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第三章
14.芸術の神の愛し子と今代の大魔女1
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アリシティアとルイスの運命が変わった、あの嵐の日。惨劇に巻き込まれ、けれど唯一生き残ったリーベンデイルの生きた人形。それが、ベルナルド・インフォんティーノだった。
ベルナルドが前ラローヴェル侯爵に選ばれたのは、たまたまだったのか。それともルイスに髪色や背格好が似ていたからか。小説と現実には相違点がありすぎて、今となっては分からない。
ベルナルドはインフォンティーノ公爵が下働きのメイドに産ませた庶子であった為に、インフォンティーノ公爵夫人に疎まれ、夫人自らの手で前ラローヴェル侯爵に売られた。元々邸で虐げられ、隔離されていた庶子が、邸から姿を消したところで、誰も疑問に思うことすら無かったようだ。
そして愛玩奴隷へと堕ちたベルナルドは、ローヴェル邸で監禁され、前ラローヴェル侯爵の寝台で、幾度となく性を搾取されていた。
一見なんの陰りもない、幸せな家族が暮らすあの邸で……。
だがあの嵐の日。ラローヴェル侯爵家の幸福の全てが、虚構だったと露見した。ルイスの母は、夫を滅多刺しにし、自らも命を絶った。そしてあの血と肉が飛び散る殺戮の場で、ベルナルドの心は壊れてしまった。
アリシティアは、あの時邸に囚われていた少年の未来を知っていた。あの地獄絵図の中、前ラローヴェル侯爵の寝台の片隅で、血肉を浴び震えていた少年が、ベルナルドだとは知らなかったけれど……。
もしもあの時のアリシティアが、ベルナルドさえ先に見つけて逃がす事が出来ていたなら、きっと全ての未来が変わった。
だがあの邸で一際目立つアリシティアが、誰にも見つからず囚われていた少年ベルナルドを助け出せたとは思えない。それでも、万が一にも、先に彼だけでも助け出せてさえいれば、きっとあの悲劇は起こらなかった。だがそうなれば、また新たなリーベンデイルの生きた人形が生まれる。
あの時のアリシティア自身は、あまりにも幼かった。そしてもし彼女が失敗すれば囚われている少年が殺されると、王弟殿下に止められていた事を言い訳にし、アリシティアはあの屋敷のどこかにいるはずの、少年を探さなかった。
……いや、本当は違う。ルイスに自分の邸で何が起こっているのか、知らずにいて欲しかった。あの頃のアリシティアはルイスと常に一緒にいた。だから、囚われているリーベンデイルの生きた人形を探すには、ルイスに真実を話す必要があった。
『貴方の父親が、性奴隷にしている少年を助け出す為に、協力をして欲しい』と……。
だがアリシティアは、ルイスが愛する父親のおぞましい一面を、ルイスに教える勇気が持てなかった。何よりも、その事をルイスに話して、彼に信じて貰えず、嫌われてしまうのが怖かったのだ。あの時のアリシティアは、見ず知らずの少年よりもルイスを選んだ。
だからこそ、ルイスに知られないうちに、ガーフィールド公爵が一刻も早くあの件を秘密裏に解決し、囚われているリーベンデイルの生きた人形を解放してくれる事を、ただ彼女は望んでいた。
全てはアリシティアの弱さ。そのせいでルイスは今も、彼の父の罪を己の罪だと思い続けている。全てが今更だ。けれど……。
ソニア・ベルラルディーニは、ベルナルド・インフォンティーノの姉だった。彼女はアリシティアに向ける柔らかな笑みの奥で、本当は何を考えていたのだろうか。
****
アリシティアが忘却の館でルイスやディノルフィーノと話をしていた同時刻。
王宮の奥、殆ど人気の無い王族と一部の使用人だけが入れる廊下を、黒衣のローブを纏った背の高い青年が歩いていた。
左右対称に整った顔に、胸元で無造作に結んだ黒髪、特徴的な紫の瞳は、宝玉のようでとてつもなく美しい。
そんな青年の視線の先で、不意に扉が開いた。扉の内側から出てきた薄いブラウンの瞳の女性が青年の姿を見て、おっとりとした柔らかな声で、青年に声をかける。
「あら、ウィルキウス。こんな場所で会うなんて珍しいわね」
紫の瞳の青年は足を止め、僅かに目を見開いた。そこには侍女服を着た優しげな顔の女性が、嬉しそうに微笑んでいた。
「久しぶりね姉さん。でも、ここではウィルキウスではなく、ベアトリーチェと呼んで欲しいわ」
もうかなり聞き慣れた女性的な言葉使いのベアトリーチェから『姉さん』と呼ばれた侍女、ソニア・ベルラルディーニは、嬉しそうにくすくすと笑みを零した。
「ねぇ、それって女性物の服を着ている時以外も、そう呼ばなきゃいけないものなの?」
「まあね。だって、この王宮にいるのは、貴方の弟のウィルキウス・ルフスではなく、魔女ベアトリーチェだもの」
「別に魔女の名前を継承しても、女性になる必要は無いのでは?それに貴方は、魔女になる為に俗世を捨てる必要などない特別な存在なのに」
「まあ、それはそうなのだけど、大魔女ベアトリーチェの全ての知識を受け継ぐ為には、私が今代のベアトリーチェになる必要があったもの」
「それで女性言葉と女性の服? 貴方は賢すぎていつも何を考えているのか分からないわ。なんにしても、貴方が私の大切な弟である事は、変わらないわ。だから久しぶりに会えた私の弟を抱きしめさせて」
