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第三章
8.優しさと残酷さと 1
しおりを挟む「アリス?」
呼びかけても返事をしなくなったアリシティアから体を離し、ルイスはアリシティアの顔を覗き込んだ。
そこには何故か、表情を失い虚空を見つめるアリシティアがいる。
ルイスはくすりと小さな笑みを零し、いつものようにアリシティアを抱き上げた。寝台に連れていきその上に下ろすと、アリシティアはころんと寝台に横たわった。
そんなアリシティアの足から靴を脱がせた後、ルイスはぼんやりと天井を見つめるアリシティアの横に座る。寝台に広がる彼女の銀糸のような髪を一房指に絡め、髪先に口付けを落とした。
「他には?」
優しく甘い声で、ルイスが先を促すように問う。
「他?」
「確認したい事。あるでしょ?あの場所でも絶対に口に出来なかった事」
アリシティアは天井から自分を覗き込むルイスへと、ゆっくり視線を移動させる。
ルイスがエヴァンジェリンのそばにいるもう一つの、そして最大の理由。
多分それは、うやむやにしてはいけない事。
「私が闇オークションで競売にかけられた時、お姫様が主犯だったら、あなたはどうしていたの?」
現実には、アリシティアを闇オークションの競売にかけた犯人は、アリシティアの親友のオネェだった訳だけれど、それは絶対に口には出来ない。
ルイスは自分から促しておいて、喉を絞められたように、苦しげな顔をする。それは誰の何に対する罪悪感なのだろうか。
アリシティアに対してか。それとも……。
エヴァンジェリンを良く知る者は、彼女がアリシティアを競売にかけたとまでは思ってはいなかった。
ルイスに嫌われているアリシティアがルイスの前から消えたら、ルイスのためになる。きっと彼女は本気でそう思っていたのだ。
あの時エヴァンジェリンがした事は、ベアトリーチェの口車に乗せられて、アリシティアを誘拐犯のいる所へ誘導した位だった。
この世界の残酷さを知らずに、優しい鳥籠で育ったエヴァンジェリンは、その先にある現実を知らない。
彼女からすれば、目の前にいる不快な虫をどこかへやってと言っただけ。
排除されたその虫がどうなるかなど、考える事すらない。
無知で、だからこそ純粋で、穢れを知らない、幼い子供のように残酷な人。
誘拐被害者がなぜ社交界から姿を消す事になるのか、彼女は知らない。
彼女は何故知る努力すらしないのか。きっとそれは……。
アリシティアはただ、ぼんやりと頭の中に浮かんだ仮定を形づくっていく。けれど、辿り着いた答えは、更なる疑問をよんだ。
魑魅魍魎が跋扈し、人の思惑が絡みついて成立する世界は、きっと物語のように確かな道筋などありはしない。
それでも、考えてしまう。
何故お姫様は鳥籠の中にいたのか。何故物事を深く考えられないのか。
──── 何のために『取り替え姫』が必要だったのか……。
「そうか……」
アリシティアの呟きは、ルイスに届く前に消えた。
「エル。貴方にお姫様の監視の役割があったとしても、貴方はお姫様と七年間も友人として一緒にいた。貴方がお姫様を愛していると思っていたのが私の勘違いだったとしても、友人として大切には思っているのでしょう?」
「……そうだね。孤独な僕に優しい時間をくれた人だからね」
寂しそうに苦笑するルイスの言葉に、アリシティアの胸がズキリと傷んだ。それはアリシティアが共有出来なかった、優しくて、けれど残酷な時間。
「もしあの時、私が無事では無かったら、貴方はどうしていたの?私が影では無かったら?私が、死んでいたら……」
「……結果が違っていたら、きっと僕は彼女を排除していた」
排除。
それは、アリシティアが想像していた答えだった。
「やっぱり貴方は……、いざという時には、お姫様を暗殺する役目を担っていたのね」
アリシティアの言葉は疑問ではなく、確認だ。
どれ程に孤独だっただろう。
常に罪悪感に囚われ、彼女達との時間が優しいものであればあるほどに、彼はきっと傷ついていたはずだ。
だからずっと、ルイスはエヴァンジェリンに必要以上に優しかった。自らの中に生まれる罪悪感を、エヴァンジェリンに優しくする事で埋めようとしていた。
けれど優しくすればする程に、葛藤し、己の偽善的な行為に苦しんだはずだ。
アリシティアが幼い頃から愛している猫のように優しくて甘い少年は、どれ程自分が傷ついたとしても、冷酷に友人を切り捨てられる人ではないのだから。
「答えて、エル」
アリシティアの視線の先で、ふっとルイスは息を吐いた。彼のその美しい相貌には、今にも壊れそうな微笑が浮かんでいた。
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