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第二章
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しおりを挟むアリシティアの小さな反論に、ルイスがふっと笑った気がした。
「僕はね、エヴァンジェリンの言葉の影響力を図り損ねていた。だからあんな失敗を犯した。叔父上にはエヴァンジェリンの監視役を続けるか、正妃の愛人になるか選べと言われたよ」
「愛人?」
思わず、アリシティアの声が低くなる。その反応にルイスは苦笑し、アリシティアの頭にするりと頬を擦り付けた。
「ひどい事を言うよね。叔父上が自分でやればいいのに。だから僕はエヴァンジェリンの友人として、監視役を続ける事を選んだ」
「……デビュタントの次の日、あなたはお姫様に会いに行った」
「うん。言い訳にしか聞こえないと思うけど、叔父上にエヴァンジェリンの機嫌をとっておけと命令されたからね。ああ、あと君をローヴェル邸に連れて帰るなとも言われたよ。せっかく君を返して貰えたのに」
「私を返して……?」
「あのデビュタントの日、僕はようやく君といる事を許されたんだ。社交界に出た君を一人に出来ないと思ったのかもしれない。多分他にも何か意味はある。とはいえ、叔父上の考えている事はよく分からないけどね」
ルイスの言葉にアリシティアは彼の肩から顔を上げる。ルイスの顔を見て、そのまま周囲に視線を向けた。
そこはアルフレードの庭園で、春には桜色の花が咲き誇る木々が植えられた小道だった。けれど今は花もなく、風が吹くたびに柿色や枯葉色に染まった木の葉が物悲しげに舞い落ちていくだけだった。
「でも、私が16歳になった日から、あなたは近くにいたわ。……人前では無視されていたけれど」
そこまで言って、アリシティアは言葉を切る。人目がない所や、影として動く時、ルイスはそばにいる事が多かった。口を開くと嫌味ばかり言っていたけれど。
「……あれは、僕が勝手に暴走したんだ。叔父上が高級娼婦達を使って、君に色事を教えようとしていたから。絶対にそんな事は許せなかったし、エリアスだって許さないだろうと思った。だから、エリアスに既成事実を作られて君を奪われる前に、君を僕の物にしなきゃいけないって……。叔父上との約束を破って君と会って君を抱いた。でもあの時はまだ、人前ではエヴァンジェリンの恋人候補と呼ばれる立ち位置でいなければならなかったから……」
「……あ、あの。とりあえず下ろして」
アリシティアがルイスの胸を腕で押すと、ルイスは予想外にあっさりと下ろしてくれた。
そこは庭園の中央で、夏には神々の宮の湖に咲くと言われる蓮に似た花が咲き誇る池のほとりだった。ルイスはアリシティアの手を取り、さらに奥へと歩き出した。
手を引かれるままに、アリシティアはついていく。
「何故リアスが出てくるのか、意味が分からないのだけど」
「僕が無理矢理エリアスから君を奪ったから。そう思っていた。前に言ったよね。後ろ盾すらない伯爵令嬢である君が、母親に願った位では、王位継承権を持つ僕とは婚約など出来ないと」
「ええ。私が、私の目がリネスの女神と同じ色で、女神の祝福を受けているから、成立した婚約なのよね」
アリシティアの言葉にルイスはクスリと笑った。
「違う」
「え?だって……」
「色々な要因はあるけれど、1番は僕が望んだから。陛下に泣いて縋ったんだ。僕がアリスと結婚したいってね」
「は?」
「君には後ろ盾がないから、アルフレード兄上やエリアスの妃にはなれないと必死に訴えたんだ。だって、君をエリアスには渡したくなかったから。……僕はずっとエリアスの存在が怖かった。いつ君がエリアスを選ぶかと、ずっと恐れていたんだ」
「私とリアスの間に、何かあると思っていたの?」
「……どうだろう。僕には君とエリアスが特別な何かで結ばれている気がした。僕は君と出会った時から、ずっと君に愛されてきた。それはわかってる。君は僕が何をしても受け入れてくれて、どんなに嫌なことでも本気で拒絶する事は無い。けれど、いくら君が僕の事を愛していたとしても、君を酷い言葉で拒絶して君を傷付けて遠ざけた僕よりも、安心してそばに居られるエリアスを選ばないとは限らない。そう思った。何よりもエリアスは君の事が好きなんだと思っていた」
「……私とリアスはそんな関係では無いわ。リアスはレティシア様一筋よ?」
「それね、さっき初めて知った。勝手に嫉妬して、勝手に空回りして……。僕はずっと君に甘えていた。…何をしても許してくれるからといって、君が傷ついていない訳がないのにね。本当に僕は馬鹿だ……」
ルイスに手を引かれて庭園の奥へと進む度、少しずつ視界が色づいていく。
鮮やかな落ち葉が大地を朱色の絨毯のように覆い、紅色や蘇芳に染まった木々は色鮮やかに世界を染め上げていた。
「ここ……」
アリシティアは周囲を見渡した。
そこには王弟殿下の庭園だった、あの頃の景色はあまり残ってはいなかった。
けれども小さなガゼボのあるその場所は、エリアスに連れられた幼い日のアリシティアが、ルイスと出会った場所だった。
『ルイスでもエルでも、好きな方で呼んで。ねえ、僕も君のことアリスって呼んでもいい?』
一片の曇りもない笑顔を浮かべた、美しく、人懐っこい猫のような少年。アリシティアだけの、狂おしい程に愛おしい存在。
その最愛の存在が成長して、あの頃とは全く違う、縋るような目でアリシティアを見つめている。
「君が今までの僕を信じられないというなら、それでも構わない。だけど、お願いアリス。もっと我儘になって、嫌な事を嫌だと言って。僕を怒鳴って、嫌いだと泣きじゃくっても、蹴り飛ばしてもいい。僕の全てを受け入れなくてもいい。……もっと自由になって」
泣きそうな、それでいて切なさの滲む声が、勝手な事を言うなと思うアリシティアの心に侵食する。
「……エル」
「命まで差し出すような無償の愛じゃ無くていいんだ。だって君は女神じゃない。僕は神の愛を求めたりはしない。君は普通の女の子だから……」
ゆっくりとアリシティアに近寄り、そっと彼女の肩にルイスは額を付けた。
「だから、もう一度僕に恋をして……」
まるで希うように、ルイスは囁いた。
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