ソニア・ベルラルディーニは両手を広げて、彼女の弟ウィルキウス・ルフスを抱きしめた。そしてその儚げで美しい顔に、全てを包み込むような優しい笑みを浮かべた。
ベルナルドが前ラローヴェル侯爵に選ばれたのは、たまたまだったのか。それともルイスに髪色や背格好が似ていたからか。小説と現実には相違点がありすぎて、今となっては分からない。
ベルナルドはインフォンティーノ公爵が下働きのメイドに産ませた庶子であった為に、インフォンティーノ公爵夫人に疎まれ、夫人自らの手で前ラローヴェル侯爵に売られた。元々邸で虐げられ、隔離されていた庶子が、邸から姿を消したところで、誰も疑問に思うことすら無かったようだ。
そして愛玩奴隷へと堕ちたベルナルドは、ローヴェル邸で監禁され、前ラローヴェル侯爵の寝台で、幾度となく性を搾取されていた。
一見なんの陰りもない、幸せな家族が暮らすあの邸で……。
だがあの嵐の日。ラローヴェル侯爵家の幸福の全てが、虚構だったと露見した。ルイスの母は、夫を滅多刺しにし、自らも命を絶った。そしてあの血と肉が飛び散る殺戮の場で、ベルナルドの心は壊れてしまった。
アリシティアは、あの時邸に囚われていた少年の未来を知っていた。あの地獄絵図の中、前ラローヴェル侯爵の寝台の片隅で、血肉を浴び震えていた少年が、ベルナルドだとは知らなかったけれど……。
もしもあの時のアリシティアが、ベルナルドさえ先に見つけて逃がす事が出来ていたなら、きっと全ての未来が変わった。
だがあの邸で一際目立つアリシティアが、誰にも見つからず囚われていた少年ベルナルドを助け出せたとは思えない。それでも、万が一にも、先に彼だけでも助け出せてさえいれば、きっとあの悲劇は起こらなかった。だがそうなれば、また新たなリーベンデイルの生きた人形が生まれる。
あの時のアリシティア自身は、あまりにも幼かった。そしてもし彼女が失敗すれば囚われている少年が殺されると、王弟殿下に止められていた事を言い訳にし、アリシティアはあの屋敷のどこかにいるはずの、少年を探さなかった。
……いや、本当は違う。ルイスに自分の邸で何が起こっているのか、知らずにいて欲しかった。あの頃のアリシティアはルイスと常に一緒にいた。だから、囚われているリーベンデイルの生きた人形を探すには、ルイスに真実を話す必要があった。
『貴方の父親が、性奴隷にしている少年を助け出す為に、協力をして欲しい』と……。
だがアリシティアは、ルイスが愛する父親のおぞましい一面を、ルイスに教える勇気が持てなかった。何よりも、その事をルイスに話して、彼に信じて貰えず、嫌われてしまうのが怖かったのだ。あの時のアリシティアは、見ず知らずの少年よりもルイスを選んだ。
だからこそ、ルイスに知られないうちに、ガーフィールド公爵が一刻も早くあの件を秘密裏に解決し、囚われているリーベンデイルの生きた人形を解放してくれる事を、ただ彼女は望んでいた。
全てはアリシティアの弱さ。そのせいでルイスは今も、彼の父の罪を己の罪だと思い続けている。全てが今更だ。けれど……。
ソニア・ベルラルディーニは、ベルナルド・インフォンティーノの姉だった。彼女はアリシティアに向ける柔らかな笑みの奥で、本当は何を考えていたのだろうか。
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アリシティアが忘却の館でルイスやディノルフィーノと話をしていた同時刻。
王宮の奥、殆ど人気の無い王族と一部の使用人だけが入れる廊下を、黒衣のローブを纏った背の高い青年が歩いていた。
左右対称に整った顔に、胸元で無造作に結んだ黒髪、特徴的な紫の瞳は、宝玉のようでとてつもなく美しい。
そんな青年の視線の先で、不意に扉が開いた。扉の内側から出てきた薄いブラウンの瞳の女性が青年の姿を見て、おっとりとした柔らかな声で、青年に声をかける。
「あら、ウィルキウス。こんな場所で会うなんて珍しいわね」
紫の瞳の青年は足を止め、僅かに目を見開いた。そこには侍女服を着た優しげな顔の女性が、嬉しそうに微笑んでいた。
「久しぶりね姉さん。でも、ここではウィルキウスではなく、ベアトリーチェと呼んで欲しいわ」
もうかなり聞き慣れた女性的な言葉使いのベアトリーチェから『姉さん』と呼ばれた侍女、ソニア・ベルラルディーニは、嬉しそうにくすくすと笑みを零した。
「ねぇ、それって女性物の服を着ている時以外も、そう呼ばなきゃいけないものなの?」
「まあね。だって、この王宮にいるのは、貴方の弟のウィルキウス・ルフスではなく、魔女ベアトリーチェだもの」
「別に魔女の名前を継承しても、女性になる必要は無いのでは?それに貴方は、魔女になる為に俗世を捨てる必要などない特別な存在なのに」
「まあ、それはそうなのだけど、大魔女ベアトリーチェの全ての知識を受け継ぐ為には、私が今代のベアトリーチェになる必要があったもの」
「それで女性言葉と女性の服? 貴方は賢すぎていつも何を考えているのか分からないわ。なんにしても、貴方が私の大切な弟である事は、変わらないわ。だから久しぶりに会えた私の弟を抱きしめさせて」
ソニア・ベルラルディーニは両手を広げて、彼女の弟ウィルキウス・ルフスを抱きしめた。そしてその儚げで美しい顔に、全てを包み込むような優しい笑みを浮かべた。
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