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第二章

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 ルイスが納得するまで全身を洗われた後、アリシティアは淫魔の浴室から何とか逃げ出した。置いてあったルイスのシャツを勝手に着て、大きなベッドのど真ん中に潜り混む。

『この寝台は一人で使います』というアピールとともに、不機嫌なオーラで全身を包み、身体を丸めて目を閉じた。






「ねぇ、アリス…」

 これまでになく拗ねに拗ねた彼女に、ルイスは機嫌を伺うように声をかける。だが、当然のように返事はない。


「拗ねないでよ」

 ルイスがアリシティアを怒らせた事は、今までも多々ある。
だが、彼女がここまで拗ねる事は殆どなかったなと思いながら、ルイスは後ろからアリシティアの項に唇を埋める。彼女の柔らかい肌を感じながら囁いた。

「お願い、返事して」

 項に何度もキスして、彼女の苦手な耳朶に唇を滑らせる。それでも何も反応がないので、そのまま首筋に唇を寄せて、チュッとリップ音を響かせる。そのまま小さな赤い跡を残そうとした時、不意にアリシティアが口を開いた。






「……あれは酷いと思うの。私は何回も嫌だって言ったのに。いくらお仕置きでもあんな事…」

 アリシティアはルイスの事など無視し、このまま眠ろうと思っていた。だが、背後からキスしてくるルイスは、アリシティアを眠らせる気は、これっぽっちもなさそうだった。彼はアリシティアの機嫌を取ろうとはしている。けれど、反省は全くしていない。
アリシティアはどうせ眠れないのならと、なにか文句でも言ってやる事にした。

 そして口から出たのが、まるで無理やり処女を奪われた乙女のような文句だ。

 だが、ルイスから返ってきたのは、想定外の答えだった。


「そういうんじゃないから。本当にただ単に、君についた匂いを洗い流したかっただけ。それに君達へのお仕置きは、僕じゃなくてアルフレード兄上がするだろうから、僕は何もしないよ」

「は?」

 思わず身体を起こしたアリシティアは、目を見開いて振り返った。

 彼女の後ろには、上半身裸のままのルイスが寝転がっている。その全身からは、凶器のように色気が溢れ出ているが、今の彼女はそれどころではなかった。


「アルフレードお……王太子殿下?」

 ルイスの口から出た名前に驚愕したアリシティアは、お仕置きされる対象が複数形になっていた事には気づかなかった。

「うん。だから僕は何もしない」

「……え?うそ、やだ。ねぇ、お願い。アルフレード殿下には言わないで。一生許さないって思ったけど、さっきの許してあげるから」

 アリシティアは拗ねていた事も忘れて、ルイスに覆い被さるよう必死に懇願する。
だが、続く言葉を耳にして、彼女は全てに絶望した。

「うん、なんかごめんね? でも既にご存知だから。先に言っておくけど、僕が教えたんじゃないからね?」

 そんなアリシティアを腕に囲い引き寄せると、彼女はなんの抵抗もないまま、呆気なくルイスの胸の上に落ちてきた。

「なんで……」

 呆然としたまま、アリシティアはルイスの胸の上で呟いた。

 ルイスの手の内にいるリヴィアを巻き込んだ時点で、今夜のことがルイスにバレて叱られる事は想定内だった。だが、アルフレードまでが出てくるとは、彼女は予想すらしていなかった。

 アルフレードが怒っても、基本的に肉体的な被害はない。だが精神的被害は、間違いなく甚大だ。


「う──っ」

 その事をエリアスと同じくらいよく知っているルイスは、アリシティアに同情する。自分の胸の中で呻いているアリシティアをなだめるように、ぽんぽんと彼女の背中を叩いた。

「潔く怒られようね」

「う──っ」






 二度ほど小さく呻いた後、アリシティアは無言になった。けれどしばらくした時、なだめるように背中を叩くルイスの胸の上で、彼女は小さくしゃくりあげ始めた。

 そんなアリシティアを胸の上からころんとベッドに落として、ルイスはアリシティアと彼の位置を入れ替える。そして彼女の顔を覗き込んだ。

 アリシティアは潤んだ目で、縋りつくような視線を向けてはくる。だが、思った通り欠片も涙など流れてはいない。

 ルイスの同情を引いて、アルフレードから助けてもらおうと画策する小狡さが、誰かに似ている。

 その人は、ソニア・ベルラルディーニの招待状をアリシティアに渡すことで、彼の手のひらの上でアリシティアが踊るように仕向けた。
そのくせ、アルフレードに送ったたった一通の手紙で、ソニア・ベルラルディーニの招待状に絡んだ関係者全員への、最も効果的な嫌がらせをやってのけることも忘れない。

 外見だけなら自分に一番似ている人。


 似てはいても、百年経ってもルイスはあの域に達する事は出来ないだろう。もちろん、アリシティアも。




 ルイスは苦笑しつつ、アリシティアの瞼に唇を落とした。

「大丈夫とは言えないけど、僕も一緒にアルフレード兄上のところに行ってあげるから、泣かないで」

 見下ろしてそう告げると、アリシティアが首に手を回してぎゅっと抱きついてくる。

「うー、変態とか言ってごめんね」

「……うん」


 ルイスはアリシティアの変態発言に、僅かに苛立つ。けれど、単純すぎる婚約者の言動には、思わず小さな笑みがこぼれた。

『一緒に行ってアルフレードから庇ってあげる』のではなく、『アルフレードの所にアリシティアを連れていく為に、一緒に行く』のだ。それをアリシティアがどう受け取ったとしても、それはルイスには与り知らぬことなので、どうしようもない。


 アリシティアから一度体を離し、ルイスは両腕の間にある彼女の顔を見つめた。

 彼女が浴室から逃げ出した時、髪の毛の色は元の青紫がかった銀色に戻っていたが、目の色は青いままだった。
だが、今ルイスを見つめる彼女の瞳は、朝焼け色に戻っている。

 その変化を不思議に思いはするが、あの魔女と呼ばれる天才が関わっている事など、聞けば不愉快になるに決まっているので、ルイスはあえて聞こうとは思わなかった。

 そんな事よりも、珍しく素直に甘えてくる婚約者を心ゆくまで愛でる事こそが、今の彼にとっては最優先事項だった。


 アリシティアの事など言えないほどの自分の単純さに呆れながらも、ルイスはわずかに目を細め口元には笑みを浮かべた。


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