を吐いた。

「この店の東、10ピエド程先の大きな湖がある高位貴族の邸だ」

「…ラローヴェル侯爵家か。王妹の降嫁先だね。お前はそこの使用人だったのかい?」

「いや、俺は元いた邸の女主人に、兄と共にあの邸の主人に売られた。あの邸の主人は子供を愛玩奴隷として、金持ちの変態相手に売買していた。俺はその商品として、地下に捉えられていた。だが、本邸で何かが起こり、地下に人が来て、俺は口封じに殺されそうになった。だから逃げてきた」

 思わず込み上げる恐怖と焦燥、怒り悔しさ、そして痛みを堪え、ウィルキウスは淡々と説明する。

「まさか、王位継承権第四位の王子がいる家で、王妹を妻に持つ侯爵が、よりにもよって子供を違法に売買していたと?」

 流石の魔女も驚いたのか、情報を整理するように呟いた。

「ああ」

「それはまた……。そうか。そんな事が。……だが、そんな話を見ず知らずの魔女にしても良いのかい?その貴族にお前を売って、金を受け取るかもしれないよ?」

「魔女は真実を知りたがる。嘘を語る者を信じない。だが、だからこそ客として|自ら訪れた者から直接・・聞いた秘密を、簡単に人にもらしたり、金の為に利用したりはしないだろう?」

「ほう?何故そう思う?」

「魔女の言葉には力がある。ならば、言葉の持つ力を守る為には、己の言葉を嘘や悪意や欲で穢してはならないのではないか?」

「やはりお前は賢いね」

 老女は目元を緩ませた。その表情が何処かウィルキウスの異母姉であるソフィーリアを連想させた。


「そういう事か。あれを見な、証拠を隠滅して、全てを無かった事にする気なのかね?」

 老女が視線で指し示した先には、埃で汚れた、窓があった。その窓の向こう、遥か先には、煙が立ち上がり、燃え盛る炎が見えた。

 瞬間、ウィルキウスは乱雑な床の上を走り、窓を叩き開ける。

「ベルナルド!!!」

 窓の外の嵐は、勢いを落としていた。深く幾重にも垂れこめていた暗雲は風で流され、視界は開けている。遥か遠く、城のような邸の一部が燃えているのが彼の目からも、目視できた。

 兄の名を叫んだウィルキウスは、そのまま部屋から出ようと、戸口に向かって走りだした。
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